第588話 ソフィアリーセと夜会話

 プラスベリーの果汁作りを一通り終えると、身体や着ている装備品まで甘い香りを纏ってしまった気がする。〈ライトクリーニング〉で直ぐに浄化出来るが、折角地底湖があるので水浴びをする事にした。シチュエーションとしては、良いロケーションだもんな。


 川岸で服を脱ぎ、水着なんて無いので全裸で水に入る。冷たいが最初だけ我慢すれば入れそうだ。

 他の皆が寝ているのだから、なるべく音を立てないように奥に行く。奥の壁際まで行っても、ギリギリ肩が浸かる程度である。これなら溺れる事は無いな。軽く潜ってみる。水は澄んでおり、目を空ければ天井のヒカリゴケの光が差しているのまで見える。なかなか幻想的な雰囲気だが、水の中には魚どころか苔も生えていない。実質プールだな。流れはあるが、かなりゆったりした早さ。一番下流まで行ってみると、排水溝に石の格子が付いている。流れるプールかな?

 因みに、石の格子を〈詳細鑑定〉してみたら、【破壊不可】なんて書かれていた。用意周到だ。


 泳ぎ方は身体が覚えて……いや、魂が覚えていたようだ。小中学校ではプールの授業があったので、それなりに泳げるつもりである。音を立て難い平泳ぎで上流まで泳ぎ、そこから上を向いた状態で浮かぶ『背浮き』でゆっくりと流された。浮き輪が無くても、ちょっと浮くコツさえ掴めば簡単なのだ。プカプカと浮かび流されながら、天井のヒカリゴケを見る。うん、満点の星空には敵わないが、ナイトライトみたいなヒカリゴケも悪くない。


 そんな感じでゆったりしていたら、〈敵影表示〉に近付く光点があるのを見逃した。それは、パーティーメンバーを示す青色が一つ。


「ザックス、居ないの? どこに行ったのかしら?」


 ソフィアリーセの声である。お腹が空いて起きて来たのかな?

 俺は河童の川流れをしていたので水音も立てていない。

 こっちに居ると手を振ろうとして、バランスを崩してしまう。その途端に身体が沈み込んでしまったので、慌ててその場で立ち上がった。流されていたせいか、思ったよりも浅瀬側だった。その為、水深は膝くらい。ついでに、水際直ぐの所に来ていたソフィアリーセと目が合った。その目線は、俺の顔から下に向いて行き……顔を赤くしたソフィアリーセは、小さい悲鳴を上げて手で顔を隠す。


「きゃっ! ちょっと、水浴びをしているなら、先に言いなさい!」


 ただし、顔を隠した手の隙間から、ガン見されていた。多分、レスミアから色々聞いているだろうから、興味津々なのだろうけど、この状況を他に見られたら不味いな。ルティルトさんが居たら、誤解されかねない。幸いな事にフィアリーセ1人だけである。ここは、慌てずに平然とした態度で対処した方が良いだろう。変に恥ずかしがると、向こうも騒ぎそうである、


 取り敢えず、ストレージからバスローブを取り出した羽織り、水から出て〈ライトクリーニング〉で身体を乾かした。そして、努めて冷静に〈営業スマイルのペルソナ〉の笑顔で、ソフィアリーセに話しかける。


「おはよう。夕飯を食べずに寝たから、お腹が空いただろう? 今、準備するよ。席に着いて待っててくれ」

「えっ……ええ、夕食ね。お願いするわ」


 テーブルに作り置きの料理を並べる。ストレージのお陰で出来立て焼き立ての暖かさはあるし、火山フィールドなので汁物も冷製スープも用意した。ダンジョン内でも普段と同じような食事が出来るのは、お嬢様達も気に入ってくれている。レスミアとベアトリスちゃんの料理の美味しさも、文句が出ない程度には評価されているようだからね。


 料理をサーブした後は、ソフィアリーセの視界に入らぬようテーブルから離れて着替えをする。まだ夜番は続くので、普段の装備品を〈ライトクリーニング〉してから身に着け直す。いや、ウーツ鋼の追加装甲はいいか。ジャケットアーマーに袖を通し、各所のボタンを留めるのだが……なんか着替え中ずっと視線を感じるな。ボタンを留め終わる前に振り返り、視線の感じる先……ソフィアリーセと目が合った。首をこちらに向けていたのに慌てて食事に戻るのも、覗きとしてもあからさまである。

 ちょっと反応が面白くなってきた。素知らぬ顔で、テーブルに近付いて声を掛ける……ちょっと、顔を赤らめているな。対面に座ると頬に朱が差しているのが見えた。


「ん? お代わり?」

「いえ、まだ十分にあるわ。ありがとう。

 ……ところで、少し聞き難いのだけど……ザックスは着替えを見られても大丈夫なの?

 その、あまりにも平然としているし、隠さないし……」

「男ならこんなものだよ。そりゃ、異性に見られるのは少し恥ずかしいけど、ソフィは婚約者だからね。二人きりなら、隠す事じゃないよ。あ、ルティとかマルガネーテさんには内緒でね」


 人差し指を立てて内緒のジェスチャーをすると、クスリと笑って返された。まぁ、レスミアも俺の筋肉を触るのが好きだしね。婚約者だからセーフって事にしておけば大丈夫だろう(多分)。女が見られた場合は問題になるが、男なんてこんなもんだ。


 ただ、これで騒ぎになる事は防げたようだが、どうもソフィアリーセが何か言いたげである。食事中もチラチラと視線を向けて来るのだ。先程の覗きで気まずいのかなと、様子を見てデザートを用意する。フィオーレも食べていた環金柑とナッツの塩キャラメルタルトだな。寝る前に食べるにしてはカロリーが高いが、体力回復の為と言って提供した。


「昼間、あれだけ歩いたのだから、寝る前にケーキを食べても平気よね?

 ……うん、悪くないわ。複雑な味で、大人に好まれる味ね。もうちょっと、見た目を華やかにしないと、貴族街では通用しないと思うわ。そうね……混ぜてある環金柑を表層に並べて絵柄にするとか」


 ソフィアリーセは白銀にゃんこのメニューも偶に試食してくれるので、こうしてアドバイスをくれる事もある。伯爵令嬢の評価を得られたのなら、貴族街でも売れる商品になるのでベアトリスちゃんやレスミアは重要視しているのだ。


 ケーキを食べて元気になったと思いきや、食べ終わった後に真剣な顔を向けられた。


「ザックス、ダンジョン攻略の話だけど、ごめんなさい。春までと言いながら、攻略を急かせるような事になってしまって……」

「ん? それはエディング伯爵に啖呵を切った俺の責任でもあるような?

 ソフィが気にする必要は無いよ。攻略出来そうだと算段も付いていたし……火山フィールドは聞いていたよりも大変だけどね」


 軽く流したつもりであったが、ソフィアリーセは軽く俯いてしまう。いつものお嬢様然とした様子はなく、しおらしい態度にちょっと驚く。ただ、まだ何かを話したそうな空気があるので、静かに待つ。

 そして、暫しの沈黙の後に、ゆっくりと話し始める。


「わたくしの管理ダンジョンに固執したのは、ザックスとレスミアと3人で学園に通いたい思いもあったけれど、半分は貴族としての矜持があったせいなのよ。

 伯爵家の末娘として生まれたのだもの。その名に恥じぬように、アインスト・フリューゲル勲章(星1つ)の取得を目指していたのよ」


 要はダンジョンを攻略して貴族の身分を得るだけの話であるが、女性の場合はちょっと変わる。貴族の身分を持つ男性と結婚すれば、花嫁は碧翼支援章(ニヒツ・フリューゲル勲章、星無し)を授与されて貴族の身分を保障されるのだ。その為、貴族の奥様の多くは星無し勲章なのである。

 ただ、男が星2つだと貴族の中で一目置かれるように、女性の社交界の中では星1つで有力者と見られる。領主夫人であるトゥータミンネ様や、トルートライザ様は勿論所持しているし、上位貴族のご婦人ならば星1つを欲しがるものなのだ。

 貴族生まれの子女でも、ダンジョン攻略を目指す者が少なくないのは、こういった背景があるのだった。むしろ、身分が低い者程、上位貴族へ嫁ぐアピール手段としてダンジョン攻略を目指したりもする。


 ソフィアリーセの場合は伯爵家生まれなので、当然ダンジョン攻略を目指すように教育をされている。末娘な為、婚約先が決まるのは遅かったが、ザクスノート君と決まった後は勉学と学園ダンジョンに励んだ。いまいち反りが合わなかった婚約であったが、早々に学園ダンジョン30層を攻略したのは、ザクスノート君への『領主夫人として、星1つを取れるくらいの努力をしているわ』と、アピールする為でもあったそうだ。

 ただし、ザクスノート君は訓練中の事故で他界し、俺に成り代わる。それなりに仲良くなり、お爺様にも認められて正式に婚約者になったと思ったら、領地防衛戦が起こったのだった。


「あの巨大なディゾルバードラゴンに、一人で立ち向かうなんて……レグルス殿下やお父様が承諾なさった作戦なので、わたくしは口出しする事も出来なかったけど、本当は凄く怖かったのよ。

 また、婚約者が死んでしまうのかと……」


 そして領地防衛戦後、管理ダンジョンの処遇を巡り父親のエディング伯爵とも喧嘩をしてしまう。自分の管理ダンジョンだからと所有権を主張したのだが、結果的に第1ダンジョンに攻略期限が付く結果となってしまった。

 この行動を後で振り返って後悔したそうだ。


「ザックスに無理をさせ過ぎているのではないかしら?

 先のディゾルバードラゴンでは街の命運を任せてしまったし、ダンジョン攻略の期日まで狭めてしまったわ。

 貴方は優しいから、何でも受け入れてくれるけれど、無理な時は無理と言って。

 もう、婚約者を失うのは嫌なのよ……」


 どうやら、火山フィールドの過酷さを体感して、弱気になっているようだ。

 さて、どう元気付けたものか?

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