第7話 焚き火の炎
焚き火の炎。闇へ消えゆく煙。
お腹いっぱい食べたボビィは口の周りを光らせたままウトウトし始めた。
ジョーの肩にもたれかかるボビィ。
ジョーはその小さな頭をそっと膝まで移し、眠りにつくまで見守った。
そしてリリィに微笑んだ。
申し訳なくリリィは言った。
「……すみません。今日は何もかも」
「濡れたズボンも乾いたな。いいんだ。気にするな。どうやら俺の膝が気に入ったらしい。ギュッと掴んでるよ」
その可愛い手を見つめるリリィ。
「……あ、あの今頃ごめんなさい。私はリリィです。リリィ・ストーン。あなたのお名前は?」
「……ジョー」
ポツリと、ただ〝ジョー〟とだけ答えた。
気まずい静寂に炎がパチパチと揺れる。
リリィは小さく頷き、またボビィを見つめた。
さっきまで、ボビィが彼と弾けるように楽しく話していた。
いつしか緊張も解けていた。
差し出されたコーヒーを一口、リリィは味わった。
――何故だか、この人とはどこかで会った気が……。
「車は明日の朝、見に行こう。今日はもう遅い。休んだ方がいい」とジョーが言う。
「この辺に宿泊できる施設はないんでしょうか」
「今から動いてはこの子がまた疲れてしまう。遠慮しないでいい。このキャンピングカーで良ければ」
「そんな、そこまでお世話になっては」
「困った時はお互い様さ。大丈夫。俺は外で寝る。よくそうしてる」
「どうしてそこまでされるの?」
「夜の森は冷える。風邪を引いては困るだろう。俺も……人に助けられて今がある」
火に小枝を焚べるジョー。
――それに、君のことを俺は知っている……心の中でそう呟きながら。
リリィはカップを置き、膝を抱えた。
――神様どうか、お慈悲を……。
悟られないようにジョーはリリィを見つめていた。
揺れる炎に照らされる彼女は美しかった。森の妖精のように。
この親子に不幸があってほしくないと。
聞かないが、何か大きな問題を抱えているということを、ジョーはしっかり感じ取っていた。
****
早朝。目を覚ましたボビィは、傍らで眠るリリィをしばらく見つめた。
やがて立ち上がり、窓越しにジョーの姿を見た。
食事の支度をしている大きな背中。
気づいたジョーは振り向き、手招きした。
食事を終えた三人は動かなくなった車を見に行った。
ジョーは手を尽くしたが、レッカー移動しかなかった。
「友人のビフが面倒を見てくれる。遠慮しないでいい」
ボビィはリリィの袖を引き、リリィはそれに同意した。
湖畔から街へ下るキャンピングカー。
ジョーの運転は二人を気遣って丁寧だった。
陽が燦々と射し込み、ジョーは胸ポケットを探ったが、サングラスがない。
どこへやったのか……いつもとは違う、平静でいられない自分がいる。
仕方なく予備の一つを使うことにした。
運転も、木目調の整理された室内も穏やかだった。
リリィはボビィの肩を抱き寄せ微笑んだ。
リリィはジョーに訊く。
「……あの、お仕事は何を? 今日は、お時間の方」
午前八時の渋滞を気にするリリィ。
「俺は旅をしている。仕事はビフの手伝いをすることもあるが、今は暇を持て余してる」
ボビィはいろいろ想像していた。
「おじさん、プロレスラーじゃないの?」
「ハハハ……違うよ。そんなんじゃない」
「だってさ、すっごい体デッカいし」
「んん……昔、軍隊で鍛えられたからな」
「へぇ……じゃ、パパと一緒だ。ねぇママ」
「……ええ」
リリィの表情が曇る。
いたわるようにジョーは声をかけた。
「……あんたたち、何処へ行こうとしてるんだ?」
リリィはためらった。
「よかったら、そこまで送るが。車のことも、ビフが何とかしてくれる」
沈黙。それが答えだとジョーは察した。
リリィは深く息を吐いた。
ボビィはジョーの大きな背中を見つめる。
「ジョーおじさんも……戦争、行ったの?」
「ああ。行ったさ……」
それ以上、話せなかった。
体中の傷が疼き、顔を砕かれる悪夢がよぎった。
だがもう叫び狂う事などない。自制の術は得ている。
ジョーは窓を開け、風を入れた。
気づくと外は流れゆく街路樹。
交差点の信号待ちでジョーはルームミラーを傾け、優しく頷いた。
「もうすぐ着くぞ」
緑が茂るスパニッシュ・ハーレム異人館の裏に車を停め、ジョーは降りる。
後部ハッチを開け、バイクを路上に出した。
「少し歩く。ビフの店は繁華街にある。このデカい車はこの辺りに置くしかないんだ」
ジョーの手招き。二人も降りた。
「これはビフに借りたものだから、いずれまたここへ来るつもりだった」
バイクを押して歩くジョー。ボビィもはしゃいで後ろを押す。後に続くリリィ。
彼女はボビィの喜ぶ姿が何より嬉しかった。
そしてジョーの親切を疑う気にはなれなかった。
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