第15話 お嫁さん
「瀬名くんも残念だったねー。まあ、うちのたぁくんに喧嘩売っちゃあいけないわ、うん」
やたら「たぁくん」ということばを誇らしげに言ってのける雫に、瀬名はタックル。もちろんテイクダウンを狙うわけではなく、腰に抱きつき胸に頭をすりつける。ボロ負けした以上恥も外聞もない、この情けない姿をむしろ存分に利して、雫の気を引く作戦であった。
「こらこらー、そーいうのはちょっと、おねーちゃん困るな~」
雫は軽くいなして身をもぎ離そうとするも、瀬名は握力に関しては凄まじいものがあり、剣聖・牢城雫といえども一度捕まると簡単には逃れられない。
「雫さん……新羅はひどいんですよ。ボクのような子供を相手に、容赦なく殴打して……あんなにしなくてもいいじゃないですか!」
「んー、でも瀬名くんもたぁくんの腕、折る気満々だったし?」
雫の目はごまかせない。瀬名が隙あらば辰馬の腕だろうが脚だろうが、捻り伸ばして破砕するつもりだったことは完全に見抜かれている。瀬名は「ち……」と内心、舌打ちしつつ、しかし雫相手である。猫を被ってどうにか甘えようと画策した。
「たぁくんの前で他の子と抱き合ってるとあの子、嫉妬はげしーからねー。瀬名くん、ちょっと離れてね♪」
脚を軸に、腰を軽く回転。その体裁きだけで、がっちりしがみついていた瀬名が吹き飛ばされる。身体運用の初歩だけでこれだけのことをやるのだから、瀬名や、そして辰馬でさえも雫には到底及ばない。
「さて。これで誤解……つーか誤解でもなかったわけだが……は解けたとして。おれ、帰っていーんかな?」
「いいに決まってるよー。そもそも風紀の専権が酷かっただけで、たぁくんホントなら悪くないし」
「いや、悪いだろ……まああれだな、しばらく病院に見舞いに行くか……」
「そんな必要ないと思うけどなー。あの子たち絶対、反省してないよ?」
「それでもだ」
決然とそう言う辰馬の赤目には確然たる意思の光がある。これは梃子でも動かない。
「んじゃ、あたしもついて行くわ。まあ一応、護衛として?」
「いらんと思うが……まぁ、頼む」
・
・・
・・・
そして、それから約1週間、辰馬は連日、病院の学友たちを訪ねた。大概の相手は恐怖に怯えて卑屈に詫びの言葉を入れるのだが、困るのは家族が同道している場合だ。父兄のかたがたにとって辰馬は可愛い家族の未来を無残に刈り取ったそれこそ悪魔であり、憎悪と嫌悪の対象。どれだけ酷い言葉を浴びせられたかについては、思い出したくもない。混ざり物とか、所詮悪魔の血とか、新羅って家は確か裏切り者の
「なんだよ鬱陶しい。やめろや」
「んー。ごめんねー。でも、よしよし♡」
「ぁう……だから、子供扱いすんなって……」
「うんうん。たぁくんは子供じゃないよね~。そりゃもういつもベッドで泣かされてるあたしはよくわかってるけど」
「そーゆうことを道ばたで言うな! あと無理矢理乗っかってくるのいつもそっちだからな!」
「ん~、そだっけ?」
「そだっけ、じゃねーわ。なんでおれが鬼畜のベッドやくざみたいな扱いなんだよ」
「まぁ、ノってくるとたぁくん、こっちが許してっていってもやめないし」
「あー! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁー! うるせー! 聞こえねえ!」
「うんうん。元気になった♡」
「……ん、まあ……あんがとさん」
やりようはともかく、慰めてくれた姉に辰馬はしおらしく感謝の言葉を述べる。雫はそのまま辰馬の頭を抱え込み、平気な顔で太宰の町並みを練り歩いた。恥ずかしいのは辰馬の方だが、雫がまったく恥ずかしがらないというより姉弟仲良しを人に見せたくて仕方ないタイプなので、姉に頭の上がらない弟としてはどうしようもない。
「よし。今日はおねーちゃんが食事作ろう!」
「やめとけ。刀と包丁の区別もつかんよーなしず姉が料理とか、恐ろしすぎる」
「なにいってんの。あたしだってね、こっそり修行してんだよ?」
まあ実のところ、新羅邸には万能メイド(メイドと呼ぶと本人怒り、あくまで侍従長と呼ぶ必要ありだが)の
「そんじゃ一応、お願いするか……あんまり無理してヘンなモン作るなよ?」
「あのねぇ、あたしをなんだと思ってんの? 料理なんてコツを掴めば楽勝よ!」
「そーかなー……」
焼くだけのバーベキューとは訳が違うのだが、そのへん、わかっているのやら。とはいえそこらの店に突っ込んで食材を買い込んでいく手際に関しては、確かに熟練していた。
「なに作んの?」
「肉じゃがと、あと何品がかな。たぁくん肉じゃが好きだもんね♡」
「まあ、好きだな」
「…………ふへぇ~♡」
「あ?」
「もー一回。もーいっかい『好きだな』って!」
「言うかよばかたれ。あと、好きなのは肉じゃがでしず姉じゃねーから。勘違いしないでくれますか?」
「またまたぁ~」
「またまたー、じゃねーわ。なんでそんな嬉しそうなのアンタ」
「いやー、こーやって二人でお買い物って、新婚さんみたいだなって」
「……アホらし」
と、小さく呟く辰馬の白面が、やたらと紅いのは夕日の照り返しとは間違いなく違う。
……いらんこと想像しちまった、いかんな。
頭を振って、妄想を振り払う。とりあえず最近読んだ歴史書……「東西戦争顛末史記」の記述を思い出して邪念を払うが、そーいえばご先祖さま(
「お、雫ちゃんとたっちゃん、いよいよ結婚かい!?」
ずっと昔からなじみの、肉屋の親父がそう冷やかす。
「えへへー、そうなんですよぉ」
「違うわばかたれぇ! おやっさんも、わけわかんねーこと言ってんな!」
「ははは、お似合いじゃないか。式には呼んでくれよー?」
「呼ぶかボケ! 式なんかしねぇ!」
「いや……結婚式とか指輪とか、大事だぜぇ、たっちゃん?」
「だから! なんでおれがしず姉と結婚する前提なんだよ!?」
「そらもう、似合うから?」
「く……」
そう言われるとそれ以上の反論が出ない。どれだけセッ○ス(一応の伏せ字)を繰り返してもどこまでもウブな辰馬は、まさか結婚がどーこーとか言われると思わずひたすらに
「いかん。知り合いの多い場所は冷やかされていかん。一等市街区に行こう」
「んー、いいけど」
というわけで普段の2等市街区から、豪壮華麗なる1等市街区へ。普段辰馬たちが足を踏み入れる機会などない上流階級の居住区。道ばたでは冗談抜きで「ごきげんよう」とか「ごめんあそばせ」とかの言葉が飛び交い、口の悪さに定評の辰馬はここに足を踏み入れた瞬間に頭痛を感じた。
「あら、素敵な奥様と綺麗な旦那様。本日はなにをお求めですか?」
「うあああああああああああああああああっ!」
こちらに来てもやはりというか当然というか、ナチュラルにそう言われて、辰馬は頭の皮と頭蓋をひっぺがして脳を掻きむしりたいほどの居心地の悪さに見舞われる。対するに雫はもうホントにこにこだが。
「へへー、やっぱり夫婦に見えちゃいます~? まいったなぁー、やはは」
「まいってんなしず姉。さっさと済ませてさっさと帰るぞ。こんなとこ長居してたらおれのアイデンティティにかかわる……」
・
・・
・・・
そして買い物も無事、済ませて新羅邸。三大公家の一、小日向ゆか様の居住地として、学生寮隣にむやみやたらに大きく造営された大屋敷に、辰馬たちは帰宅する。
「よっし。それじゃ早速、お料理と行きますか!」
「ホント大丈夫か? 肉じゃがくらいならおれが手伝うけど……」
「お黙りなさい!」
「ぉう?」
「台所は女の戦場! 男が土足で入ることまかり成らん!」
「ぅ、うん、そーか……んじゃ、ゆかと遊んでるわ」
「うん。出来たらすぐに呼ぶからねー♡」
そしてだいたい1時間と少し。
雫が振る舞った料理は素晴らしい味だったのだが、惜しむらくは素晴らしすぎて雫の手でないことが簡単にばれた。
「あのさ……しず姉? 怒らないから正直に言えな? これ、晦日にやってもらってるよな?」
「……う、一人で完璧に作れる筈だったんだよ? 途中までは大丈夫だったし……」
「あー、調子に乗ってやらかしたパターンか……まあ、別に責めるつもりないし。うん、嘘ついたのはよくないけど、まあいいじゃねーかな」
「うええ~ん、たぁくんごめんなさいぃっ! こんなんじゃお嫁さんになれないぃ~っ!」
「お嫁さん」の一言にズギャン、と反応する新羅邸女性陣。それはもう、全員がそのポジションを狙っているといって過言でなく、瑞穗もエーリカもサティアも文も穣も、夕食の味なと忘れて目を見開いた。
ちなみに美咲とゆかは何処吹く風で主従仲良く、平然と食事を続けるが。
その晩、辰馬は雫と瑞穗とエーリカの強襲をうけ、いつもの倍以上の激しい逆レに疲労困憊させられることなった。ちなみにサティアと文、穣は部屋の入り口まで来て鉢合わせし、何食わぬ顔で戻っていったが、鉢合わせしなかったら辰馬はさらなる苦難を味わうことなったかも知れない。
「あー、今日も朝日が黄色いわ」
翌朝、朝の運動で表に出た辰馬は、思わずそんなことを口走るのだった。
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