第4話 臆病
朝起きてメールを確認すると、南先生から返信が来ていた。
「分かった。今度時間くれる? その時話すから」
短いメールだったけれど嬉しいと思った。
南先生のことを意識しているのだろうか。
今まで好きになったのは男性だけで、同性と付き合うなんて頭になかった。
それ以前に、南先生からは出来ない看護師として見られていると思っていたし、先生は苦手意識が真っ先に出てくる存在だった。
だけど、私に見せた涙と表情に南先生への印象が変化した。
南先生は本当はどんなことを考えてて、どう思っているのか。
仕事のことでも、私のことでもそういうことがもっと知りたいと思った。
「先生の都合のいい時連絡下さい」
今まで気になった人に対してとはちょっと違う感情だった。
好きとか、一緒になりたいとかではなくて、もっと知りたい、もっと分かりたい。
そんな気持ちに近かった。
七歳上か。
そんな歳が離れた人は初めてだった。
結局、南先生と会うことができたのは、先生の仕事が忙しいのと、私の夜勤の関係で一ヶ月近く後になった。
その日私は夜勤明けで、先生の仕事が終わった夜に、車で迎えに来てくれた。
「お酒、入らないで話したかったから」
車で来たのはそんな理由だった。
助手席に乗り、シートベルトをつける。
先生の方を見ると、先生は優しい表情で私を見ていた。
ドキッとしてしまう。
いつもはキリッとして緊張感漂う表情なのに。
こんな顔するんだ。
「誘ってくれてありがと。こんな早くチャンスが来ると思わなかった」
「いえ。チャンスっていうか。色々知りたかったので」
車を動かしながら南先生は微笑む。
「十分チャンスだよ。こんな風に話せるなんて思ってもみなかったし」
私も南先生と二人きりで車に乗ってこんな風に話すなんてちょっと信じられなかった。
「どこ行くんですか?」
「どうしよっかね。このままドライブでもいいし。正直、どこでもうれしい。明日休みでしょ?」
「はい。先生は?」
「日曜日だから一応休み」
運転している先生はかっこよかった。
「そういえば。彼はいいの? 彼も休みじゃない?」
南先生の声のトーンが微かに変わった気がした。
「この間、別れました」
「え」
沈黙が続く。
「ごめん。都合いいこと言うけど、私のせい?」
多分、そうだ。
南先生のせいだと思う。
自分でも驚いている。
彼とすぐに別れて、南先生に会いたくなった。
この気持ちの変化についていけてない。
「分からないけど、そう思います」
そう言った。
私は南先生の気を引こうとしてるのか。
「どうしよう。運が向いてきたかも。ダメ元で伝えた甲斐あったじゃん。私!」
目を細めてニヤけていた。
ちょっとかわいいと思った。
「青木さんのこと、ガンガン押しちゃうかも。押されると引くタイプ?」
「押しには弱いです」
何を誘ってるんだ私。
押してくださいって言ってるようなものだ。
なんでそう言ったのか自分でも分からない。
さっきから自分の行動と言動の理由が自分で分からなくなっている。
「ねぇ、私のこと、誘ってるの?」
ほら、聞かれた。
感が鋭くて頭の良い先生は気づくにきまってる。
「私のこと、大切に考えてくれてたって言ってたじゃないですか。その事、聞かせてくれますか。それが気になって、先生と会いたかったんです」
ちょっと分かってきたことがある。
頭より先に心が先生に向いていってる。
先生は途中のコンビニに車を止めて、コーヒーを買ってきてくれた。
「ちょっとここで話そうか」
コーヒーに口をつけ、先生は話始める。
「三年待ったのはね、青木さんが看護師になったばっかりで仕事が落ち着くまでっていうのがひとつ。仕事の大変さは分かってるつもり。もう一つはね、青木さん、女性と付き合ったりしたことないでしょ?」
ないですと答える。
「二〇代ってさ、女性にとって大事な時期だと思うんだ。結婚とか出産とか。私と付き合うとなると、そういうこと諦めさせちゃうでしょ。三年待ったとしても青木さんまだ二十五歳だから変わんなかったね。ホントのこと言うと三〇歳になるまで待とうと思ってたかな。でも、忘年会で一人でいた青木さん見つけた時、今しかないって思って言っちゃった」
女性と付き合うことのは女性の幸せを諦めなければいけないのか。
そこまで考えてなかった。
普通に結婚して、普通に子供を産んで育てて家族を育むこと。
私の人生もそうなるのだろうなと無意識に過ごしていた。
「だからさ、こっちから言っといてどうかと思うけど、そういうこと諦められるかどうかって考えて、決められる歳になってから言おうと思ったのよね。でも、二十五って言ったらこれからだよね。そういうの」
南先生も今までの恋人とこういうことで悩んだりしたのだろうか。
「先生はどうやって折り合いつけたんですか。結婚とかそういうことに」
「私はずっと前から女性が恋愛対象って自覚してたから、結婚や出産は最初から自分の人生の中に含まれてないの。一人で生きていけるように、周りから何も言われないようにこの仕事選んだのもある。私が青木さんくらいの時にね、年上の女性と付き合ったことあるんだけど、その人に子供諦めきれないって振られてね。その時、自分みたいな人ばかりじゃないんだって気づかされたの。特に青木さんはノンケだから余計そうなんじゃない?」
先生の気持ちが私の人生を狂わせてしまうかもしれないってことか。
その先生の話を聞いて私の口から出た言葉は自分でも信じられない言葉だった。
「先生って案外臆病なんですね」
先生が驚いた顔で私を見る。
「そんな何年も待てるくらい好きなら、仕事の時みたいに強気で行けばいいじゃないですか。そんな待ってたらまた他の人に取られますよ。付き合ってみなきゃ分かんないじゃないですかそんなの。付き合って、先生を選ばせるくらい自分のこと好きにさせればいいじゃないですか。そんなに好きでいてくれてるの、当の本人は全然分からないんですよ」
「どういうこと?」
どういうことだろう。
なんのつもりでこんなこと言ってるんだろう。
先生の話を聞いていたら少し苛ついたのは確かだ。
「先生、私のこと一目惚れとか言ってましたけど、それっていつだったんですか?」
答えられずにはぐらかした。
「一目惚れっていうか。笑わない?」
少し恥ずかしそうにしている。
「笑わないです」
「青木さんが電話出る時の『おまたせしました、青木です』って声に癒されたの。どんなに忙しい時でも落ち着いてて、なんかほっとしたの。実際青木さんがどんな人か知ったら外見とかもタイプで。ホントに笑わないでよ!」
南先生、意外な所で乙女というか何というか。
申し訳ないけど笑ってしまった。
「笑わないって言ったじゃん」
「ごめんなさい。意外すぎて。もしかして名指しで電話かけてきたのってそれが理由ですか?」
私への指摘の電話が多くて同僚から「南先生の青木コール」と病棟では呼ばれているくらいだ。
「そうだよ。悪い? 何かしら用事作って電話したけど。たまに青木さんが運良く出るとラッキーとか思って。この間の臍処置の時とか」
恥ずかしそうにしている南先生が面白かった。
この人って、病院ではあんな感じだけど、本当は違う気がする。
私に対しても最初はカッコつけてたけど、大事な所で臆病で、変に乙女で、もしかしたら私よりもずっと純粋なんじゃないか。
「先生、私、これでも何人かと付き合ったことあるんです。女性とはないですけど。だから、私、そんな心配されなくても自分のことは自分で決められますから」
七歳上の先生を試そうとしているのか。
いつもの勢いがない先生に対してすごく強気で出てしまう自分がいる。
「だから、私のこと落としてみたらいいじゃないですか。私、今フリーですよ。もし先生が今日私のこと落とせたら、私このまま家に帰らなくってもいいって思ってますけど」
先生は目を見開いて固まっている。
引いちゃったかな。
言ってる本人も言った先から恥ずかしくなっている。
「今日はちょっと、自信ない」
恥ずかしかったけど、先生の言葉でまた苛ついた。
「例えばの話です。それは。だから、そんなに好きならコソコソしないで、いつもの先生らしいやり方で周りが見えないくらい先生のこと好きにさせてって言ってるんです」
先生はハンドルに両腕をかけてもたれる。
腕に額を当ててこっちを見ながら口を開く。
「それさ、私のこと好きって言ってる風に聞こえるんだけど。気のせい?」
気のせいじゃない。
勇二君のことが下品に見えて別れた時から先生のことばかり考えている。
あと一歩、決定的なものが足りない。
その決定的なものが見えなくてさっきから苛ついてる。
なりふり構わず好きになりたいのに、踏み出せないもどかしい何か。
先生からの一押しだと思うのに、先生は肝心な所で臆病でなかなか踏み越えられない。
でもその臆病な所に愛情が湧いて出ているのは確かだ。
「気のせいかどうかはこれからの先生次第です」
なぜか先生に強気で出てしまう。
「分かった。私、本気だす。これからも会ってくれる? ていうか、結構頻繁に誘ってもいい?」
先生は優しい目で微笑みかけた。
その顔、好きかも。
「いいですよ。先生の仕事に支障が出ないようにしてくれれば。私はいつでも空いてます」
先生はふふっと笑って言う。
「青木さんってさ、そんなキャラだったの?」
違う。
こんな風に挑発したり誘ったり強気になることは一度もなかった。
相手に合わせて、その場の雰囲気でなんとなく流れに身を任せるような。
恋人に対して今までずっとそうだった。
南先生に会うまでは。
今みたいな自分がいることに私自身が驚いている。
「どうかな。自分でもびっくりしてます」
コンビニを出て、その日は家に送ってくれた。
明日は先生も私も休みなのに。
本気出すとか言っといて詰めが甘い。
先生にちょっとだけ意気地なしと思った。
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