第271話 まんま薄い本…
「うっ、っつ… 今、何時ぐらいだ…?」
徹夜の行進で疲れていた俺は自室で一人で眠っていたが、空腹が妨げとなったので、目を覚ましむくりと起き上がる。カーテンを開いて外を覗き、日の高さを見ていると恐らく丁度昼飯時ぐらいだと分かる。ここ最近、農作業の為に、夜明け前に起きる事が多かったので、随分と寝た気分になれる。
「とりあえず、飯でも食いに行くか…」
俺は洗顔をして身支度を済ませると食堂へと向かう。そして扉を開けて中に入ると、ディート、マリスティーヌ、コゼットちゃんの三人が並んで食事をとっていた。
「おはようございます、イチロー兄さん」
「イチローさん、おはようございます」
「おっ、おはようございます…お兄さん…」
三人が俺の姿を見つけると一斉に挨拶してくる。
「おぅ、おはようさん、三人も今起きた所か?」
「いえ、僕たちは馬車の中で眠らせて頂いたので、いつもの時間に起きましたよ」
「今朝も、動物たちの治療をしてきました」
「み、みんな元気そうになってよ、よかったです」
三人が元気よく言葉を返してくる。
「そういえば、何て名前だっけな…あの爺さんはどうしたんだ?」
孫娘のコゼットちゃんはここにいるのに爺さんの姿を見かけないので、尋ねてみると、ディートが気まずそうな表情を浮べる。
「どうしたんだ? もしかして、ショックで体調を崩して寝込んでいるのか?」
昨日はキツイ言葉をかけてしまった後ろめたさから、爺さんのことが心配になる。
「いえ、ヴィクトルさんなら、すでに起きておられて体調に関しては大丈夫です」
元気ですではなく、体調に関してはと限定していってくるって事は、まだ落ち込んでいるのか?
「お爺さんなら、今はこの城の厩舎にいます」
コゼットちゃんが屈託のない顔で居場所を教えてくれる。
ディートの気まずそうな顔に、言い回した言葉、それとコゼットちゃんが教えてくれた爺さんが今いる厩舎… これらの情報から察するに、爺さんが厩舎の主と家畜の事で揉めている可能性が高いな…
これは急いで厩舎の様子を見に行った方が良いな…しかし、腹が減り過ぎてこのままではケロースに気圧されてしまう。ちょっと、歩きながら食べられるものでも用意してもらうか。
そう考えた俺は、厨房に繋がるカウンターへと向かう。その途中、昼食ビュッフェの置かれたテーブルを見ると、いつもは注文して受け取っていたミルクがピッチャーで置かれていた。どうやら、みんな気兼ねなくミルクを飲めるようになったようだ。
「カズオ! ちょっと俺、忙しいから、歩きながら食べられるものを急いで作ってもらえないか?」
俺はカウンターを覗き込んでカズオに声をかける。
「旦那、おはようごぜいやす! すぐに作りやすねっ!」
洗い物をしていたカズオは、手を洗ってすぐに俺の昼食の準備に取り掛かる。ホント、飯に関してはケチのつけようがない有能な奴だ。
「そういえば、カズオ、もうみんなにミルクを飲んでもらえるようになったんだな」
俺はミルクのピッチャーの事についてカズオに告げる。
「あぁ、あれでやすかい? 旦那が牛を買ってきてくださったんで、みんなにミルクを気兼ねなく飲んでもらえるようになりやしたっ! ただ、問題がありやして…」
「なんだ? 何が問題なんだ?」
カウンターに肘を載せて、身を乗り出し気味に尋ねる。
「それが…いきなり乳牛が増えすぎたので、逆に消費しきれそうにねぇんでやすよ…」
「バターやチーズに加工できるだろ?」
「いや、それでも余るぐらいですし、元々そんなに大量に作る事はできやせんよ」
なるほど、やはり個人の趣味で作る量と、業者が販売するために作る量ぐらいの差はありそうだな… となる、乳製品の職人である爺さんの重要性が増すな…
「旦那、出来やしたぜ、スモークチキンとハム、そしてチーズを挟んだパニーニでやす、飲み物も竹の筒に入れて置きやしたので」
「おぉ! 美味そうだな~ ありがとうな、カズオ」
俺はカズオに礼を告げると、出来立てのパニーニを頬張りながら厩舎へと向かう。ちなみにパニーニはマジで美味かった…また、明日も頼んでみよう
食べ終わった口の周りをぺろりと舐めて、レモネードでパニーニを胃に流し込んだあたりで、厩舎に到着する。
すると信じられない光景が目に飛び込んできて、俺は驚愕する。もし、事前にレモネードで口の中のパニーニを流し込んで居なければ、吹き出していた事であろう…
「ハハハッ! 良さないかぉ~ お前たちぃ~ ほら、くるみ、そんなに甘えるんじゃない、フフフ、蛍もそんなにすり寄って来るなよぉ~」
「ぐぬぬ…」
ケロースが乳牛たちに取り囲まれて、超ご機嫌でデレデレの顔をして乳牛たちと戯れている。そこから少し離れた場所で、ヴィクトル爺さんが悔しそうな顔でその光景を眺めていた。
「これ…一体、どういう事になってんだよ…」
あまりに信じられない光景に、俺は思わず言葉を漏らす。
「おぅ、これはイチロー殿!」
俺の声に気が付いたケロースは手を挙げて、今まで見た事のない満面の笑みで俺に近づいて来る。その後ろを牛たちが、まるで学園物漫画に出てくるイケメンにつき従う女たちのようにつき従う。
「一体どうなってんだよ… 今朝連れ帰った時にはあんなに牛を毛嫌いしていたのに…今はデレデレじゃねぇか…」
「ハハハ、そんな事か」
いや、そんな事ですらあんなに嫌っていたじゃねぇか…
「実はな、彼女たちを厩舎に入れる事は了承したが、そのまま神聖な厩舎に入れるには、あまりにも汚らしかったので、私が彼女たちを綺麗にしてやったのだよ、そうしたら、懐かれた…いや、惚れられたといった方が良いかな? まぁ、彼女たちに惚れられてしまってな… 私も段々、悪くない感じになって、こうしているのだよ」
ケロースの奴…牛もイケル口だったのか…ってかケロースの奴、牛たちの事を彼女たちって言ってたな…
そうしていると、一頭の牛が、まるで構って欲しい時の猫の様に、ケロースに身体を摺り寄せていく。
「どうしたんだ、直葉、そんなにすり寄ってきて…そうか、直葉はまだ乳を搾ってやっていなかったな、すぐに絞ってやるぞ~」
「んもぉ~」
「直葉の乳房は張りがあって大きいな~ 良い乳房だ、今から私が絞ってやるぞ…どうだ…気持ちいいか? 気持ちいいだろう…その証拠にいっぱいミルクが出ているぞぉ~ ピンクの乳首から直葉のミルクが迸っているぞぉ」
「んっ…もぉ~!」
「ハハハ、スッキリしたか?直葉… こら、蛍もそんなに押してくるんじゃい、ちゃんと私が蛍の乳房も絞ってやるから…」
側で会話内容だけを聞いていると、まるで…というか、まんま薄い本に載っていそうな会話だよな…エロすぎるわ…
そんなケロースの変態プレイみたいな状況を見るに堪えず、目を逸らすと、悔しそうな顔の爺さんの姿が目に留まる。
「なんじゃろう…婆さんに先立たれた時にも感じた事のない、この胸にモヤモヤと湧き上がる焦燥感にも似た喪失感は… 」
そう言って、爺さんは掻き毟る様に胸のあたりに手を伸ばす。
…爺さん、恐らくそれは、寝取られた男の感情だと思うぞ…
「龍驤は乳房が小さいな~ もっと食べないとダメだぞ」
そんな爺さんにケロースの言葉が響いてくる。
とりあえず、龍驤に乳房の事を言うのは止めて差し上げろ…
「んもぉ~」
その日、悔しがる爺さんを前に、嬌声にも似た牛たちの鳴き声が響いたのであった。
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