第589話 テンプテーションの見切りは忘れずに
あらすじ:ソフィアリーセとコミュ中。弱気な心情を吐露された。
俺としては、様々なジョブと特殊アビリティ設定が使える自分より、他の皆の方が心配なのだけどな。本来なら火山フィールドの気温に身体を慣らさせる為に何日も使うところを、一気に攻略に取り掛かったのだからな。
まぁ、短期間に色々事件が起こったので、不安になるのはしょうがないとも言える。ただ、上から選択肢を与えられる事もあったが、ここまでの道は俺の意思で決めて進んできた。でなければ、ディゾルバードラゴンとタイマンを張るなんて出来っこないからな。
この辺の思いは、共有しておきたい。そう考えて、ソフィアリーセの隣に移動して、その手を握り締める。伏していた顔がこちらへ向く、その目を見て思いを伝えた。
「不安にさせていたのに、今まで気付かなくてごめん。でも、勘違いしないで欲しいのは、ディゾルバードラゴンと戦ったのは、強要された訳じゃなく、俺の意思だ。聖剣と言う勝算があった事と、レスミアとソフィを守りたかったからだよ」
恋人であり婚約者の2人が最優先である。そこから、2人の身内や仲間達、街の人達と広がって行くので、結果的に街を守る選択になるのだ。領主一族なソフィアリーセは、街から逃げる選択肢も取り難い。ならば、婚約者として俺が頑張るべきだろう。
単純に言い換えると、彼女に格好良いところを見せたかったに集約する。
そんな話をすると、ソフィアリーセは呆気に取られた後、クスクスと笑う。
「それは、単純過ぎないかしら?」
「ははっ! 男なんてそんなもんさ。管理ダンジョンの件もそうだよ。ソフィを喜ばせたいから、ついでに俺もダンジョン攻略を進めたいだけの話さ。複合ジョブを含めて、色々検証して行くのは俺の趣味みたいなものだし、利便性を考えたら近場のダンジョンの方が良いよ。階層が60層と深くなるのも承知の上だ。どの道、フォースクラスの為に80層にもチャレンジしてみたいから、管理ダンジョンの50層と60層なんて、誤差でしかないよ」
「ふふっ!……あはははっ!
流石は街の英雄様ね! ええ、聖剣を持つ貴方なら、きっとフォースクラスに辿り着けるに違いないわ!」
二人きりなせいか、ソフィアリーセは珍しく大笑いする姿を見せてくれた。
大言壮語かも知れないが、レベル70のディゾルバードラゴンを倒せたのだから、多分80層も行けそうな感じがするんだよね。
それに、一度遠出(ルイヒ村)をして分かったのだが、宿に泊まってダンジョンに向かうのも結構疲れるのだ。身体を休めるのは安心出来る家が一番である。他のダンジョンに行く場合、他の街を拠点にしたり、街から遠く離れた場所のダンジョンに行ったりと、気苦労が増えるに違いない。それなら、今の家から通える場所の方が良いのである。
ひとしきり笑ったソフィアリーセは、握っている手を持ち上げると、俺の手に頬を摺り寄せた。その柔らかな頬を撫でると、微笑んだソフィアリーセは目を細める。
「ふふっ……でも、ちょっとだけ嫉妬しちゃうわ。守りたいって話してくれた時、レスミアの名前が先だったもの。
ああ、大丈夫よ。レスミアとは仲良くしているし、結婚するまではレスミアが1番でも良いの。
でもね。結婚した後は、わたくしが第1夫人ですからね。ううん、貴方の1番になってみせるわ」
……っと、我慢だ、我慢!
可愛い事を言うソフィアリーセに、手を出したくなってしまった。いかん、出掛けにマルガネーテさんが危惧した通りになっているじゃないか。自重しないと不味い。嬉しそうに笑うソフィアリーセが、無防備過ぎるのも悪い……〈カームネス〉で頭を冷やしたいが、こういう時に限ってワンドが無い。剣帯やポーチと共に、水浴び前に外したままなのだ。
どうしたものかと、ソフィアリーセと見つめ合ったまま考える……ふと劇の一幕を思い出した。
椅子からスライドするようにして、その場に跪く。そして、頬に当てられていた手を再度握って引き寄せてから、ソフィアリーセの嫋やかな手の甲に、軽く口付けをして気取った声で囁いた。
「仰せのままに、我がプリンセス。一日千秋の思いで、1年後を心待ちにしております」
確か、ミューストラ姫の劇で婚約者の男達が、こんな感じでプロポーズしていたのだ。自分には似合わない行動なので、笑いを誘えるだろうと芝居じみた事をした……のだが、ソフィアリーセは顔を真っ赤にしていた。開いている手を自分の頬に当てて、困ったわとジェスチャーしながらも目に熱が籠っていた。
……あれ? 観劇が趣味なソフィアリーセには逆効果だったか?
いや、好印象になったのなら良い事だけど、この場で良い雰囲気になるのはちょっと不味い。
静かな洞窟の中、心臓の音が気になる程に興奮する。ソフィアリーセも同様なようで、繋いだ手を絡ませ、熱い目を向けて来た。
そんな時、静寂を破る物音がした。それは、テントから出て来るルティルトさんである。
その姿を見た時、冷や水を浴びたかのように冷静になった。繋いだ手をそっと離し、跪いた状態から腰を浮かせて椅子に着席する。
急変した俺の態度に驚いたのかソフィアリーセがポカンとしていたが、小声で「(ルティが起きて来た)」と伝えると、直ぐさま居住まいを正す。そして、コップのジュースを一口飲んでから、後ろへ振り向いた。
「あら? ルティ、お早う。貴女も目が覚めちゃったのね」
「ソフィ、護衛騎士を置いて勝手に行動しないで……起きた時、ベッドに居ないから驚いたわよ」
「ごめんなさいね。ちょっとお腹が空いて、夕食を頂いていたのよ。ほら、こんな時間に食べるのはちょっと恥ずかしいし……ルティもどう? このケーキ美味しいわよ?
ザックス、ルティの分も用意してあげて」
「了解です。ああそうだ。この階層で採れたプラスベリーを混ぜたジュースも作ったから、味見してくれないか?」
「ええ、頂くわ」
ソフィアリーセは、先程の甘い雰囲気など無かったかのように、いつも通りに戻っていた。こういう時は、女性は凄い。よくもまぁ、直ぐに切り替えられるものだ。俺は〈営業スマイルのペルソナ〉の力を借りて、愛想笑いをしつつ、ケーキとジュースを準備した。
ただ、ルティルトさんも女性である。俺とソフィアリーセを遮るように間に座ったルティルトさんは、ジュースを一口飲んでから左右を見てきた。何かを感付いたかのように、若干目が鋭い。訝しむような感じでソフィアリーセの顔を覗き込んだ。
「ベリーの甘みが増えて悪くはないけど、移動中に飲むにしては少し甘過ぎかもね。
……ところで、ソフィ? 良い事でもあった? もしかしてお邪魔だったかしら?」
「……仲良くお喋りして居ただけよ。婚約者との逢瀬ですもの、楽しいに決まっているでしょう?」
「ふ~ん……まっ、一線を越えなければ、私はマルガネーテみたいに煩く言わないわよ。
今更言う必要もないと思うけど……淑女としての醜聞になるから、人前では駄目。だけど、人目に付かない所なら、好きにいちゃつきなさい。キスくらいまでなら見逃してあげるからね」
「キスしている時も、貴女が見張っているんでしょ? 流石に嫌よ」
「それなら、結婚するまで我慢なさい……ザックスもね?」
急に振り向いたルティルトさんは、俺の方にも笑顔を向けて来た。見透かされているのか、先程までのやり取りを盗み見されていたのか分からないが、釘を刺されたのは間違いない様だ。
その後、2人のデザートに付き合いながら、次の階層44層について相談をしておいた。明日の43層後半は、今日のペースなら突破できると思う。ただ、火山フィールドの本番である44層は運が悪いと、何日も足止めを喰らうのだ。テオの従兄であるオルトルフさん(ナンパ師)は、長く44層で苦戦しているなんて話を聞いている。加えて、学園卒業者の新人の死者が多いのも、ここなのだ。
「まぁ、そうだな。ここ第1ダンジョンの最下層である50層よりも、次の44層が困難だと聞いている。
何ヶ月も足止めされた者など貴族の矜持を曲げて、家の者に45層へ連れて行ってもらうなんて話も偶に聞くな」
「どのダンジョンにもある壁になる階層よね? ここだと大角餓鬼の34層と、火山フィールドの44層の事。
文官志望の子なんて、始めから強い護衛騎士にボス階層だけ連れて行ってもらって50層を攻略するから、自力で攻略している分だけマシよ」
そんな訳で、44層でこれ以上進めないなんて状況になったら、俺の案……いつものブラストナックルの力を借りたゴリ押しで進む事を、了承してもらった。この辺の話は、貴族のプライドに関わる話なので結構シビアである。ズルして階層を飛ばすと、例の世襲派に見られるらしいからな。
2人はデザートを食べた後、もう一度寝直しにテントへ戻って行った。
予想外にドキドキする展開だったので、頭を冷やすために内職の銀カード作りに精を出す。単純作業だけど、発注書の枚数事に作らないといけないので、手抜きも出来ない。枚数を間違えないようにストレージのフォルダでも枚数確認をする。
そんな作業をして時間は過ぎて行った。
深夜2時くらいにベルンヴァルトを起こして、夜番を交代。3時間ほど仮眠を取って、5時には起床する。すると、レスミアが先に起きて朝食の準備を始めていた。毎朝、白銀にゃんこを手伝っているだけあって、朝は早いようだ。
「おはようございます、ザックス様。まだ朝ご飯を作っているところなので、もっと寝ていても良いんですよ?」
「おはよう。これをレスミアに味見をしてもらおうと思ってね。それと、朝食に使えそうなプラスベリーの粉末、ヨーグルトに混ぜると結構美味しかったよ」
昨夜作っておいた『氷結樹の実とプラスベリーのジュース』の試作品とプラスベリーの搾り汁、粉末を渡し、ソフィアリーセ達の感想も伝えておく。すると、早速味見をしたレスミアは、料理人の目付きになって品評を始めた。
「私的には美味しいと思いますけど、水分補給と言う観点なら、甘さは控えめな方が良いのも分かります。ただ、薄くしてしまうと……〈詳細鑑定〉!
あっ、やっぱり。バフ料理の『あるある』なのですけど、食材の使う量によってバフの効果も増減する場合もあるんです。薄くすると『火耐性小アップ』に下がっちゃいますね。これは、中アップになるギリギリの分量を調べてみないと。
こっちの粉末は……うん、ラズベリーの味は濃く残っていますね。ヨーグルトに掛ける以外にも、レアチーズケーキに振りかけても彩り良さそうです」
普段、何気なくバフ料理の恩恵を受けているが、細かい調整がされているらしい。料理人の2人には、頭が下がる思いだ。レスミアは朝食まで試作品を作ろうと張り切っている。
「昨日の赤いプラスベリーって、採取出来た量は少なかったですよね? まだ残っています?」
「いや、一袋分しか採れなかったから、それで全部だよ。……はぁーあ……今日も採取地が見つかれば良いけどな」
「ザックス様、朝食が出来たら起こしてあげますから、寝てて良いですよ~」
レスミアが料理を開始する音を聞きながら、テーブルに突っ伏して2度寝をする事にした。
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