第260話 命の洗濯

「おー! 本当に外で仕事をしてきてすぐに風呂に入れるようになっているな」


 風呂場の建屋の外に取り付けられた階段を上がっていくと、注文していた通りに新しい風呂場の脱衣所前に辿り着く。新しい浴場の施設は木材で作られており、一応、脱衣所の入り口も男湯と女湯に別れている。今日は俺の為に男湯をとりあえず入れるように仕上げてくれたので、女湯の方はまだ使えず、今日は女性は旧風呂場を使う事になっている。


「今日は男湯しかやってないようじゃが、あるじ様と一緒に入ればよいのか?」


「おう、今日は一番風呂だからな、今まで農作業を頑張ってくれたご褒美だ」


「まぁ、そう言う事にしておくか」


 そう言って、シュリは俺の後に続いて暖簾をくぐって脱衣場に入る。


「おぉぉ!! ここも注文通りの内装になっているなっ! まるで日本の温泉の脱衣所みたいになってる! また、仄かに香ってくる、杉の香りもいいなぁ~!!」


「なんじゃ、あるじ様は杉の香りが好きなのか? めずらしいのぅ~ それで、脱いだ服はこの籠に入れればよいのか?」


 シュリは脱衣所の棚に置かれた籠を餅ながら尋ねてくる。


「そうだ、その籠に脱いだ服を入れておけばいい。ってか、ちゃんと籐で作った脱衣籠かぁ~ これがいいんだよなぁ~」


「時々じゃが、あるじ様が喜ぶ所がわからんのぅ~ 籐の籠ぐらいでどうしてそこまで興奮するのか解らぬ」


 杉で作られた室内に、数多く設置された棚に籐の籠、他にも室内を見回してみると、ちゃんと、洗濯して畳まれた手拭いとバスタオルも準備してある。欲を言えば、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳の入った冷蔵庫もあればいう事無いが、さすがにそれは難しいだろう。


「ほれ、わらわは準備できたぞ、あるじ様もさっさと準備をせんと、折角の一番風呂をわらわがはいってしまうぞ」


「おぉ、そうだそうだ、危うく脱衣所だけで満足してしまう所だった」


 シュリに言われた俺は、パパっと服を脱ぎ捨て、手拭い一つ掴んで、浴室に繋がるガラス扉を開け放つ。



 ガラガラガラ…



「おぉぉぉぉぉ!!! すげぇぇぇぇぇ!!!  全面ガラスで、岩風呂に、ヒノキ風呂まであるじゃねぇか!!!」


 側面も天井もガラス張りになっており、夜空を楽しめる浴場の造りに、所々を備え付けられた間接照明、落ち着いた感じの岩風呂に、ここからでも香りが匂ってきそうなヒノキ風呂、そして所々に植えられた観葉植物など… 


 眼前に映る光景に、俺は初めて遊園地に連れて来られた好奇心いっぱいの小学生の様に、心が躍り始める。


「おぉ、凄い浴室じゃな、ここから見える光景も良いが、浴槽から、一階に広がる温室を見渡せるようになっておるんじゃな、あるじ様よ、早速浴槽に入って、一階の温室を見下ろして見るか?」


 浴室に入った時から、シュリの言ったように、この二階にある浴室から一階下の温室を見渡せる構造になっているのに気が付いていたが、俺は湧き上がる好奇心を拳をぐっと握り締めて押しとどめる。


「いや…この異世界一素晴らしい風呂場を作ってくれたビアンやロレンスに敬意を払い、また風呂の女神さまへの信仰を全うするために… 湯船に浸かるのは身体を洗ってからでないとダメだ…」


「ビアンやロレンスに敬意を払うのは分かるが…なんじゃ?風呂の女神と言うのは初めて聞く信仰じゃぞ? あるじ様はそんな神を信じておったのか?」


「そうだ…風呂の女神は、正しい所作で入浴をすれば、最高のひと時をもたらしてくれるのだ…シュリもやって見ろ」


 とりあえずシュリにはそう答えたが、風呂の女神は今俺が考えた架空の神だ。でも、こうして信仰を広めれば本当に女神が生まれて降臨するかも知れない…


 とりあえず、早々に湯船に浸かりたい俺は、洗い場に行って、手拭いに石鹸を付けて泡立てて身体を洗い始める。


「うぉぉぉぉぉぉ!! ここまで微かに香ってくるヒノキ風呂が俺を読んでいる!! 早く、この身体を湯船に漬けねば!」


「本当に、今日のあるじ様は変なテンションじゃのぅ… まぁ、良いか…最近、ちょっと、神経質というか後ろ向きな感じがしておったから、元気が戻ったのならそれでよい」


 やはり、シュリも俺がゴーレムトラクターで魔力を消費してネガティブになっているのに気が付いていたようだな。


 そんな訳で洗い場に二人で並んで身体を洗い始める。


「よし、わらわは身体を洗い終わったから、約束通りにあるじ様の背中を流してやろう」


 ちゃちゃっと先に身体を洗い終わったシュリは立ち上がって俺の背中に回り込む。


「シュリがもっと色気むんむんで、以前の様におっぱいぷるんぷるんだったら、身体を使って洗ってもらったんだがな…」


「…ドラゴン状態でよいのなら、やってやるが?」


 そう言って、シュリが俺の背中を洗い始める。


「恐ろしい事を言うな! ドラゴン状態で洗われたら、汚れどころか皮膚まで落ちるわっ!」


「じゃったら、今のわらわの手で我慢するのじゃな」


 そう言って、シュリは俺の背中を洗い続ける。


「ふぅ~ あるじ様、背中を流し終えたぞ、今度はわらわの番じゃ」


 最後に俺の背中に湯を掛けて泡を流したシュリが、今度は俺の前に回って髪を洗えと背中を向ける。


「じゃあ、久々にシュリの髪の毛を洗ってやっか」


 そう言って、石鹸を手で泡立ててシュリの髪の毛を洗い始める。


「そう言えば、シュリ」


「なんじゃ?」


 俺はシュリの髪の毛を洗いながら声を掛ける。


「お前、最近はずっと城の皆と風呂に入っておったんだろ?」


「そうじゃな、この城もディートやビアン、ロレンスなどの男も増えて、男女混浴とはいかんようになったからのぅ~ アソシエ殿や、ダークエルフ達、マリスティーヌとも風呂に入るぞ」


 シュリは俺に髪を洗われながら、目に石鹸の泡が入らないように、手で顔を覆って答える。


「だったら、アソシエ達やダークエルフたちの裸を見ているんだろ?」


 俺がそう言うと、シュリの身体がピクリと動き、ゆっくりと顔を回してジト目で俺を見てくる。


「いっておくが、アソシエ殿たちや、ダークエルフたちの裸の事について尋ねられても答えんぞ…」


 シュリの奴、俺が皆の全裸姿の事でも聞こうとでも思ったようだ。


「いらんわっ! というか、全員の全裸姿なら何度も見ているわっ!」


 特にアソシエ達は何度も頂いているから、本人よりも身体の事に詳しいのではないだろうか…


「だったらなんじゃ」


 シュリは再び前を向いて、目に泡が入らないように顔を塞ぐ。


「いや、皆の全裸姿を見ているんだから、もうあの時のしわしわの婆さんの姿だけではなく、大人の女性に化けられるんじゃないのか?」


 今のシュリがもっとアダルティーな色気ムンムンの、ちゃんと乳首のついた巨乳になれば、俺のストライクゾーンにもばっちり入るかもしれん…


「うーん、出来んことも無いが…」


 予想外の言葉がシュリから返ってくる。


「マジか!?」


「あぁ、しかし、あるじ様よ…あるじ様が考えているような期待には添えぬぞ?」


 シュリの言葉に俺は手を止めて片眉をあげる。


「なんでだよ…」


 ちょっぴり大人バージョンでちゃんと乳首のある巨乳姿を拝めると期待しているのに…


「わらわも人化の術についてはあまり上手ではないからのぅ~ 今のわらわが出来るのはアソシエ殿たちや、ダークエルフたちに化ける事ぐらいじゃ」


「上出来じゃねぇかっ!」


 やっぱり、アダルティーヴァージョンいけるんじゃないかっ!


「いやいや、アソシエ殿たちそのものの姿にしか化けられんのじゃぞ? あるじ様が期待している事は分かっておるが、当の本人がおって、子も生まれて相手もしてもらえるのに、化けたわらわと致してもしかたなかろう…それにそんな事を当の本人に知られたら、後で随分と気まずい思いをするじゃろうて…」


「あ…」


 いや…確かにそうだ… シュリのアダルティーヴァージョンならいざ知らず、当の本人がいるのにその相手に化けてもらっても仕方が無いし、シュリの言う通りに、バレたら後で気まずい…だけでは済まないな… 子供をつれて実家に帰られそう…


「あるじ様も漸く分かったようじゃな… 諦められい…」


「ぐぬぬ…」


 悔しいが、今は諦めるほかあるまい… くっそ…シュリが成長するなり、もっと大人の姿に化けられればいいのに…


 そんなこんなで、シュリの髪を洗い終えた俺は、お湯をかけて泡を流してやる。


「残念な事はあったが、今回の目的はゆったりと湯船に浸かる事だっ!」


 俺は残念な気持ちを切り替えてすくっと立ち上がる。


「ほれ、一番風呂に浸かるのであろう?」


 シュリがさっさと湯船に浸かる様に催促してくる。


「うむ、では最初は岩風呂から入ろうか」


 俺は岩風呂の淵に近づき、足からゆっくりと湯船に浸かっていく。


 湯気が上がっているので分かっているが、ちゃんとお湯だ。しかも俺の好きな湯の温度。俺はさらに身体を湯船に鎮めていく。


「ふぉぉぁぁぁぁぁぁ!!!」


 無意識に盛大に声を上げる。


「気持ちよさそうに声をあげるのう、一番風呂はちゃんとあるじ様が入ったし、わらわも浸からせてもらうとするか」


 そう言ってシュリも湯船に浸かり始める。


「くふぅぅぅぅぅぅぅぅ~」


「ははは、シュリも声だしているじゃねぇか」


「理由は分からんが、湯に浸かるとどうしても声がでてしまうのぅ~」


 シュリは湯に顔だけ出す様に深々と浸かり、気持ちよさそうな顔をする。シュリのそんな姿を見ていると岩場に身体を収めるのに丁度良さそうな窪みを見つける。


 俺はその窪みまで移動して、試しにその窪みに身体を預けてみる。すると、まるで俺の体に合わせたように、ピッタリとフィットして、すげー心地よい。


「そこは背もたれ椅子の様で気持ち良さそうじゃのう、あるじ様」


「あぁ、ここはめっちゃ気持ちいい~ぞぉ~ 俺は次のヒノキ風呂に入ってくるから、お前もここにもたれるか?」


 そう言って、俺は立ち上がって、ヒノキ風呂に向かう。


「あぁ、では、わらわももたれさせてもらうぞい」


 俺の入れ替わりにシュリが窪みにもたれ掛かり、俺はヒノキ風呂に浸かる。


「ふぉぉぉぉぉ~ いいなぁ~ ヒノキ風呂~ お湯の暖かさとヒノキの香りが全身をつつみこんでくれるようだ~」


 ヒノキ風呂の方にも身体を伸ばして楽になれるスポットがあり、俺はそこに身体を預けて、湯船の淵から見下ろせる、一階の温室に視線を向ける。


 今はまだ工事途中で、殺風景な光景が広がっているが、温室が完成して、植物が植えられるようになれば、色鮮やかな景色が広がる事であろう。


 俺は瞳を閉じて、意識をお湯に委ねた。


「あぁ~ 生き返るなぁ~」


 こうして俺は最高に幸せなひと時を過ごしたのであった。

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