第5話 震える手

頻繁に誘うと言われたが、南先生は仕事が忙しすぎて二月に入っても会えなかった。

病棟で先生の姿は見るものの、業務的なことで関わるだけで、その機会ほとんどなかった。

二人きりで会った時あんな事言っていたけれど、病棟での態度は全く変化がない。

相変わらずピリピリしていてぶっきらぼうだった。

昼休憩に入り、ナースの休憩室で食事をしながらぼんやりとテレビを見ていた。

こんな時も南先生のことを考えてしまう。

メールの確認を何度もしている自分に「何してんだか」と突っ込みを入れたくなる。

「そういえばさ、最近少ないよね」

一緒に休憩している先輩が話しかけてきた。

「緊急入院ですか? 確かに少ないかも」

「緊急入院じゃなくてさ、あれよ、あれ、南先生の青木コール。少ないよね?」

他のスタッフにも同意を求める。

「あ! 確かに! 『青木さんいる?』っていうの聞かないです!」

「青木コール」が激減したのは私も気付いていた。

他のナースが気付くくらいだから本当に減っているのだろう。

「良かったじゃん! ストレス減ったんじゃない?」

ちょっと前までの私だったら確かにストレスが減って嬉しかったと思う。

でも今の私にはそれは不安で同時に歯痒さも感じた。

「やっと私もなんとか仕事できるようになったってことですかね」

同僚の前ではそう答えた。

南先生は私に駆け引きをしていて、今引いてるのだろうか。

本気出すとか言っといて。

こっちがもやもやしてしまうことに苛つく。

そっちがそう出るならと、何か仕掛けてみようと考えるが何も思い浮かばない。

私の意地で、こっちからは連絡しないことくらいだ。

しかし、あの日以来、病棟で南先生を見るといつのまにか目で追ってしまっている。

南先生のスケジュールを確認してしまう。

今日は十四時から受け持ち患者の手術説明がある。

説明は南先生がする予定だ。

だから今日は南先生と関われるはず。

本当は同席したかったけれどその時間は他の患者の検査出棟の予定が入っていた。

他のナースに頼まれないように病状説明が終わる頃ナースステーションにいるようにしたい。

少しでもいいからどうにかして南先生と関わりを持ちたかった。


病状説明を終えた南先生がナースステーションに戻ってきた。

予測していた時間だった。

今日の南先生は紺のスクラブに上から白衣を羽織っている。

記録の手を止め、やっぱり見てしまう。

スラっとしていて白衣も似合う。

少しくせ毛で長めのショート、ショートボブまではいかない。

立ち振る舞いはサバサバしていて男っぽいが茶色がかった髪と色白の肌が逆に女性らしさを感じさせる。

見るというか、見惚れるに近い。

いきなり南先生が私を見た。

目が合う。

見てたのバレた。

でも、目を逸らせられなかった。

「青木さんって、田中さんの担当?」

「はい」

いつものぶっきらぼうな言い方で声をかけられる。

どうしようもなく嬉しい。

そして近寄ってきた。

「さっき手術の同意書取ったから。漏れはないと思うけど確認お願い」

私に同意書を差し出す。

どうしてこの人は仕事と分けられるのか。

私の方は全然分けられない。

私ばかり意識して悔しくなる。

向こうから好きになってきたくせに。

翻弄されているのは私の方だ。

そしてとっさに思いついた。

南先生に仕掛ける方法。

差し出された同意書を受け取る時、書類の下で南先生の指に触れる。

触れた指をわずかにさする。

そして笑顔で言った。

「ありがとうございます。確認します。何かあったら連絡ください。明日はいませんけど、待ってるので」

余裕のありそうな笑顔で答えたが、実際は職場で大胆な行動に出たことに緊張していて南先生の反応まで確認する余裕はなかった。

言葉に含めた本当の意味を南先生なら分かってくれるはず。

分からなかったら南先生のこと見損なうから。

けれど仕事中にこんなことをした私に対して南先生は幻滅するかもしれない。

私の気持ちをそうさせたのは南先生だ。

だから私は悪くない。

南先生のせいにして、幻滅されるかもしれない不安を抑えることにした。

仕事の後、南先生からメールが届いていた。

今日、少しでもいいから会ってくれないかとあった。

思わず口元が緩んだ。

すぐに待ち合わせの返信をする。

南先生と二人きりで会えることがこんなの嬉しいと思わなかった。


待ち合わせのコンビニで見たことのある黒いSUVが駐車場に入ってくる。

それに合わせてコンビニを出る。

「ごめん。なかなか連絡できなくて。学会が近くてそれで忙しかったんだよね」

車で迎えに来てくれた先生は、私がドアを開けると同時に言ってきた。

「理由が分かれば別に大丈夫です。それより、今日は大丈夫なんですか?」

「別の日で帳尻合わせるから大丈夫。なんか、今日じゃなきゃダメな気がして」

先生は車を走らせる。

しばらく沈黙が続いた。

今日、会ってどうするつもりなんだろう。

どこに向かうのだろう。

変に勘ぐってしまう。

「待っててくれたんだ」

先生が静かに切り出す。

「え?」

「今日の」

やっぱり、先生は分かってくれてた。

嬉しさと少し恥ずかしさが入り混じる。

「ああ。あの時の」

でも、あえて素っ気ないフリをした。

「あの後、ちょっと仕事にならなくて困ったんだけど。」

「そんな風には見えなかったですよ」

先生の姿をその後見ることはなかったけど嘘をついた。

そんなカッコつけないで押してほしい。

「そうなんだ。隠せてて良かった。ねぇ、明後日入りでしょ? 私も当直なの。久しぶりでしょ。一緒って」

そういえば、先生って私の勤務を把握してる気がする。

今までもそんなことが何度かあった。

なんで知ってるんだろう。

「先生って、私の勤務知ってるんですか?」

先生は気まずそうな顔で「バレた?」と言った。

「どうやって知ったんですか?」

「佐藤先生と付き合ってるナースがいるでしょ。佐藤先生の医局のロッカーにナースの勤務表が貼ってあるのよ。それを誰もいない時にこっそり写メしてる」

こっそり写メしてる南先生を想像して少しガッカリした。

「もうそんなことしないでください。私が毎月教えます」

ありがとうとまたあの優しい笑顔で答えてきた。

不意に先生の手が私の右手を握ってきた。

「片手で運転。危ないですよ」

「今信号赤だから。かわいい手してるのね」

「先生の手が大きいんです」

あの時は書類の下で見えなかったけれど、先生の指は長くて細かった。

切なくて胸の奥が苦しい。

書類の下で指に触れてから、もっとちゃんと触りたいと思っていた。

でも今は、もっとギュッと握ってほしい気持ちになる。

青信号になった。

先生は手を離しハンドルを握る。

それだけで寂しくて切なくてどうしようもなくなる。

気持ちが抑えられなくなっている。

息苦しくて耐えられない。

自分の気持ちがここまでだとは気づかなかった。

もうダメだ。

私の方がもう降参だ。

「先生のことが好きです。先生と付き合いたいです」

自分から言った。

先生は何も言わない。

「返事くれないんですか」

待ちきれない。

いいならいいって言ってほしい。

先生が私のことを好きだと知っていても不安で仕方ない。

「ごめん。嬉しすぎて手が震えてる。それに泣きそう」

ここはきっと私から押さないとダメそうな気がする。

「運転中に泣かないで下さい。これから先生の家に連れてってもらいたいのに。途中で事故るなんて嫌ですよ」

「今日来てくれるの?」

「行っちゃダメですか?」

「出来る限り安全運転します」

南先生が私のことを大事に考えてくれてることや、誰より好きでいてくれることにもう少し確信を持ってから付き合いたかったけど、私の心が先に音をあげた。

カッコつけてたり、ぶっきらぼうだったり、臆病だったり、大人な余裕見せつけたり、すごく純粋で、場合によってはすぐ泣いたり。

どれが本当の先生か分からない。

どれも南先生なんだと思う。

そんな先生が時々見せる臆病で弱い所を私が支えてあげたいと思った。

私の前でそういう所を晒してほしい。

「落としたからには責任とって下さい」

「え」

「先生が心配してた結婚とかそういうの。どうでも良くなるくらい、これから私をもっと好きにさせて下さい」

今まで人に合わせてきた私が、自分の気持ちを強気で伝えられる。

南先生は私にそうさせてくれた。

だから、この人と一緒にいれば自分らしくいられる。

南先生はそれを気づかせてくれた。

「もちろんそのつもり」

南先生のキレイな手は本当に微かだけれど震えていた。

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