第2話 プロローグ
これは、俺が初めて、この世界に来た時の記憶である。
気が付くと、光の柱の中を落下していた。空から落ちるのではなく、水の中に沈んでいくような速度だ。
状況を思い出そうとしても思い出せない。周囲を確認するも、手や足どころか体の感覚も無い。視覚があるだけで瞬きすら出来ない。視覚は少し動かせるようなので、周囲を観察する。
更に落ちて行くと雲を抜け、下の様子が見えるようになってきた。日に照らされる大地が見える。平原を流れる川沿いの街に、光の柱は降りて行くようだ。
周辺を見ると森や山も見えるが、目立つのは都市周辺の穀倉地帯(稲ではなさそう、麦か?)や、牛らしき生物の牧場だ。
記憶も思い出せないのに、見たことがない風景だなあ、などと考えていると、下から光の玉が上がってきた。光の玉は俺にぶつかることなく、すれ違い、そのまま上昇して行った。
すれ違う際に、咄嗟に会釈をしようとしたが、体が無くて出来なかった。なんか間抜けな状況だが誰も見てはいないだろう。
更に降りていくと街の様子が見える距離になってきた。光の柱は街の一角にある一際大きい屋敷に続いている。そして、その周囲では多くの街の人がこちらを見上げたり、指をさしたりして何か話している。
この光の柱は見えるタイプだったか、大事になっていそうで怖いな。現状見ているしか出来ないけれど……。
屋根にぶつかるまで降りてきたが、そのまま透過して屋敷の中に降りていく。部屋の中には大勢の人がベッドを囲んでいた。そのベッドには、死人と見紛うくらい顔色の悪い青年が寝ている。俺はその青年に吸い込まれるように入っていった。
身体に痛みを感じて目を開けると、多くの人に囲まれていた。
「奇跡が起こった!」、「ザクスノート無事か!」、「よかったー」、「お兄様、よくぞご無事で……」
次々と声をかけられるが、頭が混乱してどの声にも反応出来ない。ただ、そのどれもが、見覚えの無い顔である。
反応が薄い俺に対して、正面にいる壮年の男が心配そうに声を掛けてくる。
「ザクスノート、どうした、声が聞こえていないのか?」
その言葉でようやく、『ザクスノート』と言うのが、俺の名を呼んでいるのだと気が付いた。しかし、まったく馴染みの無い語感であり、心に響かない。それどころか、自分の本当の名前すら思い出せない事にショックを受け、素で返してしまう。
「……ええと、俺の事ですか?
すみません、記憶が無い様で……」
部屋がしんと静まり返った。
正面に居た壮年の男は目を瞑り、歯を食いしばっている。しかし、それも数秒の事、目を開いた時には、平然とした表情で、周囲に指示を出した。
「ザクスノートは混乱しているようだ。状況を説明するから、家族とエヴァルト司教以外は退室してくれ。護衛も不要だ」
その言葉に従い、殆どの人は困惑した表情を浮かべているものの、指示に従って退室して行く。
残されたのは3人の男女に、2人の子供だけ。それを見届けると、壮年の男はベッドの脇にある椅子に腰掛け、話し始めた。
「では状況の整理といこう。お前の名前は、ザクスノート・アドラシャフト。16歳である。
私は、この領地を治めるアドラシャフト家の当主、ノートヘルム・アドラシャフト伯爵だ。お前は私の嫡男に当たる。
反対側にいるのが、お前の母であるトゥータミンネ、妹のトゥティラ、弟のアルトノートだ。
どうだ、見覚えはあるか? 何か思い出さないのか?」
「ザックス思い出して」、「お兄様、嘘だよね、覚えているよね……」、「兄上……」
ベッドの反対側から、息を吞むような美女が手を伸ばして来て、涙ながらに訴えかけてくる。そのすぐ横には、中学生くらいの女の子と、更に幼い男の子がベッドのシーツを握りしめていた。
しかし、家族と言われても、ピンと来ず、首を横に振ってしまう……女性と女の子が悲しそうに表情を歪めた時、反対側の父親、ノートヘルムさんが話を引き戻した。
「続けよう、今年の4月に貴族学園に入学し、この夏の休暇で帰省している最中だ。
そして今日の午後、乗馬訓練中に落馬、頭を強く打って意識不明だった」
言われてみると、確かに首が少し痛む。手で首元をさすっていると、教会の神父のような服装の人がベッドに近付いて来た。彼は右手に光る紋章を出しており、それを俺に見せるように掲げる。
「まだ痛むかい? 〈ヒール〉!」
紋章……いや、魔法陣と形容した方が良いか?
手のひら大の魔方陣から光が溢れ、俺の身体へと降り注ぐ。すると、痛みが嘘のように感じなくなった。
「痛みが引いていく、ありがとうございます」
「私はエヴァルト。ノートヘルムの元仲間で、今は教会の司教だ。君が重体と聞いて癒しに来たのだが、回復魔法を掛けても意識が戻る気配が無かったのだ」
「うむ。ザックスをベッドに寝かせ、別の治療法がないか話し合っていたところ、ベッドの周囲が光の柱に包まれたのだ。突然の光に、誰か何かしたのかなどを確認していたが原因は分からなかった。光の柱がどこに続いているのか、執事に確認に行かせたが天井を抜けて空に続いていることが分かった程度だ。
5分ほど経った頃か、今度はザックスの胸のあたりから黄色い光の玉が出て上に浮かんで行った。さらに5分後、白い光の玉が屋根の上から現れ降りてきて、ザックスの胸の辺りに入り込んでいった。
そして、ザックスの目が覚めたのだ」
光の柱の話を聞いて、記憶の線が繋がった。つい先ほど、自分が光の柱の中を降りてきたことを思い出したのだ。そして、断片的ではあるが、自分が日本の大学生だった頃の……前世の記憶も思い出した。
混乱していた頭が、落ち着き始めた。自分が何者であったのか確証を得たので、地に足が付いたようだ。
取り敢えず、現状の情報を元に、状況を分析する。
自分が青年の身体に入って目を覚ました。そうなると空に昇って行った黄色い光の玉はザクスノート君の魂なのだろう。これはノートヘルムさんに告げた方がいいのだろうけど、ノートヘルムさんからすれば息子の体を乗っ取った、得体のしれないやつの話を信じてくれるだろうか?
では、この身体を乗っ取っている状況で今後どうするか?
記憶喪失の振りをしてザクスノート君に成り代わることも一瞬考えたが、無理だと判断する。実際の記憶喪失は知らないが、映画や小説などの創作では日常知識は残っていることが多かった。先ほどの回復魔法があるような世界の常識など自分には分からないので、ありとあらゆる事を質問して覚えて行かないと日常生活すら送れない。不自然過ぎる。
それに、一番重要なのが罪悪感だ。成り代わればノートヘルムさん一家は無事を喜ぶだろうが、俺には今後ずっと家族を騙しているという罪悪感が付きまとう。小市民な俺ではいずれ押し潰されてしまうだろう。
日本人的な考えかも知れないが、黄色い光の玉はザクスノート君だったことを告げて、お別れをさせてあげた方が良いだろう。お葬式は遺族が心の整理を付けるのに、必要な行事なのだ。有耶無耶にしてはいけない。
……幸いノートヘルムさんは理性的な方みたいなので、交渉してみるか。
得体の知れない俺は最悪処刑、良くて放逐くらいだろうけど……まぁ、日本の記憶も曖昧で、特に未練もない。折角の異世界なのだから、魔法が使える生活くらいエンジョイしたいものだ。
腹を括ると、俄然頭も回り出す。相手は、お貴族様だと言う事を念頭に置いて、出来る限り丁寧な口調で返した。
「光の柱の話を聞いて、少し思い出しました。恐らく白い光の玉がおれ……私です。
そして、推測になりますが、空に昇って行った黄色い光の玉がザクスノート君でしょう。何故、こんな状況になったのかは皆目見当が付きませんが……」
ノートヘルムさんは悲しそうな表情を見せていたが、ため息を一つ付くと納得したかのように言った。
「あの黄色い光の玉が昇っていくのを見て、嫌な感じというか悲しい気分になっていたのだ。ザックスにはもう会えないような、そんな気分だ。」
「わたくしも悲しくて胸が張り裂けそうでしたわ」
奥さんはハンカチで目元を拭いながらも、旦那さんに同意していた。
「まあ、その後の白い光の玉のせいで混乱したわけだが、白い光の玉である君は一体何者だ」
やっぱり、そこは気になる所か。
自分からしてもファンタジー小説みたいな出来事だけど、証明出来る物など無いし、正直に話してみるしかないか。
「断片的な記憶と、こちらで目を覚ましてから見聞きした情報から考えると、私は異世界の人間です。
異世界の日本と言う国で、大学生……高等教育を行う学校の生徒でした。」
「……異世界と判断した理由は?」
「私の世界には魔法は存在しなかったのですよ。創作物の小説などにはありましたが、先ほどエヴァルトさんが使われていた回復魔法のように、現実に効果があるものはありませんでした」
「魔法や魔道具は生活に欠かせないものですからね。それが存在しない世界など想像出来ませんな。
先ほど高等教育の学校と言ったのだから、何らかの代替技術があるのでしょう?」
ノートヘルムさんよりも、エヴァルトさんの方が目を輝かせた様に、話題に喰い付いて来た。教会の司教さんと聞いたので、頭の固そうなイメージがあったが、話が分かる人ならば、好都合である。それに乗っかるように、話を続ける。
「はい、そうですね。科学技術が発達していたのですが、それを証明するものが私の記憶だけですし。
あ、違いと言えば髪の色。特に奥さんの宝石のようなエメラルドグリーン色の綺麗な髪は見たことがありません」
「ぐす……ふふふっ。息子に口説かれる日が来るとは思ってもみなかったわ。
……やっぱり貴方はザクスノートではないみたいね。ザックスならこんなにも落ち着いていないし、女を口説くような台詞も言えないわ」
涙をハンカチで拭きながら奥さんが少し笑った。何気に酷いことを言っているが、ノートヘルムさんも苦笑して頷いている。
「確かにザクスノートは直情的であったし、細かいことは気にしない子供だったしな。
エヴァルト、他に聞きたい事は何かないか?」
視線をエヴァルトさんに移すと、腕を組んで考え込んでいたようだ。
「そうですね……光の柱について考えておりましたが、私の知る限り似たような魔法はありません。
司教の魔法にホーリーピラーがありますが、白い光の柱で攻撃魔法なので違います。
500年以上前の文献に出てくる蘇生魔法の方は【大きな球型魔方陣で対象を包み、空から光が降り注ぐ】と記載があった覚えがありますが、今回の光の柱では魔方陣などありませんでしたので、これも違う。まあ仮に蘇生魔法としても伝説級の魔法で、使い手など存在しませんからな。もはや神の御業と思う他ないのではないでしょうか?
おっと、神の御業と言えば、ステータスに何か変化はありませんか?」
……ステータス? ゲームのような世界だったのか?!
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