第44話

「で、それでなぜ私なのだ?」


 梓然ズレンは腑に落ちない、といった表情で机上の地図から顔を上げた。

 新華王国から春帝国に戻ってくると、私は護衛に言伝を頼み、私のいる俊熙ジュンシーの家まで梓然に来てもらっていた。

 これから俊熙を探しに行くのに、予め平雲州について情報が欲しかった。私はこの国の出身ではないので、そもそも平雲州についてほとんど知っていることがない。


「だって、私が知る人のなかで、戸部侍郎様が一番頭がいいんです」

「君は随分と正直だな」


 今日の訪問者は戸部侍郎だけではない。

 麗質リージィ花琳ファリンも皇帝の許しを得て、一緒に訪ねてきてくれていた。

 花琳は包子にくまんもたくさん持ってきてくれており、私の作った料理とともに食卓に並べ、皆で昼食にした。


 私が振る舞った手料理は、野菜入り肉団子の汁物と、蟹入り炊き込みご飯だ。

 ちなみに肉団子は今回こそ、散り散りにならずに済んだ。

 どうやら前回はつなぎが少なすぎたらしい。

 私は汁物を少し飲むと、地図を指差した。


「この辺りが、州軍と禁軍が衝突した峡谷です。その下流の村にも捜索隊は行ったと聞いています」


 麗質リージィが地図を覗き込みながら、頷く。


「平雲州は川が多いのよね。だからこそ、土壌も豊かなんだけれど……。規模が縮小されたらしいけど、捜索隊は今も残ってるわ」


 地図を見ながら、梓然が唸る。


「この一月半で、随分広範囲に捜索しているな」

「だから、私はそれ以外の場所を調べたいんです。例えばもっと流されて、海辺のほうとか」


 俊熙はもういないのでは、と思った日もあった。

 華王国に向かったときは、私は彼を永遠に失ったと思った。

 けれどこれほど探しても見つからないということは、逆に彼が大きく移動し、誰かの庇護にあるからではないかと、思うようになった。

 足を怪我して動けず、都まで帰れる状況にないのかもしれない。

 そう皆に伝えると、三人は大きく頷いてくれた。

 地図の川を指先で辿り、海辺で止めた梓然は首を左右に振った。


「ここまで流されるとは、思えないな。そもそも川沿いにいるはずだ、と皆が思い込みすぎだ。何者かが助けたなら、川のない平野の方向に移動している可能性もある」

「それを言い始めたら、どの辺まで捜索を広がればいいのか……」

「貧しくても食うに困らない場所を中心に回るべきだな。助けた人の世話をする余力があるのだから」


 そこで麗質リージィが自信ありげな声で意見を言う。


「それなら、湖の周辺はどうかしら? 風光明媚な景色で有名で、観光客も多いと思う。どの村もよそ者に寛大でそこそこ豊かよ」


 私は匙を器に戻し、身を乗り出して地図を見た。

 川をずっと下った先に、平野が広がる。その先には、大きな湖があった。その湖を囲うように、たくさんの村々が点在している。

 私はその湖を見つめながら、言った。


「私、手始めに湖をあたりますね」

「手伝うわ。私、思うんだけど強面で武装した兵士が村の家を訪ねて人捜しをするより、私たちが行くほうが、協力を得られると思うの」

「麗質さん、お気持ちは嬉しいんですが、お仕事があるでしょう?」


 すると麗質はきっぱりと言った。


「皇帝陛下はきっと背中を押して下さるわ。もうじき黄貴妃様にお子が生まれ、きっと皇后として冊立されるわ。慶事が待っているのに、陛下はこのところずっと沈んでらっしゃるの。ご本人が一番、探しに行きたいお気持ちのはずよ」


 肉団子の汁物を一口飲んでから、梓然ズレンも口を開く。


「宮廷の勢力図は大きく変わった。皇太后派は瓦解し、今や彼女の息のかかった官吏は誰も要職についていない。陛下は次の――三年後の科挙では、採用枠を大幅に広げる方向だ」


 そうして、陛下が選ぶ科挙出身の官僚を増やしていくのだろう。

 それが皇帝が俊熙と目指した改革の肝でもあった。

 肉団子の汁物をじっと見つめたまま、梓然は続けた。


「皇帝に奏上された劉 宇航ユーハンの弾劾書の草案を作ったのは、この私だ。責任の一端は私にもある。――捜索隊に加えてくれ」

「何を仰いますか。流石に戸部侍郎様に来ていただくのは、無理があります!」


 仕事だって休めないだろう。

 日頃背負っている役職の重みが違う。

 だが梓然は首を左右に振った。


「今動かずに、どうして友と名乗れるだろうか?」


 梓然は俊熙の友人のつもりでいるらしい。

 俊熙自身はどう思っていただろうか。

 私は窓の外に視線をやった。

 柔らかな日差しの中で、白い蝶がひらひらと舞っている。

 今はまだ寒いが、じきに中庭で食事やお茶をするのが気持ちの良い季節になる。

 ここで、俊熙と梓然の二人が語らう姿を、見たい。見せて欲しい。

 私は梓然と目を合わせた。


「三日後に平雲州に向かいます。ご助力頂けるのなら、大変助かります」

「絶対に探し出してこよう」


 私たちもいくわよ、と麗質リージィ花琳ファリンが声を合わせてくれた。


「みなさん、ありがとうございます。俊熙の為に……」


 私がお礼を言うのも、滑稽なのかもしれない。彼はもう、私の下男ではない。

 私は彼の家族でもない。


 食卓の上を見ると、皆もう食事を終えていた。

 自分の手料理を皆が平らげてくれたことに、少しほっとする。

 私は意を決して、皆に声を掛けた。


「皆さんに見て頂きたいものがあります。裏庭にご案内します」




 私は三人を引き連れ、裏庭に出た。

 裏庭は雑草が伸び放題になっていて、たいして手がかけられていない。

 膝丈の雑草が茂る中を陶板が敷き詰められ、道を作ってはいたが、ときおり膝に雑草の先が引っかかる。

 私は奥へと進むと、雑草の中に沈んでいた木の長い棒を拾いあげ、後ろからついてくる三人に見せた。


「俊熙はここで、弓矢の練習をしていました。彼は身体を鍛えていたんです」


 近くに落ちていた割れた木の的をつまみ上げ、麗質が口を開いた。


「身体を鍛える宦官なんて、珍しいわね」


 そうなのだ。

 彼のはだけた上半身を見た時、私もまるで男の身体だ、と思った。

 私は庭に立つ梓然と麗質、花琳を見つめた。

 捜索に行ってもらうならば、このことは伝えておくべきだと思った。


「俊熙のことで、皆さんにお伝えしないといけないことがあります」

「待って、なになに、蔡侍従は本当は王子様だったとか!?」

「珠蘭は王女様なんだものね……」


 麗質と花琳が目を瞬かせて、私が続きをいうのを待った。


「実は俊熙は、宦官じゃないんです。俊熙は正真正銘の男なんです」


 三人は目を見開いた。

 そうして数回瞬きをすると、私が言わんとすることを理解したのか、叫んだ。


「ついてるってこと!?」


 麗質は両手で口元をおさえ、驚愕を露わにしていた。花琳はなぜか至極嬉しそうだ。


「男の身で、どうして宦官をやっていたの?」


 花琳の質問に答えることはできない。

 皇帝を巻き添えにしてしまうからだ。案の定、麗質が聞いてくる。


「たしかに、春帝国の歴史上もそういう宦官がいたとは、聞くけれど……。まさか皇帝陛下はご存知じゃないのよね?」

「それは……」


 言い淀むと麗質はすぐに右手を左右に振った。


「いいの。言いにくいなら何も聞かなかったことにするわ。とにかく、それならばあらゆる可能性を排除せず、捜索に当たりましょう」


 梓然は、妙に納得したように頷いた。


「そのことが、平雲州での捜索の妨げになっていた可能性は、十分あるな」


 そうして不意に苦笑すると、私に言った。


「……今ならわかる。私が外廷で珠蘭に間諜容疑をかけて突っかかっていた時。私を睨む蔡侍従の視線はただの怒りではなかった。――あれは、嫉妬に激昂する男の目に他ならなかった」


 しみじみと呟いた梓然の肘を、麗質が掴んだ。


「えっ、ちょっと待って。それってどういう状況だったんですか?」


 梓然は言葉を濁した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る