ベルセルク論

加藤 良介

ベルセルク論

 ベルセルクの素晴らしさについて、今更、私ごときが話すことはない。

 だが、今回はあえて語って行こう。


 漫画作品故、絵柄には好き嫌いがあるだろうし、劇画風のタッチが苦手な人も居るだろう。

 しかし、その画力は圧倒的であった。

 私が、この作品を初めて読んだ時の印象は、「画面が真っ暗」であったのを覚えている。

 それは、余白を嫌うかのように、人物、背景、血しぶき、マントがこれでもかと書き込まれているからだ。

 画面が真っ暗と言えば、黒ベタで塗りつぶしているのかと思えば、さにあらず。なんと、ほとんどが手書きの線で構成されていた。

 画面が暗い作品は、二通りの勢力があると思う。

 一つが、トーンマシマシ。黒ベタぬりぬりで黒い作品。もう一つが、自由奔放に殴り描いたかのような線で構成された作品。

 三浦先生の作品は、そのどちらでもない。

 精緻な線を、ひたすらに織り込んでいくのだ。

 これほど、一コマごとに手を抜かずに、描かれておられる漫画家も珍しい。

 系統で行ってしまえば、フランスやベルギーのバンドデシネの流れを汲むと言えるのだろうが、バンドデシネの欠点は、絵に動きが少ないという事である。 

 ところがどうだ。三浦先生のコマには、圧倒的なまでの躍動感があるではないか。

 全ての登場人物が、息をして、思考して、動いていた。

 ボケっと突っ立っているだけのキャラを、探す方が困難だ。

 どこまでも妥協が無い。

 妥協の無さを一番表しているのが、作品に数多く出てくる、騎士や兵士たちの衣装であろう。誰一人として同じ甲冑を纏っていない。

 なんという。リアリズム。偏執的であると言ってもいい程だ。

 舞台は架空の中世ヨーロッパを舞台にしているのに、どこにも嘘が感じ取れない。

 それは本来、空想の産物であるはずの、使徒や魔法、妖精、化け物に至るまで、徹底されていた。

 本気でその世界を構築しているからだ。

 これに匹敵する世界観で、描いている漫画は「AKIRA」と「風の谷のナウシカ」意外に私は知らない。

 空想の世界なのに、圧倒的なリアリズム。

 それが、三浦健太郎ワールドだ。



 私は絵が上手いだけの漫画家を大して評価しない。なぜなら、私は世界観とストーリー重視の人間だからだ。

 絵が上手くても、肝心のお話が面白くなければ、立ち読みでサヨナラだ。

 逆に絵が下手くそでも、お話が面白ければ、オールOK。そんな価値観の人間だ。

 そんな私にとって、絵が上手くてお話が面白い漫画家など、稀有な存在と言える。

 他にパッと思いつくのは、浦沢直樹先生ぐらいだろうか。

 絵が上手いだけの漫画家だけなら、履いて捨てるほどいる。お話が上手い漫画家は少ない。両方兼ね備えている人間は、もっと少ない。

 両方を高い水準で持ち合わせていたのが、三浦先生だ。

 世界観、ストーリー、キャラクターどれをとっても、ケチのつけようがない。

 どんな、人気作品にでもケチを付けれる自信がある、くそったれの私としては、実に希少な例外だ。

 其の完成度の高さのあまりに、某ゲーム会社が設定を丸々パクッて作品を作ったほどだ。

 お読みの方の中には、モンハンや三国無双あたりのゲームで、ガッツのキャラメイクに挑戦された方もいらっしゃるだろう。

 私はした。

 それほどまでに、ガッツは魅力にあふれたキャラ、いや、人間であった。

 強さ、逞しさ、優しさ、狡さ、悲しさ、その全てが、男が考える格好いい男の姿であった。

 そして、重くなりがちの本作をポップに演出したのが、相棒のパックだった。

 私は、ベルセルクのターニングポイントは、ロストチルドレンの章だと考えている。

 黄金時代と蝕が終わり、三巻の続きとなった話だが、それまで、悲惨で重苦しい作品に、初めて笑いとギャグが入ったのだ。

 これは、良いアイデアであったと思う。一気に読みやすくなった。

 悲惨な世界にも、くだらない笑いがあったことは、大いなる救いだった。

 その流れで、最近の私のお気に入りのキャラはマニ彦さんだった。

 

 さて、ベルセルクの素晴らしさを語るのはこれぐらいにしよう。

 キリが無いし、一人で語るのは辛い。

 ここからは、ベルセルクがどの様に進行したであろうかを、考察したい。

 一ファンによる。不遜な考察ではあるが、お付き合い頂きたい。 



 考察と言ったが、この作品の目的は単純だ。


 「ガッツがグリフィスに一発かます」以上。


 当然、この様な展開になるだろう。それは、一巻から一貫したこの作品の流れだからだ。考えるまでもない。

 だが、それだけでは面白くない。もう一歩踏み込んで考えてみる。

 ガッツはグリフィスに、何をかますのかと言えば、それは「現実」だろう。

 ベルセルクに登場する、使徒と呼ばれる化け物たちは、元は皆人間であった。

 それは、神のごときグリフィスであっても例外ではない。

 悲惨な現実に耐えかねて、彼らはベヘリットを触媒とし幻想の世界へと旅立ったのだ。

 ガッツはそんな使徒共に、鉄塊という現実をぶち込んで、彼らの目を覚まさせてきた。

 夢の世界に逃げた連中を叩き起こして回るのが、ガッツなのだ。

 そのための武器が鉄の塊と言うのが、振るっているではないか。これほど、実存がしっかりとしている物質も他に無いだろう。

 まさに、サルトルばりの実存主義。

 

 最期は激闘の末に、夢の世界にいるグリフィスの頭に、鉄塊と言う名の現実を食らわせてやるに、決まっているのだ。

 そしてグリフィスは、子供じみた夢の世界からたたき起こされ、現実へと回帰するだろう。

 グリフィスから見れば有難迷惑であろう。

 しかし「いつまでも、引きこもってんじゃねぇ。眼ぇ覚ませ」そう言うガッツに、お日様の下に連れ出されるのだ。

 私はそれが、ガッツの友情だと思う。

 ハッピーエンドで終わるのか、バッドエンドで終わるのは分からないが、そんなラストだと私は考える。それ以外に何があると言うのだ。


 この作品は、二人の男の友情の話しだ。

 ありふれた。何処にでもある単純なお話だ。

 それを最高の世界観と演出で描いているのだ。



              終わり

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ベルセルク論 加藤 良介 @sinkurea54

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