【番外編】シェイマスの友人イリル

それは、クリスティナが十五歳の誕生日を迎える少し前のことだった。


          ‡


「シェイマス様、ご実家からお手紙が届いています」


 アカデミー王立学院の寮で生活しているシェイマス・リアン・オフラハーティのところに公爵家から手紙が届いた。


「ありがとう」


 管理人から手紙を受け取ったシェイマスは、中身にざっと目を通し、


「イリル」


 朝から机に向かっている同室の友人、イリル・ダーマット・カスラーンに声をかけた。


「なんだ?」


 手元の書類から目を離さないイリルに、シェイマスは淡々と告げる。


「クリスティナが熱を出したそうだ」


 ――ガタンバタンドサダダダダダ!

 ガツ!


「そ、それで容態は?!」

「お前、慌てすぎだろう……」


 机の上の書類を撒き散らし、椅子を倒し、ベッドの角に足をぶつけて自分に駆け寄ってきたイリルに、シェイマスは冷たい視線を向ける。


「落ち着けよ」

「いや、これは最短距離を選んだだけだ」

「落ち着いていないからそういうことになる」


 シェイマスの苦言を無視し、イリルはぶつけた足を真顔でさすりながら言った。


「そんなことより熱って? この間アメジストを届けたときは元気そうだったけど」


 シェイマスの上の妹クリスティナの婚約者が、イリルだ。気安い口を聞いているが、この国の第二王子でもある。

 とはいえ、こちらも四大公爵家の跡取りなわけで、この二人が同室なあたり、学舎では基本平等だと謳いながらもアカデミー側の配慮を感じる。

 クリスティナが八歳、イリルが十一歳のときから婚約しており、シェイマスよりも妹の方がイリルとの付き合いが長い。正直、同室になったばかりの頃は勝手に気まずい思いを抱いていた。

 だが、暮らし始めると思った以上に気さくな男だということがわかり、どちらかというと内に秘めがちなシェイマスはイリルの明るさに救われることもしばしばだった。


「シェイマス? 何黙っているんだ? クリスティナ、そんなに悪いのか?」


 ーー妹に対してはちょっと過保護だと思うが。


 シェイマスはそっけなく答える。

 

「いや、大したことはないらしい。そんなに心配するな」

「だけどわざわざお前のところに手紙が来るなんて」


 ああ、それであんなに慌てたのか、とシェイマスは納得する。

 シェイマスのところに知らせてくるくらいだから、クリスティナの容態がよほど悪いのだと思ったのだろう。

 シェイマスは付け足す。


「いや、そもそも別件がメインの手紙で、クリスティナのことはほんのついでに書いてあっただけだ。繰り返すが大した容態じゃない」

「本当か? 僕を心配させないためにそんなことを言っているんじゃないか」

「心配させないのが目的なら初めからこんなこと言わない」

「それもそうか? しかし急変ということもある……」


 眉間に皺を寄せて真剣な顔をするイリルを、シェイマスは首をかしげて見つめる。


 ――他のことにはこんなに暑苦しいやつじゃないんだけどな。


 仕方なくシェイマスは、イリルの肩にぽんと手を置き、安心させるように言った。


「何かあったら、また家から言ってくるさ」

「しかし」

「それよりも散らばった書類をなんとかしろ。踏むぞ?」

「……わかったよ」


 素直に床の書類に手を伸ばすイリルを眺めながら、シェイマスはため息をついた。

 そもそも、手紙のメインである「別件」も、クリスティナの十五歳の誕生日パーティにイリルが出席できないということから始まっている。

 シェイマスが代わりにエスコートを頼まれたのだが、億劫がって返事を遅らせていたら、トーマスとルシーンから何通も催促が来た。

 了承の返事を書いたのはつい先日だ。

 そうしたらその返事にさらっと、クリスティナが熱を出した、と書かれていたのだ。

 シェイマスからすればそれはクリスティナの近況の一部で、特になにも思わなかった。だから軽い気持ちでイリルに言った。


 ーーそしたらこれだもんな。


 イリルと自分の反応の違いを目の当たりにしたシェイマスは、書類を拾うイリルを眺めながらふと聞いた。


「なあ、イリル」

「ん?」

「妹のどこがそんなにいいんだ?」

「へ?」

「言っちゃ悪いけど、政略結婚だろ? 親身になってくれるのは兄として嬉しいけど、もっと事務的な対応でもいいんじゃないの。まあ、付き合いは長いだろうけど」


 イリルは、手を止めてこちらを向いてから、照れたような怒ったような顔をして俯いた。


「なんだよその顔」

「いや、そんなこと聞かれるの初めてだから」


 怒っているわけではないようなので、照れているのだろう。シェイマスが答えを待っていると、書類を机の上に置いたイリルは困ったようにため息をついた。


「どことか、そんな簡単に言えないな……」

「そういうものか?」

「ああ」


 イリルは言葉を探すように、少しずつ呟く。


「簡単には言えない。言えないけど、強いて言うなら……目、いや、表情かな?」

「顔ってことか?」

「バカだろお前」

「なんだよ、お前の言い方が悪いんだよ」


 長年同室だった者だからこそ通じるぞんざいさに、シェイマスも軽口を叩く。案の定、イリルはムキになって答えた。


「顔が整った令嬢なんていくらでもいるだろ?! そういうことじゃないんだよ! いや、クリスティナはもちろん綺麗だけど!」


 確かに、とシェイマスは頷く。シェイマスの妹たちは両方とも容姿がいいと評判なのだ。しかしイリルの言いたいとこはそこではないのだろう。もどかしそうに続けた。


「そうじゃなくて、こう、話をしていて、僕を見てくれている目というか、表情というか、それがすごく落ち着くんだ。わかるだろう?」

「わからない」

「わからない? 本気で?」

「ああ」

「うーん……でも、それ以上の説明は……何て言えばいいんだ」

「思ったまま言ってくれ」

「……こう、クリスティナと話していて、ふと目を見ると、安心してくれているような、信頼されているのがわかるような、ワクワクして僕の話の先を聞きたがるような目をしてくれていて、あの紫の瞳に映る自分は、なんだか特別な存在になれるような気がするんだ」

「言っちゃ悪いけど、それ、他の令嬢でも同じじゃないか?」


 眉目秀麗、頭脳明晰、剣の腕も立ち、地位もあるのがイリルだ。そんな目で見つめる女性は多いはずだ。


「それが、全然違うんだな」


 イリルはふっと、遠くを見つめるように笑った。

 クリスティナのことを思い出しているのだろう。


「これ以上の説明はできないな……クリスティナは他の令嬢と全然違う、それだけだよ」

「ふうん」


 小さい頃からクリスティナは面倒見がよく、本に没頭すると他のことを忘れるシェイマスの世話までしてくれた。そのクリスティナを大事にしてくれる男が友人で良かったと心から思う反面、自分にはこの二人のような絆を感じる相手がまだ現れていないのだとちょっと拗ねた気持ちになる。


 ――って、何を考えているんだ、僕は。二人がうまく行っているならそれでいいじゃないか。


 クリスティナには幸せになってほしい。もちろんイリルもだ。二人がまとめて幸せならそれでいいじゃないか。

 そう思ったシェイマスはなんとかそれを言葉にしようとした。少し照れるが兄として妹を託すいい機会かもしれない。


「イリル、クリスティナをーー」


 頼むぞ。そう言う前にイリルは叫んだ。


「だめだ! やっぱりじっとしていられない!」

「は?」

「見舞いに行くよ! ブライアン! ブライアン、オフラハーティ家に花を届けてくれ! 手紙も書くからそれも添えろ!」


 シェイマスの話も聞こうともせずイリルは、廊下に顔を出して自分の部下であり護衛であるブライアンを呼んだ。


「おい、イリル、見舞いって、お前視察の準備で忙しいんじゃ」


 朝から格闘していた資料も視察のためのものだ。


「だいたい終わった」


 シェイマスがあっけに取られていると、手紙をブライアンに渡し、用意を整えたイリルは、


「お前の話は要領を得ないんだ。クリスティナに会う方が早い」


 と、笑顔を見せて部屋を出た。


 ――人を口実にしやがって!


「お前がクリスティナに会いたいだけだろう!」


 シェイマスがそう叫んだときにはすでに遅く、イリルの姿はなかった。

 悔しいような負けたような、ちょっと羨ましい気持ちになったシェイマスだが、そのことは一生言うもんかと口元を引き締めた。

 

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