第265話 崩壊した牧場

「お客さん、珍しいっていうか、すげーのに乗ってんな~ 最初は爺さんの所の息子と一緒で、傭兵か冒険者上がりかと思っていたが、もしかして、豪商かお貴族様なのか?」


 爺さんの牧場に案内して貰う為に、オーナーに馬車に同乗してもらう事になったのだが、オーナーは俺の馬車を見たとたんに、そんな声を上げる。


「冒険者上がりというか、今でも冒険者なんだが、爵位も貰ったんで、今は領地経営中だな」


 別段隠す理由も無いので、素直に真実を告げる。一応、今はイアピースから男爵位を貰っているが、段階的に伯爵位まで貰う予定になっている。現代日本で生きていた俺は、貴族がいる生活なんてしたことが無いので、異世界に来てから貴族がいる生活に実感がわかずに、爵位の高さ関係なく、ひとくくりに貴族として、社長や政治家を相手にするように接してきたが、実際の所、今俺が付いている男爵とか、最終的に貰える伯爵位って、どれ程の地位の高さなのだろう?


「しかし、そこらの貴族でも乗ってないようなすげー馬車に、疲れ知らずのスケルトンホースの二頭立てか… お客さん、冒険者って話だから、かなり上手い事やったんだな」


 そう言いながら、オーナーは御者台の上に上がってくる。


「たまたま、運よく手に入れただけさ」


 ここはとりあえず適当に答えておく。実際の所、蟄居させられていた王族の城を、皆殺しにしたカローラを倒したから手に入れたっていったら、ビビりそうだからな… 実際、その皆殺しをした当の本人も馬車の中にいるし…


「そうか、何しろお客さんは幸運の持ち主ってことだな、で、とりあえずあちらに馬車を走らせてもらえるか?」


 そう言ってオーナーは街とは反対方向を指差す。


「分かった」


 俺は手綱を打って馬車を走らせる。


「さすが、スケルトンホースにいい馬車だ。揺れも少ないし早いな、これだと30分ぐらいで爺さんの牧場に到着するな」


「思った以上に近い場所にあるんだな」


 俺とオーナーが話していると、連絡扉からディートが姿を現して、御者台に座ってくる。


「ご老人はソファーの所で寝かしておきました」


「すまないな、ディート、それでどうした?」


 ディートは話をしたそうな顔をしていたので聞いてみる。


「…結局、イチロー兄さんはどの様になさるつもりなのかお聞きいたしたくて…」


 不幸な爺さんの話を聞いて、思い付きで行動してしまったが、ちゃんと整理して考えないとダメだよな。


「そうだな…とりあえず、爺さんの牧場の現状を見てみない事には、最終的な結論は出せないが、出来る事なら、俺が爺さんの所のオーナーになって、俺の所から労働力として蟻族の連中を数名送って、畜産品を城に届けさせるってのもありかなって考えている」


「確かにこの街までならば半日で来れますので、毎日畜産品を届けさせる事も可能ですね。街も近いですから、必要な品をついでに買う事も可能ですし、逆に余った畜産品を売るのも楽ですね」


 さっきはデメリットばかり挙げていたディートが今度はメリットを挙げていく。


「俺としては爺さんがうまい方に転ぶことを期待しているよ」


 ディートの言葉に話を聞いていたオーナーが呟きのような声をそう漏らした。


 そうして、暫く馬車を走らせていると、再びオーナーが指を差しながら声を上げる。


「あの林の向こう側が爺さんの牧場だ」


「そうか、もうすぐだな」


 俺はオーナーの言葉にそう答えたが、その辺りから妙な違和感を感じていた。そして、その違和感は林を超えた後から現実の臭いとなって感じ始める。


「ちょっと、臭うって言うか…すげーくせぇーな…」


 俺は片腕の袖を鼻に当てて、少しでも臭いを緩和しようと努力する。


「確かに物凄い臭いですね…牧場って言うのは、こんな臭さが当たり前なんですか?」


 ディートはさっと魔法を使って臭いを遮断する。なんか便利そうだな、今度ディートに教えてもらおう。


「いやいやいや、こんな臭さが牧場の当たり前じゃないですよっ! うちの牧場はこんな凄まじい臭いはしなかったでしょ?」


 牧場独特の臭いに慣れているはずのオーナーですら、この臭いには鼻を抑えて声を上げた。


「ってことは、思った以上に運営の破綻が進んでいるって事だな…」


 思った以上の現状に俺はゴクリと唾を呑み込む。そして、所々壊れて役に立たなくなった柵の隣の道を進んでいくと、ここの牧場の母屋とその辺りに群がる家畜の群れが見えてくる。


 その家畜の群れをよく見てみると、どの牛や豚も、土かそれとも糞か分からないものが身体に付着して汚れており、ハエが群がり、そんな状態で必死に水を飲んだり餌を食べたりしている。


 そして、その家畜の群れの中央には、小さな女の子が、必死になって、ピッチフォークで藁束を崩して牛に餌を与えていた。


「あっ!」


 俺がその女の子をじっと見ていると、女の子が俺の存在に気が付いて、こちらに駆け出してくる。


「お、お客さんで、ですか…? おじいさんは留守ですが、牛乳がご、御入用なら仰ってください…」


 女の子も爺さんと同様に、過労で顔色が悪く、少しやせており、汚れた姿で、オドオドとしながら声を掛けてくる。


「…見学させてもらい来た… ちょっと中を見させてもらうぞ」


 そう言って女の子の頭を撫でてやる。


「えっ!? ちょっと、中は汚れているので…」


 女の子は困惑しながらそう返してくる。俺は振り返ってディートに声を飛ばす。


「ディート! 爺さんを叩き起こしておけ! 俺は中の様子を見てくる!!」


 ディートは俺の言葉にコクリと頷くと馬車の中に戻っていき、オーナーはこの現状に黙って見ているわけにもいかず、俺の後についてくる。


 先ず牛舎の方に行ってみるが、中には牛はおらず、まったく清掃できておらずに、ただ糞の山が積み上げられていた。女の子が牛舎の中ではなく、外で餌をやっていたのもこの為だろう。


 次に豚舎に行ってみると、数頭の豚がいたが、ほぼ牛舎と同じ状態だ。最後に鶏舎にいってみると、地面はべちゃべちゃの糞の泥の状態で、数羽の鶏の死体がそのままに放置されていた。


 俺はこれと似た状況を現代日本で見たことがある。ペットの多頭飼いに失敗したケースと同じだ。餌遣りだけで精一杯で清掃が追いつかず、徐々に汚れが溜まっていき、やがてそれが日常化して、全く清掃しなくなって最悪の環境になってしまうのである。


 猫好きだった俺は知人がその状態に陥っていると知り、すぐさまそこに駆けつけて、可愛いにゃんこ達を救出したのだ。しかし、異世界に来ても同じことをしなくてはならないとは…


 現状を大体把握した俺は、怒りと苛立ちに決意を固めて、馬車の所へ戻っていく。


 すると、寝ている間に自分の牧場に運ばれて困惑している爺さんと、突然現れた物々しい集団に脅える女の子が寄り添っていた。


「おい、爺さん」


 俺はぶっきらぼうに爺さんに言葉を投げかける。


「あ、あんた、あの時いた牧場の客か!?」


 爺さんはこの状況の原因が俺であると察しがついて目を丸くする。


「俺はあんたに言いたい事がある…」


 爺さんは何か言いかけたが、俺の纏う怒りの空気を察して押し黙る。


「じいさんの牧場はもう崩壊している。爺さん、あんたは乳製品の加工については腕のいい職人らしいが、牧場の経営については全くダメだ。向いてない。このままじゃ、近いうちに動物たちや…爺さん自身、そしてその女の子も野垂れ死ぬことになる…」


 爺さんは俺の言葉に驚愕して目と口を大きく開く。


「だから、もうここは諦めろ…」


 俺が諭す様にそう告げると、爺さんは開いていた口を閉じて歯を食いしばり、拳を握り締めて項垂れ、身体を小刻みに震わせながらぽたりぽたりと涙を落とし始める。


 爺さん自身もここが崩壊している事には気が付いていたのであろう。だが、正常性バイアスというか、認めなくはないというか、そんな思いでがむしゃらに頑張って来たのだと思う。しかし、同業者であるオーナーや第三者である俺に現状を見られてしまった上で、宣告されては、現状の崩壊を認めざるを得なくなったのだろう。


 当たりにはすすり泣く爺さんの声とその爺さんに縋りついて泣き声をあげる女の子の声だけが静かに続いていた。



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