39、兄をそっと応援

グレーテと呼ばれた令嬢は、綺麗にまとめ上げたブルネットの髪と知的な茶色い瞳が印象的な女性だった。フレイア様と同じ年齢くらいだろうか。

私たちに気付かない様子でローレンツ様にはきはきと喋った。


「それより早く戻りましょう。いろんな人が心配しているはずよ。どうしていつもみんなを困らせるようなことをするの」


ローレンツ様は不貞腐れたように、グレーテ様から視線を外した。


「戻らない」

「なんですって?」

「君の家に泊めてくれなきゃ、ずっとここで丸くなっている。演奏会なんて中止になればいい」

「何を——」

「何を言ってるんですか!」


我慢出来ずに、私は思わず飛び出した。


「え?」

「誰?」


グレーテ様もローレンツ様も突然現れた私に目を丸くしている。だがそんなことはどうでもいい。


「ローレンツ・フェーディンガー様ですね?」


私はローレンツ様の前ににじり寄って挨拶をした。


「初めまして。クリスティナ・リアナック・オフラハーティと申します」


グレーテ様が息を飲んだ気配がした。お会いした記憶はないのだが、私のことを知っているのかもしれない。けれど、今はローレンツ様が先だ。

私はローレンツ様にっこりと微笑みかけた。なぜかローレンツ様は後ろに下がろうとしたが、座っているためそれも出来ない。

いつの間にか左右をルシーンとカールに固められたローレンツ様は、諦めたように、はい、と答えた。


「私、今回の演奏会のお手伝いをさせていただいている者ですの。後ほどお会いできると思っていたのですが、こんなところにいらっしゃるとは驚きましたわ。そちらの女性がおっしゃるように、そろそろお着替えになってはいかがでしょうか。すでに大勢の聴衆がローレンツ様を待っていらっしゃいます」


カールが有無を言わさない迫力で、ローレンツ様に手を差し出した。案内するとのことなのだ。

ローレンツ様はおどおどとカールを見つめ、そして私とルシーン、グレーテ様の順番に視線を移動させた。


——このまま準備に入ってくれたら、まだ余裕で間に合うわ。


そう思って見守っていたら、首を振ってぽつりと言った。


「嫌だ」

「は?」

「何言っているのよ!」


私がとがめる前にグレーテ様が叫んだ。


「あなたがわがままを言う度に、どれほどの人が振り回されるかわかっているの? そろそろ自分の影響力を自覚しなさいよ」

「……グレーテの家に泊めてくれるなら」

「まだそんなことっ」

「グレーテ様、でよろしいでしょうか」


埒が明かないので、私は二人の会話に割って入る。

グレーテ様は慌てて私にお辞儀をした。


「失礼しましたっ! ご挨拶が遅れまして。私、グレーテ・シュタウピッツと申します。本日はフレイア様主催の演奏会ということで末席より拝聴させていただく所存でした」


王子妃教育ですべての貴族の姓を覚えていた私は、すぐに挨拶を返した。


「シュタウビッツ男爵のご令嬢でしたか。初めまして」

「とんだ不調法をお見せして申し訳ありません」

「ローレンツ様とお知り合いなのですか?」


グレーテ様は頷く。


「ローレンツとは、小さい頃家が近くでした」

「幼なじみという奴だよ」


ということは?


「ローレンツ様はこの国出身だったのですか?」


私は驚いた。そんな話はどこにも出回っていなかったからだ。ローレンツ様は、ああ、と短く頷いた。


「そこにいるグレーテと同じ。王都の下町で暮らしていたよ。お袋は早くに死んで、親父は木工細工の職人だった。だけど俺にピアノの才能があると気付いた親父は、金を工面して俺を無理やり帝国の貴族の養子にしたんだ」

「存じ上げませんでした……」


ローレンツ様は不機嫌そうに言った。


「出身地でなきゃ、わざわざこんな不便なところで演奏会なんてするかよ」

「恐れ入ります」


随分と肖像画と印象が違うが、こちらが地なのだろう。

グレーテ様が付け足した。


「私も元々平民出身なんです。母が男爵様と再婚したので今のような立場になりました。ローレンツが突然、私と過ごしたいから今回の滞在中男爵家に泊めてくれ、と駄々をこねているので叱っていたところです。グロウリー伯爵様の立場もありますのに」


なるほど、と私は頷いた。泊めるような家ではないと言っていたが、おそらくはグロウリー伯爵の体面を気にしてのことなのだろう。


「そうでしたか」


私はすっかり拗ねた顔をしているローレンツ様を見つめた。


「あの」


考えを巡らしていると、グレーテ様が思い切ったように私に話しかけた。


「オフラハーティ家のクリスティナ様ということは、もしかしてシェイマス様の……」

「妹です」

「やっぱり!」


グレーテはもう一度お辞儀をした。


「シェイマス様には時々図書館で勉強を教えていただいております。いつもお世話になっております。よろしくお伝えくださいませ」


ん?

私は以前、お兄様から聞いたことを思い出す。ついでにお兄様の赤らめた顔も。


「もしかして、偶然知り合った男爵令嬢ってーー」

「あ、お聞きになっていましたか? きっと私のことです」


グレーテ様までほんのりと頬を染めて答えた。


あら? あら?


「なんの話だよ」


何かを察したローレンツ様が、不機嫌そうに会話に入る。私は目まぐるしく一瞬でいろんなことを考え、口を開いた。


「あの、グレーテ様もローレンツ様も、今夜は宮廷に泊まりませんか?」

「え?」

「は?」

「それは?」

「……?」


私以外の全員が同じような顔をする。

だけど、何があってもフレイア様の演奏会を失敗させるわけにはいかないのだ。

まずはローレンツ様を演奏させる気にしなくては。こうしている間にも開演時間は迫ってくる。

私はグレーテ様を安心させるように言った。


「グロウリー伯爵には私の方から申しておきます。フレイア様もその方が喜ぶでしょうし」


そしてローレンツ様を見つめて意味ありげに付け足す。


「宮廷ならば、ローレンツ様もグレーテ様とお話する時間が取れるのではないでしょうか」

「ですが……」


グレーテ様は躊躇っていたが、ローレンツ様が先に話に乗った。


「俺は別にどこでもいい。グレーテがいるなら」


やはり目当てはグレーテ様なのだろう。私はさりげなく誘導する。


「それではお着替えに移っていただけますか?」

「ああ」


ローレンツ様がそう言うのを見て、グレーテ様は諦めたように黙り込んだ。

気が変わらないように全員でローレンツ様を支度室に送る。

歩きながら私はグレーテ様にそっと囁いた。


「突然のことで申し訳ありません、グレーテ様。男爵様にもお伝えしますので」

「いえ、私のことは大丈夫ですが、むしろ宮廷に迷惑では……」

「今をときめくローレンツ様をお仕えするのに迷惑なんてありませんわ。それに、もしよかったら兄も顔を出すように申しつけます。よろしいでしょうか?」


グレーテ様は今度も明らかに頬を染めて頷いた。


「……はい」


あら? 

あら?

……お兄様がんばってくださいませ。


——悪くない感触とは言え、ずいぶん癖のある恋敵ですわよ。


前を歩くローレンツ様の背中を見つめながら、私は兄をそっと応援した。

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