第264話 爺さんの不幸
「ちょっと待ってくれ、この辺りの魔族は一掃されて安全になったんじゃなかったのか?」
爺さんの所で起きた惨劇の話に、俺は声を上げる。
「別に人を殺すのは魔族だけではないって事さ… 安全になったこの辺りに、今まで息を顰めていた野盗の類が流れ込んで来たみたいだな… 金目の物だけを盗んでいったそうだよ」
元々、平和で安全な現代日本で過ごしていた事と、最近は仲間に囲まれた状態でいた事もあって忘れていたが、ここは喧嘩や殺人、泥棒や強盗が横行する異世界…治安のよい現代日本とは全く異なる場所だ。金欲しさの為に人を殺すような輩は五万といる。
しかも、腕に全く覚えのない一般人であれば、素直に金を渡して命乞いをするだろうが、オーナーの話によると元傭兵ということだから、強盗に命乞いなどせずに歯向かったのであろう。
「なるほどな…借金をして家畜を増やしたはいいが、働き手の家族を殺されてしまった訳か… 確かに気の毒だな…」
「あぁ、しかも盗まれた金が牧場の運営費も入っていたそうで、色々な所の借金も返せていない状況なんだよ」
オーナーは困った顔をして、頭をかく。
「でも、爺さんのつくる乳製品は美味いって人気だったんだろ? それなら、増やした分の家畜を返して、元の二頭でほそぼそとやって借金を返済していえばいいんじゃないのか?」
「それが、借金を返す為や家畜を殺さないように面倒をみるのに必死で、肝心な乳製品をつくる暇が無くて、ただ絞った牛乳を売るので精いっぱいのようだな」
牛乳を加工して乳製品にした方が儲けが出るはずだが、労働力が足りないのと、すぐに金を返さないといけないのとで、加工している暇がないのか…
「で、実際の所、爺さんの所にどれぐらいの家畜がいて、どれだけの借金があるんだ?」
本当であれば、こんな話は聞かない方が良いのだが、ここまで聞いてしまった以上、敢えて聞いてみる。すると俺の言葉にオーナーはキョロリと目を剥いて片眉を挙げる。そして、暫くじっと俺を見つめていたが、やがて諦めたように溜息をついて再び語り始める。
「今、ヴィクトル爺さんの所で飼っている家畜は、牛20頭、豚60頭、鶏200羽って所だ。そして、俺の所と、俺の知っている所で爺さん抱えている借金の額は金貨にして凡そ1100枚って所だな…」
「金貨で1100枚だって!?」
予想以上に多い金額に俺は驚く。この世界の金貨は、勿論現代日本とは物価の異なるところがあるが、代替で1枚で10万円ぐらいの価値はある。だから金貨1100枚となると、日本円にして1億1千万ぐらいになる。
「よくそんな金額を個人で借金出来たな…」
「それは爺さんの作る乳製品は人気があったし、魔族の脅威から開放されたイアピースで消費が増えると見込まれたからだな、あと爺さんの息子が仕事がなくなった時に、退職金代わりに功績を保証した証書が発行されていたのも大きいな」
「つまり、実際には雇い主が退職金は支払えないが、身分や功績を保証することで事業を興す為の借金をしやすくしたわけか」
俺の言葉にオーナーはコクリと頷く。
うーん、息子たちが殺されるような事がなければ、今頃爺さんは借りた金で、息子たちが牧場を運営して、その牧場で採れたもので、爺さんが乳製品を生産して、順調に借金を返せていた訳か… マズいタイミングで最悪の事が起きた状況だな…
「で、実際の所、爺さんの所の牧場はどれだけ人手が足りてないんだ?」
「爺さんが牧場を広げるために買った土地は、家畜に仕える川が通ってないから、井戸から家畜にやる為の水を汲まないとダメだ。牛一頭で大体50~100リットルの水を飲むから、それが20頭、豚の分も含めたら、水汲みだけで半日が終わっちまうよ」
それだけの言葉で爺さんの牧場が労働力的に破綻している事が分かる。誰か雇って人手を増やしたくても、借金を返すのに精一杯で人を雇う余裕もないのであろう。
「イチロー兄さん」
ふいにディートが俺を呼ぶので振り返って見てみると、すぐ後ろに真剣な顔のディートの姿があった。ちらりとディートの後ろを見ると、回復魔法をかけ終わった爺さんが椅子の腕で居眠りを始めているのが見える。おそらく回復魔法を掛けてもらって体調が戻り緊張が解れた為に眠ってしまったのであろう。
「なんだ? ディート」
真剣な顔をするディートに尋ねる。
「イチロー兄さんが考えているであろう事を口に出す前に、助言をしようと思いました」
その口ぶりから、俺とオーナーの話を小耳で聞いていたのであろう。
「で、どのような助言をくれるんだ?」
俺は身体をディートに向けて尋ねる。
「僕は呼び出される前に、牧場にいた作業員から家畜の凡その金額を聞きましたが、あの御老体が保有している家畜の量とその借金の額とを比較検討した場合、借金を引き受けるのは割が合いません。その金額があればもっと多くの家畜を購入することが可能です」
ディートはまるで医者が患者に余命宣告でもするような表情でそう語る。俺は一応確認する為に、チラリと振り返ってオーナーを見ると、オーナーは図星をつかれたような顔をして、コクリと頷く。
「それは、家畜と乳製品の加工に詳しい人材を手に入れる事を含めても、そう思うか?」
再びディートに向き直って尋ねる。
「家畜の扱いに関しては知識が無いのでなんとも言えません。また、乳製品の加工ならカズオさんでもある程度出来るので、あのご老人の作る評判の乳製品が、カズオさんの造るものと比べてどれ程価値があるのかも現状では何とも言えませんね。どちらにしろ知識と腕のある人材を手に入れると仮定しても割り高だと思います」
ディートは極めて無表情を装ってそう説明するが、少々声が震えているのが分かる。人道的には爺さんを助けてやりたい気持ちもあるようだが、俺に損をさせない為に、個人的な感情を排して、気丈に理性的、論理的に説明していたのであろう。
「そうか…」
俺はポツリと答えて、ポリポリと頭を掻く。ディートはあくまで取引としては分が悪いと説明をしただけであって、取引自体を取りやめるようには言ってない。情報を提示しただけで判断は俺に委ねているのだ。
「…とりあえず、爺さんの牧場に行って現状を確かめて見てみるか…」
俺はディートの助言を無駄にしない為、一応結論を先送りにする形でそう口にする。すると、後ろで固唾を呑んで俺の決断を伺っていたオーナーは、ふんと諦めた時の溜息を漏らす様に鼻を鳴らす。
「分かったよお客さん、俺も爺さんの事情を話してしまった責任がある。爺さんは今は寝ているから、俺が爺さんの牧場まで案内するよ」
そんなふうにオーナーが案内を申し出てきた。
「すまないな、変な客で…でも助かるよ」
俺はその申し出に素直に感謝する。
「いいよ、俺も爺さんには辛い事を行ってしまったが、俺も人の子だから、爺さんが野垂れ死にする可能性は減らしてやりたい」
そういって、オーナーはポンと俺の肩を叩く。
「じゃあ、寝ている爺さんを馬車に載せて牧場にいくとするか」
こうして俺達は爺さんの牧場に向かう事となった。
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