第620話 ヒドラジンの土下座

 ここは魔王の城の玉座の間。そこで魔王の腹心であるヒドラジンは平伏して床に頭をつけて玉座にすわる人物に向けていわゆる土下座をしていた。



「魔王様…大変申し訳ございません…」



 ヒドラジンは本当に申し訳なさそうに床に頭を擦り付けて謝罪の言葉を述べる。



「アハハハッ! だから言ったでしょ、ヒドラジン! あの男は何をやらかすのか分からないと!」


 

 玉座の上の少女の姿をした魔王はヒドラジンの失態に怒る訳でもなく、本当に楽しそうに声を上げて笑う。



「はい…魔王様… この度の失態は全てアシヤ・イチローを侮っていた私の慢心がもたらした結果でございます…」



「フフフ…私もアシヤ・イチローにヒドラジンが手玉に取られるとは予想していなかったわ」



 魔王はヒドラジンに対する当てつけではなく、相手の意表を突く先方に感心するように感想を漏らす。



「はい…魔王様の仰る通りでございます… 多少の犠牲は覚悟していたものの、まさか計画の要であるアルフォンソをよもや初手で抜いてくるとは予想だにしておりませんでした…」


 ヒドラジンにとってアルフォンソは人間にしてはかなり有能な駒で、カイラウル自体も魔族側の隠れた拠点でもあり、アルフォンソはそこを任せていた重要な人材であった。

 そのアルフォンソが初手で暗殺されたことにより、イチロー篭絡の計画だけではなく、今後の対人類に対する計画も大幅な変更を余儀なくされる… いや、変更どころではなく、頓挫させなければならない計画も幾つか出て来るであろう… それだけヒドラジンにとってアルフォンソは重要な人材であった訳である。


 実際の所、魔王に対する謝罪も重要ではあるが、それ以上に今後の計画の立て直しも重要である。魔王からの指示による案件でなければ今すぐに計画の立て直しについて自ら陣頭指揮を行いたい状態である。



「それで、ヒドラジンよ…今後はどのような計画を立てておるのだ?」



 ヒドラジンは一番聞かれたくない所を魔王に問われる。この様に足元から盤面をひっくり返された状態では、次の計画を立てるどころか、ゲームで言えば、ひっくり返された盤面を元に戻し、散らばった駒を拾い集める所から始めなければならず、どの様な戦法で行くかなど言える状況ではないのだ。



「それは…とりあえずは使える手駒を確認し、現在の手駒で成しえる作戦を実行して時間を稼ぎ、盤面を整えてから再度、改めて効果的と思われる計画を立案したく思います…」


 ほぼその場しのぎの事しか出来ないという子供のような弁明であるが、魔王に対して取り繕った嘘の弁明はする事はできず、ヒドラジンは正直に答える。



「フフフ…ヒドラジンよ…プリンクリンにしろ蟻族にしろ、ダークエルフ、あのヴァンパイア一家にしろ皆、あのアシヤ・イチローに篭絡されて奴の手に落ちた… 改めて言うが、あの男は何を仕出かすのか先の読めない男だ… その事を踏まえて次の計画は望むように…」


 魔王はヒドラジンにすれば大失態と言えるほどの失敗に叱責や責任追及をすることなく、次の計画に注意するようにとだけ促す。



「はは! 魔王様の寛大な御計らい、ありがたく存じます!」


「では、下がれヒドラジンよ」



 ヒドラジンは魔王の言葉に従い、肩を落としながら玉座の間から退く。魔王はその様子を玉座の上から口角を上げながら見送る。


 そして、ヒドラジンの姿が完全に消えた後、柱の陰から別の物がすっと姿を現わす。



「魔王様…ヒドラジンにそのまま計画を続けさせてよろしいのですか?」


「…アクロレインか…」


 黒くモヤモヤとした輪郭の境界線が不明瞭な人型の影は魔王に跪く。


「はい、魔王様… ヒドラジンは確実にコツコツと行う仕事に向いている実直な男であります… 今回の搦手を使うような仕事は向いていないのでは?」


「だからこそ、やらせているのだアクロレインよ」


 魔王はフッと笑みをこぼして答える。


「それはどの様なお考えから来るものでしょうか…お聞かせ願えますか? 魔王様…」


「では、聞かせてやろうアクロレインよ… 我々魔族は今後、大いなる計画の為に、より大きくそして大胆に動いていかなければならない… そして、その大一番の時、今回のような想定外の要因で何も対処できないような失敗をしてもらっては困る… だから、私や他の者たちがフォロー出来る内に、ヒドラジンには学んでもらいたいのだ…」


「…なるほど…我々に成長の機会を与えて下さっているのですね? このアクロレイン、魔王様の寛大さに敬服いたしました、益々の忠誠を捧げさせていただきます…」


 アクロレインは魔王に向けていた頭部を下げて、敬服の念を表す。


「今後の計画は終盤に差し掛かるにつれて失敗は許されなくなる…アクロレインもその事を肝に銘じておくように…」


「はは…魔王様…」


 そう答えたアクロレインの輪郭境界は更に揺らぎ、燃え尽きた火の煙が薄らぐように消えていったのであった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 玉座の間から退いたヒドラジンは自室の中を配下の者が見守る中、意味も無くウロウロと歩き回っていた。


 魔王様にはあの様に答えたものの、実際にどの様に計画を立て直すか、良い考えが思い浮かばなかった為だ。アルフォンソが抜けた穴を埋め直すだけなら、時間を掛ければ何とかできる。しかし、それと同時並行でアシヤ・イチローなる人物の篭絡も考えなければならない。自分の手駒の中でどのようにすればアシヤ・イチローを篭絡できるのか、考えが思い浮かばなかったのだ。


 そもそもアルフォンソの抜けた穴を埋める事自体が難しい問題だ。アルフォンソは皇室の子女を他国の貴族王族、将又富豪や有力者に売り渡して人類の中で広い人脈を作っていた。そして、後々はアルフォンソに魔族の手の物をその者たちにばら撒かせて、一気に人類側の有力者達を掌握する計画でいたのだ。


 本当にアルフォンソの抜けた穴は大きい、他の者ではアルフォンソ程の交渉能力やヒドラジンには全く分からない人間の趣味嗜好の機微を持ち合わせてはいない。例え、その趣味嗜好の機微が分かるものがいたとしても、その者をアルフォンソの宰相のような地位につけて自由に動かせる状態にするのは時間がかかるのだ。


「どうする…適正者を探し出し、また一から状況を作り上げるか? それとも現状のカイラウルの中から人材を育てるか? …どちらにしても時間が足りぬ… 一から作り上げるのでは時間が掛かり過ぎるし、カイラウルで後継者を育てる前に、あの国は崩壊してしまうであろう… それにアシヤ・イチローの件もある… どちらか一方に集中出来れば良いのだが…」


 そんなヒドラジンの部屋に控える配下の者たちの中から声をあげる者がいた。


「ヒドラジン様… お考えになる時間が必要であれば、アシヤ・イチローの件は私たちにお任せいただけませんか?」


「…お前たちにか?」


 ヒドラジンは足を止めて声をあげた者を見る。


「はい…我々であれば、アシヤ・イチローなる者を魔王様のご希望通り、見事に篭絡してみましょう…」


「…分かった…お前たちに任せる… 必要な物があれば支援もしよう…」


「ありがたきお言葉…」


 配下の者は頭を下げた後、ふっと姿を消す。そしてその配下の者と入れ替わる様に、黒い影が姿を現わす。


「ヒドラジンよ…」


「その声、アクロレインか? 戻っておったのか?」


 先程、玉座の間に居たヒドラジンの同僚のアクロレインだ。


「あぁ、ようやく『あの方』の元に辿り着いて協力を取り付ける事が出来た」


「そうか!それは素晴らしい! もはや計画の半分は成功したようなものではないか! それに比べて私は…嘆かわしい…」


 ヒドラジンは同僚の成功に喜びの声をあげるが、すぐに自分の失態に項垂れる。


「ヒドラジンよ、そう肩を落とすでない、私はヒドラジンに協力するために来たのだ」


 そう言ってアクロレインは蛇の様な物を取り出す。


「アクロレイン、それは?」


「新型の寄生魔だ。前回のヴァンパイアに使った者とは異なり、より強力に対象者を操れる」


「おぉ! そんな貴重な物を私に渡してもらえるのか!」


「あぁ、全ては大いなる計画の為、魔王様の為、協力は惜しまぬ…」


「私も大いなる計画の為、魔王様の為に尽力をつくそう!」


 二人の魔王幹部は固く手を取り合った。




連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei

pixiv http://pixiv.net/users/12917968

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