ドクターコール

汀 裕(みぎわ ひろ)

第1話 当直コール


十五時三〇分。

地下にある更衣室でユニフォームに着替える。

スクラブの方が動きやすいけれど今日は白衣を選ぶ。

髪をまとめると気持ちが仕事へ切り替わる。

今日の日勤は忙しいのだろうか。

日勤からの忙しさの煽りを受けたくないなと思う。

でも、今から考えたって仕方ない。

なるようにしかならない。

更衣室を後にし病棟へ上がる。

休憩室に入ると他の夜勤のメンバーの二人がすでに着いていた。

「青木さんおつかれさまです。よろしくお願いします」

二人は三年目と二年目。

六年目の私が今日の夜勤リーダー。

二人の業務も把握しながら病棟全体をコントロールする役目。

実際はコントロールなんてできないけれど。

「青木さんリーダーで良かったーって思ったら当直南先生だって!」

「えー。当直コールしたくないですー。こわいですー」

南先生は誰に対しても厳しいので有名な女医。でも、自分にも厳しくて知識や技術は確か。

指示は的確なできる先生。

医局内でも男性医師を押し除けて信頼の厚い先生だと思う。

「南先生、オーベンだからファーストコールじゃないでしょ? だから大丈夫だよ」

後輩二人の気を楽にさせようと声をかける。

「ていうか、南先生、青木さんに当たり強くないですか?」

後輩の一人が心配して言う。

そうなのだ。南先生は私に特に当たりが強い。

私が新人の頃からだ。

私の雰囲気が当られやすいのもあるけれど、看護記録にまで文句をつけられたのにはこたえた。

看護記録にまで目を通しているって所は逆にすごいと思うけど。

「昔からだからもう慣れたよ。それに、南先生、間違ったこと言ってないしね」

後輩二人には笑顔でこたえ、休憩室を後にした。

ナースステーションはそれほど慌ただしくなくて安堵する。

これからのことは分からないけど。

受け持ち患者を確認し、情報収集や指示確認、服薬、点滴の準備に取り掛かる。

申し送りまで夜勤の大体のスケジュールをシュミレーションしてみる。

オペ患が一人もどってくる。

ま、なんとかなるか。

申し送りの後、夜勤メンバーで軽くミーティングをする。

ミーティングが終わると私の中で夜勤のゴングが鳴り響く。

これから朝まで無事に終りますように。



受け持ちのオペ患が予想よりも遅く帰ってきた二十二時。

戻りのバイタルを測定したり色々整えていると後輩が来た。

「青木さん。緊急入院の依頼が来ました。すぐ病棟に上げたいって言われて、二十三時ごろにして欲しいって言ったんですけどリーダーにかわれって南先生が」

このタイミングで緊急入院か。しかも南先生。

ベッド周りの整備と抗生剤の点滴を後輩に頼み、電話に出るためにナースステーションにもどる。

「お待たせしました。青木です」

「三〇分以上待たせるってどういうことか説明してくれない?」

「オペ患が今戻ってきたばかりで、緊急入院の準備がすぐにできないので」

少し間が開く。

「二十二時四十五分。それならなんとかできるでしょ。輸液ポンプとか、無ければそのまま朝まで救外の使っていいから。こっちのナースにはそう言っとく」

「ありがとうございます。その時間でお願いします」

電話を切り、他の夜勤メンバーに伝える。

緊急入院の準備は後輩に任せ、オペ患の様子を見に行く。

状態は安定している。

ナースコールも少ないため緊急入院の受け入れは問題ないだろう。

ほどなくして時間ぴったりにストレッチャーをひきながら南先生と救急外来のナースが病棟にやってきた。

予定の空きベッドへ誘導する。

患者のベッド周りを後輩に任せて受け持ちとなる二年目の後輩と一緒に申し送りを聞く。

「輸液ポンプ、足りましたか?」

「大丈夫です。病棟にちょうどあったので。救外でも使いますものね」

「助かりました。南先生、今日大分カリカリしてて」

「病棟上げるの待ってくださって助かりました。ありがとうございます」

「それは全然大丈夫です。お疲れ様です」

救急外来のナースが帰って行った。

「ねぇ、指示って青木さんに言えばいいの?」

南先生が遠くから機嫌悪そうに聞いてくる。

「私聞きます」

「指示漏れはないはず。薬も出しといた。明日の朝から開始。この人、症状とか出たら私に直接コールして」

「分かりました」

隣にいた二年目ナースが

「南先生に直接コールって怖すぎる」

と、呟いていた。

「私、そろそろオペ患の状態観察の時間だからついでに巡視してきちゃうね」

そう伝えてナースステーションを後にした。

最初にオペ患のバイタル測定をし、他の受け持ち患者の様子を見に行く。

暗い病棟の奥の方を歩いていると曲がり角から南先生がこっちへ来た。

無言で私の方へ進んで来るといきなり抱き締められる。

「ちょっと! 何するの?!」

「だって、美穂ちゃんどっか行っちゃうんだもん」

南先生の匂いがする。

私も背中に手をまわしたいがその手で先生を引き剥がす。

「私、さっきオムツ交換とかしたから!」

「私だってさっき血培とったし」

そういう問題じゃない。

「美穂ちゃんと会えると思って急患はやく病棟に上げたかったのに、美穂ちゃんちょっと待ってっていうしさ。ちょっとへこんだ」

「業務に私情を挟まないで」

南先生は口を尖らせて不満そうにしている。

「それにさ。病棟来てみたら、いつもスクラブなのに白衣着てるじゃん。美穂ちゃんの白衣姿超かわいいからすっごいテンション上がったのにすぐどっか行っちゃうしさ」

「患者さんの巡視の時間だから。仕事だから」

先生が当直だから白衣を選んだこと、絶対言ってやらないと思った。

「もう一回ぎゅーってしたい」

いつもキリッとしてる先生が仔犬のような目をしている。

仕方ない。というか、私もちょっと抱き締めたい。

「いいよ。少しだけだよ」

言い終わる前に抱きしめられる。

先生と付き合って二年ちょっと。

いまだに抱き締められるだけでドキドキする。

私より背が高い先生は少しかがんで額にキスしてきた。

「汗かいたから汚いよ!」

「汚いなんて思ったことない。ありがとう。元気出た。お互い頑張ろ」

先生はそう言うと颯爽と歩いて行った。

先生こそ濃い赤紫色のスクラブがよく似合う。

長めのショートヘアがかっこいい。

私の前だとデレまくるくせに引き際がかっこよすぎてズルいと思う。

先生は切り替えられるかもしれないけど、私は難しいんだよ。

頭の中が先生で一杯になってしまう。

仕事仕事。

そう言い聞かせる。

先生は明けの後外勤だと言っていた。

夜、少し会えないかな。

会えた時、今度はちゃんと抱きしめられたい。

胸の奥は切なさで一杯だった。


夜勤が終わり、自宅に着替えを取りに寄ってから先生の家に向かう。

先生と付き合っていることは周りに隠している。

院内に知れ渡ると色々厄介だ。

先生の部屋は物が少なく殺風景。

仕事が忙しすぎてほとんど家にいない。

お互い当直がある仕事だから会える日も限られている。

シャワーを浴びて先生のベッドで眠る。

今日もきっと遅いんだろうな。


二十二時を過ぎて先生は帰ってきた。

「美穂ちゃーん。会いたかったよー。当直の後外勤でまた病院戻ってきてってもう辛すぎ。美穂ちゃんに会えないと死んじゃう」

帰ってくるなり私に抱きついてくる。

この人、家でこんななんて誰も想像できないだろう。

「ねー、美穂ちゃん。開業しちゃう?そうすればずーっと一緒にいられるじゃん?」

「今、開業できるだけのお金ないでしょ」

「夢を言っただけじゃん。それいいねとか言ってよー。美穂ちゃん私にはどうしてそんなに冷たいの?」

病棟でのあなたの態度はなんなんだと言いたい。

「先生こそ、病院ではキツイじゃない」

「だって。今更キャラなんて変えられないし。一生懸命やってるとああなっちゃうんだもん。私、全然余裕無いんだよ!」

私の前だけでデレる。そこがたまらない。

「でも程々にしてね。他の看護師が怖がってるし、私には特に当たりがキツいって心配されてるんだよ」

「そうなんだ。気をつける。美穂ちゃん特別扱いしないようにってしてた。ていうか美穂ちゃんと同じ所にいるのに全然話しかけることないんだもん。辛いよぅ」

そうそう。この人は私と話すためにわざわざ看護記録の粗探しした人だ。

先生には新人頃から違った意味で目をつけられていた。

「先生。そろそろお風呂入ってきたら。私、待ちくたびれちゃったよ」

色っぽい眼差しになるように意識してみる。

昨日抱き締められてから先生のことばかり考えてる。

「え?! ちょっと待って! 光の速さで入って来る。ベッドで待ってて!」

先生はすごいテンションで服を脱ぎながら浴室へ駆け込んで行った。

そんな慌てなくてもどっか行ったりしないから。

そしてムードのカケラもない人だ。

綺麗な人なのにもったいない。

私は寝室のベッドで先生がシャワーから上がるのを待つ。

先生からいきなり付き合ってほしいと言われた時は何かの冗談かと思った。

付き合ってみて、こんなに人を好きになれると思ってもみなかった。

一緒の所で働けるのは嬉しいけれど、この幸せがこのまま続くのかどうか不安になる。

先生は三十五歳。私は二十八歳。

周りの影響で色々と揺れ動いてしまう。

先生はどう思ってるのだろうか。

聞きたい気持ちはあるけれどなかなか切り出せずにいた。

抱かれることで不安を曖昧にしてきている。

今日もきっと言えない気がした。

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