第650話 プリニオ

 プリニオは平静を装いつつも、普段より少し急ぎ足で自室へと向かう。そして、部屋の前に立つ警備兵に目礼をすると、懐から鍵を取り出し、警備兵にドアノブを回させて扉を開けさせる。そして、自室の中に進むと鍵をかけて扉を締め切る。



「プリニオ様、お帰りなさいませ」



 部屋の中で待機していたメイドが深々と頭を下げて一礼する。



「何事もなかったか?」


「はい、間者らしき人物の影はございませんでした。部屋の周りにも何も仕掛けられておりません」


「うむ、ご苦労」



 まるで仮面でも付けている様に、微動だに表情を動かさないメイドの報告を受けると、プリニオは執務机の椅子に深々と腰を下ろす。



「プリニオ様、何かお飲み物は御入用ですか?」


 まるで機械人形の様なメイドであるが、メイド本来の役目も尋ねてくる。


「不要…いや…紅茶を…砂糖たっぷりの紅茶を入れてもらえるか?」


 これから重要な話があるので飲食は控えようかとも思ったが、頭脳を使わねばならない事を思い出し、その燃料である糖分の補充を考えた。


「分かりました。すぐにご用意いたします」


 メイドは一礼すると別室ではなく、部屋の片隅で紅茶の準備を始め、プリニオはそのメイドの姿を眺める。


 このメイドは、以前の自分、アルフォンソが暗殺されてプリニオとして蘇った後、魔族から身辺警護の為に送られた魔族のメイドであるが、プリニオはこのメイドの事をあまり好きになれずにいた。

 それと言うのも、警護や防諜の仕事も完璧にこなし、そして擬装しているメイドの仕事も卒なくこなしているが、感情がなさ過ぎてまるで喋る人形のように思えてくるのだ。

 感情を全く現さないのだが、見た目の容姿はプリニオの肥えた目からしてもかなり上位の部類に入るので、全く食指が動かないという事はない。

 一度、膝の上に座らせて身体を愛撫してみた事があったが、愛撫に対して全く反応が無く、湧き上がる感覚を押さえている素振りも無かったので、興味が失せてすぐにやめてしまったのだ。


「紅茶が入りました、どうぞプリニオ様」


「ありがとう」


 メイドは仮面の様な顔で湯気の上がる紅茶を差し出し、プリニオは受け取って口元へと運ぶ。すると、注文はしていなかったが、一枚のレモンが入れられており、レモンの香りが鼻腔をくすぐる。


 こういった配慮も加えて人材としてみると非常に優秀な者であるが、情婦としてみた場合は、及第点にも届かない。見た目が良いだけに残念である。

 そもそも人材としての能力と情婦としての能力両方を求めるのは我儘と言う事だ。

 

 そう考えるとアルフォンソだった時にあの冒険者の娘の代わりに、情婦にしていたアナベルという娘の事が惜しく思えてくる。まだ青い果実であったが反応が良く、もう少しで収穫の時期に来ていたというのに…

 プリニオとして蘇ってからあの娘の事を尋ねたが、行方をくらませてどこにいるのか分からないそうだ。恐らくは部下の誰かが責任を被せて殺し存在自体をなかった事にしたか、それとも…私を暗殺したものが目撃者という事で攫ったのであろう…暗殺者としては随分と良心的な者だ。目撃者などその場で殺してしまえばよいものの…


 プリニオが以前の情婦の事を考えていると、窓の外に鳥の羽ばたく音が響き、その後、「カァーカァーカァー」と三度カラスの鳴き声がする。するとメイドが窓辺に行って遮光カーテンを捲って外の様子を確認する。



「プリニオ様、カラスでございます」


「あぁ、分かった三度鳴いたな」


 プリニオはメイドの報告に答えると、服のポケットの中から指輪を三つ取り出して指にはめる。



(アルフォンソよ…聞こえておるか?)



 プリニオの頭に直接声が響いてくる。プリニオは指にはめた指輪を握り頭の中で念じる。



(はい、聞こえておりますともヒドラジン様…)



 前回、盗聴されたことで暗殺されたと考えたプリニオと魔族は、盗聴防止の為に念話を使っての会話に切り替えたのだ。しかも、簡易的な念話では魔術的な盗聴の恐れがあるので、今回は魔族側の持てる魔法技術の粋を使い念話用の魔道具を作り上げたのだ。



(単刀直入に尋ねる、アシヤ・イチローと直接会ったのであろう、どうであった? 篭絡できそうか?)


 ヒドラジンにしては珍しく心待ちにしているような感じで尋ねてくる。



(そうですね…難しいかと思います…)



 プリニオは思った感想を率直に答える。すると思わぬ結果だったのか、ヒドラジンが少し興奮気味に返してくる。



(どういうことだ!? アルフォンソよ! お主はアシヤ・イチローの篭絡など簡単だと言っておったでは無いか!!)


(状況が変わりました。アシヤ・イチローは私の事を非常に警戒しております)


(警戒されているだと? 何か失態をやらかしたのか?)


 最初は少し取り乱していたヒドラジンであったが、すぐに冷静さを取り戻して聞き直す。


(いえ、以前のアルフォンソだった時にしろ今のプリニオにしろ、アシヤ・イチローとは一度も顔を合わせた事がありませんでした。しかし、アシヤ・イチローがカイラウルに来て三度顔を合わせて話をしましたが、一度目の最初から、私の事を警戒しておりました)


(顔を合わせる前の最初から警戒していた? 一体どういうことなのだ? もしかして、最初に送った娘の事で警戒していたのか?)


(部下との情報の行き違いもあり、送り出したシャーロット皇女の扱いで、アシヤ・イチローが違和感や警戒心を抱く事も考えられますが、その事を差し引いても最初に会った時の警戒心は強すぎます。騙す騙される程度の警戒心ではなく、まるで命のやり取りの様な… あぁ…なるほど…分かりました)


 プリニオは一人納得して頷く。


(何が分かったというのだ?)


(以前の私…アルフォンソの暗殺に関わったのがアシヤ・イチローで、今のプリニオである私が魔族とつながりのあるアルフォンソだと言う事を知っているのですよ…)


(なんだと!?)


 ヒドラジンの驚愕の感情が念話に乗ってプリニオに伝わってくる。


(以前のアルフォンソが暗殺された時、其方を暗殺したのは恐らくアシヤ・イチローの手の者と推察しておったが、確証と言う事で間違いないのか? それと奴は何故、其方がアルフォンソだと知っておるのだ?)


(アシヤ・イチローと直接話して感じましたが、アシヤ・イチローは私に対して、強い警戒心、そして動揺、少しばかりの罪悪感と焦燥感のような感情を持っていました… 恐らくは、以前の私の暗殺自体が殺すつもりはなかったのに、私が魔族と繋がっている事を知った部下が先走って私を暗殺し、その事で私に対して罪悪感を見せたのでしょう…)


(アシヤ・イチローにとっても其方の暗殺は本意ではなかったと言う事か?)


(はい、ヒドラジン様、感情の隠し方が下手であっても警戒心の強い男でございます。様子を見て証拠を手に入れてから動くのが本来のやり方だと思われます。しかし、本意では無いとは言え、私を暗殺して安心していた所に、以前のアルフォンソと同じ振舞をする今のプリニオという私が現れた事で、動揺し焦っているのでしょう…)


 プリニオの説明にヒドラジンは納得する。


(なるほど…そう言う事か…それでは其方ではアシヤ・イチローの説得は無理だな…他の者を充てるか…)


(いや、他の者を充てた所で、説得によるアシヤ・イチローの篭絡は恐らく不可能でしょう)


 プリニオは確信を持って告げる。


(どうしてそう言えるのだ?)


(アシヤ・イチローはほぼ間違いなく『転生者』という存在です。私も何人かの『転生者』に会ってきましたが、その『転生者』という存在は独自の強い道徳観を持っているので、説得程度では魔族に与することはありません)


(アルフォンソにはアシヤ・イチローが『転生者』であるという確証があるのか?)


(はい…ございます…)


 プリニオはニヤリと口元を歪める。


(アシヤ・イチローは『転生者』が編み出した『握りスーシー』という料理を知っておりました。それだけなら別な場所でその料理を知ってただけと言う事で証拠にはなりませんが、アシヤ・イチローはフォークやナイフを使う事もせず、私に食べ方を尋ねる事もせず、正しい『握りスーシー』の食べ方を行っておりました。あの仕草はその食べ方が普及している地域の者の行う仕草でございます。誰かに教わって身に付いたものではありません)


(なるほど…しかし、アシヤ・イチローが『転生者』だとしても、人間の言う所の強い道徳観を持っている様には見えないのだが…)


(確かにアシヤ・イチローの行動の記録では突飛な行動をする事が多いですが、その人間性の根本は『転生者』特有の道徳観からくる善性がございます。だから、他にも色々ありますが…魔族に繋がっている私を暗殺した事に罪悪感を覚えていたのでしょう…)


(となると…アシヤ・イチローの篭絡は無理という事か…)



 ヒドラジンは残念そうに言葉を漏らす。



(いや、説得による篭絡が無理なだけで、篭絡自体に他に手が無い訳ではありません)


(それは誠か!?)



 ヒドラジンの声が弾む。



(はい、誠です。身軽な一塊の一人の冒険者であるなら難しいですが、今のアシヤ・イチローには様々な重石がついております… そこを狙えば…)


 プリニオはクククとほくそ笑むような顔をする。


(アルフォンソよ…其方がアシヤ・イチローの手の者に暗殺されたからといって、復讐するつもりではないだろうな?)


(いえいえ、そんなつもりは微塵もございません! 逆に暗殺されたことで、年老いてあちこち痛む肉体から、若々しい肉体を得られたのですから、その機会をくれたアシヤ・イチローに感謝することがあっても恨むような気持ちはございません!)


 ヒドラジンの疑念の言葉に、プリニオは大仰に敵意の無い事を告げる。


(アルフォンソよ…アシヤ・イチローに若い肉体をえる機会を得た事に感謝する気持ちを持つことは構わぬが、その若い肉体自体を与えて蘇らせたのは我ら魔族という事は忘れるなよ…)


(分かっておりますともヒドラジン様…だからこそ、両者の恩義に応える為に、アシヤ・イチローがめでたく魔族入りするための策を講じますのでお時間をいただけますかな?)


(分かった…時間を与えよう…期待しているぞ、アルフォンソよ…)



 ヒドラジンがそう答えた後、窓の外から鳥の羽ばたく音が聞こえた。恐らくヒドラジンの使者であるカラスが飛び立ったのであろう。


 その事が分かるとプリニオは緊張を解いてほっと胸を撫でおろし、椅子の背もたれに身体を預ける。



「お疲れ様でした、プリニオさま、お茶を飲んで一服成されますか?」


 

 緊張を解いたプリニオに人形のようなメイドが気遣って声を掛けてくる。



「あぁ、先程の様な美味しい紅茶をもらえるか?」


「はい、プリニオさま、すぐにご用意いたします」


 

 メイドは恭しく一礼して答えた。


 

連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei

pixiv http://pixiv.net/users/12917968

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