第16話 少年専横

 新学期開始。


 とりあえず、なにごともなく大過なく。そりゃ、いつもいつもなにかあってたまるかというのが辰馬の言い分であり、たまにはゆったり読書の時間でも取れないとやっていられない。


 まあ変わったことと言えば神楽坂瑞穗が同級生になったことで、以前なら年上の中で萎縮してしまいそうなものだった瑞穗はこれがまた堂々と3年A組になじんでいるから大したもの。まあ、3-Aには学園随一、どころか国家にもまれな天才少女が味方として存在しているわけで、心配はまず要らない。問題はその二人が揃ってひどい運痴であるという事実だが、たぶん大丈夫。


 そして新学期早々に普通授業である。


 3限、哲学の授業。はっきり言って退屈……を通り越して眠い。「正義とはなにか」についての検証、「正義と不正義のどちらが正しいか」「正義とは為政者の武器であるか、民衆を護る盾であるか」などという哲学論に対する辰馬の答えは「どーでもいいわそんなもん」でしかない。不正を働く馬鹿がいたらしばきゃいーだけだろうが、と思うわけだが、哲学の授業に「とりあえずしばく」という行動の選択肢はない。あくまで理論展開によって相手を凹ませてやらねばならないわけで、この手のディベートが辰馬は死ぬほど苦手だった。


 そして疲労困憊して迎えた4限、実習。久しぶりに登場する筋肉馬鹿の非常勤講師、明染焔みょうぜん・ほむら。だが、その視線が妙に挙動不審に泳ぐ。


「どしたー? ほむやん」

「いや、ぁ? あのガキなんや?」


 焔は剣呑そのものの声でそう口にした。言う、というより唸るというに近い。その視線の先では三大公家筆頭、覇城家当主の覇城瀬名はじょう・せなが、いかにも甘え上手の風を発揮して雫にしがみついていた。腰のあたりにしがみつくように見せて、上手い具合おしりをなで回しているのがまあ、焔もだが辰馬も煮えくりかえるほどに腹の立つこと。


 しかし、辰馬としては瀬名のこの態度を容認せねばならない理由があった。前回のテレビ放送、あのあと学院長に呼びつけられた辰馬と雫は、いちおうは許します、と言われて胸をなで下ろしたものの、それに続けて大公・覇城瀬名の身柄に関する十全な保全、を条件として突きつけられたからである。とりあえず瀬名がなんらかの理由で小さなけが一つでも負ったら責任問題になるので、瀬名の頭が上がらない相手である辰馬と雫でどうにかしろ、とそういうこと。


 だから辰馬としてはうっかり瀬名を殴るわけに行かなくなっている。一度瀬名をボッコボコにして完勝したはいいとして、そのことでなにか因縁をつけられると非常に困る。雫もそういうわけだから、瀬名の露骨な態度にあまり強く抵抗できない。本当に、金持ちと権力者はタチが悪い。


しかし焔にそんなことは関係がなかった。あこがれの牢城さんにベタベタしやがるクソガキ、もうそれだけで殺戮決定といってよい。そもそもがあきらかに雫の顔が困惑しているというか迷惑しているのに、辰馬はなんであのガキを殴らないのかが、焔にとっては大いなる謎だ。


 ズカズカと、靴音を派手に響かせて焔。


 瀬名の方もそれに気づく。気づきながら、見せつけるように雫の腰をなで回す。子供の甘えと言うにはあまりにも露骨でいやらしいその態度に、焔は瞬時にブチ切れた。


「クソガキ、叩っ殺したろか!」


 言いつつ、すでに叩き殺さんばかりの轟拳を唸らせる。足首から膝、腰と回して背中、肩、肘に手首としっかり回転させての一撃。体格差もあり、威力だけなら新羅辰馬のそれに数倍する。


 しかし速力で辰馬ほどでなく、纏糸勁はばっちりだとしても粘勁によるポジショニングやら、相手の動きを封殺した上で打ち込むフェイントがない。よって簡単に瀬名に腕をとられ、瞬時に肘をやられる。筋を引きちぎられずに済んだのはとにかく、やたらと鍛え上げられた鋼の肉体、それのみに寄る。


「くあぁ……!」

「つまらん真似をしてくれないでくださいよ、チンピラ。確か……狼紋出身の明染焔、でしたか……あなたの家も人生も、ボクがその気なら簡単につぶせるんですが?」

「……あぁ! 舐めたことゆーてんと違うぞ、ガキぃ!」


 ぐぐ、と。なんとまあ信じがたいことに。完全に極められた状態から、明染焔は覇城瀬名の身体を膂力だけで持ち上げる。いくら瀬名が小柄とは言え、完全に腕関節を制圧された状態なのだ、およそ常人の力でも技でもなかった。


 そのまま立ち上がった焔は、「うらぁ!」と腕をなぎ払う。完璧に肘を極めていたはずの瀬名はゴムまりのように吹っ飛ばされ、体育館の壁にしたたか、背中から叩きつけられた。


「お前が何処の誰でどんだけえらいか知らんけどな。ひとつゆーとくぞ。牢城にいらん手ぇ出すなら、俺が殺す!」


 瀬名を相手にすると男らしさを刺激されるのか、辰馬に続いて焔も、ふだんとはまるで違う男ぶりで「雫に手を出すな!」と警告する。そしてハッとして雫を振り向き、途端にしどろもどろになって「いや、今のは……」ともごもご言うのはいつも通りだが。


「く……へぇ。ボクにこんな、たてつく馬鹿が他にもいたんだ……これはもう、人生破綻させてあげないと……」

「瀬名くん、そーいうの駄目だからね」

「……い、いくら雫さんの言葉でも、彼はボクに恥辱を与えたんですよ?」

「もともと、明染くんはあたしを助けようとしてくれたんでしょ? 瀬名くんがやったらえろいから。それを棚上げするのはどーかなぁー?」

「く……」

「まーえーやん。俺もそない簡単に勘弁したるつもりないわ」

「ちょっと、明染くん! ひとが穏便に済ませよーってときに、混ぜっ返さない!」

「ぁう……」


 瀬名も焔も、雫に一喝されるとどうしようもなく弱い。それはもちろん、瀬名と焔の一戦をぼーっとしつつしっかりと確認しながら見ていた辰馬も同様で、おねえちゃんに頭が上がらないのは変わらない。


・・

・・・


「つーか、なんでお前3年に入ってくるんだよ」


 授業終了後、雫から用具整理を仰せつかった新羅辰馬、覇城瀬名、明染焔。辰馬はとりあえずそれを聞いた。覇城家の英才教育があるとはいえ、いきなり幼年学生が高等学校の3年というのは無理だろう。


「金を積みました。あと、邪魔な清廉派の理事も邪魔なので失脚させましたが、なにか?」


 あっさり言う瀬名。本当に、雫のそばにいるために財力と権力を使うことをまったく躊躇う気がないらしい。恐ろしいほどいやなガキだった。


「そーゆーのやめとけ。しず姉はそーいうの嫌いだし」

「バレなければどうとでも……」

「バレるだろ、あのひと鋭いから」

「……雫さんのことをわかった風な……」

「つまんねーことで嫉妬すんな。とにかく作業すんぞ。ほむやんも、そこで拗ねんな」

「拗ねちゃおらんが。にしても覇城の、ねぇ……特権階級貴族やかなんか知らんが、あかましイキがっとるんと違うぞ!?」

「脅すな」

「そんな脅しでボクがどうこうなるわけでも、ないですが」

「……だから、挑発もすんな」

「「常識人ぶって指図しないでくださいよ(指図すんなや)!」」

「そーいうときだけハモんな! 働けばかたれ!」


 軍隊指揮官としてヒノミヤ事変を駆け抜けた際に判明したことだが、辰馬はひとに指示を出すと言うことが格別に上手い。これはおそらく天性のもので、辰馬に指図された相手はなんとなくあらがいがたいものを感じて、そのまま屈服する。


 明染焔はそうなのだが、覇城瀬名という少年は三大公家筆頭のプライドとか、新羅辰馬への対抗心とかがすこぶるに強く、辰馬の声に含まれる魔力に敢然と刃向かう。大した意思力ではあるが、この際その精神力は抑えて仕事をしてほしいものである。


「そもそもなぜあなたが指図を出すのですか?」

「あ?」

「指示はボクが出します、あなた方は額に汗して働きなさい」


 いやもー、ホントいちいち頭にくるガキではある。これが雫の前ではおとなしく猫被っているのがまた腹立たしい。


「辰馬ァ……こんガキ、しばいてええかな?」

「よくない」

「そーかー……」

「瀬名、お前も。しっかり働いたらあとでしず姉に褒めてもらえるぞ?」

「……ふむ、しようがないですね」


 存外単純で助かりはするが、いろいろ憎たらしいのはどうしようもない。誰より辰馬自身がこいつを殴りたくて仕方ないのだからもう、やめろとか我慢しろとか言う言葉が空々しい。


 まあそれでも。辰馬たち3人はなんとか力を結集して片付けを終わらせた。


「さて。メシ食ったら午後はクエストかー……」

「ボクも同道しますので、よろしく」

「は?」

「ギルド緋想院蓮華洞学園で一番優秀かつ安全なパーティを組んでいるのはあなただ、と聞きましたので。ボクに傷ひとつつけないよう、お願いしますよ?」

「えぇー……」


 ものすごく鬱陶しい、と言わんばかりに、辰馬は呻く。こいつが同道すると説明して、みんなが納得するかどうか、早くも心配になった。それでも学院長との約束を盾にとられると、このガキを満足させてさし上げるのは必要事項だ。雫を差し出す以外の望みは、全部叶えてやらねばならない。


「まあ、しゃーねぇか……いうこと聞けよ?」

「あなたの指示がきちんと理にかなうものなら、ね」


 ほんっと、かわいくねーガキ……。


 辰馬は自分の握力で指がきしむほどに、強く拳を握りしめた。

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