第6章最終回 第360話 知っている天井
「知っている天井だ…」
目を覚ました俺は、眼前に広がる見慣れた馬車の天井を見て、そう漏らす。それと同時に、移動中の馬車のカタカタと小さく上下に揺れる振動に、自分の体も揺らされている事に気が付く。
「俺は…馬車に…乗っているのか…」
まだ、混濁する意識の中で、とりあえず、今現在はいつも使っている馬車の中にいる事を自覚する。起き上がって周りの状況を確認したいところであるが、体が鉛にでもなったように動かず、視線だけが動かせる状態だ。
俺はどうしてこんな状態になっているんだ?
俺は状況を整理する為、覚えている所から事態を思い返していく。
確か、領地に魔獣の襲撃があった後、対魔族連合から招集が掛かって、出発の準備をして、その後、壮行会をしたんだけど、色々とムカつく事があったから、ブチ切れて致し溜め大会を行って疲れ果てて眠ったんだよな…
もしかして、ようやく起きた所なのか? いや…確かもっと前に俺は目覚めていたはずだ…
そんな事を考えている俺の視界にカローラの驚いた顔が覆いかぶさる。
「……………! ……………………!」
カローラは驚いたような安心したような顔をして、何か必死に語り掛けているようだが、全く聞こえない… どうなんってんだ?
「…………! ……………………………………!」
カローラがどこか別な方法を向いて声を上げている様だ… ん? 全く聞こえないと思ったが、イヤホンを無くした時のように、何処かで小さく音が鳴っているのは分かるが聞き取れない状態だ。
これって、俺の鼓膜、破けているんじゃね?
そう思った俺は回復魔法で鼓膜を治療する為、どういう訳か鉛のように重い腕を謎の痛みに耐えながら持ち上げる。すると視界に入った俺の腕は、包帯でぐるぐる巻きになっていた。
「はっ!」
そうだ!思い出した!! 俺は、巨大な魔族人と戦い、勝利したものの落下して気を失ったんだ…
ぐるぐる巻きにされた腕を見て、俺は自分がボロボロになっていた事を思い出す。
とりあえず、耳が聞こえなきゃ話は始まらない…
そう思うと、俺は包帯だらけの自分の腕を耳に当てて回復魔法を掛ける。何だか魔力もあまり回復していないが、鼓膜ぐらいは治せる。
「カローラ!! あるじ様が目覚めたのは本当なのか!?」
「嘘を言ってもしょうがないじゃないの! 今、イチロー様は目を開いて何か仰ってるわ!」
ロフトの下からシュリの声が響き、それにカローラが答えている様である。そして、ギシギシとはしごを上る音が聞こえてくるので、視線を動かしてみると、はしごを登ってきたばかりのシュリと目が合う。
俺と目が合ったシュリは、瞳を見開いて驚いた顔をして硬直する。
「よぅ…シュリ…そんなハトが豆鉄砲を喰らったような顔をして…どうしたんだ?」
そんなシュリに弱々しい口調で、痛みや体が動かせない事を誤魔化す様に軽口で尋ねる。
するとシュリは、眉と目尻を下げてポロポロと涙を流し始める。
「あるじさまぁぁぁぁ!!!」
そんなシュリが俺に向かって飛び込んでくる。
ドンッ!
ミシミシッ
「かはぁっ!!!」
「わらわは…わらわはっ! もうあるじ様が目を覚まさぬかと思って心配しておったのじゃぞっ!!!」
そう言って、シュリは泣きながら俺の胸に顔を埋めて顔を擦り付けてくるのであるが、その度に俺の肋骨がミシミシと音を立て激痛が走る。
「シュリィィィ!!! 俺! もう! 目覚めたからっ!! 目覚めたっていってんだろっ!!!」
俺は激痛に悲鳴を上げる。
「こらこら、シュリ、その辺りにしておかないと、イチロー様の止めを指す事になって、イチロー様の死因が『シュリ』になるわよ」
そう言ってカローラがシュリを止めに入ってくれる。
「あぁ…あるじ様…すまなんだ…あまりにも嬉しかったもので…つい…」
そう言ってようやく俺を解放してくれる。
「ぜぇぜぇ… まぁ… 生きている事の…実感を感じる事ができた…」
痛みを感じるという事は俺は生きている事だし、その痛みで朦朧としていた意識もハッキリとする。
「それで…どうして俺は馬車にいるんだ?」
意識がはっきりとして、息を整えた俺は、救出された状況を尋ねる。
「えっと…あるじ様の事が心配で、わらわはずっと後ろを見ていたのじゃが、突然、光の柱の様な物が現れたかと思ったら大爆発が起きたのじゃ」
あぁ、俺がマサムネから託された『神の杖』を使った時か…
「それで、決着がついたと思ったわらわはポチに跨ってあるじ様の元へと向かったのじゃ」
「私も迎えに行こうと思ったのですけど、護衛の指示を受けていたので血の契約で動けなかったんです…」
シュリの言葉に続いて、カローラが申し訳なさそうな顔で説明する。
「血の契約?」
「はい、私の城で血を分けて回復させてもらった時のアレです」
「あぁ…あれの事か…」
血を分けてカローラを復活させた奴か…そんな強制力があったんだな…
「しかし、そうか…シュリとポチで俺を救出して馬車に運んでくれたんだな、ありがとな… そう言えば、ポチの姿が見えないがどうしたんだ?」
いつものポチなら俺が目を覚ましたと知ったら、急いで駆けつけてくるはずだが…
「ポチならあるじ様の隣で寝ておるぞ」
「イチロー様が目を覚まさまかった五日間、ポチは飲まず食わず、その上寝ないでずっと側についていましたから…」
二人がそう説明してくれる。
「そうか…そうだったのか… 五日も俺は眠っていたのか…」
俺は視線を動かしてポチの姿を確認しようとするが、どうも幼児かしているらしく、小さくて視線が届かない。
「すまない、二人とも、俺の体を起こしてくれるか?」
自分では体を動かせないので二人にお願いする。
「ちょっと待っておれ、あるじ様」
「イチロー様、痛みますけど我慢してくださいね」
シュリとカローラの二人に、俺は介護老人のように体を起こしてもらう。…この歳で介護老人の体験をするとはな…
二人に体を起こしてもらうと、視点が上がっていき、徐々に天井以外の景色や俺自身の体の状態が見えてくる。そして、先程二人が言った通り、ポチが俺の側で小さく身体を丸めて眠っている姿が見えた。
その寝顔は少し痩せこけており、穏やかに眠るというよりか、疲労困憊で疲れ果てて眠っている様に見えた。
心配かけたな…ポチ…
俺は包帯がぐるぐる巻きの腕を伸ばして、ポチの頭を撫でてやる。すると、眠りながらでも俺の手の感触が分かったのか、ポチの寝顔が穏やかなものに変わっていく。
ポチの姿を確認した俺は、今度は自分の姿を確認する。そしてその自分の姿を確認すると改めてあの戦いが壮絶だったことを痛感した。
俺の体は全身が包帯でぐるぐる巻きにされており、もう五日も立つというのに、光線で肉を切り落とされた左肩の部分や、石礫が命中して肉を抉られた右太もも、最後にもみの木の頂点が突き刺さった左足の部分が、未だに湿った赤い血が滲みだしている。それだけではなく、体の至る所が骨折していたり、骨にひびが入っているのだから、自分自身でもホント、良く生きていたと思う。
所々見える地肌は、いつもの俺の肌色ではなく、死体のように白い。かなり血を失っている為だ。そして…
「なぁ… ちょっと、聞いていいか?」
「なんじゃ? あるじ様」
「えっと、俺のマイSONも怪我をしていたのか?」
自分の体を確認した時に、目に留まったのは、包帯がぐるぐる巻きにされて、前に着いた尻尾のようになっている憐れなマイSONの姿である。
「あぁ… それはですね…」
「まぁ… なんじゃな…」
シュリとカローラの二人が気まずそうに俺から顔を逸らせて、目を泳がせ始める。
「別に怪我はしていなかったのじゃが…毎回包帯を変える時に、その…なんじゃ… ポロンと丸出しになっておったからのぅ…」
「パンツも履かせづらいので、もう包帯で隠してしまおうという事になりまして…」
「…なるほど…パンツ代わりだったのか… 確かに眠っている人間のパンツを脱がせるのは簡単だが、履かせるのは難しいからな…」
俺は自分の経験から、その困難さが分かるので、二人の処置に同意を示す。
まぁ、兎に角俺が五日間も昏睡している間に、甲斐甲斐しく看護してくれたのだから、文句は言うまい。こうして意識を取り戻す事が出来たのだから、後は自分で止血魔法でまだ血が出ている所を止血すれば、回復も早くなるだろう。
「それで、他の連中はどうしたんだ? ぱっとみ姿が見えないが」
俺は肩に止血魔法をしながら尋ねる。
「カズオは今、この馬車の手綱を握っておる。カズオもあるじ様の心配をしておったぞ」
「アルファーとクリスは、今、馬に乗って同行しています」
「馬に乗って?」
疑問に思いながら太ももの止血をしようとしたとき、体勢が崩れかけて、視線が傾き、その時にあるものが視線の中に入る。
「えっ!? ロアン!?」
俺の隣には、死んだように眠るロアンの姿があったのだ。
「あぁ…あるじ様を回収しに行った時、そやつとノブツナ殿も回収してのぅ…」
「だから、アルファーとクリスは二人の馬を引き連れている訳です」
「それで、ロアンやノブツナ爺さんは無事なのか?」
二人の事を思い出した俺は安否を尋ねる。
「ロアンの奴には主だった外傷は無かったのじゃが… ずっと意識を失ったままで、目を覚まさぬのじゃ…」
「そうか…あの大爆発だ… かなり無茶をしてシールドを張り続けていたんだろうな… それで神経が…」
これはミリーズに見せて、聖女の力で治療してもらわないとダメそうだな…
「それでノブツナ爺さんはどうしたんだ!! 無事なのか!?」
姿の見えないノブツナ爺さんの事を尋ねる。すると、下から声が響く。
「わしならここに居る。意識が戻ったようじゃな、イチローよ」
俺とは違って比較的元気そうな声が響く。
「ノブツナ爺さんは大丈夫なのかよ!!」
下のソファーの所にいる姿の見えないノブツナ爺さんに声を掛ける。
「あぁ、大した怪我はしておらん、ただ消耗して体が動かせんだけじゃ」
「そうか…それは良かった…」
そこで、俺は気を失う前の事を思い出す。もみの木から落ちた後、ノブツナ爺さんの顔が見えた事や、落下の最中、意識を失っている俺を大声呼び覚ました事について尋ねようとした。
「俺がもみの木から落ちた時に、受け止めてくれたのは爺さんなんだろ?」
「そうじゃ、ただ抱きとめるのはおなごだけにしたいから、背中でうけとめたのじゃがのぅ」
ノブツナ爺さんは軽口で答える。
「ありがとな、爺さんのお陰で死なずに済んだわ、それと…」
俺はそこまで言いかけて言葉を止める。
「なんじゃ?」
「いや…なんでもない…」
俺はもみの木から落下してくれたのはノブツナ爺さんだから、落下中に気を失っている俺を呼び覚ましてくれたのもノブツナ爺さんだと思ったが、それは違う。
俺は目覚めた時、鼓膜が破けていて耳が聞こえなかった。いつ鼓膜が破けたのか? それは、あの衝撃波に追いつかれた瞬間だ。あの時から俺の鼓膜は破れて無音の時間が始まったはずだ。
だから、ノブツナ爺さんが叫んだとしても俺には聞こえていないはずだ…
では、誰が俺に呼びかけたのか…
「そうか…マサムネか… あいつ…すぐに日本に帰らずに、ずっと俺達の戦いの行く末を見守ってくれていたんだな…」
俺は独り言の様にそう漏らす。
そして、俺ははっとある事を思い出す。
「ぼっさん!! ぼっさんはどうしたんだ!?」
シュリとカローラの二人に詰め寄るように尋ねる。
「あぁ、あの男なら、国境に付いた時に対魔族連合の役人に引き渡したぞ」
「それはいつの話だ!!」
「イチロー様は眠っておったから二日前の話ですよ」
「…二日前…」
俺はその言葉を聞いて諦めたように、前のめりにしていた体を後ろに戻す。
マサムネたちの話や行動からして、ぼっさんを一人で対魔族連合の所に置いておくことは良しとしていなかった節がある… だから、俺はぼっさんを一人で対魔族連合の所の置いておくべきではなかった…
だが、今更悔やんでも仕方が無い… あの時はそれしか手段がなかったし、俺自身もどうする事も出来ない状態だった… ワンチャン、特別勇者の他の連中がぼっさんの事を対魔族連合の所から引き戻してくれるかも知れない…
伝手もなく、体の動かない今の俺にはそう思うしかなかった…
あぁ!今更、もやもやと悩んでいてもしょうがないっ!!!
「腹減った! 腹減ったぞ!! 何か食うものはないか?」
ストレス発散と体の回復には食うのが一番だ。俺は二人に何か食うものを要求する。
「あるじ様… 五日も気を失っていて、寝起きに食うのか?」
シュリが目を丸くする。
「イチロー様、そろそろ城に到着しますので、そこでゆっくりと召し上がったらどうですか?」
「えっ? もうそんな所まで帰って来てるのか」
今度は俺が目を丸くする。
「そうじゃ、もうあるじ様の領内に入っておるぞ、辺りは見慣れた景色が広がっておる」
「じゃあ、凱旋しながら城に帰るとするかっ!」
俺はそう声を上げたのであった。
今回で第六章は終わりです。
また、しばらくプロットを練ってから再開いたします。
しばらく、お待ちください。
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