第20話 覚悟の誓い

 盛春。草萌ゆる春。ついでにいうと虫が鬱陶しくもあるが、まず台風の夏や極寒の冬に比べれば極楽な時節。草花を愛でるような風流心はついぞ持ち合わせない辰馬だが、とりあえず過ごしやすいのはいい。ただまあ、風流心が豊かすぎる瑞穗があれやこれやと草花を持ってきては雄弁に説明……というか、講釈するのにはやや閉口するが。


 いろいろと吹っ切れた辰馬だが、心の中の悩みが完全に晴れたわけではない。普段はいつもの横柄なようで異常に繊細な辰馬のままだが、時折、バランスが崩れて繊細ですぎる辰馬が顔を出す。だいたいにおいてそれを鎮める役目は牢城雫なのだが、さておき、姉で教師と弟で禁断の愛を育んでいる場合でもない。辰馬はここのところ、ペーパーテストの成績が落ちているのだった。


 それで授業に身を入れるか、と、気張る辰馬だが。


「神力と魔力が本来、同根の力であることは最近知られるようになったことだと思うけれど、霊力も深く遠い根をたどればやっぱりおなじ祖にたどりつくのね。だからまあ、霊力しか使えない子……この学園の大抵の男の子はそうだと思うけれど、悲観せず研鑽けんさんを積めば、神力使いや魔力使いにも勝てるかもね」


 教壇に立つのは腰つきと尻だけでやったらめったら色っぽい、絶世美貌の黒髪美女。狐の耳はさすがに隠しているが、紛れもないクズノハ……人間名・葛葉保奈くずのは・やすなだった。


 あの姉貴、ホントに教師やってるし……。


 辰馬は軽く頭を抱える。前回の話の流れでアムドゥシアスに帰るのかなと思ったクズノハは、葛葉保奈として魔術論の非常勤講師を平然と務めている。しかもこれが、美人で胸が大きくて教え方も上手い、とあって、正規の常勤講師より人気があったりする。辰馬としてはそいつ実年齢70過ぎのババアだぞ、といってやりたくもあるが。言えば焼殺されそうなのでちょっと言えない。


「……そう言う、霊力を極限まで極めて神域に達する力を、新羅くん? なんていう?」

「……ウチの流派だと天壌無窮てんじょうむきゅう、ですかね。ほかにもまあ、あるんかもしれんけど」

「はい、良く出来ました。今のところ新羅江南流中興の祖・新羅牛雄だけが達した境地ね」


 いや、しず姉もある意味そこにいるんだけど……まあ、いーか。


 とかいう、身内との授業という授業参観的恥ずかしさを乗り越えて。


・・

・・・


 4月末……もう5月に近い時期。辰馬は珍しく牢城家を訪れていた。なにやら大切な話があるとかで。


 牢城家の主、ときはもと貴族とは思えない気さくな人で、人に偏見や恨みを持つことのない雫の人格形成にこの父親が関わっていることは疑いない。ただ、人に優しすぎる性格は人を疑うことを知らず、騙されやすくもあるのだが。


「んで? 話ってなんスか、おじさん」


 まるで上杉慎太郎のように砕けすぎた態度で、辰馬が聞くと、訓はやや言いづらそうにしばらく、うつむいた。細君・フィーリア(雫に似た、雫がハーフなのに対して純血種のアールヴであるだけに超美女! どこでどうまちがって人間の、うだつのあがらぬ下級貴族と結婚したのか謎)がその肩に手を置き、励ましの言葉を書けると、訓は意を決したように顔を上げ、辰馬の目を見る。


「牢城の家はこの町を離れることになってね」

「はぁ……は?」

「それで、雫にも一緒についてきてもらうことに……」

「いやちょっと。それ、え? えぇ? それしず姉も知って……?」

「知っているし、了解もしているよ。本当のところは辰馬君と離れたくはないのだろうが、わたしたちを見放せないのだろう、優しい子だ……」

「そんな……ぁ、えー……と、あぁ? うん、いやちょっと……しず姉はおれと……」

「君が正式に、雫を妻に迎えるというのならそれでよかったのだが……君は本妻に小日向の姫を迎えているからね。雫の性格的に、側女そばめや妾という立場では幸せになれまい」

「………………」


 そう言われるとぐうの音も出ない。確かに、国……というか宰相・本田馨綋ほんだ・きよつな……から押しつけられただけの政略結婚とは言え、正式な形でゆかと結婚してしまっているのだ。この国の制度で重婚は認められていないし、いろいろとお目こぼしされてはいるが複数の女性との関係だって褒められたものではない。つまるところ、訓は辰馬の不実をなじっているわけだ。可愛い娘を妾扱いされている……実際、本人が不幸であるか否かは別で……のだから、子煩悩の父としては無理からぬことではある。


「分かり……ました……」


 前回とはまた違った意味ですっかりうちひしがれて、辰馬は退席する。雫と離れる? そう考えただけで胸が張り裂けそうになる。こういうとき相談できる相手……。牢城邸から川をはさんで、すぐ近くに実家がある。辰馬は父に相談すべく、新羅江南流講武所へと脚を向けた。


・・

・・・


「ってわけなんだけど」

「まぁ、複数の女性と肉体関係を持って責任をとらないのは、辰馬が悪い」


 相談を持ちかけた瞬間、一刀両断のカウンターがきた。誠実無比の新羅狼牙。生まれてこの方妻、アーシェ以外に一切なびくことのなかった男は、そもそもが息子の放埒ぶりに少々、苦言を呈したいところだったので今回いい機会である。


「そもそも辰馬、お前には誠実さが足りない。誰が好きなのかもはっきりさせず、全員好きだから順番なんかつけられないとか、そんなのは子供の我が儘といっしょだ。早晩破綻するだろう。それはもし、お前が王侯にでもなって正式に複数の妻を抱えることを許される身にでもなればいいが、そんなことはまず無理だと理解しておきなさい。そのうえで……雫か……わたしから見ればお前に一番お似合いなわけだが……一番古くからお前の面倒を見てくれていたわけだし、あちらも純粋にお前を好いてくれているようだしな。しかしそれもお前が今の怠惰を改めなければ、どうしようもない。今のままなら、雫は訓さんらと一緒にこの町を去った方が幸せだろう」


 父の圧倒的正論に、涙がちょちょぎれそうになる。そしていつも女性陣から一方的に逆レされているのにもかかわらず、やっぱおれがみんなを押し倒してやりたいほーだいやってるみたいな認識が、皆にあるんだよなぁ……と心の中で深く深く、詠嘆。


 けど……王侯、王侯、か……。


 そうなれば複数人の女性を愛してもいいというのであれば、目指す価値はあるかも知れない。辰馬は頭の片隅でうす~くだが、そう考えるに至った。まさか後世の史家も、新羅辰馬が皇帝としての道を選んだ理由の最首さいしゅがまさしくこれと知ったら幻滅するかも知れないが人間の行動原理なんてものは概してこんなものだったりする。


 まーでも。王侯を目指すとして宰相にでもなるか、それか軍人か……どっちもいやだよなぁ~……ほんと。


「というわけだから、非情な決断と思えても本当に大切な相手以外はきっぱりと……辰馬、何処に行く? まだ話は……」

「いや、もーいいわ。なんとなーくだけど展望が見えた」

「……ふむ? それなら、いいが」


・・

・・・


 翌日。

 蒼月館学舎、第2校舎のあまり使われていない廊下。


 このあたり、上手い具合に物陰になっており、男女がこっそり逢瀬おうせを重ねるのに最適だったり、逆にチンピラが少女を連れ込んで乱暴に及ぶのにも絶好だったりする所。


 そこに牢城雫と覇城瀬名、縁続きでありながら飽くなき強い情欲を向ける少年と、それに困りつつもてあます女教師の姿があった。


牢城家復爵ふくしゃく、おめでとうございます。そして覇城の故地への移住、実に重畳ちょうじょう


 瀬名は子供らしからぬ言いようでそう言うと、薄く酷薄に嗤う。雫は瀬名を嫌うわけではないが、この笑い方が生理的に苦手だった。毒蛇に睨まれるようないやな気分になるのだ。


 それでも、両親のためとか、結局辰馬が幸せになるためにとか、いろいろ考えると自分はこの町から離れた方がいいと、雫は思いつめる。両親からお前の存在が辰馬君を堕落させて、彼の可能性を潰しているのだと言われたときは頭にきてガツンと反論したが、冷静になって考えるともしかしてそうかもしれないと考えるようになった。


「覇城(この場合地名。覇城の大公家なので地名から取った姓である)に遷ったら即、祝言を挙げましょう。ボクはあなたを世界一幸せな花嫁にします。新羅辰馬なんて、あんな不実な男よりボクが勝ると言うこと、すぐに証明してあげますから。……結婚式は玄式と西方式、どちらがいいですか? 文金高島田も素敵ですが、ウエディングドレスもきっと雫さんに似合います……」

「うん……まぁ……はい……」


 ぺらぺら喋り倒す瀬名に対し、雫に普段の威勢はどこにもない。普段なら辰馬を馬鹿にされた時点でひっぱたくくらいするのだが、今日はそれもなかった。


 大人しくしおらしい雫に、瀬名の子供らしく無邪気で、それだけに邪悪な欲望が首をもたげる。この調子なら押し倒しても大丈夫じゃないか? 幸い、この場所は人気もなければ見つかる危険も少ない。


 そう思い、抱きつこうと脚を踏み出した、刹那に。


「そこまでンしとけよー、クソガキ」


 ソプラノ、というほどに甲高くもないが、男にしてはやや高い声。聞き間違えようもない仇敵の声に、瀬名は苦々しげに振り返る。


 新羅辰馬はやたら晴れやかな顔で立っていた。本当にまったく、ここのところの悩みが全部そぎ落とされたような。


「なんですか、蛮民。ボクはいま、雫さんと大事な話があるんですが」

「あぁ、うん。黙れよ、大公ごとき」

「……は?」

「たぁ……くん?」

「今はまぁ、学生だから無理として、だ。おれはこのガッコ出たらとりあえず軍隊に入る。で、手柄を立てて立てて立てまくって、最終的に新しい国を建てる。そして人間も魔族も、まぁあと、気にくわんけど神族も? 平等に暮らせる世界を作る。だからまあ、古い時代の既得権益帰属なんぞが、のちのち王になるおれにでかい態度取るなんざ片腹痛いわ。つーわけで、そんときに潰されたくなかったら。むしろお前が跪け、瀬名」

「たぁ……くん♡」


 辰馬のやたら気宇壮大な宣言に、雫は重ねておなじ言葉を呟く。最初の一回は懐疑、二度目は情愛きわまって。


「そんで、もうおれは自分の欲も隠さん。好きなもんは全部好きだし、誰にも渡さん。当然、しず姉だっておれの大事な、絶対に譲れない愛しい女だから、お前なんかに指一本触れさせねぇ。今後一切、おれの女にいらんちょっかいかけんな、権力振りかざすだけが能のチンピラ貴族が! わかったか、ばかたれぇ!」


 堂々と。新羅辰馬はここにきて自分の将来と、いままでうやむやにしていた少女たちとの関係を真っ向からの一太刀、快刀乱麻かいとうらんまを断つ勢いでぶった切ってのけた。それをみる瀬名の瞳は紛れもなくバカか狂人を見るそれであり、あきれ果ててものも言えないという風だが、雫の方はというともう嬉しくて嬉しくて、天にも昇る気持ちだった。ここまで辰馬からはっきりとした愛情表現を貰ったことはなく、そしてこの言葉を一生、雫は忘れることはない。


「たぁくん、たぁくんたぁくんたぁく~ん♡ 好き好きぃ~♡ あたしもたぁくんのこと、世界で一番大好きだからねっ♡」

「そんなこたぁ知ってるよ。うん……今まで煮え切らん態度取って悪かったな。ほかの皆にも、ちゃんと同じ事言わんと……」

「うん、そーだねっ♪」

「ちょ待ってくださいよ! そんなくだらない、夢想以下の与太話がなんになるんですか!? それに雫さん、あなたはご両親のために……」

「おとーさんもおかーさんも、きっとわかってくれるよ。だってあのひと、自分がおうちの掟を破って妖精と結婚したよーなひとだもん」


 晴れやかに、雫は笑う。完全敗北に、瀬名は膝を突き、そして辰馬を憎々しげに睨み付けた。


「あなたが王を目指すなら、ボクは徹底的にそれを邪魔してやりますよ。あなたの大事なものも全部壊して、そしてあなたの目の前で雫さんを奪ってやります。絶対にあなたが成功する未来は来ない!」

「おー、いくらでもやれ。ただし……やるからにはやり返される覚悟、しとけよ?」


 辰馬は気負いもてらいもなく、柔らかく笑う。しかしその柔和の中には圧倒的な自信と、自分が成し遂げることへの絶対的な確信があった。強烈無比の自負心。今まで繊細な気弱さに邪魔されていた新羅辰馬本来の資質が、ようやく目覚めつつあった。


「そんじゃ、まずは勉強頑張らんとなー……」


 軽く腕を腕を上げ背伸びして、辰馬は言う。ここに、新羅辰馬という少年は確たる未来に向けて歩き出すことを誓った。

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