第四話

 事態が急転したのは、ガントス王が何者かに殺されてから三日目のことだった。ガントス王殺害の首謀者とされたカナタス王子と、実行犯であるとされるソフィステスの処遇が決まったのだ。カナタスは東部のゴールウェイにある重犯罪者用の監獄に、ソフィスは西部にある、同じく重罪人を収監するシュタインバッハ監獄に送られることになった。

 確たる証拠があるとはいえ裁判を通さずに収監されるなどというのは、フェンザムンでも異例の事態であった。裁判になれば確実に極刑を言い渡されるであろうことを聞かされたミナネス王女たっての願いでふたりは流刑となった、ということである。また、裁判が行われればこの出来事は国民に知れ渡ることとなり、フェンザムン王家の威信に関わる、というのもこの処置の理由であるようだった。

 これらの報告を、レオンことレオナルド・カルディナーレは謹慎中の自室で聞かされた。情報を持ってきたのは彼を慕う王国騎士団の若者たちだった。彼らは、カナタスやソフィスと親しかったからという理由だけで自分たちの師が謹慎処分を言い渡されたことに不満を持っており、面会禁止の規則を破ってこの話を伝えてくれたのだった。

「おまえたち、気持ちは嬉しいが規則は守れよ。見つからないうちに戻った戻った」

 レオンは若者たちを帰すと、黙って自室の整理を始めた。カナタスやソフィスのした証言と、その裏取りの話も含めて、レオンは何が起こったかを大まかに把握していた。この一件にはモルガンと、最低でも一人の魔術師が関わっている。それも、人一人の姿の幻を作り出して気付かせないほどの強力な魔術師――。たとえば、あの魔術師長のような。

 ラミューという魔術師は、若くしてその才能を見込まれ、宮廷魔術師に登用された人物だった。彼女は、城の召使いや兵士たちの噂によれば『転生体』と呼ばれる、フェンザムンに昔から一定数いる特殊な魔術師であるという。彼ら彼女らは転生を繰り返すことで魂に魔力を溜め込み強力な魔術師となるが、代償として何かを支払わなければならない。その代償が何かは人によるとのことだったが、ラミューにはもう一つ、噂がついていた。彼女は先の反乱で恋人を失ったらしい、と。

 魔術師とモルガンが結託すれば、何も知らない王子を陥れるなど造作もないことだろう。そして、彼らは自分たちが廃した王子を生かしておきはしないだろう。たとえ極刑にせず、流刑地に送るとしても、それが王女の願いであったとしても、その途中で死亡してしまえばしめたものである。だとするならば、レオンにぐずぐずしている時間はなかった。

 密かに旅支度をしていると、扉が叩かれた。先の若者たちの気配でないことを感じ取ったレオンは、広げていた荷物の上に毛布を掛けてから慎重に扉を開けた。そこに立っていたのは、見たことのない顔の、まだ少年といってもいいくらいの若者だった。

「何者だ」

 レオンの問いに、若者は短く、あるお方からの使いで参りました、と告げた。彼は外套の袖の下からその言伝の主の名が書かれた小さな木片を取り出した。そこに書かれていたのは、エルナン・カルリオンという伯爵の名だった。目を瞠るレオンに、彼はカナタス王子が城を連れ出される日時を知らせた。

「明日の正午……!? あまりに早すぎる」

 若者はそれには答えず、ご武運を、とだけ言って身を翻そうとした。レオンは素早くその肩を捕まえて言伝を頼んだ。

「カナタス様の味方をしてくださるというのなら、ミナネス様のことをお頼み申し上げたい、と」

「お伝えいたします」

 無駄のない返答の後、彼は音もなく闇の中へと消えていった。


 レオンが部屋を出たのは、カナタスが連れ出されてから二日目の朝のことだった。移送の馬車が王都出る前にレオンが謹慎を破ったことが知られれば、警備はより厳しくなるだろうし、通常の囚人移送のルートから外れる可能性もあったからだ。ここから二日の距離では、襲撃者が出るには街道が賑やかすぎて目立つだろう。ゴールウェイは王国東部の寂れた田舎町であり、近付くにつれて活気が失われていく。襲撃をさせるなら、出発してから四日目以降になるだろう、とレオンは予測していた。二日は耐えて、残りの二日で一気に街道を駆ければ、間に合わないことはないはずだ。レオンの馬は体力にも速さにも優れた軍馬で、並みの早馬にも負けなかった。

 早朝の訓練も始まる前の時間に厩舎に忍び込んだレオンは、愛馬のヴァレリオに長らく世話できなかったことを詫びた。忠実な黒い馬は早く行こうよと言わんばかりに主人をじっと見つめた。レオンは素早くその背に鞍を乗せて跨ると、王城で最も囲みの薄い騎士団の演習所を突破しようと、ヴァレリオを駆けさせた。

 一人と一頭の目の前に人影が現れたのは、演習所の木の柵が見えてきた時だった。そこに立っていたのは、まだ沈む前の月の光を束ねたような長い髪を朝風に靡かせた若き女騎士、ルーナ・ハードキャッスルだった。彼女は馬上のレオンを睨み据えて腰の剣を抜き放った。

「このような時に罪人の味方をするとは、見損なったぞ! レオナルド・カルディナーレ!」

 厳しい訓練を耐え抜いて作られた腹筋から放たれた声は、まだ静かな王城に響き渡った。レオンは荷物を馬の背に括りつけるふりをしながらこっそりとルーナに向けて微笑んだ。それでいい。さすがは教え子にして、フェンザムンに二人しかいない彼の同僚だ。

「降りてきて私と勝負しろ! 大罪人の味方をするというのなら、この私を倒して行くがよい!」

 レオンは馬を下り、ルーナと向き合った。

「言うようになったじゃねえか、ルーナ。昔はこんなにちっちゃくてかわいいガキだったのに」

 腰のあたりの高さに手をやって言うと、ルーナはあからさまに気分を害したような表情を作った。

「いつまでも貴様の教え子の頃のままでいると思うと痛い目を見るぞ。本気で来い、レオン!」

 剣を構えたルーナから放たれる殺気は本物だった。見事なものだとレオンは感心する。その本気には、こちらも本気で応えねばなるまい。レオンが大剣を構えた直後、ルーナが地を蹴った。単純な力ではほとんどの騎士に劣るルーナに、先制攻撃と相手に息もつかせぬ剣戟での勝負を教え込んだのは他でもないレオン自身だった。ルーナが繰り出す突きを大剣で防いでいたレオンは、剣が突き出されるタイミングを合わせてルーナの剣を弾き飛ばした。

 ルーナが愕然とこちらを見つめる。レオンは斬りかかる動作をしながら、危険を察知したルーナが後ろに跳ぶ直前、その耳に囁いた。

「強くなったな、ルーナ」

 一瞬、レオンにしか分からないほど微かに、ルーナの気配が揺れた。しかし彼女は次の瞬間には体勢を立て直し、甲冑の腕に仕込んでいた短剣で突きの構えを見せた。

「やめろルーナ。それじゃあ俺には勝てん。こんなところで無駄死にするなよ。おまえはミナネス様の騎士なんだから」

「黙れ! まだ決着はついていないぞ!」

 果敢にも懐に飛び込んでこようとするルーナの一撃を躱し、その腕を掴んだレオンは、後ろ側に回って首の急所を突いた。声もなく崩れ落ちたルーナを寝かせると、レオンは騒ぎを聞きつけて集まってきた騎士たちを見回した。

「もういいか? 誰か挑んでくる奴はいないか?」

 ルーナが倒されたのを見て、この上勝負を挑んでくる者はいなかった。レオンは立ち上がり、再び馬に跨ると、城に仕える者たちが見ている目の前で囲みを越えて出ていった。

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