第3話 三年間の意味
南先生はあからさまにガックリきている。
テーブルに肘をつき手を額に当てて俯いている。
「その彼氏って、私が知ってる人?」
彼氏の勇二君は研修医でちょっと前に南先生の診療科に回ってきていた。
「知ってるかもしれないですけど。多分、覚えて無いと思います」
「研修医か。同じくらいの歳なの?」
頭の回転が速いなと感心する。
「そうですね。同じくらいです」
「そっか」
先生は何か考えているのだろうか、しばらく無言でいる。
「ごめん。色々考えたんだけど。青木さんのこと諦めるの無理。私に可能性って少しもないの?」
さっきのガックリきてた時と表情が違う。
絶対に奪い取るって闘志に燃えているようなそんな目だ。
「可能性も何も。私は先生の気持ちに沿えないのでちょっと困ります」
「その彼とはどのくらい付き合ってるの?」
「四ヵ月ちょっとです」
勇二君が研修医として回ってきた時に声をかけられた。
「あー、もう。カッコつけても仕方ないね。私はさ、青木さんのこと真剣に考えて三年待ったの。色々考えてさ。でもこんなに待たなきゃ良かった。若さと男ってだけでそんなすぐ声かけて軽く付き合うような、そんな半端な好きじゃないんだよこっちは。すごく悔しい」
先生の目が赤くなったと思ったら涙がこぼれた。
え。南先生って泣くの?!
びっくりし過ぎて何もできない。
「本当にちょっとでも可能性ってないの?」
今目の前にいるのは、病院で強気にバリバリ仕事している南先生ではなかった。
さっきまでは急に強気で出てたのに、いきなり涙を流して、鼻声で、弱々しくて。不安そうに私の様子を伺っている。
外見はカッコいいけど失恋を諦めきれない一人の女性。
不思議と頭を撫でたい気持ちになる。
「先生がそんなに考えてくれてたことうれしいです。先生の気持ちを止めることは私はできそうにないです」
ずるいことを言ってる自分に気づく。
どうしてそんな風に言ったか分からない。
「分かった。ありがとう。それ、可能性って思うから」
先生と連絡先を交換した。
これは勇二君に対してやましいことになるのだろうか。
タクシーで家の前まで送ってくれた。
家に帰ると勇二君が来ていた。
ビールを片手にテレビをつけていた。
「お帰り。遅かったじゃん。二次会も行ったの?」
時計を見るともう〇時近かった。
そんな長い時間一緒にいた気がしなかった。
「ごめん。南先生にご飯誘われて」
「え?! マジで? あの説教ババアと?! 美穂、説教されてたの?」
まだ三〇代前半の女医に対してババアと言う勇二君のことがすごく子供っぽく見えた。
「仕事離れるとそんな感じじゃないよ。南先生、別に何でもかんでも怒ってるわけじゃないし」
気がつくと南先生の肩を持っている。
「そーかなあ。俺、研修の時ずっと叩かれてたもん。あのババア、絶対彼氏いないよ。プライベートなさそー。あ、もしかしてレズとか。男から絶対好かれないよなあの性格」
なにそれ。
すごく気分が悪くなる。
「勇二君。それ、私全然笑えないよ。ていうかそういうのすごくやなんだけど」
今までもそういう会話をしてたのかもしれないのに。
こんな人だったっけと思ってしまう。
「もしかして、美穂、ババアに口説かれたとか?」
最低な冗談。嫌悪感が溢れる。
口説かれたのは当たってるけど。
「ほんっとあのババアたち悪い。アイツがいるからあそこには入局しないね。女のくせに偉そうに」
南先生は仕事に対してストイックだ。
でも、患者に対して誰よりも真摯なことは知ってるし誰もが認めている。
病状説明の時間に遅れたことがない。
遅れるとしてもちゃんとした理由を伝えてくれるし患者に伝える内容も連絡してくれる。
勇二君に言い返そうと思ったけれど、この人には言うだけ無駄だと思った。
無言になってしまう。
「どうしたの? ノリ悪くない? 仲良くすれば機嫌治るかな?」
原因は南先生だ。
さっきの数時間で私が変わった。
肩に回された手が鬱陶しい。
近づく顔が煩わしい。
勇二君と付き合ったのは声をかけられて、しばらく彼氏がいなかったからせめてプライベートだけでも充実させたいと思ったからだ。
軽く決めたのは私だ。
「ノリとかそういうんじゃないよ。ごめん。そういうこと言う人ちょっと無理」
「はぁ?」
「合鍵置いて帰ってくれる?」
「意味わかんないんだけど」
自分でもおかしいと思う。
でも彼と一緒にいるのが苦痛だと思ってしまった。
あの会話で幻滅してしまった。
「人のことをそうやって言う人って信じられない」
「なにそれ」
「ごめん。そういう所あると付き合うの難しい」
バッグから勇二君の鍵を出してわたす。
南先生と会って話をした後に勇二君を見ると粗ばかり目立って見えてしまう。
確かに私とは少しタイプは違うけれど、こんな風に見えたことなかったのに。
たった数時間、いや数十分前の南先生とのひととき。
それだけで勇二君に別れを切り出している。
先生になびいているわけじゃない。
先生とすぐに付き合いたいとかじゃない。
と、思う。
「分かったよ。うざっ」
勇二君は立ち上がるとゴミ箱を蹴って玄関に向かう。
「鍵。置いてって」
キーケースから外し、部屋の中に投げて帰っていった。
乱暴に閉められる玄関の音が部屋に響く。
別れちゃった。
色々ありすぎて疲れてそのままベッドに倒れ込んだ。
清々している自分がいる。
私、どうしたんだろ。
いきなりあんな行動をとった自分が信じられない。
勇二君とあっという間に、簡単に別れちゃった。
南先生のせいだ。
夜勤が続き、日勤の後の忘年会。
その後、南先生と食事して帰ってから勇二君と別れた。
勇二君と別れて良かったのか。
私は酷い女なのか。
あの会話が思い出されると、すぐにその思いは消え失せた。
かわりに南先生のことが浮かぶ。
3年間待ったと言っていた。
先生は待ったんだろうけど、肝心の私はそんなこと知る由もない。
何でそんなに待ったのだろう。
色々考えたと言っていたが何をそんなに考えたのだろう。
自分がレズビアンであることが私に知られるからというわけではなさそうだった。
私のことを大切に思っているから。
半端な気持ちじゃないから。
3年も言えずにいた理由が気になった。
遅い時間だけど、先生の連絡先にメールを打つ。
「3年間待った理由。教えてくれますか」
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