第658話 くじら料理

 俺は客室に備え付けられた台所で鯨の脂肪の付いた皮を薄切りにしていた。



「それで、挨拶回りの方はどうだったんだ?」


 

 食材を切り終えた俺は、リビングの方にいるシャーロット達に声を飛ばす。



「予想以上に難しい状況ですわね…」



 シャーロットから芳しくない声で芳しくない言葉が返ってくる。俺はその言葉を聞きながら、薄切りにした食材をぐつぐつとお湯が煮えたぎる鍋の中へと放り込む。


「やっぱりか… 街の方でも住民に話を聞いていたんだが、そうじゃないかと思ってたんだ」


 シャーロットの言葉に答えると、俺は鍋の中の食材をざるの上に上げて、水でさっと粗熱をとった後、冷水にさらしてしめる。


「旦那ぁ、そいつに付けるタレはこれでいいでやすかね?」


 カズオが黄色いタレの入ったボウルを差し出してくる。


「ん、味見してみるか」


 俺は黄色いタレを小指ですくってペロリと舐める。


「おぉ、いいかんじだ、じゃあ冷水にさらしたこいつを水切りして、皿に盛っといてくれ」


 カズオに指示をしてリビングの方に向き直る。


「シュリ! 水菜の方はどうだ!?」


「今、そちらに持っていくぞ!」


 シュリの返事がして、すぐに水菜の束を抱えたシュリが台所へとやってくる。


「ほい、三束出来たぞ」


 シュリが水菜の束を俺に手渡す。


「おぉ!本当にすぐに収穫できるんだな!」


「あぁ、ディートのお蔭じゃ、しかし、こういった葉野菜の場合は、側について成長の様子を見ながら逐次水と液肥をやらんと途中で萎れてしまうがな」


 なるほど、国境の森での木の苗の急成長は森が地面に水を蓄えていたのと、アンデッド達の死体が肥料になったせいもあるのか…


 俺はシュリから受け取った水菜を食べやすい大きさにザクザクと切ってざるに乗せる。


「旦那ぁ、鍋の方も出汁がとれやしたぜ」


「おぉ、そうか、じゃあリビングに持って行ってプレートコンロの上に載せといてくれ」


「あるじ様よ、わらわも何か運ぶものはないか?」


「じゃあシュリは肉と白いのを持って行ってくれ」


「あい分かった」


 カズオは出汁の入った鍋をシュリは肉と先程冷水にさらした食材を持ってリビングに向かい、俺も水菜を切り分けた後、ざるに乗せてリビングへと向かう。


「おぉ、ディートの作ってくれたホットプレートか、鍋にも使えるのじゃな、これのお陰でわらわが火を吹かんでもよくなったわ」


 肉と食材を置いたシュリはディートの作ったプレートコンロを見入る。


「ちょっと、イチロー、これ何の肉なの? 赤い水玉模様になっているのだけれど…」


 その横ではミリーズが見た事の無い肉を見入っていた。


「クジラの肉で鯨肉っていうんだよ、しかも最高部位の鹿の子だぞ!」


「鹿の子? あぁ、小鹿の模様みたいだから鹿の子っていうのね、で、こっちの白いのは?」


「こっちはさらしくじらって言って、酢味噌をかけて食うんだ」


 俺はそう言うとさらしくじらを小皿にとって、カズオの作った酢味噌をかけて口に運ぶ。


「おぉ! この味この味! うめぇ~!!」


 俺が喰い始めると、シュリとカズオとポチ、そしてネイシュ、アルファーとクリスもさらしくじらに箸を伸ばして食べ始め、その姿を見てシャーロットも小皿にとって食べ始める。


「あら?」


 おっかなびっくりだったシャーロットはさらしくじらを一切れ食べると、再びお代わりを求めてさらしくじらの皿に手を伸ばす。シャーロットのその様子を見て不気味がっていたミリーズとカローラもさらしくじらに手を伸ばして食べ始める。


 ミリーズは最初毒見をするように食べていたが、一切れ食べ終わると無言でお代わりをとる。


「どうだ? ミリーズ」


 そんなミリーズに声を掛ける。


「特に旨味がすごいとかそんな事はないけど…なんだか病みつきになる味ね… 手が止まらないわ…」


「だろ? これがさらしくじらのいい所なんだよ! おっと、鍋が沸いて来たな、具材を入れていかないと」


 俺は鍋の中に水菜をふんだんに入れていき、その中央に日の丸のように鯨肉の鹿の子を入れて、蓋をする。後は火が通るのを待つだけだ。


「さて、先程は料理を作っていて途中になっちまったが、挨拶回りが予想以上に難しいって、具体的にどんな感じなんだ?」


 シャーロットに向き直って尋ねる。


「あぁ、その事ですね… 挨拶回りで国の重鎮の方々と話して回りましたのですけど、どの方も現皇帝・現政権を非常に好意的に見ておられて… こんな現状でどうやって政権を奪おうかと考えると…気が重くて…」


「あぁ…なるほど…街を回って住民の話を聞いてきた俺の方でも似たような感じだったよ、シャーロットの妹たちを外国に売り払って手に入れた食料の事で皆、現皇帝に感謝している様子だったし、現政権になんら不満を抱いていなかったな…」


 シャーロットにはネイシュやマグナブリルの情報網から手に入れた、皇室印の奴隷販売の事は話してある。


「民たちもそうなのですか…そうなると政権奪取は益々難しくなりますね…」


「まぁ、皇族自体の評判とか好感度は高いし、支援物資を持ち帰ったこともあるから、民たちのシャーロットに対する評判も悪くはないというか高いが、重鎮たちの貴族の方はどうなんだ? もしかしてプリニオが余計な事を吹き込んでいて評判が悪いとかか?」


 俺はさらしくじらをとってパクつく。


「いえ、そんなことはありませんわ、逆に皆さん、私に良くしてくださいましたよ」


「そうなのか?」


 シャーロットもさらしくじらに箸を伸ばす。


「えぇ、重鎮の方々はカイラウルの古くからいる貴族の方々ですから、父の皇帝陛下に皆、娘を差し出しているんです。なので、私は自分の孫娘かも知れないので、皆、自分の孫娘のように優しく接してくれてるんです。しかも、困ったことがあればなんでも言ってくれ助けるからと仰ってくれたんです…変ですよね…私…皆を魔族の陰謀から助ける為にカイラウルに戻ってきたというのに、その助ける対象から助けると言われているのですから…」


 シャーロットは自虐的な笑みを浮かべて、さらしくじらを口にする。


「おぅ…そうか… おっと、炊けた様だな」


 シャーロットから返事を聞く前に、鍋の蓋の穴から湯気が出始めたので、俺は鍋の蓋をぐっと掴んでパカッとあける。


「おぉぉ! 良い匂いじゃのぅ!」

「美味そうでやす!」

「イチロー様!早く早く!私によそって下さいよっ!」

「イチロー殿! 私にもお願いします! 大盛で!」


 蓋を開けた時に広がる香りとぐつぐつと煮立つ鍋の中身に、皆が騒めく。


「うわぁ~ 美味しそうですわ! イチロー様、これは何という料理ですの!?」


 先程まで落ち込んでいたシャーロットが俺にとんすいを差し出して尋ねてくる。


「こいつはハリハリ鍋という料理だ! 昆布と鰹節の効いた出汁に水菜と鯨肉の鹿の子を炊きこんで、水菜のシャキシャキした歯ごたえを味わいながら鯨肉を食う料理だ。美味いぞぉ~!」


 シャーロットのとんすいにハリハリ鍋をよそいながら説明して手渡し、皆が次々と突き出していくとんすいにハリハリ鍋をよそっていく。


「全員、ハリハリ鍋が行き渡ったようだな! じゃあ、頂きますっ!!」


「「「頂きます!」」」


 皆で手を合わせてから、とんすいのハリハリ鍋を食い始める。


 鯨肉で水菜を包んで口の中に入れて噛み締めると、水菜のシャキシャキとした食感に、水菜の隙間から溢れ出る昆布と鰹節の効いた出汁が溢れだし、その後に噛み締める鯨肉からの旨味が口の中に広がる。


「うめぇぇぇ!! やっぱ鯨はハリハリ鍋だわ!! 水菜のシャキシャキと鯨の旨味がたまらん!!」


「確かにこのシャキシャキ感と旨味が凄いですわ!」


「んー! んんっー! 美味いっ!! 野菜と肉がこんなに合うなんて! イチロー殿! お代わりを所望しますっ!!」


 皆がハリハリ鍋の美味さに声を上げる中、クリスがからになったとんすいを突き出してくる。


「待て待て、慌てるな! 俺もまだ食いきってないんだ、さらしくじらでも食って待ってろ!」


 クリスにそう答えると、何故かシャーロットが何かを思い出したかのように立ち上がり、台所へと向かう。そして、新しいとんすいと小皿を持ってきてとんすいを俺に突き出す。


「イチロー様、済みませんが、このとんすいにこのハリハリ鍋をよそって頂けませんが?」


「あぁ、分かった…」


 俺はシャーロットの行動を疑問に思いつつも、とんすいにハリハリ鍋をよそう。その間にシャーロットは小皿にさらしくじらをよそっている。


「はい、シャーロット、よそったぞ、でもこのハリハリ鍋とさらしくじらをどうするつもりなんだ?」


「先程の重鎮の方々が私の親族かも知れないと言う話で思い出しましたのですが、そこのクローゼットの裏におられる方も私と同じ皇族の親族の方なので、お供えしようかと…」


「お、おぅ…そうか…構わんぞ…まだ材料はたっぷりあるから…」


 俺がとんすいを手渡すと、シャーロットはクローゼットの所へ行き、ハリハリ鍋とさらしくじらをクローゼットの上に供えて、俺がやっていたように手を叩いて拝み始める。


「おじかおばかは分かりませんが、私の親族の方… 美味しいお供え物を供えますので… どうか、私が政権をとることが出来て、魔族からカイラウルが守れますように…」


 そんな風に拝んでいるシャーロットの姿を見て、俺はミリーズに小声で話しかける。


「おい…ミリーズ… 教会の聖女であるミリーズの前で、シャーロットが神頼みじゃなくて死霊に頼みごとをして拝んでいるけど…いいのか?」


 すると俺の話よりもハリハリ鍋の美味さに集中したそうなミリーズはもぐもぐと口を動かしながら答える。


「別にいいんじゃない? 死霊と言っても先祖供養みたいなものだから、教会は先祖供養まで否定しないわよ、後今の状況を考えると、死霊でも拝みたくなる彼女の気持ちも分かるから…」


「やっぱり、そんなに厳しいのか…」


 ミリーズはモグモグしていたものをごっくんと飲み込んで再び口を開く。


「えぇ、現皇帝の支持率の高さや、プリニオの隙の無い政策でとっかかりが見えない状況ですからね… それとイチローに謝りたい事があるんだけど…」


「ん? なんだ?」


 ミリーズが急にしおらしくなって、俺は少し驚く。


「さっき、シャーロットが重鎮の方々が親族かも知れないのでちやほやされたって話をしてたでしょ? いつもなら聖女である私がちやほやされるんだけど、されなかったから、少しむしゃくしゃして、さっきイチローに強く当たってしまってごめんなさいね…」


「なんだ、そう言う事だったのか…別に構わねえよ、俺に非があるのは確かなんだし…でも、そう言う事なら明日は俺も挨拶回りに…」


「それはダメ、それとこれとは別よ」


「ぐぬぬ…」


 ミリーズに真顔で断られる。そこにシャーロットがお供えから戻ってくる。


「さてと! 私もハリハリ鍋の続きを頂きますわ!」


 神頼みならぬ死霊頼みを終えたシャーロットは明るい表情でハリハリ鍋を食べ始める。


「それで明日はどうするんだ? また重鎮回りをするのか?」


 俺もハリハリ鍋を食べながら尋ねる。するとシャーロットも口をもぐもぐと動かしながら答える。


「いえ、重鎮の方々の挨拶回りは今日で殆ど終えましたので、明日は別の所を回ろうかと」


「というと?」


 おかわりのとんすいを突き出す奴らにハリハリ鍋をよそいながら尋ねる。


「私のいた育成所の方を回って弟妹たちの支持を取り付けようかと…イチロー様の方はどうなさるんですか?」


 やはり、明日、俺が同行できないのは既定事実らしい…


「そうだな…ちょっと調べたい事が出来たので、図書館でも回ろうかと思ってる」


 こうしてハリハリ鍋とさらしくじらを食べながら明日の予定が決まったのであった。



連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei

pixiv http://pixiv.net/users/12917968

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