第32話 宰相の真実

 魔王復活、その報せが京師を震撼しんかんさせると同時、太宰の町は甚大なダメージを受けていた。そこかしこで建物が倒壊、大地は避け、瀝青れきせい=アスファルトはめくれかえる。そしていつも青々と悠久をたたえていた艾川よもぎがわ支流、京師中央を縦断する雛見川ひなみがわは、魔王の力に怯えたかのように赤く染まるという天変地異を示した。


 実際にはクズノハは魔王ではない。魔王とは二人の創世神のうち、グロリア・ファル・イーリスの裏切りを受けた存在を指すのであって、かのものの魂は常に転生を繰り返し、先代が死んだ瞬間からそれは辰馬の中にあるのだから、正統は辰馬にある。


 が。


 実際問題、その新羅辰馬も含めて先の魔王戦役を勝ち抜いた新羅狼牙以下「魔王殺しの勇者」たちがまったく、子供扱いとすらいえないような大敗を喫したのが報道される……間の悪いことに、テレビなどというものが普及をはじめた現在。一家に一台のテレビではないとは言え、家電店の店先だったりたとえば蒼月館の学園内各所には大画面カラーテレビが常設されており……にいたって、「勇者完敗」の報が「魔王復活」を猛スピードで追いかけるに至る。


 こうなると矢面に立つのはまず狼牙ということになる。「勇者が魔王を殺せないで、なにをのうのうと息をしている!?」まさにそういうことであり、しかもそこで狼牙の瞳の色が言及される。赤い瞳は魔族の血。当代の勇者は半魔である! それまでそのことを薄々とは察しつつ、一応功績に代えてお目こぼしされていた狼牙だが、これで彼を守る世論は完全にぬぐい去られ、商工会役員としての仕事も一瞬で奪われることになる。また聖女アーシェ・ユスティニア・新羅の過去についても何処の何者かわからない極秘諜報員により「自ら魔王に股を開き、さらにその配下の魔族とも寝た女」と大々的に報道された。


 ルーチェと蓮純は直接的に「聖女」「勇者」でなかったため風当たりはまた柔らかかったが、それでもギルド緋想院蓮華堂は当分、閉鎖を余儀なくされた。


 そして。


 新羅辰馬は。


「くそが! こんな、状況! 負けられっか、じょーとーだ、あのクソ姉!」


 いつもなら一番、凹んでしまうはずの辰馬は、父たちが敗北のショックと絶望的状況にうちひしがれる中、こうしてひとり気勢を上げていた。ツナギに着替え、滑り止めつきの手袋を装着、いつもは横垂らしの銀髪はポニーテールに結い上げて、復旧作業に奔走する。「あいつも魔族の子だろ?」「いや、ホントはあいつが魔王だって……」そんな声には一言で切り返す。それがどーした関係あるか。


「っ……せ!」


 重たい瓦礫の撤去作業は、見た目より相当に強いとは言えやはり、辰馬向きではない。だが辰馬にとって今回の状況は自分の姉が引き起こし、止めるべき自分が止められなかった事態。


「はいこっち終わり! 次は!」

「ぁ……あぁ……次は……」


 鬼気迫るスピードと手際で瓦礫を退かし、負傷者……あの戦いに巻き込まれての死傷者はゼロだったが、倒壊する建物やらなんやらに巻き込まれてのけが人は相当数にのぼった……たちを助けていく。そのひたむきな献身性を見てある人が「聖女だ……」と呟いた。その言葉の波及性のすさまじさと言ったら! とにかく魔王復活に希望潰え、誰もが縋るよすがを求める今である。辰馬の美貌と、そして馬車馬のように一途な献身はとんでもない勢いで人々の心を打った。いや、実のところ辰馬のことをよく知っている人間なら「いや、あいつ男だし。がさつだし。態度悪いし」というところだが、幸いにして辰馬のことを「深く、良く」というほど識っている人間はそうそう多くない。ヒノミヤの斎姫・瑞穗や全世界クラスのアスリート・雫らに比べれば、辰馬の人気など蒼月館ローカルでしかないのが幸いした。それでもやはり、新羅狼牙の息子、であったり魔王の継嗣、という事実が暴かれ、帰宅後の新羅邸は大いに報道陣と野次馬で賑わったが。


「あー、あたし、鍛え直さないと。全盛期からだいぶ、腕落ちてたね。やはは……」

「まぁ、そーだなー。おれもレベル上げていかんと。とはいえ、蓮っさんのところ……は無理だし。つーか一般のギルドがおれらに仕事をくれるかどーか……」

「てゆーか、今日一日であの報道陣の数っておかしくないかな? 誰かが前もって用意してたって気がしない?」

「そらまぁ、まず覇城のガキだなぁ。あいつはおれを潰したいつもり満々だし。おれを潰してしず姉盗れれば万々歳だろ。ま、あの姉貴とクソガキが手ぇ組んでんのか、それとも互いの行動を利用し合ってるだけなのか。そこまではわからんが」


 夕食後。辰馬と雫はベッドの上で一緒に語り合う。色事ではない。今日の所はあくまで仲の良い姉弟の語らい。そもそもが気丈に振る舞っていても、辰馬が今、誰よりも不安を抱えているのを知っている雫が、そこで野放図に肉欲に訴えるほどデリカシーなしでもない。普段のはあれで辰馬がまんざらでもないことをわかっているから、成立するのだ。


「どーする? 瀬名くんに頭下げる?」

「下げるかよ、あのばかたれ。逆に吠え面かかす。なんか知らんが、今おれは大人気人物らしいからな!」

「あー……うん。女の子として、だけどねー……」

「今更どーでもいーわ。利用するだけする! みんな大好き、献身の聖女様に喧嘩売ったら三大公家筆頭だろうが世論が黙ってねーだろ?」


 ずいぶんタフに状況を考えるようになった辰馬だが、やはり本当は不安だらけではある。自分が「魔王継嗣」として叩かれるくらいのことは昔から想定していたが、自分の周囲の、父や母、叔父叔母が戦闘だけでなく社会的に全滅させられたのだから無理からぬ事。しかし嘆いても事態が好転しないなら、剛毅に構えて自分で事態を動かす……これもまあ、瑞穗たちだったりさっき買った兵法書「兵論考」だったりの影響か。


「でも、世論だけじゃあ結局、押し負けるよね? 拮抗できる権力がないと」

「それはまあ。こっちには三大公家のこり二家の公主と、それに、大宰相秘蔵の天才侍従どのがいるからな。瑞穗の顔も出せば親ヒノミヤ派が動いてくれるだろーし、磐座はあれマジモンの天才だから作戦立案は任せよう。サティアとエーリカは……今回頼めることが少ないかも知れんが、ともかくみんなに協力して貰う」

「うんうん♪ こーいうのもいいねぇ、拳と拳の競い合いじゃないやつ!」

「まーな。そんな感じだが……勝たねぇと「悪くねぇ」とは言えねーわ」


・・・


 翌日、新羅辰馬は前日同様の作業をこなす。なにやら聖偶像アイドル化された辰馬には一日で何十万というわけのわからんファンがつき、そいつらが邪魔で作業が滞る場面もあったが、ここでブチ切れは好手ではない。


 よって。


「みんなー、あたしのために集まってくれてありがとねぇ~♪ きゃぴっ♡」


 雫の真似してかわいらしくウィンク、ポーズをつけて体を反転させてみせるというサービスさえ見せる。阿諛追従あゆついしょうをなにより嫌う辰馬とは思えない行動だが、見据える勝利を掴むためなら泥水だって啜る。


 さてその日の作業終了後。


「辰馬さま、準備、よろしいですか?」

「おー……さすがに撮影会とか、泣けるわ……写真、今後ずっと残るんだよなぁ~……」

「まあ、そう嘆かずに。可愛かったですから」

「そーいうの、男としてはすごい傷つくからな、晦日?」

「それは失礼しました。てっきり楽しんでいるものと……」

「いや、案外最後は楽しくなってきて正直、自分が怖くなったが」


 シンタのように劣情を向けられると「しばくぞ!」としか思えないわけだが、純粋な好意でちやほや褒めそやされればそれは、気分が悪いはずもない。ある意味、追従する幇間ほうかんに持ち上げられて調子に乗る権力者の気分を疑似体験した辰馬だった。


 そうした権力者と辰馬の違いは、「これ以上調子に乗ったらいかんな」としっかり身を律せる自制心があることで、この精神力がある限り辰馬が為政者となって道を誤ることはなかろう。実際10数年後、新羅辰馬は「完全無欠の赤帝せきてい」として史上最高の名君の名をほしいままにするのだから。まあ実のところ、本当に完全無欠かと言われればそんなことは全然なく。人間的欠陥や弱点は多いほどで、むしろそれゆえに近臣や后妃や民草から愛されたが。


・・・


「久しいね、辰馬くん。ヒノミヤ事変では世話になった。なにせうちの昏君こんくんが最後の突撃を敢行するきっかけになってくれたのだから、本当に大功だ」

 宰相・本田馨綋ほんだ・きよつなはまずそう言った。


 ここはとある高級料亭。辰馬がAランクのクエストをこなしたとして、1回では門もくぐれない程度にはお高い店。実質的にこの国を一人で動かしている豪腕の大宰相と、魔王の血統やらなんやら、祖父はもと禁軍武芸師範きんぐんぶげいしはんとして当時まだ若手の馨綋の上位にあったとはいえ、ともかく一布衣いちほいに過ぎない辰馬。それが王宮で対等に会話するわけにはいかないから、美咲がこの場をセッティングした。


「美咲もずいぶん表情が柔らかくなったようだ。君の影響だとすれば父代わりとして、非常に嬉しい」


 ……なんか、思ってたのと違うのな。


 本田馨綋という老人は血も涙もなくゆかを人質にとって無理矢理に美咲を働かせていたのだというイメージがあったわけだが、どうにも。なんだか子煩悩というか、親バカな父親に見える。まあ、実のところこの老人、ときたま新羅家に来るとかつての上官、新羅牛雄と一緒に吐くほど飲み倒して、ついでに裸踊りの安来節やすきぶしを踊っていくぐらいのヘンな祖父さんだから、美咲の語るイメージとはなんだか違うとは前々から、思っていたのだが。


「宰相! わたしのことはいいんです! つまらないこと言っていないで辰馬さまのお話を聞いてあげてください!」

「はは、「辰馬さま」か。この子がまさか、他人を名前で……このクソガキいぃぃっ!!」

「うあぁ!? びっくりしたぁ!」

「貴様まさかウチの娘に手は出しておらんだろうなぁ!? もしそうなら、そうなら新羅閣下の孫といえど……ブチ殺すぞ!」


 ダメだこの爺。完全なバカ親じゃねーか……。


「罪人の、墓守の家系だった晦日つごもり家に小日向の家宰としての任を与え、救済したのはこのワシ! つまりワシこそが美咲ちゅわんの白馬の王子様なのぉ! だからお前なんかぺぺぺぺぺーっ!!」

「唾飛ばすな、汚ぇ! アンタほんとに仕事できんのか、そんなんで?」

「仕事ぉ? 仕事なんぞ寝ててもこなせるわ。そんなことより美咲との関係は……」

「そんなことより。アンタなら覇城大公家を押さえ込める、そう思ったんだが」

「覇城。フム……クソガキ、お前のもとには小日向と、北嶺院の公主がおるな」

「ああ。いるなぁ。ゆかはアンタに無理矢理推し着けられたんだが」

「そして、名声では比類ない神楽坂の姫と、あの半妖精の娘」

「うん」

「それに現在、ヒノミヤ敗北で急速に信仰衰えつつあるこの国の信仰の象徴となり得る、新しい創世の女神」

「ぁ……あぁ」


 まさかサティアのことにまで言及されると思っていなかったから、辰馬はやや鼻白む。とはいえもともと、馨綋が本格的に辰馬を監視するようになったのはサティア戦の頃からなのだから、知っていて当然。


「さらに。いま人気絶好調のアイドル、しかも正真正銘の姫君、エーリカ・リスティ・ヴェスローディア」

「アンタうちにスパイでも飼ってんのか?」

「いえ、スパイってわたしです。すみません……」


 思わずキレのいい突っ込みを飛ばす辰馬に、美咲が当たり前と言えば当たり前の言葉で返す。そういえばこの少女の仕事は密偵だったと、辰馬は今更に思い直す。


「とまぁ、これだけ手札が揃っておれば覇城のはな垂れを泣かすくらいは簡単じゃろ……とは、思うが。まあ新羅閣下の孫だ。少しは手を貸してやる」

「あ……、あー、うん。助かる!」

「ただぁし! 美咲ちゅわんには手を出すなよ、殺すからな!?」

「お……おう……」


 すでにいたした後である、などとは口が裂けても言えそうにない。辰馬はこの秘密は墓まで持っていくことを、固く心に誓った。

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