78、素直

         ‡




それから一ヶ月が過ぎた。


隣国ドーンフォルトが内乱をきっかけにこちらに戦いを挑んでくるかもしれないとの心配は、ひとまず杞憂とされた。


かねてから悪評高い宰相と、その宰相が推していた第三王子が亡くなることで、国民からの支持が高い第二王子が頭角を表しているとのことだ。


第一王子がどこまで粘るかわからないが、今のところカハル王国に討ち入る気配はないという。



大人しく養生した甲斐があったのか、私はようやくイリルを納得させられるくらい回復した。

いろいろとしなければいけないことも多かったが、まずはずっと心配してくださったリザ様とグレーテ様を招いてこじんまりとしたお茶会を開いた。

何も用事はないけれど、どうしてもお二人に会いたかったのだ。会って、とりとめのない話がしたかった。うぬぼれでなければ、リザ様もグレーテ様も同じように思ってくださるはずだ。


「クリスティナ様! お元気そうでよかったわ!」


予想は当たり、宮殿のロビーでリザ様は私に抱きつきながらそう言った。抱擁を返しながら私も答える。


「ご心配おかけしました」


グレーテ様も私をそっと抱擁してくださって言う。


「クリスティナ様、ご回復おめでとうございます」

「ありがとうございます、グレーテ様」


グレーテ様にお会いするのは卒業パーティ以来だった。あのときあの場所にいたグレーテ様はあえて何も聞かず、ただ健康を気遣う手紙ばかりくださった。


「クリスティナ様、公爵様のこと、お悔やみ申し上げます」

「私たちにできることあればなんでも言ってね」

「お二人とも、本当にありがとう」


表向き、父は病が原因で火事を起こして亡くなったことになっていた。

病で頭が朦朧としていた父は、こぼしたお酒に蝋燭の火を引火させてしまった、とのことだ。お兄様とイリル、そしてオキャランのお祖父様が尽力してくれた結果だと思う。

『聖なる者』を騙ったとされたミュリエルも、父の妄言に巻き込まれたとして、領地で謹慎することで決着が付いた。


……領地で数学は勉強できる?


驚いたことにミュリエルはそんなことを言った。だからお兄様は今、領地まで来てくれる家庭教師も探している。

私は気持ちを切り替えて、リザ様たちの先に立つ。


「行きましょう。今日は、フレイア様の提案で、宮廷の奥の庭園に席を設けたの」

「あら? でもフレイア様は?」


辺りを見回すリザ様に私は答える。


「私と一緒に部屋を出た途端、レイナン殿下に呼ばれて行ってしまって。すぐに戻るから絶対待ってて、との言伝をいただいているわ。それまで三人でお喋りしながら待ちましょう」

「それがいいわ」

「ぜひ!」


というわけで護衛に守られながら、私たちは奥の庭園に向かった。


          ‡


「晴れてよかったわ」

「本当! 紅葉と青空が綺麗」


ニシキギやアカカエデなど、紅葉する木ばかり集められている奥の庭園は、あたりを染めるくらい鮮やかな赤や黄色に彩られていた。

一際背の高いアカカエデの梢がざわざわと揺れている。空は澄んでいるが、外でお茶会ができる季節はもうそろそろ終わりだ。すぐそこまで冬が来ている。


「クリスティナ様はこれからどうなさるの? いろいろとお忙しくなるのでは?」


グレーテ様がそう聞いてくださるのは、つい先日私が『聖なる者』だと公表されたからだろう。

できれば伏せておきたかったが、卒業パーティで守り石が飛んできたことや、陛下の病を王笏で治したことなど、内密にと念を押してもどこからかじわじわと広まってしまったのだ。


「何も変わらないわ……と言いたいとこだけど、そうね、少し忙しくなりそう」


ギャラハー伯爵夫人はつい最近意識を取り戻した。だけど、「ドゥリスコル伯爵」と関わったすべての記憶が抜け落ちているらしい。

ただ、離縁を考えていたギャラハー伯爵が、夫人が以前のように戻ったのを見てしばらく様子を見ることにしたと聞いて少しほっとした。

夫人だけではない。陛下のお世話をしていた侍女のポリーや、サーシャ・マグゴナー令嬢とブリギット・ドムス子爵夫人もここ数ヶ月の記憶がないようだ。

それについては、イリルやレイナン様が詳しく足取りをたどっているがわからないことが多いらしい。ドゥリスコル伯爵に関わっていたと思われるが証拠がないのだ。


片付けなければならない問題は、それ以外にもいくつか残されていた。

教会関係者がわざわざ私のところに来て、シーラ様のように私も修道院に入るべきだ、その身を捧げるべきだと言ったのもそのひとつだ。

あまりにも強引な態度だったためイリルが、クリスティナの意思を無視して何を言っているんだと怒鳴り返したのも記憶に新しい。

それについてはイリルだけでなく、国王陛下も私の意思を尊重してくださったので事なきを得た。

けれど、これからもそういうことは起きるだろう。


「でも大丈夫」


私は心配そうに見つめる二人に向かって言った。


「一人じゃないもの」


二人とも力強く頷いた。


「そうね、その通りだわ」

「私たちもいるし、イリル様もいらっしゃるし」

「フレイア様も」

「……シェイマスもいますものね」


ん?

どさくさに紛れて何か惚気られたような。私が何か言う前に、リザ様が首を傾げた。


「あら? グレーテ様、クリスティナ様のお兄様とお知り合いなの?」


そういえばリザ様にはまだお兄様とグレーテ様のことを言っていなかった。私は助け舟を出そうと口を挟む。


「お知り合いというか、ねえ、グレーテ様」


こういう話が好きなリザ様はそれだけでピンと来た様子だ。


「お知り合いというか? なんですの?」


グレーテ様は恥ずかしそうに小さな声で続けた。


「知り合いというか」

「というか?」

「私が申し上げるのも、おこがましいんですけど……私とシェイマスは」

「うんうん」

「友達です」

「ん?」

「え?」


リザ様が念を押す。


「お友達? ただの?」

「はい」


思わず私も質問した。


「でも卒業パーティのパートナーだったわよね? お互いの瞳の色のアクセサリーを身につけて」

「あ、そうでしたわ」


グレーテ様は思い出したようにはにかんだ。


「私がドレスを持っていないのを心配してシェイマスは、アクセサリーまで用意してくださったの。お優しいわ」


あら?

私は判断を委ねるようにリザ様を見た。リザ様は大体を把握された様子で、これはダメだと言いたげに首を振っていた。私はため息をついた。


——お兄様、何をしていらっしゃるの!


多分、肝心なことをまだ言っていないのだ。

グレーテ様は元々下町出身。瞳の色のアクセサリーとか「そういうこと」にきっと疎いのだ。お兄様が気を回して上げなくては。お忙しいのはわかりますけど! 私がその忙しさに拍車をかけているのは自覚してますけど! タイミングも大事ですわよ!

私がそうやって遠隔でお兄様に嘆いていると、


「お待たせしました」


フレイア様が現れた。


「フレイア様!」


私たちは一斉にそちらを向く。と、フレイア様の隣によく知った緑の瞳を見つける。


「イリル? どうしてここに? 今日は会議じゃ」

「これのせいで会議どころじゃなくなった」


見るとイリルは、細長い木箱を持っていた。


「なんですか? それ」


フレイア様が苦笑する。


「一緒にこれを開けるところに立ち合いたいらしいんだけど、いいかしら?」


そう言われてもなんのことかわからない。フレイア様は説明する。


「さっきレイナンに呼ばれたのはこれが届いたからなの。よりによってイリルのいるときに届いたからレイナンも困っちゃって」


フレイア様は楽しむように笑った。


「クリスティナ、あなた宛の贈り物よ。住所がわからなかったからここに届いたのかしら」

「私宛?」

「うん、ここにちゃんと君の名前が」


イリルが子犬の顔をして、私に木箱を差し出した。確かに私宛になっている。差出人は……


「ローレンツ・フェーディンガー様?」


予想もしない相手だったので、つい大きな声を出してしまった。


「え? ローレンツ?」


グレーテ様も驚いた声を出す。ついでリザ様も。


「え! どういうこと? グレーテ様もクリスティナ様もローレンツ様とお知り合いなの?」


私はいいえ、と答える。


「知り合いといえば知り合いですが、あの演奏会でお会いしただけです」


グレーテ様も答える。いつになく低い声で。


「私はローレンツの幼馴染なので、知り合いではあります……ほんと、懲りないんだから」


それを聞いたイリルは、子犬の顔から、渋く出過ぎたお茶を飲んだのを無理やり我慢しているような顔に変わった。

グレーテ様が慌てたように言う。


「僭越ながら、殿下、よろしいでしょうか」


イリルは頷く。グレーテ様は私とイリル、両方に視線を送って言った。


「一度だけ演奏会で会った。クリスティナ様から見たローレンツはそれがすべてです。ご安心ください」

「え、まさかなにか心配していたの? イリル」


私は心底驚いた。イリルは小さい声で呟く。


「いや……まあ、なんていうか」

「だから言ったでしょう?」


フレイア様がイリルに言った。イリルが大きく息を吐いた。


「……わかった。じゃあ、これは君に。会議に戻るよ」


木箱を私に渡し、そのまま去ろうとするイリルを放っておけなくて、私は思わず声をかけた。


「待って! イリル。これ開けてくださらない?」

「でもそれは君宛のだ」

「もうここまで来たら、みんなで見ましょうよ」

「いいのか?」

「宮殿に送るということはある程度人に見られてもいいんじゃないかしら」


わりと本気でそう思った私は、イリルだけでなくみんなの顔を見回して言った。


「だって、気にならない?」


その場にいた全員が頷いた。

じゃあ、とイリルが持っていた小さいナイフで器用に木箱を開ける。木箱の中には円筒が一本入っていた。開けると、パカッと小気味いい音が鳴り、中を見ると——


「楽譜?」


手書きの楽譜が入っていた。イリルがタイトルを見て複雑な顔をする。


「……クリスティナに捧げるセレナーデ」


フレイア様がリザ様と頷き合う。


「さすがローレンツ・フェーディンガーね。正面から来たわ」

「そうですね……凝りもせず」


グレーテ様がげんなりと呟く。


「どういうことですか?」


私が聞くとフレイア様が答えた。


「簡単にいえば音楽家流の恋文じゃないかしら」

「誰に?」


まさかと思って私は言う。フレイア様は目だけで笑う。


「それはもちろん、クリスティナでしょう」

「そんなの困ります。私にはイリルがいるのに」


言ってから自分で自分の言葉に顔を赤くしてしまった。


「あ、えっと、違う、違わないけど」


フレイア様が扇を取り出した。顔を隠してさっきよりも盛大に笑っているのだ。リザ様とグレーテ様は両手を合わせてこちらをキラキラした瞳で見つめている。イリルはといえば、突然上を向いてニシキギの枝を凝視していたが、


「だめだ……」


振り返って私の耳元で囁いた。


「どんどん素直になるクリスティナがかわいい……」


私は固まって動けない。イリルは一人で納得したように頷いている。フレイア様の声がする。


「同感だけど、そろそろお茶会を始めましょうか」

「はい!」


リザ様たちが椅子に座る気配がした。テーブルの上の色とりどりのお菓子たちが、手を伸ばして欲しそうに並んでいたのを思い出す。

でも私は耐えきれずにその場にしゃがみこんだ。


「クリスティナ? 大丈夫?」


イリルが心配そうに声をかけてくれたけど、顔が熱いのはなかなか引きそうになかった。


「……大丈夫じゃない」


素直でかわいいなんて言われたことなかったから、衝撃が大きすぎたのだ。素直なのに、かわいいなんて! 


「じゃあ、しばらく僕もこうしていよう」


なぜかイリルまで一緒にしゃがみこんだ。空を見上げる。


「いい天気だね」


どこかで、気持ち良さそうに鳴くウタツグミの声が聞こえた。



・・・・・・・・・・




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