第256話 門前サンプリング

 遠くで鐘の鳴る音が聞こえた気がしたが、眠気に負けてそのまま寝てしまう。



 ゆさゆさと揺さぶられて、気持ち良い2度寝の微睡みから、意識を引っ張り上げられた。


「朝ですよ、ザックス様~。今日は、朝一でお菓子配りですよ~」


 そんな声と共に、急に冷気が訪れた。寒さに温もりを求めて手を伸ばし、温かい何かを抱き締める。


「キャッ……もぅ、寝惚けてないで、起きて下さーい!」


 柔らかく温かい枕から、頭を叩かれてようやく目が覚めた。ただ、昨日遅くまで調合していたせいか、まだ眠い。寝ぼけ眼で顔を上げると、すぐ近くにレスミアと目が合った。


「おはよ。柔らかくて良い匂いと思ったら……もうちょっと、このままで良い?」

「え?! あんっ!」


 答えは聞かずに、レスミアの肩に顔を埋め、抱き締めた。腕の中の、温かく柔らかな感触が心地良く、手放したくなかったのだ。すると、優しく頭を撫でられた。


「少しだけですよ。ザックス様は、いつも頑張り過ぎてますから……」


 そんな子守唄のような優しい声と温もりに包まれて、あっという間に眠りに落ちた……



「ザックス様? ザックスさま~、寝ちゃ駄目ですよ…………起きなさい!!」


 頭に強い衝撃を受けて、今度こそ目が覚めた。抱き締めていた温もりがするりと逃げて離れていき、ついでに下半身に掛かっていた掛け布団まで剥ぎ取られる。


「そろそろ、勝手口が開く時間です。みんな準備していますから、ザックス様も着替えてくださいね!」


 掛け布団をたたみながら早口に言うと、そそくさと部屋から出て行って……いや、扉を閉める前に顔を半分だけ覗かせている。部屋の明かりで、顔が赤いのがよく見える。目が合うと「エッチ」と呟き、逃げる様に去っていった。


 ……可愛すぎだろ!

 やばい、寝惚けてなかったら、押し倒してしまいそうだ。まだ理性がある方だと自負していたのに、あんな顔されたら決壊してしまいそう。


 湯だった頭を冷やすため、窓を開けた。夜明け前の暗い空から、ひんやりとした風が入って来る。11月に入り、冬の足音が聞こえてくるようだった。



 いつものジャケットアーマーではなく、少し地味目の貴族服に着替えを済ませて、家を出た。離れから道路側には出られないので、一旦門から出て、大回りする必要がある。時刻は既に5時なので、店前に急ぐ。勝手口の門では、出勤が早い人が通っている頃だろう。


 街の眠りを覚ます1の鐘(早朝4時)、勝手口の使う使用人の多くは、この鐘の音で目を覚ます。仕えている貴族が起きるよりも先に出勤して、仕事を始めるからだ。


 お菓子屋『白銀にゃんこ』としては、その出勤途中の人を狙う。時間のない朝でもサッと買えるのが、対面販売の利点だ。目指すは、コンビニのような気軽さかな? 



 赤と緑のストライプな植垣の横を通り、角を曲がれば直ぐに店前に着く。そこでは、いつもと違うフリフリの(改造)メイド服を着た、レスミア達がいた。門の前に並んで、道行く人達にお菓子の入った小袋を手渡している。


「明日の朝、開店です! お試しのお菓子をどうぞ!」

「まぁ! 気前が良いお店ねぇ」

「スタミナ回復の効果付きですから、休憩中にでも食べて下さいね」


「へー、お菓子屋かぁ。通り道に在るのは良いけど、味次第かな?」

「ギルドのお菓子依頼でも好評ですから、味は保証しますよ!」


 こういった試供品を配るのが珍しいのか、皆さん驚きながらも、受け取ってくれている。ただ、おしゃべりが好きそうなオバちゃんがアレコレと話し始め、井戸端会議の様相になってきた。

 そのせいで、少し流れが悪い。行列になり始めた所で、大声が上がった。


「はいはい、止まらないで! 門を通る人は通りなさい!」

「おしゃべりする人は横に退いて! 朝番の人は、仕事に遅刻するわよ!」


 門番の騎士が注意すると、再び流れ始めた。


「あ、袋の中にチラシも入っているよ~。詳しくは、そっち見てね~」


 フロヴィナちゃんが補足するように声を上げると、レスミア達も真似て、軽い宣伝に留めたようだ。流れが早くなるが、人通りもどんどん増え始める。

 俺も配布用のお菓子を満載したバスケットを取り出して、配るのを手伝った。こういう時は、貴族の笑顔を練習しておいて良かったと思う。




 それから1時間半程過ぎた。

 人通りのピークは5時半から6時、それからはガクッと減る。以前調査したフロヴィナちゃんによると、次に混むのは15時以降らしい。帰宅ラッシュかな?


「あ~、終わった~。お腹も空いた~」

「う~ん、大体は受け取ってもらえたけど、明日の開店にどれだけ来てくれるのかしら?」

「ふふっ、トリクシーは、気にし過ぎですよ。あれだけ盛況だったんだから、大丈夫、大丈夫!

 ザックス様、私達も戻って朝ご飯にしましょう」

「ああ、先に戻っていてくれ。俺は挨拶していくから」


 門番の女性騎士にも迷惑を掛けたので挨拶に行くと、既にフォルコ君が『明日も宜しく』的な事を話していた。店長に任せても良いけれど、俺も一応オーナーだからな。立哨しながらでも食べられるお菓子を差し入れしてお願いすると、2つ返事で快諾を得られた。


「アタシの親父が貰ったお菓子も、美味しかったからね!

 今日くらいの騒動なら、手伝うさ!」


 なんと、一昨日挨拶したオジさん騎士の娘さんらしい。お土産として渡したお菓子から、ここの美味しい状況を色々と聞き出し、ローテーションを変えてもらったそうだ。


 ……オジさん、フラグを立てるから。いや、お土産を渡したのだから自業自得か?


「あの、明日は販売するのですよね? 今日のように、門の前を遮らないようにお願いします」


 もう一人の女性騎士が、おずおずと言った。

 確かに店の前の道路は、そこまで広くない。お会計とかで時間が掛かると、店の前に行列になるかも知れないな。


「それなら、木のポールにロープでも張りましょう。店の生垣沿いに並んでもらえば、行列の向きも制御出来ると思います」


 店の前で、身振り手振りで解説すると、納得してもらえた。フォルコ君は明日までに出来るか心配していたが、〈メタモトーン〉で三脚モドキを作るだけだ。レベル上げの休憩中にでも作っておくと言うと、何故か呆れられてしまった。




 朝食後、ダンジョンギルドへと出発した。ベアトリスちゃんはリキュールを作りたいらしくお留守番。それというのも、料理人をレベル20にしても、覚えるのはランク0の便利魔法のみ。ダンジョンなら便利ではあるが、家の中の仕事がメインのベアトリスちゃんにとっては、それ程必要でもないらしい。


 それに、装備品が3人分無いという問題もあった。

 いくらアドラシャフト家の執事服とメイド服といっても、下級使用人用なので、仕立てが良くても普通の服だ。ダンジョンの戦闘に耐えられるような頑丈さはない。護衛はするけれど、万が一を考えたら防具は必須だ。

 その為、フォルコ君は俺のお下がりのソフトレザー一式。フロヴィナちゃんはレスミアのレザードレス一式。そして防御に専念出来るようにソフトレザーシールドも装備させた。


 いや、予想以上にフロヴィナちゃんが、怖がりだったんでね。顔を隠せると、少しは安心するっぽい。今も、ギルドに行く道すがらだというのに、レスミアにくっ付いている。


 今日の目的は、フォルコ君のレベルを25にして、領地間移動出来る〈トランスポートゲート〉を覚えることである。俺達の最前線である25層には、赤い変なのがいるので、流石に心配ではある。流れ弾(ダイスマジックの実)とか、丁半博打で身包みを剥がされるとか……

 そのため、フォルコ君にもシールドを持たせた。元血塗れの盾(ライトクリーニングで洗浄済み)だけど、呪われている訳でも無いので問題ないだろう。多分。




「う~ん、金柑の爽やかな香りと、甘さは申し分ないです。断面見た目も、まずまず綺麗……もうちょっと華やかさがあると、貴族向けに出せると思いますよ。

 ギリギリ、合格としましょう」

「わぁ、ありがとうございますー。環金柑のロールケーキ3本、納品しますね! ついでにお店の宣伝もお願いします!」

「もう第2支部の女の子は、皆知っていると思うわよ?」


 クスクスと笑うアメリーさんも、宣伝に協力してくれているので、今更だな。


 日課のお菓子納品である。ロールケーキを切り分ける時、上手く金柑の入っているところを切ると、綺麗に見える。丸いオレンジ色の金柑と生クリーム、スポンジで三重の円が作られており、十分綺麗と思うが、お貴族様的には足りないらしい。



【食品】【名称:環金柑のハチミツロールケーキ】【レア度:D】

・甘く煮詰めた環金柑を、生クリームとスポンジで包んだケーキ。スポンジにはハチミツが使われ、しっとりとした柔らかさで焼き上げられている。

・バフ効果:状態異常緩和 微小

・効果時間:10分



 昨夜、俺が瓶の調合に行った後、キッチンで環金柑のお菓子として作ったらしい。新しい食材だからといって、張り切り過ぎではないだろうか?

 楽しそうなので構わないけどね。

 そして、バフ効果は緩和……マロンクリームクッキーだと極小だったので、あっちよりは効果が高いと思うが、状態異常に掛かっている時にお菓子を食べる余裕はないだろう。この手の効果は事前に食べておいても、効果時間内なら予防にもなるので、やはりボス戦前のお茶受けが適当か。

 


 報酬を受け取り、ダンジョンに向かおうとしたところで、アメリーさんから呼び止められた……ベルンヴァルトが。


「そちらのベルンヴァルトさん、戦闘系のジョブでレベルが25を超えましたので、簡単な講習を受ける必要があります。15分程で終わりますので、少しお時間頂けますか?」

「お? 今日はレベル上げだから急ぎはしねぇが……リーダー、どうする?」

「それくらい、構わないよ。ところで、ベルンヴァルトだけなんですか?」


 自分を指さして、俺は受けなくていいのか? と聞いてみたところ、アメリーさんも困惑した様に首を傾げた。


「ザックス様とレスミアさんは、元々レベル28ですよね?

 前の所で、ええと……ランドマイス村のギルドで講習を受けたのでは有りませんか?」


 ……記憶にない。

 レスミアも知らないようで、首を振っている。


「レベルが上った頃はカボチャ討伐直後で、慌ただしかったですからね」

「あ、そうか。騎士団が来てからは、フノー司祭も調査に駆り出されていたな。忙しくて忘れてたのか?」


 大分、大雑把な人だったからなぁ。なんて、レスミアと話していたら、アメリーさんが殊更笑顔を深めて、何やらメモしていた。


「担当はフノーという方ですか……アドラシャフトの本部に苦情を入れておきますね」


 本人の素知らぬところで、フノー司祭の評価が下がりそうだ。まぁ、そんなことを気にする珠ではないだろうけど。

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