第2話 三年目の憂鬱


「南先生からなんですけど。今日、オペ行った人の臍処置した人誰って。なんか、怒ってるんですけど」

病棟クラークが困惑した表情で看護師達に声をかけてきた。

先輩のリーダーナースが、まいったなという表情で他の看護師に聞く。

「昨日の担当誰だっけ」

「多分、一年目の鈴木さんです」

「あー。またあの子かー。よりによって今日休みか。電話とりたくないなー」

「あの」

リーダーナースに声をかける。

「私が今日、オペ出ししたので。私が出ます」

「え! いいの?!」

リーダーを背にして電話へ向かう。

今日のリーダーはなんだかんだ理由をつけて電話を取る気はないだろう。

そういう押し付け合いを見るのは嫌だ。

どうせ私は新人の頃から南先生から嫌われている。

三年目になって今さら文句が増えても変わらない。

腹を括って受話器をとる。

「お待たせしました。青木です」

「え?! なんで青木さんが出るの? 青木さん昨日休みのはずでしょ?! 下の子庇ってるつもり?」

不機嫌な南先生の声が響く。

「昨日の担当者は今日休みです。今日オペ出しした私が代わりに伺います。臍処置が不十分で申し訳ありませんでした。十分指導します。今後このようなことがないようにします。申し訳ありません」

「ならいいけど。担当にちゃんと言っておいて。そのせいでオペがどうなるかとか。頼むから。じゃあ」

電話は一方的に切れた。

今日は自分のせいではないが毎度の事過ぎて大分慣れてしまった。

「先生大丈夫だった?」

リーダーが聞いてくる。

「大丈夫です。よく指導しろって」

南先生はなんで私が昨日担当じゃないって知ってるんだろう。

ああ、そうか。

看護記録見たんだきっと。

三年目の憂鬱なのか、人の失敗を押し付けあったりする先輩達の風潮に嫌気がさす。

元々、小児科希望だった私は希望が通らず今の部署にいる。

小児科への異動希望を前々から出しているが、まだ三年目。

師長からは経験不足と流されている。

燃え尽きるには早いのかな。

仕事への熱意がここのところ薄まっている。


十二月上旬の医局の忘年会。

私の所属する部署は三つの診療科がある混合病棟。

それぞれの科が忘年会を企画するため、何度も行かなくてはならない。

そのうち二つは夜勤で免れたが、一番行きたくない診療科の忘年会に行くことになっている。

師長からはこれも仕事だと強制参加の指示が出ている。

ホテルの宴会場で、わざわざこのためにちょっとフォーマルな格好をしなくてはならない。

日勤なので出勤からそんな格好をする。

先輩達は割と楽しみにしている様子。

好きな人だけ行けばいいのに。

仕事中も億劫だった。

日勤業務は定時に終わるはずもなく、だいぶ過ぎた十九時過ぎに病棟を出る。

日勤スタッフでタクシーに乗り合わせ、会場のホテルへ向かう。

忘年会は終盤。

会費を払うが、立食で食べ物はほとんど残ってないしビンゴもすでに終わっていた。

仕事でお金だけ払うなんて。

なんなんだか。

明日が休みなことだけが救いだった。

先に帰ろうかな。出席する義務は果たした。

帰り際にトイレへよる。

「ねえ」

誰かに声をかけられる。

振り返ると南先生だった。

なんだよ。

こんな所でも何か言われるのか。

「さっき来たばっかりでしょ」

「そうです。仕事が終わらなくて。すみません」

「何も食べてないでしょ?」

いつもの南先生と雰囲気が違うような気がした。

「はい」

「これからちょっと付き合ってくれない? おごるから」

「え?」

「明日休みでしょ。場所変えよう」

何がなんだか分からないうちに南先生に手を引かれ、クロークでコートを取り、ホテルを後にした。

タクシーで別の駅のお洒落なビストロに連れてこられた。

「食べたいの選んで。値段気にしなくていいから」

そんなこと言われても困る。

南先生と二人きりで初めて入るビストロで、メニューを見てもなんの料理か分からないし。

それ以前に今の状況が掴めない。

結局、南先生におすすめの料理を選んでもらった。

南先生もフォーマルな格好で、元々背が高くてスタイルが良いから様になっている。

料理が来るまで特に何も話さなかった。

料理が来ると

「お腹空いてるでしょ。遠慮しないで食べて」

とすすめられた。

お腹は死ぬほど空いていた。

料理が美味しかったのもあって、先生の前だけれど無言で食べた。

先生は「おいしそうに食べるね」と少し微笑んでいた。

空腹が満たされると少し余裕が出てきた。

そういえば、なんで私は南先生と2人でご飯を食べているのだろう。

私、そんなにお腹を空かせてそうにみえたのだろうか。

「先生。ありがとうございます。ご飯一緒にさせてもらって」

「別に。あそこの食事でお腹満たしたくなかっし。忘年会から早く抜け出したかったんだよね」

「そうなんですね」

空腹で忘れていたが、南先生が目の前にいることに緊張する。

病院を離れてもサバサバした。というか、ぶっきらぼうな話し方は変わらない。

「あの、どうして私を連れて出たんですか?」

たまたまその場にいたからなのだろうと予想する。

「青木さんのことが好きだから」

「え?」

多分、この時私は酷い表情をしていたと思う。

あまりにも唐突すぎだ。

でもすぐに冗談だと理解した。

「先生は私のことあまり好きじゃないのかと思ってました。そう言ってもらえてちょっと良かったです」

「青木さんが新人の頃からずっと好きなんだけど」

先生が言ってる好きと、私が考えている好きにズレを感じる。

「それは。知りませんでした。迷惑かけてばかりで」

「迷惑じゃなければ付き合ってくれないかな。私と」

先生、大丈夫だろうか。

さっきからワイン飲んでるけど、飲み過ぎておかしくなっちゃったのだろうか。

「あの。大丈夫ですか? 一応確認しますけど、冗談ですよね?」

先生はグラスに残ったワインを飲み干した。

「これでも私、大分勇気出して言ってるんだけど。冗談に聞こえるみたいね」

「そうじゃなくて、なんか突然で、ちょっと現実味がなくて」

先生は新たにワインを頼む。

あんな風にワイン飲んでる姿が似合うって大人だと思う。

そんな大人がまだ二十五歳の私に勇気を出すなんて信じられなかった。

「お酒の力借りないと伝えられないって情けないの分かってるから。年甲斐もなく一目惚れしたのよ。青木さんが新人で入ってきた時。それからずっと好きなの」

南先生の頬は赤い。

お酒のせいだけじゃないような気がした。

ずっとって、三年もずっと好きでいたってことか。

「彼女いたんだけど、青木さんに一目惚れしてからすぐに別れた。すごい揉めたけど」

彼女ってことは南先生は女の人が好きということでいいのだろうか。

「だから。私と付き合ってほしいんだけど」

南先生の目は嘘ではなく真剣なのが伝わる。

「あの。先生。お気持ちはとても嬉しいんですが。私、彼氏いるのでお付き合いできません。ごめんなさい」

先生には丁重にお断りした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る