第5話 皇子と皇女

「馬鹿にするなよ、平民風情が!」

「吼えんな、くだらん選民思想が」


 漆黒の颶風と、金銀黒白の閃光が激突し、打ち消されるのは颶風。瀬名は立て続けに黒風を放つも、それらは辰馬の銀髪をわずかにそよがせる程度にしかならない。


 いや、ホントは案外つらかったりするけどな。一日に二度も魔王化して、結構消耗はしてるわけだが……。


「シンタ、瑞穗。しず姉たち連れて避難しろ。いまからちっと、大きな力を使う!」

「は、はい! 雫先生、これを」

 瑞穗が自分の長いパレオを外して雫にかけたが、非力ゆえに小柄な雫を抱きかかえることもできない。「あーもう! わたしに代わって!」エーリカが横から割って入り、「どっせい!」と姫君らしからぬ気合いとともに雫をおぶっていく。


「雫ちゃん先生って小柄な割りにすげーカラダしてたんスね……うーん」

「その記憶は速やかに消せ。さっさと避難しねーと身の安全、保証できねぇぞ?」

「おっと、はいはい!」


「行かないよ!」

「お前の指図を聞く理由はねーんだよ、ばかたれ」


 魔力波で雫たちを阻もうとする瀬名だが、辰馬の盈力波えいりょくはが妨害を妨害する。その隙に、瑞穗たちはドタバタと階下に走り去っていった。


「残念だったな、クソガキ。しず姉はお前なんぞにやらねーし」

「そうですか……まずあなたを殺すのが最初でしたね!」

「ガキがすぐ殺すのなんのって。ちっとは命の重さとか考えろよー、バカガキ」

「うるさい! 死ね!」

「……力の格が全然違うって、わかるだろーが。どっちかってゆーとおれはお前を殺さんように手加減するのが大変なんだからな」

「知ったことか! 貴様さえ殺せば、雫さんはボクの……」

 肉薄して組技を仕掛けようとする瀬名。辰馬は受けて立ってやる。右腕をとって、引き崩し、入り身になって靠法体当りを打ち込み、その衝撃で浮いた辰馬を、肘関節を極めたまま頭から投げ落とす。


「ん。60点だな」


 辰馬は空いた左手で難なく着地するやそう言って、地擦り掃腿で瀬名の脚を勢いよくはじくと、無造作なほどの動作で浮いた瀬名の腰をひっつかむ。

「こーいうのはな、詰まるところが「恨天無把こんてんむは」だ!」


 乱雑に掴んだ瀬名の身体を、思い切り一気に、天をひっくり返すがごとくに引き倒して地に叩きつける。武術要諦「恨天無把」。またの名を「塌天芸とうてんげい」ともいう。旧世界、つまりわれわれの世界における中国武術・心意六合拳の要訣のひとつであり、打ち込む、あるいは引き倒すに際して「天から地に落ちる力(落勁)」を利して一気に叩き折るかのようにして全身全霊で打つ。おなじ術理術式であっても、この要訣を理解しているかどうかで威力は10倍も100倍も変わる。


 果たして辰馬に引き倒された瀬名は激痛に苦悶し、悶絶した。外は魔力障壁で強化されていようと、内側からのダメージは軽減のしようがない。


「ぐぶ、げふっ……がは……!! き、貴様、ボクは覇城の……」

「知るかよばかたれ。あんましおれを怒らせてくれんな。ホント制御難しいんだから、これ」


辰馬はそう言って、掌の上に球体を生み出す。その中に渦巻き逆巻く盈力のあまりの密度を見せつけられて、瀬名は震え上がる。しかしまだ最後の意地で、全力の黒風を辰馬の顔面めがけ放つ。


「だから。おれには通用しねーって……とはいえ、この力は魔王格だよなぁ……。おれは魔王の腹心とか知らんが、お前の契約者ってまず間違いなくそのあたりだろ? ……ほら、ここまで見抜かれてんだしさっさと呼べよ、飼い主さんを、よ。……なっさけないことに、魔族に飼われる大貴族サマ?」

「ふ……はは、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」

「ぅわ、驚いた。なんだよ突然。気色悪い」

「いえ、なに……魔王格……そうですね、確かに。魔王格、か。あなたは魔王が唯一自分だけと思っているようですが、どうして魔王オディナの子が自分一人と思い込んでいるのです?」

「は……? そんなもん、かーさんが魔王との間に産んだ子は一人だけで……いや、『贖罪しょくざい』として魔族たちに胎を貸したとか……おれの、兄弟?」

「それでは魔王のを継いだことにならないでしょう。アーシェ・ユスティニア以前にいたのですよ、魔王の妻が。そして今もいるのです、本来魔王の位を継ぐべき、あなたの異母姉がね……ッ! 来い、クズノハ!! 契約者のピンチだぞ、早く力を貸せ!!」


「はいはい。貴方も口ほどのことはなかったわね……」


 突然、室内が暗闇に包まれ。

 闇の中から……否、闇そのものが人の姿を具象化した。


 鴉羽からすばを思わせる、長い漆黒の濡れ髪。豊満だがみごとにくびれた芸術的肢体を、シースルーを多用した扇情的な黒のイブニングドレスに包んだその美女に、辰馬はどこか見覚えがあった。ひどくよく見た顔な気がするが、誰かわからない。実のところ辰馬自身とうり二つなわけだが、それを肯定する素直さを辰馬は持ち得ない。黒髪に狐を思わせる一対の耳を生やした美女は、薄く酷薄に笑うとす、と手を差し上げた。


「ッ!?」


 回避すればこのホテルが倒壊する。辰馬はとっさの判断で盈力の防御結界を展開した。


 黒き狐の妖女は、関係ないとばかり差し上げた腕を振り下ろす。


 燐光が爆ぜた。


 ズドゥゥッ!!


 一撃。一撃で、魔王化した辰馬の全力での防御結界が、紙でも裂くように打ち破られた。


「……これは、すげーな……」

「姉としてはね。弟に負けてられないのよ、ノイシュ」

「誰が誰の姉だよ。姉貴風ふかすのはしず姉だけで間に合ってら」

「瀬名の話を聞いていなかった? 私は紛れもなくあなたの姉。母親こそ違うけれど、真実間違いなく、魔王オディナの娘……そして、魔王の継嗣として認められなかった皇女!!」


 妖女の瞳の奥で、いかりの焔が爆ぜる。それだけで室内の温度が数十度も増した。およそ人が生きられる限界を超えた温度に、辰馬と瀬名は噎せ返る。


「は、バカ、クズノハ! ボクまで巻き込むつもりか!?」

「あら、ごめんなさい。まあ、予定通り弟に会えたことだし。貴方の存在価値はもう、特にないけれど」

「ふざけるなっ! 全てはボクがあれだけ根回ししてやったおかげだろうが! 最低限の恩は返せ!!」

「魔族に恩とか言われても……まあ、あなたはお気に入りだし、助けてあげる」


ぱちん、と指を鳴らすクズノハ。


 瞬時、熱が止み、かろうじて辰馬は呼吸を取り戻す。「かは、けふっ!」せき止められていた呼気の揺り返しで、軽く咳き込んだ。


 わずかな感情の発露、それだけでこれほどの熱量を操る魔族。これほどともなるとクズノハが魔王の娘、というのもあながちハッタリとは思えなくなる。


 魔王の嫁って、かーさんだけじゃなかったのかよ……なんか、不愉快になるな……。


 魔王が母以外の相手を愛したことも不愉快だし、自分が複数の異性と肉体関係を持ってそれをあまり不貞と思っていない精神性の理由を突きつけられた気がしてそれも気分が悪い。なによりクズノハが自分こそ正統といわんばかりの態度を見せて自分や母を妾や妾腹の子、と見なす振る舞いもむかつく。三重に腹が立ち、苛立ち、辰馬は紅い眼光をぎらつかせる。


「いい目。だけれど……わたしには及ばない!」


 人差し指を、辰馬の胸に突きつけるクズノハ。さっきまでのものは外からの灼熱。しかし今度のものは、辰馬の胸の中に強烈な熾火おきびを灼いて止まらない。解呪なりなんらかの対抗魔術を練り上げるだけの余裕も与えてもらえない。魔王化して無敵のはずの辰馬が、まったく一方的にやられてしまう。片膝ついて、まるで跪かされるような姿勢は辰馬にとって無情の屈辱だった。


「く……あぁ……ッ!!」


 なんとか意思力だけで、熾火の鎖を引きちぎり立ち上がる。すかさず腕を振り上げ、クズノハに目がけ、振り下ろした。全力全開の輪転聖王ルドラ・チャクリン。金銀黒白、天衝く光の柱は、しかし臣下が王を憚るようにクズノハを避け、左右に割れた。


「ッ!?」

「あなたの「意思」は認めなくても、「力」はわたしこそが王と認めているようね、ノイシュ。さあ、諦めなさい。そしてその力のすべて、お姉ちゃんに捧げなさい!」


「!!」

 お姉ちゃん、という言葉を耳にした瞬間、萎えかけた心に力が戻る。


「誰が、おれのおねーちゃんだ、ばかたれ!」


 意思を振るわせ、背筋を伸ばす。クズノハはそれとみて無慈悲に決着をつけようとしたが、


「クズノハ、こんな半死人、放っておけ。それより雫だ」

 覇城の当主たる少年が、そう言ってクズノハの気を逸らした。


「そうね……うん。じゃ、あの娘たちは連れて行くわ。まだ心が折れていないなら、追ってきなさい、ノイシュ」


 闇をまとって、クズノハと瀬名は消える。


 連れて行く……って、クソ……!


 辰馬は疲弊しきった身体に鞭打って部屋を飛び出し、大慌てで階下に降りる。部屋に飛び込むと、神妙な顔の大輔、シンタ、出水が膝をつき、辰馬を認めるなり土下座する。


「すんません、辰馬サン! オレらがついてながら、みんなをさらわれました!」

「このうえはどんな罰も……!」


「いーから取り返しに行くぞ。あのクソ女が触手のバケモンたちのボスだとして、なら外洋の大質量ってのもあいつの手下か、仲間だろ。梁田と鷹森に連絡! みんなが生け贄に捧げられる前に、巣穴を見つけて全部ぶちのめす!」


 そう吼える辰馬はもはや魔王化を維持できず、普段のままの状態に戻っている。魔王状態で手も足も出なかったクズノハにどう対抗するのか、鍛え直すだけの時間もないにもかかわらず、辰馬はいったん退くという選択肢を微塵にも頭に上せなかった。


 あんなクソガキにしず姉をいいよーにさせるわけにいかねぇし、触手のバケモンなんぞに瑞穗もエーリカも渡してたまるか! みてろよクソ女!


 消耗は激しいが、闘志はなお燃えさかる。魔皇子と魔皇女の喧嘩は、前哨を経て第2フェーズに移行しつつあった。

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