第8話 転換の街アナザーサイド

 情報は思いのほか早かった。

 インフィラデルから北へ五百キロ、転換の街アナザーサイドの山手に、その車は止まっていた。

 いや、突っ込んでいた。茂みの中に。


 レパードは車に近づき、中の様子を見た。

 先ず、二人はいない。荷物もない。周囲にいる気配もない。

 少し奥を探ると、草木が微かだが人が行き来した形跡を残していた。

 先へ進んでみる。進むと、その先には大きな湖が広がった。

 土にタイヤの跡。焚き火をしていた、燃えきれなかった木の枝。

 そして岩陰に陽光を反射する、サングラス。

 レパードは比較的汚くないハンカチを取り出し、それを採取した。

 誰かが、確かにそこにいたという形跡。それもつい先程まで……。



 一方、レオ・フットプライドは一つの手掛かりを入手していた。

 それはネヴァレンド銀行の〝リリィ・ストーン〟名義の預金口座。

 そこには過去三年のうちに年に数回、五十から百万という纏まった金が振り込まれていた。

 振り込まれた場所、窓口はアナザーサイド支店。但し、振込人は不明。

 通帳の写しをじいっと眺めながら、フットプライドは爪を噛む。


 ――最近のもので八月三十一日……いったい誰が……親族、それともエイブラハムのローリング家……いやいや両家とも精一杯の中流階級。あり得ん。気になるのはアナザーサイドの街。ここはサンダース・ファミリーの領地だ。何か繋がりがあるとでも? まさかそんなはずは。背後に何がある? 今一度リリィの過去を探らねば……。



 やがて鳴り響く電話のベル。フットプライドは受話器を取る。

「何だと? レパード、今何処からだと?」

 雑音が入る。レパードは喧しく声を張り上げた。

《ア、ナ、ザー、サイ、ドです! ……聞こえますぅ?》


 ****


「お前さんは何飲む?」

 開店前のカフェレストRamona。

 ビフ・キューズはカウンター越しに顔を突き出した。

 椅子に座るボビィは上目遣いで「う〜ん……トマト、ジュース!」

 それはジョーの真似だ。

「おや、お前さんも無塩が好きかい?」

「? ……むえん?」

「ふふふ。待ってな」

 ビフはニッコリ笑ってボビィにキャンディをあげた。

 そしてすかさず特製トマトジュース。

 得意げにズズンとジョッキ一杯、ボビィの前に。


「うわ!」

「さあ召し上がれ〜!」

 恐ろしく濃厚な赤にシブい顔のボビィ。

「搾りたての旬の健康ジュースだ! こいつを飲めばジョーのようにデッカくなれるぞ! さあ頑張れ! ハッハッハ」

「それ言うなら牛乳」とジョーは吹き出し、隣りのリリィもクスッと笑った。



 ビフはリリィの車を修理工場へ運ぶ手配を済ませた。

「工場長は、今日返事はできないと。だが明日には直させる。宿をとってあげよう。ジョーの知り合いは特別だ」

 ボビィはジョーと店の奥でダーツを楽しんでいる。


 リリィは考えていた。

 ――あの車を修理して、待ってる時間なんてない。こうしている間もフットプライドがいつ現れるかわからない……。


「……ビフさん。ご面倒おかけして申し訳ありません。本当にありがとうございます。実は私たち急いでいて、待っているわけには。車はまた落ち着いてから取りに来ます。それができない時は処分する形で……」

 リリィはハンドバッグから財布を出す。

「本当にごめんなさい。とても親切にしていただいて、感謝します」

 ビフは痛々しげにリリィを見つめた。

「……そうか」

「駅の場所、教えていただけませんか?」

「ああ。地図を書こう。なぁに近いから直ぐにわかるさ」


 リリィは立ち、ボビィを呼んだ。

 ボビィは俯いたが、確とジョーに別れを告げた。


「ジョーおじさん、楽しかった。ありがとう」

「俺もだ」

 目尻に皺を寄せ、ジョーは応えた。

 ボビィは右手を差し出した。

「助けてくれてありがとう。……また会える?」

「ああ。会えるさ」

 その小さな手を、ジョーはしっかり握りしめた。

 ささやかな友情。

 〝会えるさ〟その言葉を信じて、ボビィは満面の笑みを浮かべた。


 リリィは何度も頭を下げ、ボビィの手を引き去って行った。

 ジョーは静かに店を出る。遠ざかってゆく二人。

 人混みに紛れ見えなくなるまで、ジョーは二人を見送った。

 見えなくなってからも、彼はしばらくそこに立っていた。



 そして静まり返った店内。

 カウンターの椅子に腰を下ろすジョー。

 コップを磨きながら、ビフは彼の表情を窺う。

「ジョー。本当にただの知り合いか?」

「……ああ。道でバッタリの、ただの知り合いさ」

「惚れたのか?」

「いや……そんなんじゃないさ……」

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