第304話 出発前の準備
俺は執務室で、出発前にこれだけは最低限度、裁決してもらいたいと言われた書類に目を通して、次々とサインをしていく。だが、最低限度と言っても、結構な量の書類である。冒険者時代であれば、仲間に一声かけて金が必要なら後払いで済んだが、領地の規模で領主の立場ではそう言う訳には行かない。
しかし、これだけ書類が多いと、もう内容を読まずにサラサラとサインだけを書いていきたくなるが、お目付け役のようなマグナブリルがいる手前、そんな事は出来ない。やったら、クリスの時の様に顔を近づけて来て小言を言われる。後、なんだかんだ言って、俺を頼ってきたり、逆に俺が頼んで来てもらった人間の事があるので、俺にもしもの事がある事を考えるといい加減な事は出来ない。
特に蟻族の連中には、ちゃんと食事を与えられるようにしておかないと、食うに困ったアイツらが再び人類に対して牙を剥くかもしれん。
「これから戦地に出立するというのに、済みませぬな、イチロー殿、しかし、こればかりは今ここで厳密に定めておかねば、万が一の場合に、折角誕生したアシヤ領が崩壊致しますので」
口では謝罪の言葉を述べているが、真顔でマグナブリルがそう述べてくる。
「いや、かまわんよ、俺の方こそ、帰ってきたらみんないなくなっていたら困るからな」
「はい、是非ともご無事で帰って来て下され。今は皆、赤子の子育てで大変で揉めるようなことは無いと思いますが、今の子供たちが年頃になった時には、跡目争いがおきるやもしれませぬ。私が存命の間なら皆を何とかまとめ上げる事も叶いますが、私も歳ですので、あまり長生きは出来ませぬので…」
「俺が戻らなかった時の話か… その時の為にマグナブリルに後継者の指名権を与えてもいいんだぞ?」
俺はマグナブリルにそう答えながら、死んだらそれまでの冒険者時代とは違って、自分の死後の事まで考えなくてはならない領主の立場に関して再認識する。
「規則を決めるのは簡単ですが、それを承諾させるためには権威が必要でございます。だから今、イチロー殿に書類のサインを頂いているのですよ」
その言葉に、俺は目の前の書類に目を落とす。確かに先程から、俺がいない時の物事の決定権についての覚書や契約書、法案などの書類ばかりである。
「なるほど、それでこの書類なのか…」
「はい、以前に後継者問題についてやり方があると申し上げましたが、それはイチロー殿の存在あっての事ですので、イチロー殿の存在や、私の存在亡き後では、話は変わりますな。なので、出来るだけ穏便な方法で決められるように、この様に事前に書類を作ってもらっているのです」
こういう話をされると、元々死ぬつもりはないが、改めて生きて帰らねばと強く思う。
俺は魔獣の襲撃事件の後、イアピースの使者から、隣国カイラウルが魔族の進攻を受け陥落した事を告げられた。そして、その事態を重く見た対魔族連合国の緊急非常事態宣言により、俺は招集を受け、カイラウル奪還の命を受けた訳だ。
とは、言ってもこちらにも事情があるので、ジャングルプライムの様にすぐさま駆けつける訳にも行かず、また、連合国側でも個人個人でカイラウルに招集した勇者を向かわせては、各個撃破されるだけなので、集合拠点に集めてから進軍するそうだ。そして、進軍予定日には余裕があるので、その間に俺は領地の仕事を済ませている訳である。
とは言っても、昨日の昼前にイアピースの使者から話を聞かされ、すぐさま、出立の為の準備をしながら、それぞれの人員に指示を飛ばし、その間にマグナブリルが部下に書類を作らせ、そして早朝からその書類にサインをしていた訳である。
「ふぅ、これで終わりか… サインする書類はこれで全部なんだな?」
最後の書類にサインを終えると、俺はペンを於いて、一応マグナブリルに向き直って尋ねる。
「はい、とりあえず最低限必要なものは以上です。これ以上は、明日出発なさるイチロー殿のお身体に触りますので、昼からは旅の準備や身体を休める事にお使いください」
マグナブリルがそう返してくるので、俺は窓の外を見て、その後時計を確認すると丁度お昼ごろであった。マグナブリルは俺が昼に終わらせる事のできる仕事量を計っていたようである。昼で終わる様にしてもらえたのはありがたいが、何だか如来の手の上の孫悟空の気分だ。
「分かった、じゃあ、昼飯を食って、その後は出発の準備の様子を見るか」
俺は後の事務仕事はマグナブリルに任せると、昼飯を食うために食堂へと向かう。すると、遅めの時間に食堂に入ったのにも関わらず、俺を待っていたかのようにシュリ、ポチ、そして先程の執務室にいなかったカローラの三人が集まって食事をしていた。
「おう、お前たち三人も食事をしていた所だったのか?」
俺はトレーを持って、適当に料理を盛りながら声を掛ける。
「わらわはエルフたちに今後の畑仕事を説明しておったのでのう、遅くなったのじゃ」
「ポチはコゼットちゃんと、しばらく一緒に遊べない事をお話してた」
「私はカズオに頼まれて、食材を収納魔法に入れてました。でも、旅に持っていく本やゲームの仕舞いたいので、後で誰か収納魔法で荷物を分担してもらえますか?」
三人がそれぞれの事情を話す。
「そうか、みんな出発前の色々と用事を済ませていたんだな、で、カローラ、荷物は後で俺も分担してやるよ。しかし、どんだけ荷物を持っていくつもりなんだよ…」
そう言いながら、俺は三人の近くに腰を降ろす。
一樽分の荷物を空ければかなりの娯楽道具を持っていけるはずであるが、そんなに収納空間がカツカツになるほど、食材を詰め込んだのか?
「折角、便利な収納魔法があるんですから、いつも使っているソファーやベッドを持っていきたいじゃないですか」
「ソファーやベッドって… お前のベッドってあの天蓋付きの奴だろ? お前、引っ越しでもするつもりなのかよ…」
「あぁ、なるほど、そういう使い方もあったのぅ、わらわもベッドを持っていくかのぅ」
「だから、引っ越しじゃねぇから!」
他の勇者も集まるというのに、俺のパーティーだけ、勘違い貴族がキャンプをするような事をしていたら、白い目で見られる。
「いかんのか?あるじ様」
「当たり前だろっ! お遊びに行くんじゃねぇんだぞ?」
すると、シュリは残念そうに溜息をつく。
「そうか…それは残念じゃのう… 折角、ビアンとロレンスの二人が、あるじ様の為に簡易の組み立て式風呂をつくっておったのじゃが… それも諦めるしかないのぅ…」
「なん…だと…!?」
俺はシュリの言葉にガタリと椅子から立ち上がる。
「私もソファーやベッドを運びたいのもありますが、やはりお風呂が欲しいと思っていたのですが… ダメなんですか? イチロー様…」
カローラが珍しく上目づかいで強請ってくる。
「ほれ、ポチもあるじ様に頼むのじゃ」
「イチローちゃま、ポチ、お外でもイチローちゃまとお風呂に入りたいっ!」
シュリもポチを使って、家具の持ち込みを頼んでくる。
「そうか…ポチも風呂に入りたいのか…なら仕方ないな… 俺は他の勇者の手前、あまり家具の持ち込みはしたく無いのだが、可愛いポチが言うのなら受け入れないと仕方ないな… でも、言っておくが、別に俺が風呂に入りたいから許可している訳ではないぞ? ポチの為だからな、うん、そうだポチの為だ!」
「いや、そんな言い訳をしなくても…」
棒読みの俺の言葉にカローラが突っ込みを入れかけたが、そんなカローラにシュリがテーブルの下で肘でつつく。
「えっ? あっ! うん… カローラ、イチロー様が家具の許可してくれて嬉しい! わーい! 許可! カローラ、許可大好きっ!」
「わらわもあるじ様が、ポチの為に鋼の信念を曲げて許可してくれた事をうれしくおもうぞ!」
「わぅ!」
なんだか俺… こいつらにいいように乗せられてしまったようだな…
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