第36話 遅い気づき


六月の終わり。

棚橋先生の送別会は店を貸し切って盛大に行われた。

知らない顔が多く、他部署からも大勢が参加しているようだ。

棚橋先生の人気はずっと変わらなかった。

参加者のほとんどが女性だけれど。

私と増田は一番すみのテーブルに向かい合って座った。

「増田、近く行けばいいのに」

「今日はいいの。みんなに譲る」

「余裕だね」

「そんなこともないよ」

棚橋先生は看護師達からチヤホヤされていた。

そんな棚橋先生の姿を増田は見ようともしない。

「隣空いてる? 座っていい?」

頭上から声をかけられる。

見上げると南先生が立っていた。

「その時の仕事次第かな」とメールがあったけど来られたんだ。

それにしても私の隣に座ってくるなんて。

意外なのと驚きとですぐに声がでなかった。

「南先生、どうぞ。美穂の隣座って下さい」

増田がニヤニヤしながら席をすすめた。

一番端の四人テーブル。

そこへ私と増田と南先生が座ると、残りの一つの席には多分誰も座ることはない。

これなら私と南先生の関係は気づかれない。

この三人でテーブルを囲むなんて初めてだ。

なんだか照れくさいし、南先生が隣に座っていることに何故か緊張する。

でも、嬉しくもある。

「棚橋先生って人気だね。あのテーブルの人達って救急外来の看護師だよね?」

少し余裕が出てきて隣に座る南先生に声をかけた。

「オペ室のナースとかMEもいる。店貸切りだものね。もし、私の送別会やるって言ったらこんなに来てくれるかな」

「どうだろうね」

「青木さん冷たいなぁ」

そう言いながら南先生はテーブルの下で私の手を握った。

半同棲を解消してからはじめて会った。

久しぶりの先生の細長い指の感触に胸がズキズキ疼く。

「南先生、何飲みますか?」

増田が南先生に飲み物のメニューをわたす。

「ウーロン茶にしようかな」

「あれ? 飲まないんですか?」

「私、アルコール飲めないのよ」

よく言うよ。

「なんか、意外です」

「青木さんが今日ウチに来るしね」

「?」

増田が不思議そうな顔をしている。

南先生の握る手に力が入る。

そして「意味、分かってるわよね」と言いたげな視線を私に送る。

赤くなる頬を見られないように下を向いた。

ちょっと期待してた私を南先生は見抜いている。

「あれ?! 南先生! めずらしくないですか? 飲み会来るの!」

テーブルの下で握られた手を思わず離す。

増田の隣に知らない女性が近づいてきた。

「今回は棚橋先生の送別会だから出たかったのよ。そのためにオンコール代わってもらった」

「先生と棚橋先生って仲良いですもんね。二人のオペ入れないの寂しいです」

「そうね、棚橋先生と組むのは安心感あったな」

「先生、後で私達のところに来てくださいよ。そういう話もっとしたいです。こういうことって全然ないじゃないですか」

「あとでね」

「約束ですよ?」

南先生が少し微笑んで答えるとその女性は名残惜しそうに遠くのテーブルへ去っていった。

「今の誰」

言い方にトゲがついてしまう。

「オペ室のナース」

「南先生のファン?」

「うーん。そうなのかな」

「チョコもらったりした人?」

「もらったなあ。そういえば」

「仲良いね」

「普通にしてるよ?」

「で、後であっちのテーブル行くのね」

「私の席はずっと青木さんの隣ですけど?」

正面を見ると増田がニヤけている。

「南先生と美穂って普段そんな風なんだね。初めて見た。美穂って南先生に強気だね」

「そうなの。美穂ちゃんって私にだけ強気なの。そこがかわいいのよねえ」

「どさくさ紛れてそういうこと言わないで」

「南先生ってデレるんですね。いいもの見させてもらいました」

「え?! 私、今デレてた?!」

南先生が真顔になる。

「分かってないの自分だけ」

南先生は気をつけなくちゃと、デレて緩んでいた口元をさすった。

増田はクスクス笑っている。

南先生は増田の前で意外にも自然体に近かった。

それが嬉しい。

「あの、ここ座っていいですか?」

誰も座らないと思っていた増田の隣にいきなり鈴木さんが不機嫌に座った。

この席に座る人がいるとは。

「あれ、鈴木。棚橋先生のファンじゃん。近く行けばいいのに」

増田が鈴木さんに言う。

「棚橋先生の周りは人気であぶれました。っていうか、棚橋先生の前の席だったんですけど、トイレに行ってる間に取られました」

「だからってこんな端っこ来なくても」

増田が私達のために言ってくれている。

「ここ座っちゃダメですか?」

よくよく見ると鈴木さんはもう出来上がっている。

そういえばアルコール弱いって言ってたな。

年末のあの時はそんなに飲まなかったのだろうか。

「私、南先生のこと嫌いです」

「鈴木、いきなりどうしたの?」

増田が驚く。

「大人気ないと思います。ナースステーションであんなピリピリして。チーム医療がうまくできません!」

「ちょっと鈴木! 飲み過ぎ!」

「棚橋先生は南先生と全然逆です! 同い年って聞いたんですけど。あんな風にちがうんですね」

南先生の表情を恐る恐るうかがうと、何故かにやけていた。

そして笑うのを必死に堪えながら言った。

「鈴木さん、最近仕事できるようになったって思ってるのに」

「え」

鈴木さんは固まったがすぐに噛みつく。

「そういうの、全然分からないです! 言ってくれないと! それに、青木さんにだってすごく当たり強くて。青木さんは憧れの先輩なんです! なのにあんな態度で腹立ちます!!」

南先生はとうとう吹き出して声を上げて笑う。

「なんか間違ったこと言いましたか?」

「ううん。その調子で仕事でも色々聞いてくれたらいいのにって」

「いつもそんな態度じゃ聞きたいことも聞けません!」

「私、別に怒ってないよ。胸腔穿刺の時はごめん。言いすぎた。許して。私、棚橋先生みたいに器用じゃないのよ」

「仕事ですよ! 器用とか関係ないです!」

「でも、鈴木さんの憧れの青木さんや増田さんは相談してくれるわよ?」

「なんで青木さんにはキツいんですか」

「私、青木さんにキツい?」

私の顔を覗き込み、話を振る。

これはワザとだ。

先生の意地悪い表情を見ればすぐ分かる。

「キツい時もありましたけど、今は少し違いますかね」

あえて素っ気なく返す。

「青木さん。私がなんで青木さんに色々言ってたのか知ってる?」

ちょっと。

どうしてそういう風に話をもっていくの?!

この場で南先生が私のことが好きだからとか言えっていうの?!

南先生は私が何を言うか楽しみにしているような表情をしている。

「色々言ってた自覚あるんですね」

私の考えられる限りの反撃をする。

「うん。自覚あるよ。青木さんは特別だから」

鈴木の前でなんてこと言うんだ!

どう言い返せばいいか言葉が出てこない。

代わりに鈴木さんが割って入る。

「青木さんが特別ってどういうことですか?!」

「聞きたい?」

「教えてください」

「青木さんは私のお気に入りなの」

「あー、もう。南先生、あんまり鈴木をからかわないでください。鈴木本気にしちゃうから」

増田がいいタイミングで入ってきた。

「南先生! そうやって今度は私をからかって! 酷いです!」

鈴木さんは顔を真っ赤にしてぷりぷり怒っている。

大分酔ってると思う。

それを見越して南先生が私をからかった。

確かに酷い。

南先生は鈴木さんを見ながら楽しそうに笑っている。

そんな南先生の太腿を握りこぶしで叩く。

そしてキッと南先生を睨む。

「ごめん。ちょっとからかいすぎた。でも、鈴木さん、なんでも相談してよ。大丈夫だから。この間の謝罪も含めて優しくするから」

「優しくしなくて結構です!」

「私、かってる人にしか厳しくしないのよ?」

すると南先生は鈴木さんに大人っぽいあの色気のある微笑みをした。

南先生、こんなところでその顔しないで!

案の定鈴木さんはさらに真っ赤になる。

隣に座る増田の頬まで赤い。

「鈴木さん! 棚橋先生のところ席空いたよ!」

思わず鈴木さんに声をかけると、その声に我にかえったのか席を立ち、何も言わずに棚橋先生の方へ去っていった。

「南先生、あんな顔しないでよ」

「ごめん。鈴木さんおもしろくてからかっちゃった」

「あんな顔されたら誰だって……」

「あれ? 美穂ちゃんどうしたの?」

またそうやって私をからかう。

そうだよ。

先生の予想通り嫉妬してる。

「なんかさ、鈴木さんの怒ったところ、美穂ちゃんとちょっと似てたから可愛いなって思っちゃったのよ」

先生は私の嫉妬に気付いていてそれが嬉しいのだろう。

私だってそのくらいは先生の気持ちよめるようになった。

「南先生って、そういう表情するんですね。私までドキッとしましたよ。アレはやめた方がいいと思います」

「弥生ちゃんにドキっとされるの嬉しいなあ」

「弥生ちゃん?!」

「あ」

何その名前呼び!

思わず聞き返した。

「ちょっと、どういうこと?」

気まずそうな表情の南先生に詰め寄る。

「や、あの。絵理子と彼女のこと話す時、名前で呼んでるの」

「美穂ちゃん、弥生ちゃんって呼んでるわけ?」

「うん」

「二人で何話してるの?」

「お互いの彼女の素晴らしさについて自慢しあってるかんじかな? だから、その、お互いの彼女に敬意を示してるっていうか」

南先生の口調ががしどろもどろになっている。

「美穂、私、綾ちゃんって呼んでいい?」

増田が呆れた表情で言った。

「いいよ。私も絵理子ちゃんって呼ぶね。いいでしょ?私達もお互いの彼女に敬意を示して」

南先生は複雑な表情になった。

「すみません。せめて、『さん』でお願いします」

「どうする増田」

「『さん』付けにしとこうか」

「仕方ないね」

「これからもウチの絵理子をよろしくお願いしますね、綾さん」

「……はい」



送別会の会場となった店は他の飲食店やオフィスが入った大きなビルにある。

トイレは店の外にあった。

ビルの廊下を進みトイレの扉を開けるとちょうど棚橋先生が出てくるところだった。

「あ、お疲れ様です」

「良かった。青木さんに会いたかったんだよね。ここで待ってるから。話したいことあるの」

「分かりました」

そういえば棚橋先生の送別会なのに本人と一度も話してなかった。

用を済ませて扉を開けると棚橋先生は苦笑する。

「なんかさ、弥生見て思ってたんだけど、青木さんもトイレ速いね」

「普通じゃないですか?」

「速すぎだよ。ナースの特技なの?」

面白そうに笑う棚橋先生に「知りません」とつっけんどんに返した。

私達はトイレの前から少し離れた窓際へ移動する。

「で、なんですか?話したいことって」

「大したことじゃないんだけど、綾のことよろしくねって言いたかったんだ」

「どうしたんですか。改まって。絵理子さんにしてはなんか真面目ですね」

「あれ? いつも真面目なんだけど」

「絵理子さん」と呼んだことに一瞬驚いた表情を見せたが絵理子さんは優しく笑った。

「わかってると思うけど、綾ってさ、大事なことになるとはぐらかすんだよね。一人で背負うところあるから。美穂ちゃんその辺支えてあげて」

絵理子さんも私のことを名前で呼んだ。

色々察している気がする。

名前で呼ばれたことや、もう絵理子さんと会えなくなることで自然と心が開かれる。

「実は私、そういうのできてないんです。五月に南先生、なんか様子がおかしいことがあって、仕事のことらしいんですけど、結局引き出せなくて。今は落ち着いてるみたいなんですけど」

「そっか。言ってないんだ」

「絵理子さんには仕事で辛いこととか言えてるんですか?」

絵理子さんは眉をひそめて言う。

「私に言うと思う?昔っから言った試しがないよ。いっつもかっこつけてばっかり。ま、実際かっこよかったりするんだけど」

絵理子さんが今でも南先生のことをかっこいいと思うことが少し意外だった。

「増田いるのにそういうこと言っていいんですか?」

「安心してよ。綾は元カノかもしれないけど、親友だよ。親友の幸せ願ってるだけ」

絵理子さんは多分、大野さんにふられてどん底の時の南先生を知っている。

「付き合ってる時も吐き出させようとしたんだけど、頑ななんだよね。私ができたことは、綾に美穂ちゃんのこと惚気させて発散させることくらいだったかな。でも、それって良かったみたい」

「惚気あってるだけじゃないんですね」

「目的はほぼ惚気だけどね。私も弥生のこと聞いてもらえて嬉しかったし」

絵理子さんと増田はこれから遠距離になってしまう。

二人はこの試練をどう乗り越えるのだろうか。

二人のことを考えると辛くなった。

「美穂ちゃん。これからさ、色々あると思う。でも、綾は美穂ちゃんのこと本当に大好きだから信じてあげてよ。私から見ても綾は美穂ちゃんじゃなきゃダメなの」

言い切る絵理子さんの言葉が少しくすぐったい。

「心配なんですね。南先生のこと」

「惚気させる相手いなくなるからね。美穂ちゃんのことも気にかけてるよ。美穂ちゃんだって、もう綾じゃなきゃダメなんでしょ」

絵理子さんは真っ直ぐ私を見て言った。

今の私は自信を持って言える。

絵理子さんにもちゃんと言える。

「綾乃じゃなきゃ私、ダメです。綾乃は特別です」

そう答えると絵理子さんは本当に嬉しそうに微笑んだ。

その微笑みは、前に私に見せたあの妖艶なものではなくて、すごく可愛らしくてこっちまで笑顔になってしまうようなものだった。

「前みたいに相談のるからさ。いつでも頼って」

絵理子さんは本当に名古屋に帰ってしまう。

二人で話したことで急に現実味を帯びてきた。

どうしてこんな時まで気づかなかったんだろう。

絵理子さんともっと話せばよかったって。

絵理子さんの瞳が少し潤んでいたのは多分、気のせいではなかった。

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