第666話 爺さんの30年

 俺たちは再び爺さんを先頭に狭い秘密通路の中を這いながら進んでいる。



「しかし、若いの、おぬしが噂の聖剣の勇者だったとはな… 道理でシュリーナルがしおらしく付き従っておるわけじゃ」



 一番前の爺さんがそんな話をしながら前を進む。



「あっ、やっぱ俺の噂って、ここカイラウルでも広まっているんだな」



「まあな、噂好きのメイドどもが話して居ったわ、何でもウリクリを救い、イアピースのカローラを倒し、べアールの蟻族を一掃して、尚且つ聖剣まで手に入れた… 皇帝の後宮入りをするか、おぬしの見初められるかどちらがよいかメイドどもが騒いでおったわ」


「なんだよ…俺、メイド達からそんな風に思われていたのか…なら、あの時、ケツ掴んでも大丈夫だったじゃねえか…」


「あるじ様…そういう問題ではないぞ…」


 後ろのシュリが低い声で言ってくる。


「分かってるよ…」


 そう答えてチラリと後ろを見るとシュリがジト目で睨んでいるのが見えた。


「しかし、最初会った時は、そんな大層な勇者ではなく、たまたま権力を手にしたチンピラかと思ったぞ…あと、おぬし、そんなにエビが好きなのか?」


「そんな噂まで広まっているのかよ… たまたまブラックタイガーに思い入れがあっただけだ…」


「あぁ、なるほど、やはりあの叫び声はおぬしじゃったのじゃな? いきなりブラックタイガーと叫ぶ声が聞こえて、後でメイド達が聖剣の勇者はエビが好きだという噂をしていたからのぅ…」


 くっそ…あの時の声、爺さんの所まで届いていたのかよ…


「おっと、ここじゃ」


 俺が恥ずかしさに打ちひしがれていると、前を進んでいた爺さんが止まって、俺は爺さんのケツに顔がぶつかりそうになる。


「爺さん、ここって、どのあたりになるんだ?」


「お前さんらが客室として使っておる元王族の部屋の近くのトイレじゃ」


「えっ!? トイレ!? もしかして便器の中から出るって訳じゃないよな!? あと出てすぐに城の者がいて見つかるって心配はないのか?」


 すると爺さんは振り返って説明を始める。


「大丈夫じゃ、洗面台の下にでる。後、メイド達は日に三回しか手入れに来ぬ、それも備品が減っておらず汚れも無ければ、見て終わるだけじゃ、一回目の巡回は先程終わった所なので大丈夫なはずじゃ」


「あぁ…ネイシュが言っていた警戒をパターン化してはいけないという言葉通りだな… 文官の爺さんですら30年間、好き放題城の中を動き回れた訳だからな…」


「あと、若いの…いやアシヤ・イチローよ…」


 爺さんが急に俺を名前で呼ぶので、考え事をしていた顔を上げて爺さんを見る。すると、爺さんは真顔で俺を見据えていた。


「おぬしがこのカイラウルの為に一肌脱いでくれるのは大変ありがたい事じゃ… しかし、おぬしは元冒険者であり、今はイアピースの人間じゃ… カイラウルの為に無理をする事は無い、本来カイラウルの問題はカイラウルの者が解決すべきだと思う…」


「ヴェルテラー爺さん…」


 俺も爺さんの名前を呼んで答える。言葉の上では、本来自国の者で解決すべき問題を他国の者に世話を掛けるという事を憂いているように見えるが、爺さんの言いたい事はそう言うことではなさそうなので、爺さんの次の言葉を待つ。


「わしは…城の隠し通路の中で、カイラウルの正史を書き綴っておったわけじゃが… わしも人の子… 意固地になってこんなネズミのような生活をせず、もっとマシな生き方があるのではないかと思う事が、この三十年間の生活の中で一度や二度ではなかった…」


 そりゃそうだろう…刑期がある刑務所とは違って、いつ終わるのかも分からない状況だ。しかも、城の者に見つからないかと脅えながらの生活で、それを耐え忍んだとしても、カスパルと爺さんの寿命の事を考えたら、カスパルが死んで帝位が変わるより前に爺さんが隠し通路の中で人知れず老衰して野垂れ死にする方が早い。仮にカスパルが早世したとしても、次の皇帝が爺さんを受け入れてくれるかどうかも分からない。

 まともな精神の持ち主だったら、とっくに匙を…いや爺さんの場合なら筆を投げていた所だろう…


「だから、おぬしも自分の身が危なくなったら、わしのように意固地にならず、カイラウルの事はカイラウルの者に任せて、自分の人生を謳歌した方が良い、慕ってくれる者もおるしな…」


 そう言って爺さんは俺の後ろのシュリを見る。


「わかってるよ、爺さん…俺も仲間の事があるから無茶はしねえ… でもやれる限りの事はギリギリまでするつもりだ… 今回の事は魔族が関わっているから、カイラウル一国の問題ではなく、人類全体の問題だからな…」


 俺の言葉に、爺さんの目が少し嬉しそうに綻ぶ。爺さんの忠告を俺が受け入れたという事と、それでもカイラウルの問題にギリギリまで協力するって俺の意思が嬉しかったのであろう。


「それとさ… 爺さん、後悔し続けて生きるのがいやだったんだろ? あの時、自分だけが知っていて手を伸ばす事が出来たのに、それを見て見ぬ振りをしたと思い続けるのがいやだったんだろ? 俺も同じだよ、そんな思いで生き続けたら残りの人生を楽しめないもんな!」


 俺の言葉に爺さんの目がはっと見開く。誰からも評価されなかった爺さんの30年間、俺だけでも褒めてやらないと爺さんが憐れすぎる。


「そうじゃ…そうじゃな… わしは後悔しない為にこの30年、ひたすらに耐え忍んで生きてきた… その事の誇りを忘れる所じゃったわ…」


 胸の中に溢れ出る30年間の万感の想いに、爺さんはわなわなと身体を震わせる。


「後、俺は思うんだけどさ、人間、死ぬ時の瞬間まで何があるか分からねぇ、肝心なのは途中経過がどうより、死ぬ最期の瞬間に満足して死ねるかどうかだと思う。だから、俺も、そして爺さんもまだ生きているんだから、頑張って行こうぜ! 満足して死ねるようにな!」


 そう言って爺さんの肩にポンと手を載せる。


「あぁ! そうじゃな! 悲惨な人生じゃったと嘆かずともわしはまだ生きておる! わしもまだまだ頑張るぞい!」


 爺さんも俺の肩に手を載せて答える。そして互いにうんと頷くと、爺さんは前に向き直って通路の天井部分に手を当ててぐぐっと力を籠める。


「よし! 開いたぞ!」


 天板をパカッと開ける。そして、続けて上に有る狭い空間の扉を開くと、明りが差し込んでくる。爺さんはもぞもぞと這い上がっていき、俺たちもその後に続く。


「おっ、マジでトイレだ」


 俺は洗面台の下から這い出て、辺りの景色がトイレであることを確認する。


「ふぅ~ ようやく広い空間に出れたわい」


 シュリも洗面台の下から出てきて胸を撫で降ろす。ドラゴンのシュリにとってはネズミがいるような狭い空間はさぞかし息苦しかったことであろう。


 続けて俺はトイレの出口の扉を少し開いて、このトイレの場所を確認する。


「なるほど、ここか…俺たちの部屋はあそこだな…」


 外の様子を見て現在地を確認すると、俺は扉を締めて爺さんに向き直る。


「じゃあ爺さん、情報収集を頼んだぞ! 後、隠し通路の場所も分かったから、後でとりあえず日持ちのするパンとかの食料を入れておいてやるよ」


「おぅ、任せるがよい。後、パンだけではなく先程食わせてくれた鯨肉も頼む、それとそこの隠し扉じゃが、一度手前に引いて持ち上げると開くぞ」


「分かった、後頼んでおいてなんだが、無茶すんなよ」


「分かっておる、30年間隠れてきたんじゃ、今更ヘマはせん!」


 爺さんは最後に俺と握手をすると、隠し通路に戻り内側から扉を閉めていく。その姿を見届けるとシュリが口を開く。


「あるじ様、食料だけではなく服も爺さんに渡してやってくれ」


「あぁ、そうだな忘れる所だった、ボロボロだったもんな…」


 そうして、俺とシュリは何食わぬ顔をしてトイレから出る。爺さんの言う通り、辺りには人影は見当たらない。


「本当に爺さんの言う通りじゃな」


「そうだな、じゃあ正々堂々と部屋にもどるか」


 俺たちは平静を装って自分たちの部屋へと向かい、扉を開ける。


「戻ったぞ!」


「あっ! いちろーちゃま! おかえり~」


「あん!」


 俺が部屋に入ると同時に、ポチとその後に犬のオーディンが駆けてくる。


「お、ポチたちもいるのか、ってことはシャーロット達ももう戻ってきているのか?」


 俺はじゃれるポチたちに構いつつ部屋の奥へと進んでいく。すると思いもよらぬ光景が目に飛び込んでくる。


 見知らぬ老婆がシャーロットと座り、その向かいのソファーではミリーズが気を失ったように横たわっていたのだ。


「えっ? 何があったの?」


 俺は目を丸くして声を漏らした。


連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei

pixiv http://pixiv.net/users/12917968

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