第393話 完売
翌朝、1の鐘(4時)よりも、前に起きた。今日は白銀にゃんこの休み明けでケーキ販売の初日である。昨日、宣伝を頑張り過ぎた影響もあるだろうから、気になって仕方がないのだ。
手早く着替えてから外に出る。まだ日の出には遠く、真っ暗な冬の早朝は十分に寒い。吐く息が白くなる程ではないので、厚着をしていれば大丈夫であるが、そろそろ暖房が欲しくなる気温である。家にはレトロチックな煉瓦の暖炉があり、使うのが少し楽しみだったんだよな。エアコンやファンヒーターの方が暖かいのだろうけど、家の中で焚火が出来るのは良い。炎が揺らめく様を見ているだけで、癒されるのだ。ストレージがあるので、火を起こす事は偶にしかないけど、ダンジョン内だと排気とか後始末を考えなくても良いのが楽。
レスミアは寒いのが苦手なので、早々に暖炉を付けたがると思ったのだが、別の暖房器具を使っているので平気らしい。それは、砂漠で採取した陽光石である。魔力を少しだけ込めると、一定時間の間だけ発熱する懐炉みたいな物だ。女性陣は、それを巾着袋に入れて、朝晩の寒い時に湯たんぽとして使っているそうな。
それでいて、数日は使用出来、使うごとに小さくなって最後には消えてしまうのでゴミも出ない。エコな商品である。取れるのが砂漠でなけりゃ、良い商品になったかもしれないのにな……砂漠の中心まで採取に行くのは面倒なのだ。
家の外に出ると、離れである白銀にゃんこの店舗に光が灯っているのが見えた。まだ、開店前なので、女性陣が準備に追われているのだろう。手伝える事が有るか、聞いておくか。そちらへ足を向ける途中、ふと思い至り生垣の隙間から通りの方を覗いてみた。すると、既に行列が出来ているのが見える。10人、20人どころではなく、その倍は並んでいるように見えた。
……元々銀カード目当てに、朝一から行列が出来ているとは聞いていたけど、多過ぎじゃね?
銀カードの販売を倍にしても、焼け石に水な気がして来た。いや、ケーキ目当てのお客さんも居ると思うが……取り敢えず、裏口から店の中に入る。すると、中ではメイドトリオが開店の準備に追われていた。挨拶をすると、各々返事を返してくれる。
「おはよ~、外見た? 外! まだ、勝手口も空いてないのに、凄い人だよ!」
「おはようございます。トリクシーが冷蔵の魔道具をケーキでいっぱいにしてますけど、もしかしたら全部売れちゃうかも、ですねぇ」
「容量の限界値は実際に入れて確かめてみないとね。
おはようございます、ザックス様。大型の冷蔵魔道具には、3種類のホールケーキが全部で48個。切りが悪いので、母屋の冷蔵庫に入れていた2個も合わせて計50個。切り分けて500人前用意しました」
大型冷蔵庫の扉を観音開きして、見せてくれたのだが、圧巻である。1段に4ホール、それが6段2列あるので、計48ホール。1ホールは10等分して販売するので、追加の2ホール分も合わせて500個。アドラシャフトから輸入した乳製品と、ダンジョン産のベリー系をふんだんに使い、更に料理人ジョブが作ったのでバフ付き。それらの付加価値から、値段は1個2000円である。
仮に完売したとなると、それだけで売り上げが100万円。焼き菓子を売っているだけよりも、数倍多い。これでも単価は貴族街よりも安くしたんだけどね。
「既に、知り合いの貴族のお客様、3名から1ホール丸ごとの予約を頂いています。これは既に箱に入れてあるので、間違えて販売しないように……あっ! 先にスタンプカードも全部押したのを用意しておいて」
「はいはい、にゃんにゃん肉球スタンプね~」
ベアトリスちゃんが指示をすると、フロヴィナちゃんがにゃんにゃん言いながらスタンプを押す。ルティルトさんデザインの名刺サイズのカードで、裏面には肉球判子を押す所が10箇所。
ポイントカード1枚分溜まると、お好きな焼き菓子と交換出来る。
2枚ならお好きなケーキ1個。
3枚なら〈ライトクリーニング〉の銀カードの購入権(1万円)。
4枚で銀カード半額(5千円)。
5枚で銀カードプレゼント。
※お一人様のケーキ購入可能数は、10個まで。
いや、最後のは制限を掛けておかないと、いきなり50個まとめ買いする人が出かねないからね。
この詳細を書いたポスターを掲示したのが4日前なので、当初はここまで大事になるとは思いもしなかった。昨日の宣伝のお陰か? いや、勝手口が開いていないので、貴族街からは中央門を通って来ないと店には辿り付けない。その為、貴族街からのお客は、現状では少ない筈。
これは、開店と同時に、勝手口から来る人が増えて混むな。
「ケーキは全部、ケーキ箱に入れて販売するんですよね?」
「うん、お会計の時に箱代も忘れないようにしてね」
「了解、先に箱を組み立てるよ」
「レスミア、俺も手伝うよ」
ケーキ箱に関しても、以前は1種類しかなかったが、小さいのや1ホール丸ごと入る大きい物まで創造調合して、レシピ登録済みである。持ち帰りのケーキと言えば、この箱だからな。白銀にゃんこのロゴを入れてあるので、どこで買ったのか宣伝も出来る代物だ。
皆で準備を進めていると、1の鐘が鳴り響いた。開店である。
店の木製の鎧戸を開けると、外で列の整理をしていたフォルコ君が先頭のお客さんを誘導した。最初の方に並んでいる人は、みな銀カード目当てである。そして、フォルコ君が事前に説明していたのか、11番目以降のお客さんは銀カードの販売枚数が増えた事に、喜んでいた。
「早起きして並びに来たのに11番目で、大人しくケーキだけ買って帰ろうなんて考えていたのよね。今日から枚数を増やすなんて、付いていたわぁ。あ、ケーキも頂くわよ、トリプルベリーのケーキと、生クリームチーズケーキを5つずつ、あとクッキーも3袋下さいな」
「はい、いつもありがとうございます! スタンプが1枚分溜まりましたので、どうぞ~。頑張って貯めて下さいね!」
常連のメイド長らしきおばちゃんが、購入上限まで買って行ったように、早くから並んでいる人は沢山買って行ってくれた。ありがたい事であるが、バックヤードではケーキの箱詰めが忙しい。ケーキの扱いに慣れているレスミアとベアトリスちゃんが箱詰めを担当し、俺は箱の組み立てや判子押しの雑用をこなした。いや、スポンジケーキって、柔らかくて崩しちゃいそうなんだよ。
そして、開店から遅れる事5分、貴族街への勝手口が開いた。門番の騎士さんが貴族街側に向かって何か声を掛けている。何かあったのかと心配していると、先頭にメイド服を着た猫が現れた。
通い猫のスティラちゃんは、こちらの列の状況を確認してから振り返り、ぴょんぴょん跳ねながら、声を張り上げた。
「やっぱり、行列が出来ているにゃ! ケーキを買いたい人は、列の後ろに並んでね! 緑と赤の縞々の生垣沿いに並ぶんだよ~! あ、走ると危ないニャ!!」
身振り手振りで誘導する姿は愛らしく、貴族街から来た人達は大人しく誘導に従っていた。唯一、抜け駆けをしようと走り出した人も、注意されると罰が悪そうな顔をして、元居た列に戻って行く。
勝手口からは続々と人が並んで入って来た。最初に門番が注意していたのは、このためか。確かに、この人数が雪崩れ込んだら、怪我人が出そうだからな。
こうして、行列は延長されていったのだった。
「申し訳ありません! 本日のケーキは売り切れです!!」
開店から2時間ほどで、用意していた500個のケーキが売り切れてしまった。フロヴィナちゃんが、声を張り上げると、周囲からは落胆の声が漏れる。それを聞いた列整理担当のスティラちゃんとフォルコ君が、まだ並んでいる行列の後ろの方へと声を掛けに行く。
「ケーキは売り切れにゃ~。また明日来てにゃ!」
「この行列じゃ、仕方ないわねぇ。私も早起きして来るべきだったわ」
「はい、十分な数が用意できず、申し訳ございません。焼き菓子の方であれば、まだありますので、宜しければお買い求め下さい」
「今日のおやつはケーキのつもりだったのに……まぁ、ここの焼き菓子も美味しいから、いつものマドレーヌにしよう」
皆さん、口々に残念そうにしながらも、帰っていく人、そのまま並んで焼き菓子を買い求める人は半々と言ったところである。朝の営業は2の鐘(7時)まで。残りの1時間は、普段よりもちょっと多い程度の客足で終わるのだった。
「ねー、朝ご飯はまだ~? ギターの練習になるのは良いけど、良い匂いがしてお腹減った~」
「はいはい、もう出来ますよ。フィオーレは、このパン籠を持って行って……あ、摘まみ食いしない!
もう……トリクシー、ケーキ作りは切りの良いところまでにして、私達も朝食にしましょう」
「私は適当に摘まむから、先に食べてて良いよ」
「はい、駄目です。フィオーレの演奏で体力が回復しただけですから、ちゃんとご飯は食べないと」
キッチンからそんな会話が聞こえてくると、フィオーレがパン籠を抱えてダイニングへとやって来る……ロールパンを咥えたまま。それに次いで、スープ鍋を持ったベアトリスちゃんが、レスミアに背を押されて来た。ちょっとだけ口を尖らせているのは、無理やり連れて来られたせいか。
まぁ、レスミアが心配するのも無理はない。ケーキが完売した事に、喜びで涙ぐんだベアトリスちゃんだったが、
皆が揃ったところで、朝食となった。
いつもなら大人しい方のベアトリスちゃんであるが、今日に至っては様子がおかしい。俺やレスミアと一緒にマナー本を読んでからは、貴族の所作を真似て、優雅に食事を食べるのを心掛けていた。しかし、今日はスープで流し込む様に、ガツガツと食べ、あっという間に間食し「ではお先に、ケーキ作りに戻ります」と言って、キッチンに戻って行ってしまったのだ。
昨日もケーキ作りに燃えていたけど、今日は輪をかけて酷い。いや、情熱があるのは良い事であるが、根を詰めすぎじゃないか?
その辺を皆にも意見を聞いてみると、フロヴィナちゃんは苦笑いを返した。
「あはは~、アレはしばらく、ほっとくしかないよ。作りたくて仕方がないって顔してたもん。
昔っから、偶にあったんだよね。新しいオリジナル料理を考えた時とかさ」
「トリクシーなら、今日一日あれば明日の分のホールケーキ50個は作れると思います。でも、それに加えて焼き菓子の補充分とか、昼食と夕食の準備をするのは大変ですね。無理をしているのも忘れて、作ってしまいそうな勢いですけど」
「……あ、今日はダンジョン行くんでしょ? それなら、〈癒しのエチュード〉は帰って来てからだね」
両手にパンを持って、交互に食べている食いしん坊スタイルのフィオーレは、エアギターのような仕草を見せた。
昨日の夜からであるが、ギターのリハビリで祝福の楽曲を引く際は、体力の回復効果のある〈癒しのエチュード〉でお願いしておいたのだ。その為、ウチのメンバーの疲れは取れやすくなったと思う。ただし、夜遅くまで弾いていたせいで、レスミアに怒られていたようだけど。今朝も、いつ起きて来たのか知らないが、演奏していたようである。
「レスミア様も料理を手伝えるのは休みの時だけですからね。今日の売り上げが続くようであれば、料理担当を増やしても良いかも知れません」
「ん~、私は反対かな? まだ初日だよ、もうちょっと様子を見た方が良いと思う。
それに、売れているのがケーキだからね。女の子的に、毎日食べていたら1週間もしない内に太っちゃうよ。
ほら、今日だけで、スタンプカード3枚揃えた受付嬢のお姉さん達居たじゃん?」
フォルコ君とフロヴィナちゃんの意見が対立した。そして、フロヴィナちゃんが言っているのは、3人の友達同士で10個ずつケーキを購入し、銀カードを購入していったギルド受付嬢達の話である。銀カードで〈ライトクリーニング〉を3回使えるので、1回ずつ分けて使うらしい。
面白い発案だと思うが、問題は1人10個、1ホール分のケーキである。単価が高いので差し入れには使い難い。家族で食べるにしても1ホールは多いよな。一人で食べ切るのはフィオーレくらいなものだ。
まぁ、ギルド職員なら沢山お給料も貰っていそうなので差し入れするのにも抵抗はないかも知れないが、同じ考えの受付嬢が何人いる事やら。見覚えのある受付嬢さんが何人も居たからなぁ。
話し合いは続いたが、議論は平行線である。結局、オーナーである俺が判断する事になった。貧乏くじな気もするが、責任者なのでしょうがない。
「料理担当を増やすにしても、まずは身内からだな。レスミアは今まで通りとして、フロヴィナは手伝えないか?」
「あ~、料理は得意じゃないからね~。家庭料理程度なら兎も角、お店で出せるくらいの出来栄えは無理だよ。それに、午後から店番があるし、フィオの衣装も作らないとだし!」
やりたくないと言う意思は良く伝わった。
フォルコ君は店長業務で裏方全般を行っているうえ、アドラシャフトへの運搬、連絡係もしており、忙しい。ベルンヴァルトは戦闘要員だし、フィオーレも同じく「アタシは串に刺して、焚火で焼くだけしか出来ない! よく焦げる!」論外っと。
最後に、バイトであるスティラちゃんに目を向けると、少し困った顔で両手の×を作った。
「私も家族に作るくらいなら良いけど、お店で販売する商品は止めた方が良いにゃ。
ほら、偶に毛が入っちゃう事があって……」
……もふもふにも弱点があったか!
おっと、しゅんとした猫ちゃんも可愛いとか思っていないで、フォローしておかないと。丁度、スティラちゃんからリスレスさんの事を連想して、伝手があった事を思い出した。
「いや、スティラちゃんにはリスレスさんに伝言をお願いしたいんだ。
以前、カフェに増築しないかって話の時に、従業員の斡旋もあったよね?
調理担当を1名、斡旋してもらえるように、頼んできてくれないか。料理人ジョブでなくとも、ケーキやお菓子作りの心得がある女性が良い。最悪、見習いでも可で」
「了解だにゃ! 午前中は空いているから一旦帰って相談してくる!」
念のため、条件諸々をメモした紙を渡しておく。
ウチのケーキはバフ付きなのも売りなので、料理人ジョブの人が最良だけど、必須ではない。それと言うのも、料理人が半分以上の調理をしたうえで、仕上げをすればバフ付きになるらしい。(レスミア調べ)
その為、下働きに材料の下拵えを任せても良いそうだ。言われてみると、妙に納得できた。そりゃ、貴族に召し抱えられるような凄腕料理人は、野菜の皮むきとかまで全工程を熟す訳はないよな。弟子とか下働きに任せるわ。
取り敢えず、お菓子作りの手伝いが出来る人員ならばヨシ!
お給料などの細かい条件は要相談として、フォルコ君に任せておいた。
「私はブラックカードの納品にアドラシャフトへ行って来ますから、返事は明日でお願いします」
「はーい!
ご馳走さまでした。それじゃ早速、リース姉ちゃんに相談して来るにゃ。今日の混み具合だと、早い方が良いもんね!」
食事を終えたスティラちゃんは、行って来ますと手を振って出かけて行った。流石姉妹、行動が早いのはリスレスさんと一緒だな。
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