第18話 罪科と報復

 どれだけ巧妙な隠蔽いんぺい技術を駆使しようが、磐座穣いわくら・みのりの「見る目聞く耳」から逃れるすべなどない。密儀団のアジトは1級市街区のなかでもいやゆる山の手の高級住宅街、その大邸宅にあった。表にはエステティックサロン最上もがみ洒脱しゃだつな字体で書いてあり、墨痕淋漓ぼっこんりんり、迫力蒼然たる新羅家の看板とは印象が全然違う。


「なーにがエステだばかたれが。どーせ女集めて乱交パーティーとかやってんだろーが、今日をもって永遠に閉鎖だ、閉鎖」


 まるでエステなるものに恨みを含むかのように、辰馬は唾棄だきするごとくに言い捨てて門をくぐ……ろうとし、そして瞬間、迫る熱線から飛びのいて身を躱す。


 赤外線レーザー。これもほぼヴェスローディアの独占技術で、アカツキではまず、お目にかかれないものだ。覇城家のセキュリティには当然のごとく導入されており、だから瀬名には辰馬が熱線に焼き切られる未来が見えていたのだが、わかっていて黙っていた。


 目をこらす。常人の目には赤外線など映るものではないが、辰馬の紅い瞳はもともと魔族のそれであり、人間の視力の限界を超える。凝視しているうち、網の目のように張り巡らされる赤外線の蜘蛛糸くもいとが視界に入るようになる。その十重二十重とえはたえの厳重なること、いかにもやましいことがありますと言っているようで辰馬の闘志に火をつける。


「これが見えるのってたぶん、おれと……」

「あたしは見えるよ。なーんか赤い糸」

「さすがしず姉。通れる?」

「ん。へーきへーき。あんくらいよゆーだよ」


 辰馬でも結構ギリギリなのだが、身体能力において雫は辰馬の数頭上をいく。出来ると言ったら実際、できるのだろう。


「わたしも、見えますけど……たぶん無理です。どんくさいのでお役に立てそうもありません……」


 瑞穗が申し訳なさそうに挙手する。まあ、身体の一部(いわゆるところの121)がやたらと重たいせいで鈍重な瑞穗である。運痴でもある以上、最初から戦力には数えられない。


「わたしは……無理か。聖女っていっても出来損ないだからね」


 エーリカは少し悔しげに、そう言って目をすがめるがやはり彼女の目には赤外線を目視する力はない。わたしの国の技術なんでしょーが、姫に秘めるってどーゆーことよ! と憤慨するも、やはりどうしようもなかった。


「んじゃ、おれとしず姉二人か。ま、じゅーぶん……」

「いえ、三人です。わたしにも見えますし、通れますので」


 晦日美咲は冷静にそう言うと、ごく自然に辰馬に並んだ。彼女も人造とは言え、聖女。本物でないとは言え、資質としては出来損ないのエーリカより勝るらしい。美咲の冒険着は白ブラウスにディアンドルふうメイド服というもので、当然、魔法防御を施されてはいるが一見ではあまり、冒険向きではない。しかし彼女は基本的にこの姿でこれまで、困難な密偵としての任務を遂行しているのだ。雫がかつて驚嘆したように、雫に匹敵するか、それは無理としてもかなり近いレベルにあるのは確かであり、下手をすると辰馬より身体能力に勝る。


「んじゃ、行くか。おれらがぶっ叩くから、お前らは逃げ出したクソバカどもをたたきのめせ。囲みの一カ所、あえて開くとして、今回、逃げた相手を一人たりとも許さん」


 辰馬が言うのは兵法に言う「囲師は必ず闕く」というやつで、瑞穗や、あとあいつにはあまり聞きたくないが勝手に指南に来る長船言継おさふね・ときつぐらに仕込まれてその程度のことは辰馬も理解するようになっている。ただ、本来この兵法は死兵となって抵抗する敵を相手にせず逃がすやりようなのだが、辰馬はこの際、死兵だろうがなんだろうが全員ぶちのめすつもりでいる。なにぶんにも叔父夫婦の家庭不和がかかっているので、怒りのボルテージはかなりに高い。


「では、外堀の指揮はボクがとりましょう」

「あ゛ぁ!?」


 当然のこととばかりいう瀬名に、シンタが猛然とガラの悪い絡み方で異を唱える。それは他の皆もおおむね、同意であり瀬名をリーダーにするという選択肢は誰の頭にも全くない。根本的に、覇城瀬名という少年は金と権力を盾にとらないとカリスマがまったくなかった。


「文先輩でいいんじゃねぇか? 会長だし」

「ま、なんだ。サティアがいたらあいつ、わたし神様だし、って言いそうだけどまあ、この場にいねぇからな」


 「もと」創世神サティア・エル・ファリスは創世神から失墜して半神みたいな存在になっており、力を回復させるために多大な休養を要する。辰馬の従属神としてそばにいたいのは山々のようだが、力がほとんど使えないのでは足手まといにしかならず、また学生としての学籍もない……一度とったが竜の魔女に半殺しにされたあのとき、実質的に一度死んだということで剥奪……ためにあまり辰馬のそばにいられないという、最初は本当に悪辣な女神だったが今は少々、可哀想な立場にある。


「北嶺院がボクに指示を……? 嗤わせないでくださいよ?」


 鼻で笑った。その邪笑わらいの形の、いかにも憎たらしいこと。これが11歳の子供だからまだゆるされるのであって、大人だったら刺し殺されてもおかしくはない。それくらいに小憎たらしい。


 ともかく、覇城の主としては家格に劣る……実際、名目的には同等なのだが、抑える土地、従える士人、そして元老院に抑える議席などあらゆる面で覇城と北嶺院では圧倒的な格差があり、生まれたときから「お前は特別に選ばれた唯一無二」と育てられた瀬名にとって、北嶺院の主ですらない小娘に従うなどあり得ることではないのだった。


「しかたねー、瀬名の言うこと聞いてやれ。そーせんとこいつ、譲らんだろ」

「でもなぁ~、なんか、なーんかイヤなんスけど」

「でも金払いはいいでゴザルよ?」


 さっき氷菓の使いっ走りに行かされて釣り銭を懐に入れた出水は、瀬名の味方だった。なんというか、貧乏人は現金である。


「いーからやっとけ。おれの指図だと思え。んじゃ、行ってくる」


・・

・・・


「店長、本日もこれだけの寄進が……」


 ホクホク顔で、幹部のひとり氏家ははしゃいで見せた。六人の幹部……志村、鮭延、野辺沢、楯岡、里見と氏家自身を含めて六人……のなかでも年かさの、やや脂ぎった頭の薄い中年だが、幹部たちの中でも一番頭が切れる軍師格と評判だ。実際、この「エステティックサロン最上」を盛況に導いた手腕は間違いがない。


 とはいえそれはこの規模の店舗経営を成功させるには十分として、たとえば半独立国家の宗教特区を切り盛りするような大才とはまったく、訳が違うのだが、氏家はそこのところを勘違いして、自分は相当の才覚と思い込んでしまっている。それで多角経営に手を出し、失敗し、失敗を補うために詐欺の手口に手を染めて、若い娘たちをターゲットにエステなのか新興宗教なのかよくわからんことをやっているわけだが。ともかく教主含め、六人の幹部がその女性たちから金を搾取さくしゅしているうえ、肉体関係に手をつけている時点で有罪確定ではある。


「そぉーうかぁ」


 ニッコリ不気味な笑顔で振り向くオールバックの、筋肉質な中年。薄手のトレーニングウェアが汗で蒸れてぐしょぐしょになっているのも意に介さず、その男、最上義陽もがみ・よしひは会員という名目の信徒から集めたひと財産を目に細い目をさらに糸のごとく細めた。そして意味もなくポージング。はっきりいって気持ち悪いのだが、なぜかこの筋肉中年が若奥様がたに大人気だから不思議だ。


「つーかキモい」


 突然、背中から。いつどこから潜入したのか、まるで気取らせることなく入ってきた新羅辰馬は、心底うんざりした顔で最上のケツに蹴りを呉れた。


「つーかさー……おばさん、これのどこがいいわけ?」


 叔母の美的感覚がわからん、と頭を抱える辰馬。その美貌ぶりを美少女と勘違いしたか、勧誘係のチャラ男代表、志村と鮭延の二人が辰馬の首にチャララ~ん♪ と腕をかけようとして、あっさり捻り上げられる。新羅の技は打撃主体、確かに関節技の技量ではアカツキ古流に及ばないのだが、それでもこの程度の相手を悶絶させるくらいの技ならいくらでもだ。


「あぐぐぐぐぎひいぃぃぃ~っ!」

「腕が、腕があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「やかましーわ、ばかたれ。おれは特にお前らに文句があんだよ。あんな。ルーチェ・ユスティニア・十六夜に手を出してみろ……そんときは本当に、生きてるのがイヤになるくらいの痛みと苦しみを味あわせるからな!」


 辰馬、めっちゃ怒ってた。この連中が叔母になれなれしくしていたのも、叔母がなれなれしいこいつらにまんざらでもない風な態度だったのも、どちらもイヤになるほど腹が立っていた。なので、半殺しくらいはいーかなーと思ったのだが、まあ小悪党。そこまですることもなさそうな。


 この時期になって、店内スタッフが蜘蛛の子を散らすように逃げ始める。辰馬は外で張る瀬名を信じて追わず、幹部だけに狙いを定める。辰馬から突き飛ばされた鮭延が、ナイフを抜いて雫を人質に取ろうと……して刀も抜かない雫から一本背負いに極められる。


 店長、最上と参謀の氏家は、明らかになにか狼狽うろたえていた。


「里見、野辺沢! こいつらを叩け!」


 暴力沙汰担当、里見と野辺沢がいかにもの巨躯……まるで大鬼のような……で拳を振り上げる。辰馬も雫も、退屈そうにそれを見た。はっきり言って問題にならなすぎる。


 ずっ……!


 左右両腕二人分、都合4本が、美咲の鋼糸に斬り落とされて無残に転がる。里見も野辺沢も一瞬、なにごとかを認識することが出来ず「?」を浮かべ、そして理解が追いつくやいなや爆発的な勢いで泣きわめいた。


 その隙に、最上と氏家は逃げ果たそうとして……そこに一人の、黒衣の女性が立ちはだかった。瑞穗のようにワケのわからん大きさではないがまずエーリカと肩を並べると言っていいサイズの爆乳に図らずも顔を埋める形になった最上は狼狽えつつも嬉しげな表情を浮かべたが、やがて相手の金銀に輝く瞳と、妖狐の耳を見て声にならない叫びを上げる。


「あぁ! ………あ、あぁぁ…………あっ、あぁ!?」


 その恐慌ぶりが、あまりに尋常ではない。いかにも「魔族である相手に知られてはならないことがある」ような。


「あなたたちが生け贄に使っている子ね、あの子たちはわたしの同胞なの。人間どものつまらない美容道具なんかに使わせていいものでは、ないのよね」


 金銀の瞳と狐の耳、そして黒いドレスの美女、クズノハはそう言うと、軽く腕を振るう。


 燐火が散った。


 彼女本来の力にしてみれば、100分の1にも満たない。しかし最上や氏家を焼き尽くすには、十分すぎた。


「ちょ、姉貴!」

「なに?」


 いつもならもっと辰馬との交流を深めたがるクズノハが、今日は異様なほど素っ気ない。というより、冷たい。あきらかに怒り、いらだっていた。


「いきなりそんな、殺すこと……」

「彼らはわたしの同胞を殺したわ」


 そう、冷然と言われて、辰馬は言葉に詰まる。さきの話にも出た、最上たちが同胞を殺して、美容道具にしたという話……。


「まあ、ちょうどいい、か。ついて来なさい。ここの連中の罪を、見せてあげる」


 硬く冷たい口調のままにクズノハはそう言い、確固たる足取りで歩き出す。辰馬たちがそれを追うと、迷いない足取りでいくつもの隠し扉を開いてやがて、屋敷深奥に。


「つまりは、こういうことよ」


 扉が、開かれる。

 そこには酸鼻さんび極まる光景があった。裸で寝台に寝かされた、おそらく妖狐の眷属であろう少女、彼女の身体には、皮膚がなかった。さんざん嬲られ弄ばれたあとで、生きたまま生皮を剥がれたのであろう、崩壊した精神はまともな言葉を紡ぐことすら許さず、かろうじて「殺して……殺して……」とおぼしき言葉を繰り返す。クズノハによれば妖狐のまとう精気は若返りの効果があり、古来こうして狙われることがあるのだという。


「それを商売にして、わたしの眷属を大々的にさらってくれるとは思っていなかったけれど……一度殺したくらいでは収まらないわね」


 憤懣やるかたない、というクズノハ。それに対して辰馬は「……」と返す言葉を持たない。人間というものの汚さも綺麗さも受け入れて生きる、そう決めているはずなのに、いざひとの邪悪に触れると辰馬はどうしようもなく、受け入れがたいのだ。


「たぁくん、ヘンな気起こしちゃいけないよ?」

「あー……わかってる。わかってるけど、いま話しかけんでくれ」


 どうしようもなく純粋すぎ、心弱すぎる天才、新羅辰馬。クズノハは姉として辰馬の胸中を慮り、この少年を魔王として立つ自分の腹心として抱き込むことを、画策し始めた。

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