第39話 卒業~時日は百代の過客

 そしてまた、時日じじつ百代はくたい過客かかく


 あっという間に時間は過ぎて、新羅辰馬たちが蒼月館を卒業するその日が、いよいよやってきた。


 教室の端々で、別れを惜しむ言葉が交わされる。終の別れもあればすぐにまた再開することもあるだろうが、少なくともこの『蒼月館』という学舎まなびやの中で一緒に日常を過ごすことは、まずもって一生ない。


「ま、オレらは卒業後の進路、はっきりしてっからいーんすけどね」

「傭兵か……俺はまた副官事務なんかねぇ」

「拙者はきっと間諜かんちょうとして役に立って見せるでゴザルよ、忍者だけに!」


 三バカの言葉がやたら身に染みる。というか辰馬、卒業式始まる前の時点ですでに泣きそう。この少年の美点であり欠点でもある点として感受性の強すぎるところがあり、やたらと感激屋で怒りっぽく泣きやすく笑うときは盛大に笑うし嘆くと極端な鬱になる。


「あれ、辰馬泣きそう? あ、やっぱアレか、わたしがいなくなるから寂しーんだ?」

「ぅ……ぐすっ……そら、さみしいっての! こんなん泣くだろ普通!」


 ニヤニヤと辰馬をからかったエーリカが、辰馬のマジすぎる返しにどん引きする。いつだって感情豊かな辰馬ではあったが、今日はいつにも増して調子がおかしい。


「よーし、席に着け。まだ式じゃないからなー、浮かれるなよお前らー」


 若手の現国教諭が入ってきて、ばんと机を叩く。


「うぅっ……みんなぁ~、いままであんがとなぁー……」

「新羅?」

「こんな混ざり物のおれと仲良くしてくれてなぁ、みんなほんとに……」

「おい新羅!」

「……、あぁ!?」


 酩酊状態から強制的にたたき起こされ、辰馬はいかにも不機嫌げに教諭を睨んだ。とにかく浮沈ふちんがはげしい。


「お前はなにを泣いているんだ」

「やかましーわ、ばかたれ! そんなこともわからんのかこのバカチンが!」


 珍しく「ばかたれ」に「バカチン」まで乗せて、現国教諭を面罵する。感涙に水を差されて、非常に不機嫌。


「男だったり女だったり、性別もはっきりせんようなお前みたいなヤツの考えがわかってたまるか」

「だから、おれは男で間違いねーだろが、あれは……」


 あれは晦日つごもりの情報操作……と口にしかけて、危うく口をつぐむ。美咲が国の密偵であることは国家機密に次ぐ上級特秘事項。国軍の人間ですらほとんどその時日を知らないのだ。ただの諜報員ならともかく、美咲の仕事は監査官として各部署の管理と監視という、知られれば非常に疎まれる役目。ゆえに極秘というのが美咲を溺愛するパパこと宰相・本田馨綋ほんだ・きよつなの意向。


 そんなら最初っから密偵なんかにしなけりゃいーのになぁ……ま、手元に置きたかったとか、そーいうところか。でも危ない仕事をよくやらせる……。


「あれは? あれはなんだー、聖女さま」

「うっせぇ殺すぞ聖女ゆーな!」


「まあアレだな、やっぱ辰馬サンはこーでねぇと」

「ん。教師を殴り殺さんばかりの勢い。あれでこそ新羅さん」

「少しは情緒不安定、治した方がいいと思うでゴザルが……」


教師への敬意微塵もない三バカは、そう言い合ってウハハと笑う。「殴り殺す」という言葉に新羅辰馬がもともととんでもない武闘派だったことを今更思い出した現国教諭は、瞬時に顔を蒼くした。


「すすすす、すいませんでしたァ! どうか、どうか命だけは!」

「取らんわばかたれ! なんで命の話になるかな……!」


 おれってそんなん怖い? と不本意顔になる辰馬だが、そりゃ過去にこなした数々の事件やら普段の気性やら、あと学生の間で流れている不穏な噂(辰馬が過去に何人殺したとか女を奴隷娼婦にして働かせてるとかちょっと気晴らしで解放した盈力が山脈まとめて消し飛ばしたとかいう、わけのわからん、だがやろうとおもえば実際簡単にできるので信憑性があってしまう噂)だとかの所為で、辰馬を恐れる向きは多い。最近聖女さま効果でそのあたりは緩和されていたのだが、思い出すと新羅辰馬は蒼月館の総番長みたいな存在だった、という認識になる。その総番長、さっきまで卒業の悲しみにグスグス言ってたわけだが。


「それより仕事しよーや、先生。通知書は?」

「あぁ、はい……。すんません、新羅さん!」

「それもういーから!」


 というわけで通知書が配られる。辰馬の席次は学年3位。上に神楽坂瑞穗と、さらに上には磐座穣いわくら・みのりがいるのだ、これはさすがに仕方ない。それにしてももとヒノミヤ勢の頭脳は異常と言うほかない。穣はもともと同学年とはいえ、瑞穗に関しては本来まだ2年生のはずなのにこれである。蒼月館が学府としてと劣悪なわけでは決してなく、官僚や政治家、軍人を多く輩出する名門。それでもヒノミヤで最高の学識を学んだ二人には遠く及ばないらしい。閉鎖社会ではあるが、ヒノミヤの頭脳というものへのこだわりはかほどに深かった。


 まあ、主席だったらスピーチせにゃならんし。こんくらいの順位がちょうどいい。


 太平楽にそう考えて、辰馬は通知書を仕舞う。人前に立つ状況はヒノミヤ事変での将軍役とか、聖女さまとしての活動でずいぶん増えたし、今後も、将官を目指すからには間違いなく増えていくわけだが、緊張するし疲れるし、苦手なもんは苦手であった。


・・・


 そして卒業式。


「あたし今日で先生やめるー、そんじゃね~♪」


 重厚な講堂には不似合いなぐらい元気よく、ピンクのポニーテールを揺らし、壇上に上がって言い放ったのは牢城雫。学園の名物で人気者だった剣豪教師の、わずか就任3年目にしての離職は学生、職員たちを震撼させた。それはもう、前日からじわじわと「わたし、卒業したらヴェスローディアに帰るから」と放言していたエーリカの発言をかき消すほどのインパクト。ヴェスローディアに帰ればともかく、アカツキ国内における人気で新人アイドル・エーリカは天才剣聖・雫と比べものにならない。


「たぁくんがこれから蒼月館やめちゃうじゃーん? そしたらやっぱ、あたしがお世話しなくちゃだと思うんだよー。だからみんなには悪いけど、雫ちゃんは今日で先生を辞めます、以上!」


「しず姉……おれのために、ほろり……」


 普段なら「鬱陶しいこと言ってんなよ、しず姉!」ぐらい言うはずなのだが、卒業式の雰囲気ゆえかまたぞろ泣き出す辰馬。まあ式が始まってほかにも、泣き出した学生は少なからずいるので辰馬だけ目立つと言うこともないが、それにしても情緒不安定。


・・・


 式後。


「そんじゃね、たつま。何年かしてわたしがヴェスローディア獲ったら……」

「いやまあ、その前におれはどーにかして出世するわ。お迎えされるにしても、対等じゃないといかんだろ?」


 エーリカの言葉に、辰馬はそうして返す。エーリカの才覚なら本当に10年かけずにヴェスローディアを獲るかも知れない。そのとき自分がまだ一回の布衣ほいに過ぎない身では、辰馬自身として困るというか、自分を許せたものではないのだ。だから誓う。10年以内になんらかの大功を立てて、王侯の位を取ると。


「ん。それでこそたつま。それじゃあ! まずは、ヴェスローディアの王宮でも素うどんを作らせるわ!」

「いや、素うどんてのは一番安物でな……他にわかめとか天ぷらとか月見とか……」

「いいのよ、わたしにとってあの素うどんが運命を決めたんだから! だから……、結婚したら一緒にうどんを啜る王と女王になりましょう!」

「まぁ、お前がそれでいーなら、な。それでは、のちのヴェスローディア女王、エーリカ・リスティ・ヴェスローディア王女、しばしのお別れです」


 辰馬はエーリカに跪き、その手の甲にキスをする。いつも冒険で着ている戦闘用ドレスはレンタル品なので、今はアイドルとは思えない芋ジャージ姿。手の甲も白手袋に包まれることなどなく、素手。もともと野山遊びが趣味で武術稽古が大好きだった、しかし剣の才はなく盾の護りという地味な才能しか開花しなかった姫君の手の甲は、その鍛錬の所為でやはりやや硬い。日々のケアは欠かしていないとはいえ、やはり「鍛錬は裏切らない」ために最低限のこぶや筋張りは仕方ない。辰馬はこれまで自分の窮地を幾度となく救ってくれた「盾の乙女」を、このとき今までで一番、美しいと思った。


「それじゃあ! 瑞穗に雫先生、みんなも!」

「すぐに怒る癖だけはどーにかしろよ。そんじゃーな」


「行っちゃったね~」

「行っちゃいましたね。寂しくなります」


 雫と瑞穗が、相次いで言う。三バカはカラオケという新しい遊びに繰り出すらしい。一堂に会して歌う、という説明を聞いて辰馬はトラウマを刺激され、イヤイヤ無理無理、と丁重に断ったが。ともあれこうして新羅辰馬の、蒼月館での三年間はわった。


・・・


「本日付で任官しました、新羅辰馬です、よろしく!」


 やや遅れ気味でアカツキ六部のうち兵部の将校用詰め所に駆け込んだ辰馬。


「おぉ、聖女さまだ!」

「聖女さま、女子はこっちじゃないです、隣!」


 だからー……いつまでこの誤解続くんだよ。


「いーんすよ。おれ、男ですから。どうせ今日、身体測定あるんでしょ? そこではっきりさせます」


 ということで、男子詰め所で……なんとなく視線が気になり端っこで隠れながら……着替えた辰馬だが、やはり新兵たちのほとんどは辰馬を男としてみていない。やたらキラキラした瞳で仰ぐようにみつめてくるのが、嬉しくもなんともなくイラッとくる。


 こいつら全員しばいたろかな……。とはいえ、団体行動の和は大事、と。


 ひとまず気分転換に詰め所を出ると、隻眼緑髪の人影に出会う。


「よお、かいな。あれからまた腕上げた? もう片腕がどうとかいうレベルじゃねーわ、それ」

「お前に一目で見抜かれるレベルでは、まだまだ。あの牢城雫さんにすら実力を量らせない、それくらいでなくてはな。ともあれ、合格おめでとう」

「あー、そっちもおめでとー」

「……お前も、相当にレベルを上げているな。前は一対一なら負けないと思っていたが、今は難しそうだ」

「まーな。それなりには……ところで、将校の序列って実のところどーなってんだっけ?」

「あ? 知らんのか。いや、兵科を志したのがつい最近なら、そういうこともあるか……それで次席とはな」

「?」

「いや、軽く説明しよう。まず今のお前は准尉。士官学校の士官候補生は特別の例外を除いてここから始まる」

「あれ、二等兵とか軍曹とかは?」

「それは下士官。スタートラインが違う。彼らは士官学校を出ていない」

「あー……それで」

「そしてまあ、少尉、中尉、大尉、准佐、少佐、中佐、大佐。その上に准将、少将、中将、大将、その上に元帥……唯一無二の殿前都点検がいる。将官としてまず軍指揮官を目指すなら、とりあえず大佐だな。軍隊の総指揮権を得るのはここから、それまでは大佐以上の将たちに使われる使い走りに過ぎない」

「はー。了解。よくわかった、サンキュ」

「おう。お前も頑張れ。俺も、近衛として頑張る」


・・・


 その後、身体測定でようやくに新羅辰馬女性疑惑は晴れ、代わりに新羅辰馬超巨根説、というのが浮上したのだがまずそれは構わないとして。辰馬を驚かせたのは「次席」つまり試験の成績が上から2番だったことではなくその上を獲った人物。


「本日付で大尉として任官しました、磐座穣いわくら・みのりです。みなさん、どうぞよろしく」


 今まで頑なに脱ぐことのなかった巫女服をアカツキの青地の軍服に着替え、穣は新人士官たちの前で堂々と挨拶のスピーチをぶつ。その堂に入りぶりはやはり、ヒノミヤという独立国を動かしていた自負がものをいっていた。


 しかも大尉。本来なら准尉任官が当然なのに、3階級も上を行っている。これが才能の差かと思うが、だからといって負けていられるものではない。王になるなら天才の穣だって追い越して乗り越えなければならない。


「磐座穣大尉、新羅辰馬准尉、こちらへ」


 そう辰馬たちをさし招いたのは、本田姫沙良ほんだ・きさら。かつての元帥の娘であり、現元帥。才能はあるにしても間違いなく親の七光りと皇帝の人気取りで栄達した、まだ22才に過ぎない軍トップは、執務室に辰馬を通すとやや痛ましい顔で切り出した。


「貴方に最初の任務を与えます。狼紋ろうもんの魔人を、止めて下さい」


 それはまるで死んでこいと行っているように、辰馬には聞こえた。

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