番外編

番外① 出会い

※こちらは、PC『オルフェウス』とPC『シュシュ』の出会いを描いた短編となっております。本編とは形式が異なりますので、ご注意ください。





冒険の国グランゼール。

冒険者が見つけた巨大な"魔剣の迷宮"を中心に生まれた新しい王国。

冒険と栄光、富と成功に導く国家として拡大を続けるこの国にも、例に漏れず影の部分が存在する。

それが国の南部に位置する――貧民街である。


人生の落伍者とでも言うべき者たちが流れ着く区域。そんな場所に一人の少女と、少し距離を置いて男が歩いていた。

小柄な少女は到底服とは言えないようなボロ布を身に纏っており、所々見える肌にはいくつもの痣が窺える。

それでもその顔には一つの傷もない。それは彼女が持ち主にとって"大事な商品"であるからだ。

彼女がこの国を訪れるのはこれが初めて。持ち主である蛮族に命じられ、貧民街を通って下町へと出稼ぎに来た。

勿論コボルドのウィークリングであり、こんな格好をした少女が、下町とはいえ一人で入国できるほどこの国は寛容ではないのだが、そこは彼女の持ち主が持つ裏ルート、そして距離を置いて後ろから付いてくる目付役。これらがあってこそである。

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

カラカラ……。

「ひっ……!」


風によって転がる缶。そんな何でもない物音ですら今の彼女には恐怖の対象である。


本来であればもう逃げ出したいとも思えるこんな状況。

だが光を点さないその目は、まるで全てを――生きることすら諦めているようだった。

状況を諦め受け入れ、せめて痛くされませんようにと怯えながら、冷たい床を踏みしめながらひたひたと歩を進める。

……いつの間に歩幅が狭くなっていることを感じる。恐怖が足を竦めているためだろうか。

いけない、ちゃんと歩かないと。また怒られる。怒られて叩かれる。

怒られて叩かれて殴られて蹴られて嬲られて……怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

―――そんな恐怖が彼女の頭を支配し、他の全ての思考がストップする。



彼女の背後から足音が迫る。お目付け役の蛮族が向かってきているのだろうか。

恐怖で俯いたまま振り向いた先に見える靴先は2つあった。自身を叱責しようと近寄る人の姿に化けた蛮族のものとその背後から忍び寄る薄汚れた服と、それに似付かわしくない良く手入れされた鉄靴──貧民街に、今日も殴打の音が響く。


意識が異様に逸れた相手を背後から襲うのは簡単だった。

背を押し、叩いて体勢を崩し、そこにわざわざ用意した鉄靴を叩き込む。喧嘩なら到底使えたものではないが、体勢が崩れた相手の骨を砕くならばこれ以上に有用なものもない。

奇襲して三打。その後、相手が体勢を立て直す前に二打。とどめに一打。

20秒も経たぬうちに人影は死体となった。

……それと同時に、小奇麗な服を着た紳士の姿が醜い蛮族の物へと変貌していく。

その姿を物珍しそうに眺め、一つ小突く。……どうやら息はないようだ。

それを確認すると、目の前にいる小汚い服装をした少女へ眼をやる。

間違いなく初対面、だが、彼──オルフェウスを名乗る男には、確かにその少女に見覚えがあった。


「見つけたぞ、コボルドのウィークリング」

「お前には、俺と来てもらう」 


端的に言って状況が脅迫であった。



殴打の音にただただ恐怖し身を丸くしていた少女は、その声を聞いてゆっくりと視線を上げる。

見下ろす青い瞳にはいくつかの感情が見て取れた。生来、隠すのが上手い質ではないらしい。

疲労、戦意、懐疑……そして困惑。自身に対する値踏みも感じるだろう。


まず目に入ったのが血を流し倒れる目付役。ただでさえ醜い姿が布を纏った赤い肉塊になり果てている。

その姿に対して恐怖は感じなかった。

なぜならそのようなことをした存在が、今の彼女にとってもっと恐ろしい存在が自分を見下ろしているからである。

「ひっ……あ……あっ……」

声にならない声をあげ、その青い瞳を見つめる。

自分が次の標的になるのだと思っていた。だから今まで考えてきた数多の命乞いの言葉を口にしようとした。

――だが、彼の瞳は獲物を見るものではない。そう気づくと、目の前の男から発された先ほどの言葉がようやく思い起こされる。

何て言ったか、……『俺と来てもらう』?


「……」

はぁ、と一つ溜息をつき、男は質問を変える。

「……交易共通語は分かるか?」

言葉は通じている、だが意味はわからない。

それでもとにかく今は、その質問にこくこくと首を縦に振ることで少しでも生き永らえることを試みる。

「そうか。……よし、それじゃあひとまず移動するぞ。こっちだ。」

蛮族の死体を道の端に寄せ、踵を返して歩き出す。

「……」

付いていかないことは簡単だ。むしろ目付役がいなくなったこんな状況、逃げ出すのが当たり前である。

―─それでも彼女は床に手をつき緩慢な動作で立ち上がる。

床で水たまりを作るおびただしい量の血で手が汚れようとも構いなしに。

足の震えが治まるのを待たず、壁に手をつきよろよろと彼の背中を追う。




幾度が角を曲がり、1つの廃屋の中へ入る。いくつかの棚があり、元は商店か何かだったのだろう。

食料を詰めた箱や汲んでおいた水を溜めた桶が置かれた小さな建物が、彼が今拠点として構えている場所だった。

そこに入り、奥にある古ぼけたベッドに腰かけると、靴を脱いで濡らした布で磨き始めた。

「適当に座れ……って」

自身に続いて入ってきたであろう少女を見て、男は少し顔を顰める。

「血塗れじゃねぇか……」

拭っておけ、と布をもう1枚水で濡らし、少女の方へ放る。

入口から辺りを見渡していた彼女はその声にたじろぐが、放られた布を両手で掴むとその場に立ち尽くしてしまう。

「………?」どうやら彼の言葉の意図が理解できていないらしい。血濡れ? 確かに自分は汚れているが、それがどうしたというのか。

彼女は瞳に困惑の色を浮かべ彼の顔を見る。物に対する次の命令を待つように。

男は靴、そして手袋の手入れを終え、再度其方を見るとなんか濡らした布を持って立ち尽くしていた。顔に困惑が浮かぶ。

「……血で濡れて汚いから拭えって言ったんだが。というか服……服かそれ? にも血がだいぶついてるな……」 

事件現場で蹲ったのだから当然だった。

男は頭を掻きながらクローゼット(だったもの)を漁る。綺麗な布は貴重だ。着なくてもバラして布として使うか、と保管していたものが何枚かあったはずだが……。

少女は男の続く言葉を待っていたが、はっとすると、濡れた布で手についた血を一心不乱に落とし始めた。

すぐに血はも手から落ちたが、少女は入念に入念に手を擦る。

数分擦った後ようやくその動きを止め、クローゼットの漁る男に視線を向ける。

「……これで良いか。ウィークリング……あー」 

男は振り返り、彼女に呼び掛けようとして、呼び掛ける名前が無い事に気付いた。

「お前、名前は?」


「あ……あっ……」

暫く交易共通語など口に出していなかったのだろう、少し口をパクパクさせた後

そうだ、名前を名乗るのに相手の言語に合わせる必要だとないのではないか。そう思った彼女は汎用蛮族語の発音でこう名乗る。

「……シュ……シュ」

「……シュシュ? 妙な名前だな……まあいいか。俺はオルフだ。シュシュ、取り合えずこれに着替えとけ。何時までも血塗れな服着てても気持ち悪いだろ」 

そう言って、クローゼットに入っていた古着の中では一番綺麗だった服を投げ渡す。

シュシュはとっさに身を乗り出してそれを掴み、手の間で広げる。

人族の間で流通する何の変哲もないワンピース。しかし彼女にとっては初めて着るタイプの"布"であった。

暫く宝物を見るような目で見た後、はっとしたように彼の言葉を思い出す。

自分を着飾らせて何をしたいのかはわからないが言葉には従わねば。

彼女はそれを床に……いや、汚れないように近くの棚の上に置き、自分のボロ布に手をかける。

「そっちの方に普段使ってねぇ倉庫がある。大して掃除もしてねぇから足元気を付け……」

普通の相手なら途中まで発されたその言葉の意図に気付くことができたであろう。

だが彼女はお構いなしにボロ布を捲り上げ上半身を露わにする。

そこで彼の指が示す方向、倉庫を見つめきょとんと首を傾げる。


「………」

言葉が止まる。え、こいつ何してんの。


「………!」

だが行動は早かった。硬直は一瞬、少年はそのまま指で示していた倉庫へ入り、扉を閉じた。

ドアに背を預け、額に手を当てる。


少年はすぐに目を逸らしたかもしれない。だが否応なしに彼女の身体に刻まれたいくつもの生傷や痣に気付いただろう。

少女は倉庫に入っていった少年を見送った後、与えられた服に腕を通す。

……この服の着方はこれで正しいのだろうか。そんなことを考えながら露わになった肩を指でなぞる。




「はー……クソ、なんで俺が追い出されてるんだ……!」

熱を冷ますように小声で言葉を吐きだす。

感情の熱は驚きと羞恥、そして怒りである。

「(反応で薄々察しちゃいたが、あの傷は……クソ共が)」

拳を握りしめ、少しして手を開く。

「(……まあ、利用しようとしてるのはこっちも同じか。俺にそれを罵る資格はない)」

……少し経ち、衣擦れの音も収まっただろうか。別に聞き耳を立てていたわけではない。


「おい、着替え終わったか」

扉越しに声をかける。その声に少し驚いたのであろうか、ガタンと音が聞こえたのがわかる。

「あ……あっ……あい」はい、と言いたかったのであろう返事が返ってくる。

「………」

そろり、と扉が少しだけ開く。ちょっと警戒しているらしい

ちゃんと服を着ていた事に安心したのか、扉を普通に開けて出てくる。

着替えた後は何もせずに待っていたのであろう。シュシュは先ほどのボロ布を腕にかけその場に立ち尽くしている。

「……ふむ、中々だ。良く似合ってる。」

選択にミスは無かった。元々、拾ってくる服はそこそこ良さそうだと思ったものだけなので当然である、と一つ頷き、さっきの醜態を隠すようにコホンと呼吸を整え、シュシュへと近づく。

一瞬びくりと身を震わせ一歩下がるシュシュ。背中に何かが当たる感覚、目だけ後ろに向けると、そこにはクローゼット。

もう下がれないと悟ったのだろう。ぷるぷると震えながら許しを請うように少年の瞳を見つめる。

「……まずは座れ。んで……あー……水で良いか?」

その辺に適当に積まれてあったクッションを1つ投げ渡す。

茶葉などという高級品はなく、ついでに言うと新鮮な水が"泉の迷宮"から湧き出るこの場所ではあまり必要はない。

尋ねたが別に代案がある訳でもないので、返事を聞く前に木を削って作ったコップに水を注ぎ、近くへ置く。

「…………」

投げられたクッションは誰の手にも収まることなくぽすんと落下した。

どうすればいいか少し悩んでいたようだが、シュシュは指示通りおずおずとクッションの上に腰を下ろした。離れてベッドに腰かけると、勢いよく水を呷る。

……結果的に無傷で済んだが、あれは薄氷の上の結果だった。一つ蛇の目を引けば屍となって転がっていたのは自分だ。精神的負担は馬鹿にならない。

息を吐き、呼吸を整える。ここからが第二関門だ。

シュシュは、水の入ったコップを手前に引き寄せ、目線の高さまでそれを上げている。

向こう側が透けて見える水を飲むのは久しぶりなのだろう。コップ越しに見えるシュシュの目には驚愕の色が浮かんでいる。

一呼吸置いたあと、シュシュはおそるおそる水に口をつけた。一口飲んで毒がないことを確認すると、あとは一気に喉に流し込む。

喉を数回上下させた後、コップを口から離し床に置いた。先ほどよりも明らかに落ち着いていることが見て取れる。

「……落ち着いたみたいだな。それじゃあ……少し話すか。お前も、気になってることはあるだろ。」

ここまで疑問符しかない気もするが。




彼女にとっては、あまりに非現実的な出来事の連続だった。

だが、停止していた思考を再開させ、膝に手を置き話を聞く姿勢を取った。

「まず、いきなり連れてきて悪かった。殺したのは蛮族だったとはいえ、随分乱暴だったからな。文句があるなら聞くぞ。」

「………」

慣れない謝罪の言葉にどう反応していいのかわからず首を傾げる。

彼女のこれまでの記憶の中には物に謝罪する人物などいなかった。

その言葉をゆっくりと噛み締めた後、首をぷるぷると横に振る。

「……いや、まあ、無いなら良いんだが。」

少年の意図がわからないにしても、あそこから連れ出されたことに文句などあるはずもない。

――むしろここで言うべきは。

「あ……あっ……いが……と……」発されたのは、言葉とは到底言えないものだけであった。

「……? 何だ、水、もう一杯いるか」

あるいは普段なら気付けたかもしれないが、彼にとってこの状況はそんな言葉を投げられる場ではない。その意思は伝わらなかったようだが、あの水を貰えるのはそれはそれで嬉しい。

耳をふわりと浮き上がらせると手元のコップをすすっと前に出す。

差し出されたコップへ、水差しから水が注がれる。



「……んで、多分気になってるであろう俺がお前を攫った理由だが。」

コップを手の中に大事そうに持ったまま少年を見つめる。

「……正直俺にも分からん。頼まれたから、というのが一番近いかもしれない。お前を蛮族から攫い、近くへ置くように。……俺がこの街で成功し、成り上がるために。お前を連れていく事が役に立つんだと。」

……自分を? 近くへ置けと? 誰からの指示だろう。

あの主人は確かに恨みを買うタイプではあろうが、わざわざ自分を攫っても痛くも痒くも……。

何かを成すために使われる、そのこと自体はすんなりと受け入れる。疑問はあれど困惑や不安の色はなかった。

「……俺はこれから冒険者になる。そこに付いてくりゃ危険もあるだろう」

「お前には選ぶ権利がある。この街は家無しにも優しいぞ。その日を凌いで暮らしていくことは出来るだろう。」

「選べよ。俺と来るか、蛮族から離れられた幸せでも噛み締めながら新たな人生を歩むか。」

その言葉には何処か、片方へ比重が偏っていた。

束縛から逃れる事が出来た奴が、もう1度別の奴に縛られる。それは何となく嫌だったのだろう。


「……ここで暮らしてくってなら働き口の1つくらいは紹介してやる。それ以上関わる気は無いけどな。」

冒険者……小耳に挟んだことしかない言葉だが、時には戦場に赴くような危険が付き纏う職だという。

自分がそのような場所に駆り出されても荷物持ちにしかならないであろうが……。

『選べ』その言葉は彼女に重く圧し掛かった。自分がこれまでやってこなかった、やりたくても出来なかったこと。

「それで……もし、俺と来るなら。」

「……俺はお前を見捨てない。助けたなんざ口が裂けても言えないが、攫った義理がある。」

「んで、同時に放しもしない。俺が成り上がり自分の居場所を手に入れるまで、キッチリついてきてもらう。」

「それだけだ。好きな方を選べよ。」

何処か投げやりに。自分に出来ること、言えることは全て言ったとばかりに言葉を切り、少年は水を呷っている。

非常識な行動をする得体のしれない少年からの突飛な勧誘。

状況だけ見ると胡散臭さの役満だが、『見捨てない』『放さない』という言葉が少女の心をほんのりと温める。

少女は考えるために伏せていた顔をすっと上げると、前髪から見える右目で少年を見つめる。

光すら映していなかったその目に、はっきりと一人の少年を映して。

唾を大きく飲み込む。この音はこんなに大きいものだったか。

息を整えると、ゆっくりと先程よりも言葉らしい言葉を発する。



「よ……おしく…おねがい…です」



「……後悔すんなよ。」

一言呟き、改めて向き直る。

「俺の名はオルフェウスだ。精々長い付き合いになると良いな、シュシュ」

「オ……オウ……オウフェウ……ス」「オルフェ……ウス」何度も小さくその名前を口にする

「……オルフェウス」目を閉じその名前をゆっくりと心に刻む。

少しだけ火照る熱を逃さないよう、自分の体に腕を回す。

「……あんまフルで呼ばれると恥ずかしいんで、呼び名はオルフで頼む。敬称とかは何でもいいわ」

彼女は知らないだろうが、オルフェウスとは彼が幼少期憧れた架空の英雄である。

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ


こうして、名を失った少女と名を捨てた少年は出会った。

なにものかによって定められた出会いを経て、2人の道は交わった。

その先に何が待っているのか。それは、導きの声だけが知っている。



                    ──どこかで歯車がズレる音がした。

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