第669話 人生の後悔と肯定

 婆さんの話に俺だけではなく、部屋にいた誰もが言葉を失い、ただひたすらに沈黙するしかなかった。この話が全く見た事も聞いた事も無い見ず知らずの人間の話なら馬鹿な話だと聞き流す事が出来たが、その当事者本人を目の前にしてそんな事は言えない。

 確かに婆さんの自業自得とも言えるが、しかし、そうなる事を知っていて後先考えずした行動ではなく、年齢的にどうかとは思うがただ無知だったというだけだ。

 しかも、親を含めて周りにそうなる事を本人が学ぶ環境もなかった。


 そう言った意味では婆さんも運命の被害者と呼べるだろう…


 そんな中、鼻水をすする様な音が聞こえてくる。チラリと視線を向けてみると、それはクリスであった。よく考えれば、クリスも帰る場所を失ったんだよな…

 クリスの場合は、騎士だった父と兄を失い、今までただの貴族令嬢だったクリスがその家職を受け継いで騎士となり、ティーナの一件で手柄を立てようと俺を追いかけて家に戻ったら、母が再婚して実家が消えていたんだよな… だから、婆さんの気持ちがよく分かるんだろうな…


「すみません… シャーロット様…」


 再び婆さんが言葉を口にしたので向き直ると、シャーロットが嗚咽を漏らす婆さんの背を擦っていた。そして、婆さんは再び身の上話を語り出す。


「私は宦官に縋りつきました… このまま後宮の外に追い出されても、とても生きていけないと… 実家を失い生きる術を持たない私は必死でした… 必死に必死で涙ながらに訴えかけました… 宦官は最初は私の事を食べ物に寄ってくるハエの様に鬱陶しがっていましたが、私があまりにもしつこく縋りつくので根負けして、上の者に相談してくれました。そして、私の前に現れたのが、先日亡くなられた宰相のアルフォンソ様なのです…」


 !!! ここでアルフォンソに繋がるのか!? 一体、どう繋がっていくんだ!?


「アルフォンソ様は私の為にわざわざ足をお運びになられて、私に最後の機会を与えようと仰って下さりました。私にとってそれは天から梯子、魔界に聖者のように思えました」


 天から梯子、魔界に聖者って…意味的には蜘蛛の糸、地獄に仏って感じか?


「その最後の機会とは…」


 婆さんはそう言いながらシャーロットを見る。


「それはカスパル陛下の子女を育てる育成所での、働き場所を与えて下さる事でした…」


 この言葉にシャーロットはハッと気が付く。


「では、育成所で私たちの面倒を見て下さった方々は!?」


「はい… 後宮から追い出されて実家も無く寄る術の無い者たちでございます…」


「それでは私たちは自分たちの実母や義母にあたる方々を世話係として使っていたという事ですの!?」


 知らなかったとは言え、自分を含めた兄弟たちが実母や義母を下人として扱ってきた事に、罪悪感を覚えたシャーロットはわなわなと身体を震わせ始める。


「シャーロット様…その事で気を病む必要はありません… 私たち育成所で働く者たちは、後宮を追い出された時から、後宮にいた事や貴族であったこと、また子供を産んだ者はその事も全て忘れて、決してその事を口にせず、ただの一人の人間として勤めるように言われました… また、私自身はそうではありませんでしたが、カイラウルの貴族の娘は『家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従え』と教えられています。だからシャーロット様は気になさらないで良いのです…」


「確かにその事は私も教わりましたけど、それは家族として互いの敬意があっての話です…ただの一方的な主と従者とは違いますわ…」


「それでも良かったのです… 後宮から追い出されて路頭に迷い野垂れ死にするよりかは…子を産んだ者は自分が生んだかもしれない子の世話を出来ますし、子を産まなかった私としても我が子が出来たような思いをする事が出来ましたから…」


 後宮の天国のような生活から、急落して育成所で下女の様な生活で落ち込んでいたのかと思っていたら、疑似的な親子生活が出来た事に満足して納得していた訳か…


「それで婆さん」


 俺は婆さんに声を掛ける。


「はい、何でございましょう…貴公子様…」


 婆さんは図書館の爺さんとは違って、俺を貴公子と呼んでくれるのか。


「シャーロットの話では、婆さんが突然泣き始めたって話だったけど… 育成所を出たシャーロットが帰ってきてその姿を再び見れたから…って訳だけではないんだろ? 他にどんな理由があったんだ?」


 シャーロットが、婆さんが突然泣き崩れたと話していた事を思い出して尋ねてみる。


「はい、シャーロット様の御姿を見れた事だけではありません… シャーロット様の演説を聞いたからでございます…」


「え? 私、そんな大層な事を言ったかしら… それともニナさんを傷つける事を言ってしまったの?」


 シャーロットは自分が婆さんを傷付ける事を口にしてしまったのではないかと狼狽する。


「いえ、シャーロット様は私を傷付ける様なことは仰っておりません、私はシャーロット様の素晴らしいお言葉に感銘して涙を流してしまったのです…」


「その感銘した言葉というのは?」


 俺は婆さんに尋ねる。


「それは…学ぶことの重要性についてです…」


「…確かに私は妹たちの前で学問の重要性について述べましたけど… ニナさんがどうして泣き崩れるまで感銘を受けたのですか?」


 シャーロットは疑問に思いながら尋ねると、婆さんはゆっくりと語り出す。


「私は学の無い女でした… それどころか一般常識… 周りの人間がどの様に想い考えているかさえ分からない無知で無能な人間でした… もっと私が学んでさえいれば…社会やまわりの環境を把握できるだけの知恵があれば… 両親が私の為に無理して仕送りをしていてくれた事や、後宮を追い出されるであろう事… 家がお取り潰しなるような事… そして…後宮を出た後、路頭に迷いかける事も無かったでしょう… 全ては私の無学で無知がもたらした結果なのです… 私は後宮を追い出されたからというもの、ずっとその事を悔やんでおりました…」


 そして、婆さんは顔を上げシャーロットを見つめる。


「そして、シャーロット様が戻ってきて、シャーロット様の若い妹様方の前で学問の重要性を説かれました… 私も妹様方の若い時に、誰かに同じように学ぶ事の重要性について教えてもらえれば… 後宮での居場所や実家…そして両親を失う事も無かったのだと考えたら… 目から流れ出す涙も、心から溢れ出る思いも押しとどめる事は出来なかったのです…」


 そう言うと婆さんは再び顔に手を当てて涙を流し始める。


「なるほど…シャーロットの言葉は若き日の婆さんが掛けてもらいたかった言葉だったんだな…」


「そうです! そうでございます!」


 婆さんは泣きながら答える。


「もっと私が色々な事を学んで周りに対する思慮深さがあれば…もっと違った人生を、誰かに媚びて甘えるだけの人生を過ごさずに済んだのではないかと…」


 すると、感極まったシャーロットが婆さんの身体を抱きしめる。


「ニナさん! そんなに自分の人生や自分自身を卑下なさらないでください!」


「シャーロット様…」


「ニナさんは自分の人生の失敗を踏まえて、私が我儘で浪費の限りを尽くして身を滅ぼさないように、つつましく生きる事を私に教えて下さったのでしょ?」


「あー確かに、シャーロットが俺の所に来た時に我儘で浪費癖の有る奴だったら…多分、女と言えども叩き出すなり送り返すなりしてたな…」


 シャーロットの言葉に俺は素直な感想を答える。


「今のイチロー様のお言葉を聞きました? ニナさんがご自身の教訓を踏まえた指導をして下さったお陰で、私は叩き出さる事無く、逆にこうして支援物資を携えて戻ることができたのですよ!」


「では…私の人生は…無駄ではなかったのですか! 誰かに縋るだけではなく、他の誰かの為になれたというのですか!」


「えぇ…そうですよ… ニナさんの思いがカイラウルの人々に救済をもたらす結果になったのです… だからニナさんの人生にはちゃんとした意味があるのですよ…」


 シャーロットが優しく告げると、婆さんは再び声を上げて泣き始めたのであった。



連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei

pixiv http://pixiv.net/users/12917968

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