第631話 理性と協力

 数々の書類が溢れるヒドラジンの執務室。その執務机に向かうヒドラジンの前に一人の老女がふっと姿を現す。



「リリニアか…どうした?」



 老女の姿を見つけたヒドラジンはその老女の名前を呼び要件を尋ねる。

すると、老女はヒドラジンの前に平伏し、ヒドラジンが魔王にしたように土下座を始める。



「申し訳ございません…ヒドラジン様…作戦を失敗してしまいました…」


「失敗というと、リリニアの部下のサキュバスの件か…」


「はい…私に相談もせず、ヒドラジン様に直談判した上に、アシヤ・イチロー篭絡の作戦に失敗し、囚われの身となりました… この失態の償いは、私の命で!!」


 老女はそう言うと、腰から短剣を取り出し首元に当てようとする。しかし、ヒドラジンがくいと指先を動かしただけで、その短剣は老女の手から弾き飛ばされ、部屋の隅へと転がる。


「よい、其方が命で償うといっても、部屋が血で汚れるだけだ…それに失敗の度に死んでいてはいくら人手があっても足りなくなる」


「しかし! ヒドラジン様の前で大見えを切っておきながら、作戦に失敗し、囚われの身になったのですぞ! 命以外にどうやって償えば… もしや、我らサキュバス一族全体で償えと言う事ですか!!」


 悲壮な顔をするサキュバスの老女にヒドラジンは頭を抱える。自分自身も頭が固く柔らかい方ではないが、この老女は自分以上に古いやり方にとらわれ頭が固い。


 ヒドラジンは書類仕事の手を止めると老女に向き直る。


「…よいかリリニアよ…」


「ははっ! ヒドラジン様… 何卒…何卒…一族全員の処断だけはお許しを… どうか…どうか私一人の命でお許し下され…」


 そう言って、老女は再び頭を地面に擦り付けて土下座する。


「そうではない、そうではないのだリリニアよ… 其方の一族の者はアシヤ・イチロー篭絡に関しては失敗し囚われはしたが、ちゃんと役割を果たしてくれたのだ」


「あの者どもが役割を果たしたと?」


 老女は顔を上げヒドラジンを見る。


「そうだ、イチローがあの者どもにかまけている間に、私はイチローの手の者にやられたアルフォンソの代わりの者を準備することが出来た。その時間を稼いでくれただけでも、其方の一族の者は役割を果たしたのだ、だから、其方も、一族の者も処断されると恐れる必要はない、一つの失敗を命で償えというのなら、私自身も魔王様に命を捧げねばならない所だ」


「ヒドラジン様もですか!?」


「そうだ… 私もカイラウルの調略で大失態をやらかしたが、魔王様に許された…魔王様は失敗を糧に皆が成長することを望んでおられる… 魔王様がその様に思われているというのに、私が其方達を一つの失敗ごときで処断するわけがなかろう…」


「慈悲深く寛大な魔王様とヒドラジン様に最大の感謝を申し上げます…」


 老女は感極まって涙を浮かべながら感謝の平伏をする。


「もうよい…リリニアよ… しかし、許されたとはいえ、それに甘んじることなく、失敗を糧にし、次に生かすのだぞ… 分かったか?」


「分かりました… ヒドラジン様…後慈悲に報いるよう一族皆、誠心誠意尽くす所存にございます…」


「では、下がれ」


「はは…」


 ヒドラジンに許されたサキュバス族の長リリニアはふっと姿を消し、その事を確認すると、ヒドラジンはふっと安堵のため息を漏らす。


「リリニア率いるサキュバス族は、人類の紛争にて、人類の勢力圏内では討伐対象にされ、魔族領側に引き籠らねばならないと聞いたが、サキュバス族は人の精を糧としている為、現状は飢えで厳しいという事か… 早く計画を進めて、サキュバス族の行く末を定めてやらねば…」


 ヒドラジンが執務に戻ろうと机に向き直ろうとすると、また新たな影がヒドラジンの執務室に現れる。


「ヒドラジンよ…」


「おぉ! アクロレインか! 戻ったのか!」


 ヒドラジンは椅子から立ち上がり、姿を現したアクロレインを出迎える。


「さぁさ、腰を下ろしてくれ、アクロレイン、私の尻拭いをさせて済まなかったな」


「いや、構わんよ、魔王様の為、大いなる計画の為、それぞれが長所を生かして助け合わねば行かんからな、それに代わりに私の事務仕事を引き受けてもらっているのだ、お互いさまだ」


 ヒドラジンはアクロレインに応接ソファーに座る様に促し、自分もアクロレインの正面のソファーに腰を下ろす。


「それで、引き受けてくれたカイラウルのアルフォンソの後釜についてはどうなった?」


「あぁ、報告書にあったアルフォンソの部下のプリニオという男を使わせてもらった」


「プリニオ…あの男はよく働く男であるが、凡人だぞ? アルフォンソの代わりが務まるのか?」


 ヒドラジンはアクロレインの報告に疑義を感じて尋ねる。


「あぁ、アルフォンソに近しい立場とその身体を使わせてもらうだけで、本人の能力は関係ない」


「新型の寄生魔を使った事は知っているが、本人の能力は関係ないとは、一体どのような手段を使ったのだ?」


「そこは死霊術の得意なムレキシドに協力してもらったのだよ」


「ムレキシドにも手を借りたのか、また今度礼を言っておかないとな…それで死霊術を使ってどの様にしたのだ?」


 方法に興味を惹かれたヒドラジンは少し前のめりの体勢になる。


「アルフォンソが頭部を破壊されたなどの殺され方ではなく、単なる毒殺と聞いてな、ムレキシドと共にアルフォンソの墓に向かい、その脳を取り出した後、プリニオの脳と入れ替え、寄生魔を使って癒着し、そこへ死霊術を使ってアルフォンソの霊をプリニオの身体に宿らせたのだ。まぁ、一言でいうなれば、寄生魔と死霊術を使った転生だな」


「おぉ! 素晴らしいではないか! 未だ誰も無しえなかった転生を成功させるとは! 凄いぞ! アクロレイン!」


「いや、私一人の功績ではなく、ムレキシドの協力や、魔王様が許可して下さった新型の寄生魔あっての事だ。あまり褒めてくれるな」


 アクロレインは黒い霧や煙のように輪郭の定まらない姿をしているが、その仕草から少し照れている様だ。


「しかし、このような転生方法を良くぞ思いついたものだな」


「あぁ、それは『あの御方』の協力を取り付けたものの、御光臨頂く器を用意出来ねば意味がないのでな、それで研究を進めていたのだよ」


「なるほど、『あの御方』の器を用意する為か、それでアルフォンソを実験に使って見た訳だな? それで転生したアルフォンソの様子はどうだったのだ?」


「あぁ、喜んでいたよ、若くて健康的な肉体だからな、ただ、子が…いや…このような下世話な事は言わぬ方が良いな…」


 プリニオの若い身体を得て転生したアルフォンソであったが、生き返った事でさらに欲が出てきたのか、プリニオの身体で子作りをしてもプリニオの子が生まれるだけで自分の子が成せぬと嘆いていた事を思い出す。

 アクロレインはそこまで付き合ってはいられなかったが、ムレキシドはアルフォンソの願いを聞いていたようだ。


「兎に角、カイラウルを魔族の橋頭堡とする計画は続行できそうだな… すくわれたよアクロレイン」


「私もヒドラジンに助けを乞わねばならぬ日が来るやもしれぬ、お互い様だよヒドラジン、気にするな」


 魔族の幹部ヒドラジンとアクロレインの会話は、その姿や魔族という存在からは考えられぬ、理性的で友好的な話し合いであった…


連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei

pixiv http://pixiv.net/users/12917968

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