新学期

第11話 受験勉強の斎姫

 2月。

 世間的に一番寒い時期であり、この国ではあまり祭りや行事のある時期でもない。はっきりいって薄暗くて陰気な季節であり、超寒がりの神楽坂瑞穗かぐらざか・みずほなどはニットセーターにはんてんを羽織ってもこもこに着ぶくれしている今日この頃。


「辰馬さま辰馬さま! 蒼月館で飛び級が認められることになるそうですよ?」


 蒼月館のわたり廊下にて。制服の上からセーターを2枚重ね着した瑞穗が、なにやら妙に嬉しそうにはしゃぎながらそう言った。こいつってもともとはこーやって明るく振る舞えるやつだったんだなー、と、もう何度も繰り返しの感慨をおぼえつつ、辰馬はうんうんと頷く。


 にしても、目立つわなぁ……。


 瑞穗は超がつくほどの有名人だ。なにせアカツキにおける半独立国家だったヒノミヤの斎姫。その盛名と権威は皇帝そのひとにも匹敵するし、当然顔も売れている。辰馬の知り合いで有名人と言えば剣聖・牢城雫ろうじょう・しずくだったわけだが、この半年でそのあたりは大きく塗り替えられた。ともかくそういうわけで瑞穗は目立つ。顔と名前が子供からおばーちゃんまでのレベルで知れているうえ、性格もよくて胸が121㎝の弩級サイズ。これはもうわたし目立ちますからよろしく、と宣言しているに等しい。


 そしてまあ、瑞穗が間違いなく一番近しく交遊する辰馬に、やっかみの視線が最近、ぶつかってくることがまあ少なくない。11月に父・相模との告別を済ませて吹っ切れた瑞穗は気性からして明るく元気で人当たりのいい、本当に理想的な「嫁にしたい」タイプの少女であり、さらにそこはかとなくいぢめてオーラを放つ魔性。それ以前の影のあるおとなしい娘だった瑞穗には手控えしていた連中がもう、「これは俺たちにもチャンスあるんじゃ?」と勘違いして瑞穗に突撃することも増えているのである。辰馬は沈魚落雁ちんぎょらくがん……以下略の美少年とはいえ所詮は男。男の劣情が向く対象ではない……上杉慎太郎というよくわからん例外もいるが……のでやはり「邪魔」と断ぜられる。で、瑞穗が辰馬に好意的に振る舞ってそのかわいさが際立てば際立つほど、辰馬を睨む男どもの視線が痛いこと痛いこと。


 まあ、そーいうのはしず姉で慣れてんだけど。


「んで、飛び級がどーしたよ?」

「飛び級! つまり、わたしが昇級すれば辰馬さまと一緒の学年になれるんですよ! これってすごくすごく、素敵なことじゃないですか!?」


 つまりはそういうことで、あくまでも瑞穗の思考は辰馬を中心に回っている。これを理解すればどう逆立ちしてもちょっかいの出しようなどないとわかりそうなものだが、世の少年たちは神楽坂瑞穗という少女を諦めきれないあまりに新羅辰馬が神楽坂瑞穗を騙して洗脳して誑かしていいように自分に従わせている、とかそんなふうな風評を立てる。実に迷惑な風評被害だった。


「でもさ、確か飛び級ってすげー難しいはずだぞ。昔は飛び級制度があったのに挑戦者全員落選するから結局、この制度自体廃止になったとかだし」

「大丈夫です、勉強なら大の得意ですから! いざとなれば2年には天才の磐座さんもいますし!」

「あぁ……」


 ほとんどバケモノじみた乳肉をえいやっとばかり反り返らせて胸を張る瑞穗に、辰馬はそーいえば、と思い出す。神楽坂瑞穗という少女は転入早々に1年主席の月護孔雀つきもり・くじゃくを追い落としてトップをかっさらった才媛だった。あまり積極的に勉強しているところをみない……というかだいたい、普段は晦日美咲つごもり・みさきと一緒に辰馬の正妻(9才)、小日向こひなたゆかの遊び相手をやっているのだが、いつ勉強しているのやら。


 そう聞くと瑞穗はほへ? という顔をして


「授業を聞けばわかるものじゃないんですか? え? あれ、わたし、変なことを言いました?」

「……いや、いい。うん……天才かよ……」


 ちょっとだけ妬ましさを覚える辰馬だった。瑞穗のレベルともなると予習復習は必要ないらしい。もともとの素養としてヒノミヤの指導者になるべく高い水準での教養を叩き込まれているのもあって、蒼月館という、この国の高等学府のなかでもかなりレベルの高い学校の勉強でも瑞穗には全然足りないらしい。


「それにしても、なんでいきなり飛び級制度の復活とか……ほかにやることあんだろーに……」

「いいじゃないですか! わたし、頑張って昇級します!」

「あー、うん。頑張れ」


 と、瑞穗がへたくそスキップ(ステップすると足が絡む)しながらウキウキと去って行くと、待っていたとばかり3人ばかりの男子が辰馬を囲む。辰馬はふはぁ~~~っ……と深い深いため息をついた。


「新羅。あまり姫さまになれなれしくしないで貰おうか」

「勇者の息子だかなんだかしらねーけどな、お前、魔族の混ざり物だろうが!」

「神聖にして不可侵の姫さまに相応しくないんだよ!」


 久しぶりに「混ざり物」と言われて辰馬の柳眉がぴくりと跳ねる。しかしそこはまあ、これまで数多の修羅場をくぐって精神修養もおそらくたぶんなんとはなしにやってきた辰馬。内心でぶち殺すぞテメェ、と怒鳴りつけつつも、表面では穏やかに流す。


「あー、そうだな。気ぃつけるわ」

「おお。それでいいんだよ……ヘラヘラしやがって、顔が女じゃなかったら張り倒してやっ……ぶぁ!?」


 気ぃつけるわ、そう言った次の瞬間、相手の放った不用心な一言にブチ切れた辰馬は、遠慮なしにそいつ(辰馬を「混ざり物」と呼んだやつ)のアゴ下に掌底を打ち上げた。


「やっぱだめだ。聖人ぶるとか無理。おまえら、喧嘩売るなら買ってやんぞ。久しぶりに新羅江南流の冴えってモンを見せちゃるわ」

「ひ……! こ、この野蛮人!」

「だから魔族混ざりは! 力がすべてだと思いやがって!」

「だいたい男のくせに盈力えいりょくとかワケのわからん力使いやがって、男なら男らしくもっとひっそり弱々しく物陰で縮こまってろよ!」

「だから! その男=弱者思想やめろやみっともねぇ!」


 イラついた辰馬がドン、と前足を踏み込む。それにビクリと身をすくませる、三人の男たち。実に情けないが、アルティミシアの男というのは一般にこういうものだ。男性より女性の用が圧倒的に霊的素養に恵まれているせいで女尊男卑だし、そんななかで自分達のありようをしっかと確立している男は少ない。これまで朝比奈大輔あさひな・だいすけ上杉慎太郎うえすぎ・しんたろう出水秀規いずみ・ひでのりといった「自分に自信のある」男子が辰馬の周囲にはいたためにこのあたりの実情を表現する機会がなかったが、この世界において大概の男子は女子の前で卑屈である。


 だからまあ、辰馬としてもそんな連中の相手をまともにやりたくはないわけだが。向こうも向こうで「自分に絶大な自信がある」辰馬を目の敵にしているから困る。そのくせ難事なんじがあると結局は辰馬を頼り、リーダーとか大将と祭りあげて矢面に立たせるのだから、本当にどうにかしてほしいが。


 三人はしばし逡巡したが、ついに新羅辰馬という大物狩り《ジャイアントキリング》に挑戦する踏ん切りをつけたらしい。それぞれにもごもごと詠唱を始める。


 もちろん、彼らは神とのバイパスをつなぐことなど出来ない。一般人レベルが接続できるのは地・水・火・風の下級精霊か、よはど才能に恵まれているとして上位精霊エーテルぐらいまでであり、そんな自然界に普通に偏在する力をどれだけかきあつめたところで新羅辰馬という存在に毛ほどの傷をつけることも出来ない。見た目に同じでも神焔しんえんとか魔風まふうといった上位の力と、精霊術に過ぎない人理魔術のそれとでは隔絶の差がある。世の中にはその下級の精霊力を極限まで研ぎ澄ませて辰馬すら殺しうる「天壌無窮てんじょうむきゅう」の極地まで達した人間……辰馬の祖父である牛雄うしおがそうである……もいるが、まず学生がそんな突き抜けた境地に達することはないから、有り体に言って辰馬としては弱いものいじめをやっている気分になる。


 まあ、なぁ。一応正当防衛だし……。


 と、特別神讃しんさんを言祝ぐまでもなく無詠唱で軽く力を放つ……その寸前で、腕を掴んでひねられた。


「こーら。弱いモノ虐めはだめだぞ、たぁくん♪」


 牢城雫ろうじょう・しずくは一応武術の達人でもある辰馬の腕を簡単にひねりあげ、筋や骨はいっさい傷つけることなく痛みだけを与えてくる。それをニコニコと笑いながらやるからこのお姉ちゃんは恐ろしい。


「しず姉……難癖つけてきたのこいつらなんだけど?」

「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい、ってね。なんかすっごい昔の聖者さまの言葉。だからまぁ、たぁくんもすぐ殴り合いで解決するんじゃなくて、お話でわかりあう努力をするといーよ」

「わかりあう……いや、無理」


 根本のところで主義も思想も違いすぎる。どう頑張ってもわかり合える未来が見えないし、そもそもこんな連中とわかり合いたくもない。


 そして。辰馬と雫が仲むつまじく話し込んでいるのを見て、また三人ががやがやと不穏な気配を醸し出す。なにやら「姫さまがいるのに牢城先生まで」とか、他にも「ヴェスローディアのあの貧乏姫もそうらしい」とか、「最近ほかにも……」とか、まあ実のところ全部事実なので反論に困るところではあるが。きわめつけで「本命は9才の子供らしいぞ」とか言われると怒りより先に首を吊りたくなる。


「だからどーだよ、うるせーわお前ら」

「ひ、開き直るなこの淫魔! やっぱりお前は悪魔の……」


「きみたち」


 そこで雫の大きくくりっとした瞳が、す、と細められる。


 それだけで場の空気が数度下がった、そう錯覚するほどの迫力。牢城雫という少女……成人規定年齢が14才のこの世界で23才はかなりの行き遅れだが、雫の場合ハーフ・アールヴという出自ゆえに学生たちよりさらに幼く見えるくらいだからまあ、とりあえず少女と言って問題あるまい……は自分のことをどんなに馬鹿にされても平気だが、愛する弟分が心底傷つく言葉を投げかけられて黙っていられるような性格ではない。いつもの可愛い「雫ちゃん先生」が見せるド迫力に、三人の不貞学生は恐怖に震え、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「ふー。やれやれ、あーいうの困るよな……って、しず姉?」

「うん……ごめんねー、まさかあーいうこと言う子がいるなんて……なんか最近、たぁくんみんなから嫌われてる?」

「いや……まあ……んー、大丈夫だろ、たぶん」


 そう虚勢を張る辰馬の頭を、雫はぐいと腕を伸ばして抱きすくめる。男にしては小柄と言っても、164㎝の辰馬と144㎝の雫では20㎝の高低差があるのだが、そんなもん知らんとばかり魔術的手際で辰馬の頭は雫の胸元に抱え込まれてしまっていた。


「おねーちゃんの前で意地張らなくていーし。つらかったら言うんだよー、たぁくん? おねーちゃんがピンチの時にたぁくんが助けてくれるのと同じで、たぁくんがつらいときは絶対、なにがあってもあたしが助けてあげるから」

「あー……うん。あんがと、しず姉」


 なんか、ちょっと涙腺にきた、とは言わない。そういうのは惰弱だと思うので必死に隠すのが新羅辰馬という少年のありようだった。


・・

・・・


「磐座さん! 辰馬さまを押し退けて2年の主席を奪った学識を見込んで、お願いがあります!」


 蒼月館敷地内、学生寮前、新羅邸内。


 磐座穣いわくら・みのりは学校の勉強などより遙かに重要なヒノミヤの運営方針策定に関して知恵を巡らしていたのだが、そこに瑞穗がやってきた。


「見ての通り、わたしは忙しいんですが。そこのところは貴方もご存じのはず」

「そこをなんとか! わたしはどうしても昇級試験に合格しなくてはならないんです!」

「昇級試験……あぁ、どうせ新羅と一緒に卒業したいとか、貴方らしい幼稚な理由で……」

「そうですが……幼稚、でしょうか? 好きなかたと一緒にいたいというのは?」


 ずいぶん平然と「好き」という言葉を使う。いろいろあって順番が逆になったり前後したりした辰馬と瑞穗の関係だけに、かえって互いへの思いは確固たるものになっているのかも知れない。穣は軽くため息をつくと、ヒノミヤ関連の書類を見やすい形に整頓した。


「わざわざ一から説明はしません。必要があれば瑞穗さんから質問を。わたしは書類仕事を続けていますから、必要なことだけ聞いて理解したらお引き取りを。瑞穗さんの頭脳レベルならいちいちひとつひとつ教えるよりそちらが効率的だと思いますが、どうですか?」

「はい! よろしくお願いします!」


 これが犬なら盛大にしっぽを振っているところなのだろうなと、苦笑しかけて穣は表情を引き締める。ここにいるのはあくまで新羅辰馬監視のため。憎い新羅や新羅の女たちに気を許すわけにいかない……そう、穣は思っているのだが、彼女が辰馬に間違いなく惹かれているのはもう、新羅邸の皆が理解しているところである。そもそも神月五十六との関係は……認めはしないが……洗脳に近いものに過ぎなかったわけで、穣にとって初恋は辰馬だといっても過言ではない。ないのだが、とにかくそのあたりに関して磐座穣は素直でない。


 さておき、ヒノミヤが誇る二大頭脳による勉強会は、3月頭の受験前日まで、連日深夜に及んだ。


 そして運命の受験当日。


 生まれて初めて受験勉強というものを体験した瑞穗の顔色は、披露でやや辛そうに見える。だがやるだけのことはやったという充足感にも満ちていた。


 ひとまず今日のところは春休み中の二年生組に見送られ、瑞穗は新羅邸の門をくぐる。


「それでは、行って参ります!」


 出征の覚悟で、瑞穗は蒼月館試験会場へと向かった。

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