第37話 強さの理由

絵理子さんが名古屋に行って一ヶ月ほどが経ち八月になった。

病棟はなんとなく寂しい空気が漂っていた。

「棚橋先生、本当に行っちゃったんだね」

「棚橋ロスだよ」

いまだに他の看護師はつぶやく。

「でもさ、棚橋先生のおかげで南先生なんか丸くなったよね」

「愛想良くなったかも」

そんな声もちらほら聞かれるようになった。

今年は1週間程度もらえる夏休み希望を諦めて看護研究に勤しむことにした。

南先生と連絡は取っている。

けれど、会える日は月に一、二回程度だった。

立場が逆だが、南先生が学会の準備で忙しかった頃と変わらなかった。

そういえば「絵理子がいなくなってなんか変」と、南先生にしてはめずらしく弱々しい言葉を口にしていた。


そんなある日の日勤後。

勤務が一緒だった増田が声をかけてきた。

「美穂、今日研究やってくの?」

「ううん。今日は研究メンバーいないから久しぶりに帰れる」

「急なんだけど、ウチ来ない?」

「いいよ。久しぶりだね。増田んち」

「綾さんとは今日会わないの?」

「南先生は今日当直だから」

「タイミング悪いね」

「ホント、ここんとこタイミング悪いんだ」

増田とは大学時代からの付き合いだ。

大学生の頃は交友関係のグループが別でここまで話すことはなかった。

大学を卒業し同じ病棟に配属になってからは、唯一の同期として協力し合ってきた。

友人というか戦友だ。

性格や趣味は違うけれど、一緒に苦難を乗り越えてきた同志で、お互いのことを分かり合えている。

増田と一緒にケアに入る時は阿吽の呼吸でできる。

仕事に対する考え方や姿勢に尊敬しているし、何より信頼している。

そんな不思議な関係だ。

職場の先輩が「同期は大切にしなよ」なんて言っていたけれど、今はその言葉の意味がよく分かる。

増田の家には昔よく遊びに行っていた。

絵理子さんと半同棲してからはずっと行く機会がなかった。

お互い明日は休みなので家でのんびり飲むことにした。

絵理子さんと遠距離で寂しいんだろうなと思った。

スーパーでお酒や食べ物を買い、増田の家へ向かった。

飲み明かすのも久しぶりだねと二人で意気込んでいた。

一杯目の缶ビールを開け乾杯する。

増田でなくても、他の誰かとこんな風にお酒を飲むこと自体いつぶりだろうか。

夏の陽気と仕事の疲労とで缶があっという間に空になる。

新しいビールの缶に手を伸ばす。

「そういえば綾さんってアルコール飲めないんだね」

増田の持つ缶もどうやら空になったようだ。

新しい缶をわたす。

「や、なんか飲めるらしいんだけど飲まないんだよね。いつも私だけ飲んでる。絵理子さんはお酒強いの?」

「酔い潰れるまで飲んでるのは見たことないけど、普通じゃないかな。一緒に晩酌したりもしてたよ」

増田とお互いの彼女の話をするのはいつも楽しいし安心する。

でも増田は今、絵理子さんと遠距離だ。

そのことを思うと今までのような楽しさを素直に感じることができない。

「増田さ、絵理子さんと遠距離で寂しいよね」

「そうだね。でも、頑張れるよ」

意外にも増田の声は元気だった。

「すごいな。増田。私、南先生とあんまり会えないだけでちょっと辛くなっちゃう時ある。増田は一緒に住んでて、いきなり遠距離だからすごく辛いって思ったんだけど」

「まぁね、辛いよ。寂しいし。絵理子と毎日のように顔合わせられたからね。それに、初めての恋人だから美穂よりも大分浮かれてるだろうしね私」

増田は明るく笑顔で言った。

どこからそんな強さが出てくるのだろう。

でも、増田の次の言葉に頭の中が真っ白になった。

「あのね、美穂。私、来年度末で退職するんだ」

「え……」

「七月に師長さんに言ったんだ。みんなまだ知らない。でも、美穂には自分で言いたかったから。だから今日、誘ったの」

「……」

「ごめん」

「いや、あやまらないでよ。次に進むんだから。で、地元帰るの?静岡だっけ」

「ううん。名古屋行く」

「もしかして……」

「うん。絵理子についていく」

「そう、なんだ」

増田の目にはなにか力強い決意を感じられた。

そして笑顔は清々しかった。

「五月くらいに私、実家帰ったじゃん。連休とって」

「うん」

「その時ね。絵理子がウチの両親に挨拶してくれたの」

「え。それって、ご両親に恋人って言ったってこと?」

「うん。そう。順序逆になっちゃったけど、その前に絵理子がプロポーズなのかな、してくれて」

絵理子さん、増田のこと、本気だったんだ。

「ご両親、大丈夫だったの?」

増田は少し眉をひそめて笑う。

「うーん。どうだろ。驚いてはいたな。でも、絵理子医者だから、なんていうか信用されるみたいで。同棲は許してくれた。後から何言われるかわかんないけど。ただ、妹がねぇ」

「絵理子さんのご両親にも挨拶したの?」

「それはまだ。今度行く予定ではいる。絵理子が男性ダメなの知ってるから大丈夫とは言ってたけど、どうだろうね。緊張するよ」

「おめでとう。で、いいのかな」

「うん。ありがとう」

増田と絵理子さんが知らないうちにここまで進んでいたなんて。

きっと二人は二人なりに色々なことを乗り越えていたんだ。

同じ立場の二人が進んで行くことが自分のことのように嬉しかった。

でも、同じくらい羨ましい気持ちもあった。

「で、なんてプロポーズされたの?」

「恥ずかしいな」

「教えてよ」

「え。秘密じゃだめかな」

「私にくらい教えてくれたっていいじゃん」

増田がモジモジしながら恥ずかしそうに口を開く。

「……あなたの人生を変えてしまうけれど、私についてきてください。私にはあなたが必要です。ってかんじだったかな?」

増田は言い終わる時に首をかしげた。

「なにそれ。かっこいいな絵理子さん。っていうかちゃんと覚えてなよ、プロポーズ」

「だって、私もびっくりして、嬉しくて泣いちゃったんだもん。だからあんまり覚えてなくて」

なんだか絵理子さんに腹が立つ。

「プロポーズっていつされたの?」

「実は、三月の私の誕生日」

「そんな前だったの?!」

「うん。絵理子、名古屋に戻った時に住むところ、私と住むならちゃんと探したかったみたいで」

「そっか、ギリギリだと部屋見つけるの大変だもんね。仕事も忙しいだろうし。にしても絵理子さんかっこいいなぁ。外見はほわっとしてるのにちゃんと決めるとこ決めるんだね。なんか色々計算してそうだし」

「そうなんだよねぇ。かっこいいんだよねぇ。ほんとそう思う。割とサッパリしてるのに、大事なところでは情熱的っていうか、それにすごく優しい」

増田が惚気始めた。

でも確かに惚気るのも無理ないくらいかっこいいと思う。

今回のことだけではなく、送別会の時に話した時だって私と南先生のことを心配しててなんだかかっこよかった。

というか、増田の家族に同棲する前にちゃんと挨拶に行っちゃうところもかっこいい。

でも、両親にカミングアウトするって相当な覚悟が必要だったのではないだろうか。

「ご両親にさ、反対されたらどうしようと思った?」

「反対されても私、絵理子しかいないから。何回も説得する。私が絵理子といると幸せなの親に見せつける」

そう言った増田の表情は、優しさと強さを合わせたような、なんとも言えないものだった。

こんな可愛い彼女に絵理子さんはさぞかし夢中なことだろう。

そして、誰にも渡さないって思ったんだろうな。

絵理子さんの気持ちが分かる。

増田だって相当いい女だ。

「増田ってさ、絵理子さんに会えてるの?」

「実は通い妻してる。絵理子に会えないの想像以上にしんどいんだもん。それに、絵理子モテるから変なのつかないようにしないと」

「多分、絵理子さんも増田のこと心配してると思うよ?」

「そうかな。私は別に大丈夫なんだけどな」

本人は自分の美貌に全然気づいていない。

「もう絵理子さんって東京来ることないの?」

「時間できたら私に会いに来るよ」

えへへと増田が可愛らしく笑う。

「今度来た時さ四人で会おうよ。お祝いさせてよ」

「絵理子に言っとく」

「じゃあとりあえず、今日は二人でお祝い! 朝まで飲もう。ここんとこ飲めなかったからさ、私すごい飲むからね」

「お酒足りなかったら、途中で買いに行かないとだね」

「そうそう! 私達、ザルだし!」

私達は2回目の乾杯からペースを上げ、途中スーパーに酒を買いに行き、朝まで増田の幸せを祝った。


来年の三月。

増田も離れていってしまう。

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