第37話 青雲の未来
それから、とくに魔族の襲来などということもなく
辰馬は瑞穗と
今日は京城柱天の兵舎にある、士官用の個室。兵卒が雑魚寝するタコ部屋とは違って、作りも調度もしっかりしている。ただし利用者の性格を繁栄して酒瓶があちこち転がっているし、そこらには利殖用の不正帳簿とおぼしき文書があっけらかんと散らばっているが、まあ辰馬も雫が……最近は美咲のほうか……が整頓してくれなかったら似たようなものなので、気にはならない。
「まず、敵の斥候兵を捕えたら半殺しにして
いわゆる『釣り餌』戦法だが、それを聞かされた辰馬は相変わらず、暗澹とした気分になる。なるが、聞かせろと自分から言った以上聞いたことはしっかり覚えなくては意味がない。自分で選んだ道から、途中で降りるという行動は新羅辰馬の辞書にないのだ。
「ですがまあ、その先に出てきた部隊の精強には舌を巻きましたねぇ。なんか青白っぽい
「お前……将官なら部下に責任もてよ。見捨てて自分だけ逃げ帰るとか……」
「アホですか、兵士なんざいくらでも換えが利きますがね、優秀な将軍はそう簡単には見つからんのですよ。……大将が安易に玉砕なんか選んだら国が滅ぶのです、少々、話しますか」
「いや、今まさに話してる最中……」
「いいから聞きなさい。昔あるところに一人の大将がおりました。この大将は剣術抜群、馬術も免許皆伝、そして日々水泳と鷹狩りで健康に気を遣う剛毅の君でありましたが……」
「うん」
歴史話自体は好きな分野である。辰馬はやや前のめりになって拝聴の姿勢を取る。
「この大将がある敗戦の時、橋の前に出るわけです。近くには馬と、配下たち。さて、どうしたと思います?」
「お前の話だからなぁ……部下を見捨てて馬で橋渡った、とか? ついでに橋を落とすとか?」
「……はぁ~、わかってねぇ、わかってねぇなぁ、新羅公……。理解が乏しすぎますよアンタ……」
「そんなこたぁわかっとるわ! だから今頑張ってんだろーが」
「いや、今のは失言、本質的な気質の話ですな。その発想しか出来ないようでは、今後将帥としては二流で終わります。正解は『配下の腰にしがみついて馬に乗った』ですよ」
「? は? ぇ……? その大将は馬術の免許皆伝、だよな? なんで部下にしがみつく必要が……?」
「配下たちは皆笑います。しかし橋を渡り終えた大将は言うわけです『ワシがこれだけ慎重じゃから、お前たちは安心してこの国の民たり得るのだ』と」
「ぁ……あー、なるほど。そういう話か」
「そういう話です。この大将の名前は
まじめに語ったかと思うと、いつもの不良中年の顔でガハハと笑う。若白髪に白面、三白眼で目つきこそ悪いもののなかなか、いい男なのだが、どうにも野趣がありすぎて辰馬としては対処に困る。敵ならたたきのめせばいいのだが、この男は辰馬に好意的……というか現時点で明確に辰馬の目標を理解・把握し、それを達成させようと、そしてその暁には自分は皇帝の師父……
最低、瑞穗にヘンな目向けなきゃ我慢も出来るが……。
こちらもやや
この中年が15年後、赤龍帝・新羅辰馬の宰相として豪腕を振るうことになるとは、辰馬は想ってもいない。長船にはそのビジョンはあるものの、彼とてわずか15年で達成とは思っていなかっただろう。その数年前、辰馬がアカツキ本国の危険分子と認定されて後方部隊と断絶、一部隊の孤軍で孤立させられた人生最大のピンチにおいて、「ヴェスローディアを頼れ」と言い置いてアカツキに戻った神楽坂瑞穗と交渉、瑞穗の身体を堪能するという代償と引き替えにアカツキ内部を擾乱し、同時に援軍を出した。瑞穗という女性を寝取られる形になった辰馬だがそれはヴェスローディア王国を差し出して辰馬に与えたエーリカ・リスティ・ヴェスローディアと並ぶまさしく蓋世の大功であり、それでもなお怒りにまかせて長船を処断しようとしたがそれは瑞穗に「功臣を斬れば天下の信を失います」と言われて諦めるほかなかった。後世、神楽坂瑞穗の皇后冊立がやたらに遅れ、先に子を産んだエーリカが冊立された理由の一つはこのときの不貞にある。そしてもしかしたら辰馬ともっとも絆深かった雫は、子を成せなかったゆえに皇后となれなかった。
長船もまさか棚ぼたでまた、瑞穗を存分に泣かせられる日が来るとは思ってもいなかっただろうが、ともあれそれは10数年後。今の時点でどうもこうもないし、状況が状況でなければ辰馬は絶対に瑞穗を……雫でもエーリカでもほかの誰でも……他人に差し出したりしない。そもそも彼女らを護りたいが為に今をやっているはずが、将来背負うものが大きくなりすぎると瑞穗ひとりを護ることも、雫を妻に娶ることも出来なくなるのだから、皮肉ではあった。
「さて、今日の所はこんくらいで。桃華の
「お前その女とみれば穢す癖、どーにかしろよ。ホントキモいからな、エロ中年」
「ハハッ、そんくらいの言葉で今更どうこう変えられませんぜ!」
さて、そんじゃ帰るか……。
「あんた」
「……?」
やれやれと部屋を退出すると、待っていたかのように声をかけられる。女の声。勇ましい感じの、やや女性としては大柄。グラマラスで乳房は豊か……といっても瑞穗やエーリカのサイズを見慣れていると判断基準がおかしくなってくるが、とにかく肉感的かつ筋肉質な、「姐さん」タイプの女性だった。辰馬も一時期将軍(一時的に、最下級の偏将だが)だったから分かる。腕章の色が黒は大元帥で国家に唯一無二、青なら元帥、赤は将軍、白は士官で黄色は兵卒。判断するに、この女性はまだ兵卒らしい。
「なんすか?」
「あんた、最近有名な「聖女さま」よね?」
あー、ここでそれ言うかよ、うあー……。
「まさかあの方もこんな子にまで手を出すなんて……まあ、あの方の魅力なら仕方ないのかもしれないけど……」
「?」
なんかよくわからんことを、ぶつぶつ言う。と、思うや。キッと睨み付けてきた。
「この
言うや同時に平手打ち。当然、一般兵の平手など辰馬にとってはスローモーションでしかなく、軽く手首を掴んで制圧するが……売女……あ? あぁ!?
「あんた、おれがあのアホの女だとかおもってんのか?」
「違うとは言わせないわよ、泥棒猫! その顔でなんて言ってあのひとに取り入ったか、言ってみなさいよおぉッ!」
騒ぐ女性兵士、そして集まる一般兵たち。そして聖女の姿に場が湧くのなんの。
「あのさー、誤解だし。つーかおれ、男だから」
「男ってことにして育てられた女なんでしょ、情報誌にでっかく書いてあったわよ!」
「いや、あれは
「うっさい、いいから離せ、このメスガキ!!」
「口悪いなー……なんか、女相手でもさすがに殴りたくなる……」
「あぁ、殴りなさいよ、軍属相手に手を上げたら、司直が黙ってないからね!」
「く……口だけじゃなく汚ぇ……えーと、今の時間帯だと、このへんか……」
端から見えないよう、とす、と点穴。神経の
「ぁ……か……?」
正式な手順での点穴に、白目を剥いてくずおれる女性兵士。今度こそやれやれの辰馬だったが、受難はむしろここからである。なにせむくつけき、そしてウブでピュアな兵士数百人が、『聖女・新羅辰馬ちゃん』の降臨にわき上がり野太い嬌声を上げる。貞操の危機は問題なさそうだが、また辰馬の精神がごりごりと削り取られそうな予感。
「あー、あれ……今日はダメなんだなー、あのー、今日はお仕事じゃない日だからぁ、皆とはあそべないーんだぁ、ごめんね♡」
「「「はははは、はいっ♡♡♡」」」
道を空ける兵士たち。
よし、これでなんとかなった!
一瞬だけプライドを捨てた自分からは目を背け、辰馬は新羅邸へと足を向ける。その途中もあちらこちらで目撃され、声をかけられ。その都度ぶりっこアイドル美少女ムーブを強要されてなんかもう、本当に疲れる辰馬だった。
・
・・
・・・
そしていよいよ10月。蓮純から「是非聖女として出て欲しい仕事が……」とか頭を下げて嘆願されるも「うるせー!」と拒否。10月3日、新羅辰馬はいよいよ士官学校受験当日を迎える。
「そんじゃ、行ってくる」
「ほーい/行ってらっしゃいませ!/ま、頑張って」
雫、瑞穗、エーリカに見送られ家を出る辰馬。今日の弁当は今日ばかりはと三人が美咲を押し退けて作った特別製だ。もう最初から味は期待してないが、自分のために頑張ってくれたのが嬉しくはある。
・・・
「へぇ……」
会場……と言っても通い慣れた京城の広間だが……につくと妙に感心したような声で、男が声をかけてきた。今の辰馬はベレー帽を目深に被ってサングラスをかけ、体付きもわからないようにダボダボな服にしているから「聖女さま」とは思われないはずだが、まさかこれでも気づかれるか? そう思うとまず相手の右腕、肩から先が存在しないのに気づいた。ついでに、顔半分を覆い隠す前髪。
「あれ、お前、
「あぁ……よく俺の名前なんか覚えていたな。ヒノミヤ事変、ただガラハド卿に腕を切りおとされて終わっただけの俺だが」
「いや、覚えてるって。その鬱陶しい前髪とか、忘れんだろ」
「お前は時々、ナチュラルにイラッとさせるな」
「そーかな、済まん」
「いや、それはいい……として、お前もこの道を選んだか……」
「まーいろいろあって。……? ところでお前、一個上じゃなかったっけ?」
「ダブりだ、悪いか」
「いや、悪かないけど。でも厷って将校志願なんか? そんな雰囲気じゃないっつーたら失礼か……」
「いや、それは構わん。実際俺が狙うのは将校ではなく、
「あれ、貧乏?」
「あぁ。もともと特待だったが、片腕になってそれが取り消されてな。必死に鍛え直してそこそこ持ち直しはしたものの、自分でも以前ほどの腕はないと痛感しているし、仕方がない」
「ふーん……
「いや、構わん。特待のままだったら、鍛え直す根性も湧かなかったかもしれんしな」
「なら、いーけど……んじゃ、とりあえず兵科としては別か」
「おう。まあ、あの戦役を価値に導いた実質的功労者を、まさかアカツキという国が捨てることはないだろうよ、安心していけ」
「おう。そっちもな。おれが将軍になったら近衛になってもらうわ」
・・・
それから一月。
「合格通知、届きました!」
ポストを開けた瑞穗が、声も限りに叫ぶ。新羅邸全体から、祝福の声が一斉に上がった。
「やったっスね、辰馬サン! これで将来は将軍さまだぁ!」
「ばーか。新羅さんの目標はそんなもんじゃねえ。王様だろうが」
「ま、この国に王様、というのはまあ、皇籍以外いないわけでゴザルが……」
「あれ、たしか辰馬サン皇籍じゃん? だってゆかちゃんと……いや、現王家の直系じゃねーと無理か。今の王室の並びからして、覇城家だって王にはなれてないんだもんな」
「たぶん、そーでゴザル。今の家格に加えてよっぽど高い功績……魔王殺しとか……を上げれば、国も無視できなくなるのでゴザろうが……実のところあの狼牙さんですら商工会役員なんかでゴザルからなぁ……」
「親父はなんか、爵位とかいらんて断ったらしい。だから一応、そういう話は来るみたい」
「はーん、じゃ、カノーセーとしてはありって事でスか!?」
「そーいうこった! 来年からはとりあえず、傭兵として雇うから。ひきつづきついてこいやお前らぁ!」
「「「おおーっ!!」」」
威勢良く上がる咆哮。
彼らはまだ知らない。後世自分達が反逆者の汚名を着せられ、しかるのち現行王家を
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