第2話ミッドタウン
Gの目を真っ直ぐに見詰め、ショーンは頷いた。
口元の優しい笑みとは裏腹に、ミルク売りのGの目は、笑っていない。
ミッドタウンとは名ばかりの廃墟。
ハイプとモルグの中間地点は、数百メートルの間にある空白地帯だといわれていた。
その空間が、ふたつの都市の格差を如実に表わしているという者もいた。
ハイプを追われた軽犯罪者たちは、モルグに落ちることを拒んだ。
モルグに住むのは奴隷階層。
犯罪者ではない人々で、モルグ落ちを拒んだ人々がいる。
彼らの主張は、
「我々は奴隷ではない」
だった。
彼らは独自に、空白地帯に住居を建設して移り住んだ。
それは、都市伝説に過ぎないとショーンは思っていた。
「実在するのね、ミッドタウン」
実は、当局は見てみぬ振りをしていたが、彼らがモルグとハイプの両方に跨る犯罪組織の構築を始めた時点で、大掛かりな狩りを行い、殆どの者たちを殲滅、降伏した者たちはモルグの最下層に叩き落した。
それが十五年前。
最下層は、いまだ掘り進められている奈落だ。
いつの日にか、地殻を食い破りマントルとの狭間にまで到達するのかもしれない。
その前に彼らは焼け焦げて死ぬのだろう。
つまり、ミッドタウンは粛清されて、もう存在しないはずの空間なのだ。
今のミッドタウン跡地に近づく者はいないし、弾丸エレベーターも通過するだけのはずだった。
「どうやって入るの?空白地帯は封鎖されているはずじゃなかった?」
「ああ、封鎖されてる。だが、あの町は密売のメッカでね。ショーン、色々なものを売っているんだ。君にとって有益なものもあると思う」
「密売のメッカって、まさか人がいるの?」
Gは笑みを浮かべ、
「ショーン、自分の知らないところで何かが起こっていても、情報として知りえなければ、何も起こっていないのと同じことだ。違うか?」
「でも、あたしは警察官なのよ」
「ああそうだ。だが、モルグの警官だ。モルグ以外の場所での情報は、殆ど耳に入らないはずだ」
ふたりの会話の間にも、弾丸エレベーターは、地の底から地表方面へ向かって、凄まじい重力を発生させながら、突き進んでいた。
定員五十人の座席は、半分も埋まっていない。
「何度乗っても、このエレベーターは好きになれないな」
と苦笑するGに、
「あなた、そんなに頻繁にこれに乗ってるの?おかしいじゃない、モルグのミルク売りが……」
「しっ!」
唇に人差し指を当てて、片目をつぶって見せた。
「シートベルトしてるか、ショーン?」
「してるけど、何?」
と聞き返した瞬間!
がこーーーん!
激しい衝撃とともに、エレベーターの箱が何かにぶつかったような音がした。
「げえ」
腹に食い込んだベルトの圧迫で、ショーンは思わず喘いだ。
同時に、灯りが消え、箱の中は悲鳴と怒号に満たされた。
と、素早い手つきでショーンのベルトが外され、
「来い!」
小声だったが強い声音に促され、ショーンは引きずられるがままに箱の隅に向かった。
(こっちに出口なんてあるわけがない)
と思ったのも束の間、ショーンは息を呑んだ。
「まさか、空間通廊……」
僅か直径五十センチほどの穴が開いている。その縁は、淡い紫色に輝いていて、ヴィクターが開けた通廊とは、明らかに違っていた。
「一体何が」
起こったの、と問いかける間もなく、ショーンは狭い穴に突き飛ばされた。
途端に体重が失われ、無の空間に放り出されて浮いた。
恐怖に打ち震え、悲鳴を上げようとした正にその時、背後から凄まじい力で抱き締められ、息が止まりそうになった。
Gはショーンを抱きすくめたまま、異空間を跳躍した。
ごばあっ
まるで、深海からいきなり浮上したかのように、ショーンは重力のある空間に放り出された。
「驚かせて悪かったね、着いたよ、ミッドタウン」
「な、何これ?」
モルグよりたちが悪い、とショーンは思った。
毒色のネオンが街路沿いに点滅している。
モルグが死の魔都だとしたら、ミッドタウンは煉獄の盛り場だ、と感じた。
だが、妙な色気を感じて、ショーンは少し興奮した。
子供が大人の世界を覗き見てしまった時の、背徳の喜びにも似て。
「さあ、行こうか、ショーン。ママに会いに行くのは少し遅くなるが、勘弁してくれ」
呆気に取られたまま、ショーンはGの後に続き、ミッドタウンの街路に足を踏み入れた。
賑やかだ。
生まれて初めて、ショーンは人いきれと喧騒を体験した。
ずらりと並ぶ屋台から、声がかかる。
「G、素通りはねえだろ」
「珍しいじゃねえか、G。別嬪さん連れて」
Gは手を挙げて皆に応えた。
「やあ、みんな!驚くなよ」
Gは仰々しくショーンをみんなの前によく見えるよう立たせた。
「俺は今日、オータムボーイの娘を連れて帰ってきたぜ!」
一瞬の静寂。
そして街が歓喜にどよめいた。
街の中のあちこちから、声がかかった。
それは大きかったり小さかったり。
「本当か、ショーンなのか!」
「お帰りショーン!いつのまにかこんなに大きくなって!」
「ママそっくりの別嬪さんだなあ!」
「でも、目元や意志の強そうな眉毛はオータムボーイそっくりじゃないのさあ」
どれもこれも、温かい歓迎の声音に満ちていた。
歓迎、そして温かい言葉。
中には泣いている人たちもいた。
しかし、ショーンは困惑した。
(あたしは、この町の人たちを知らない。どうしてこんなに歓迎して貰えるの?手の込んだ罠?)
緊張の面持ちを隠せないショーンに、
「心配するな、ここには当局の犬はいないし、嘘つきもいない。モルグからもハイプからも切り離された街であり、ここにいるのは、みんな君の味方だ。みんな、幼かった君と君のママ、そして父親であるオータムボーイを愛してやまなかった仲間たちだ」
そして、ショーンの目の前に白髪蓬髪の老女が現れた。
「お帰り、ショーン。何年ぶりだろうねえ。あんなに小さくて可愛かったショーンが、こんなに立派な大人になって」
と、ショーンの手を取った。
「ごめん、なさい、あたしは、あなたを知らないの」
と、ショーンは手を振りほどこうとしたが、老婆は離さなかった。
「ショーン、わかっているのよ、あなたがわたしたちのことをすべて忘れてしまっていることを。みんな、わかっているわ。でも、今だけは、わたしたちのことを信じて、一緒に来て欲しいの」
Gは、老婆を、アニタというリーダー格のひとりだと紹介した。
小さなテント小屋の中に、ショーンは招かれた。
そこが、お迎えに出てきてくれた老婆の住処であり仕事場だった。
ショーンと老婆の間には小さなテーブルがあり、その上に美しい光沢を放つ透き通った大きな玉が置かれている。
その下には、ショーンがかつて見たこともないような真紅のビロードが敷かれていた。
「必ず、いつの日にかオータムボーイの娘が帰ってくると、水晶球が告げていたのよ」
アニタは皺だらけの顔を益々歪めて皺くちゃにし、古い傷跡のような双眸から、ぼたぼたと涙を零した。
呆気に取られているショーンに、
「彼女にとって、君のパパは孫のような存在だった。つまり君は曾孫のようなものだってことだ」
と、Gが囁いた。
「どうして、どうしてここの人たちは、みんなパパのことを知っているの?ここにいる人たちは、一体何者なの?」
すると、アニタが目を見開いた。
瞳が白く濁っている。
(この人は、目が見えないんだ)
と思った瞬間、
「心配しなくてもいいの、心の目は開いているわよ」
と、まるでショーンに応えるかのようにいった。
瞠目したショーンに、
「私たちは、レジスタンス。そしてあなたの父オータムボーイは、レジスタンスに所属する、天才ハッカー、いや、リーダーそのものだった」
と、アニタは告げた。
「何をいってるの、パパは警察官だったのよ」
「ショーン、そうなんだが」
と口を挟んだGに、アニタが、
「G、あたしの方から説明するわ」
と微笑んだ。そして、
「ショーン、落ち着いて聞いてね。あなたが知っているあなたの家族の経歴は、意図的に作られた幻なの。あの連中が作り上げた幻」
「幻?あの連中?一体何をいってるの?」
どう反応していいのか分からないショーンは、アニタのテーブルの前に立ち上がり、
「ねえアニタさん、何をいっているの?幻って何?あたしが暮らしている生活空間は、幻っていうことなの?」
「急にこんな話を聞いたら、あなたが取り乱すのも無理はない。誰だって最初はそういうものよ。ショーン、あなたのパパは、レジスタンスの中核にいた人物で、天才ハッカーとして名を馳せた。その実力を買われ、政府の治安維持組織にスカウトされたの。それは条件付のスカウトで、私たちレジスタンスとは二度と関わらないこと、その代わりに政府はレジスタンスに対し、一切の干渉をしないこと。彼は後者の条件のために、私たちの元を去った。生まれたばかりのあなたを連れて」
「ママも一緒にでしょ?」
アニタはじっとショーンの目を見詰め、
「ショーン、ハイプに戻ったら、自分の目で見ているものの全てを疑ってかかることよ。あなたのママは、あなたが生まれてすぐに、亡くなったの。殺されたのよ」
ショーンは唖然としつつも、
「何をいってるの?じゃあ、ハイプにいるママは、一体誰だって言うの?」
笑いがこみあげてきた。
だが、おかしくて笑っているんじゃない、と感じている。
「ショーン、本当のことをいうと、あなたがハイプに戻るのはお勧めできない。勿論、モルグの警察署に戻ることも。あなたが危険に晒されるのを私たちは、黙って見ているわけにはいかないの。そして、ひとりでヴィクターに立ち向かうのも、危険極まりないわ」
ショーンはけたたましく笑い始めた。
「何なのよ一体」
テーブルに肘を突き、両手で頭を抱えた。
「モルグの警察署に飛ばされて半年、上司や同僚は腑抜けのボンクラばかり。ヴィクターを追っても失敗続きで同僚は何人も失踪、無理やり休暇を取らされたかと思うと、見も知らないホットドッグとミルクを売ってる男に奇妙な場所に連れてこられ、レジスタンスがどうの、挙句の果てに父はハッカー母は偽者ですって???何なのよ……何なのよ一体!」
だん!
テーブルを叩いた衝撃で、水晶球がビロードの敷物の上をごろりと転がった。
慌ててGが取り上げる。
「何がなんだか、訳がわからないわよ!」
勢い良く立ち上がったショーンは、
「帰る!」
踵を返し、テントから飛び出した。
水晶球をアニタの前にそっと置いて、Gは後を追った。
「待てよ、ショーン。話の途中だぞ、人の話は最後まで聞くもんだ」
Gが止めようとすると、
「だったら、結論から先に言えばいいでしょ!知らない場所に連れてこられて回りくどい話をされても、はいそうですかなんて返事はできないわよ!」
「だから、そんなに簡単に説明できるほど単純な状況じゃないんだって。重大な話があるんだ、聞いてくれ、この町に連れ戻したら、もしかしたら記憶が戻るかもしれないと思ったんだがなあ」
岩のような筋肉質で蟹のような顔をしたGが、泣きそうな声でショーンの後を追う。
「わからない、わからないわからないし、しらない!ハイプのママのところに帰りたい!あたしのママが死んだなんて、どうしてそんなひどいことをいうの?!」
ショーンは泣きながら、小走りに弾丸エレベーターの昇降口に向かった。
「待てって、お前一人では、弾丸エレベーターには戻れないぞ」
振り向きざまに、ショーンは引き抜いた拳銃の銃口をGに向けた。
連なる屋台の人々から、悲鳴が響いた。
「ショーン!銃を下ろせ!子供や年寄りもいるんだぞ!」
「うるさい!来ないで!」
ショーンは元来た道をひたすら駆け戻った。
悔しかった。
ノコノコとGについてきた自分を羞じた。
何かの罠に嵌ったのだ、と思った。
(警察官だからね)
利用されかかったのだと。
「ショーン、待ってくれ!君を騙すようなことはしていない!何度も言うが説明するには、余りにも事態は複雑なんだ!だが信じてくれ、俺たちは君の味方なんだ!もし敵なら、とっくに君を始末している!罠に陥れるつもりなら、もっとあざとい手を使うし、ちやほやして足止めする!違うか!」
ショーンの足が止まった。
キッと振り向くと、
「あたしをハイプに戻してちょうだい!」
有無を言わせない剣幕に、Gはただ頷くしかなかった。
エレベーターの中で、ショーンは不意に眠気を感じ、膝から崩れ落ちそうになった。
「大丈夫か、ショーン」
Gが支えると、
「触らないで、大きなお世話よ」
と、邪険に払いのけた。
「ああ、もう、ムカつく」
苛立ちを隠せないショーンを、Gは黙って見守った。
だが、ふたりは気づいていなかった。
ショーンが一瞬気を失った隙に、彼女のヒップホルスターに格納されていた銃が、見えない手でするりと抜き取られていたことに。
ハイプに戻ったショーンは、真っ直ぐに家に戻った。
(母の無事を確認しないことには安心できない)
不安はすぐに雲散霧消した。
チャイムを鳴らした途端にドアが開き、
「ショーン、お帰りなさい」
満面に笑みを湛えた母親が出迎えてくれたのだ。
ホッとしたショーンは母親に抱きつき、
「ああ、やっぱり我が家が一番ね」
と連れ立って中に入った。
すると母親が、リビングに入ろうとしたショーンに、
「でもショーン、いかがわしい連中と連れ立ってミッドタウンに入ったのはよくないわ」
と告げたのだ。
愕然として振り向いたショーンは、
「ママ、どうしてそのことを知ってるの?」
母親は醒めた笑みを浮かべ、
「子供のやることだもの、親はすべて知っているわ」
と答えた。
そんなバカな。
たった今、ショーンは重大なことに気づいた。
(ママの名前が思い出せない)
ショーンの肩くらいしか背丈のない母親の背後に、黒い人影が立っていた。
「ショーン、親をガッカリさせるような行動は慎むべきだぜ」
聞き覚えのある声。
人影は母親を押しのけるようにリビングに入ってきた。
ショーンの頬が驚愕と恐怖に引き攣った。
「ど、どうしてあなたがここに?」
ヴィクター・ホリディが立っていた。
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