第256話 イアピースの元騎士と元宰相

 マグナブリル爺さんが城の視察の途中なのかアルファーと二人で現れる。


「ひぃっ!!」


 どういう訳か、マグナブリル爺さんの登場に、クリスが青い顔をして短い悲鳴を上げて、マナーモードの携帯電話の様にブルブルと震えだす。


 あっ、クリスの奴は元々イアピースの騎士だったから、マグナブリル爺さんとは顔を会わせたくなかったのか… しかし、残念だな、お前が騒いだ為に自ら呼び寄せる結果になってしまったな…


 しかし、クリスの様子を見るからに、マグナブリル爺さんの事を相当苦手にしていそうだな… クリスは結構ガサツな性格だから、顔を合わせる度にあの顔と目でお説教をされてそうだな。さて、クリスの事はどう説明するか…


 そう思いながら、マグナブリル爺さんの方を見ると、物凄いしかめっ面でクリスを睨みつけている。その表情から、クリスの現状に怒りゲージを溜めているかと思ったが、急に驚いたようにぱっと目を見開いた後、顎に手を当てて考え込み始める。


 一体どうしたんだろう?


 マグナブリル爺さんの反応に俺が首を傾げていると、爺さんは思い詰めたような顔を上げて、俺を手招きする。


「えっ? 俺?」


 呼ばれてマグナブリル爺さんの側に近づくと、クリスに背を向けてひそひそ話をし始めた。


「イチロー殿… あの者は、時々ここへ、餌…いや食事をもらいに来ているのかな?」


 この爺さん、今、餌って言ったか?


「た、確かに食事は与えているが…」


 どういう意味で尋ねられているのか分からずに、とりあえず無難に答える。


「そうか、ちゃんと餌…いや食事が与えらえているのか…実はな、イチロー殿、あの者は元々イアピースの騎士でな、ティーナ姫と幼馴染の様な関係だったのだ」


 知っている話だが、うんうんと頷いておく。


「ところがとある任務中に行方不明となって死亡扱いされたのであったのだ、がしかし…ここで野に帰っていたとはな…」


 マグナブリル爺さんは目頭を押さえながらそう語る。ん?


「城にいた時に何度か見かけて、そのガサツな性格を直す様に説教しておったが、当の本人は、父も兄も魔族との戦闘で亡くし、その上、母が他の男に現を抜かす状態だったので、さぞかし城での生活が息苦しかったのであろう… だから、任務中に自分は死んだことにして野に帰り野生化したのだと思われる… 不憫な事だ…」


 なるほど、俺も知らない情報もあるが、マグナブリル爺さんも引退していたから全ての情報を知らないんだな、だから、クリスが小汚い恰好しているのを見て野生化して、野良猫のようにこの城に食べ物を恵んで貰いに来ていると勘違いしているのか…


 行き場を無くしてこの城で保護しているので、実際の状況とは少し違うが、あながち間違っていないのも笑える。


 俺は吹き出しそうになるのを、今度は自分の手で口を塞いで我慢するが、チラリとクリスの方を見てみると、野生化して耳が良くなっているのか聞こえているらしく、羞恥に顔を真っ赤にしながらプルプルと震えているのが見える。いかん、マジ吹き出しそうだ…


「イチロー殿」


 そんな俺に、マグナブリル爺さんが神妙な顔で声を掛ける。


「すまぬが、私も金を出すので、今後もあの娘に餌…いや食事を与えては貰えぬか? それと、時々でいいので風呂にも入れてやって欲しい… 野生化したとはいえ、あれもおなごの端くれだ、あのように獣臭いを放つ状態では、今は亡き父や兄が不憫に思うであろう…せめてもう少し人間の臭いがするようにしなければ… それと、寒くなる冬場などで、野にいたら凍え死ぬかもしれぬ、その時は城で保護してやって欲しい…」


 俺は吹き出して笑いそうになるのをぐっと拳を握り締めて我慢して、暫くした後、深呼吸して息を整えて、至って普通の顔を装いながらマグナブリル爺さんに向き直る。


「分かった、マグナブリル爺さんの要望に答えよう」


 俺がそう答えると、普段の厳つい爺さんの表情とは異なり、慈悲深い表情を浮かべてうんうんと頷く。


「すまぬな…イチロー殿… 私がおればまた城での事を思い出すやもしれぬ… 私は立ち去って城の視察に戻るとするか…」


 そう言い残してマグナブリル爺さんはアルファーと二人してこの場を去り、俺とクリスだけが取り残されて、実に微妙な空気が流れる。


「えっと…クリス…」


 顔を真っ赤にして涙目になりながらプルプルと震えるクリスに声を掛ける。


「お前、マグナブリル爺さんに見つかったら怒られると思っていたんだろ? 良かったじゃないか…怒られずに済んで…」


「くぅぅぅぅぅ…」


 俺が気を使いながら声を掛けると、クリスは変な声を上げ始める。


「い、今まで…私は…」


 クリスが悲壮な声で語り始める。


「私は…マグナブリル様に説教されることより、他に嫌な事はないと思っていたが…」


 クリスは拳を握り締め、いっそうプルプルと震え始める。


「私の今の状況を憐憫の目で見て、これ程までに憐れまれるとは… 説教されるよりも心に刺さるな… しかも、マグナブリル様にまで獣臭いと言われるとは…」


 それだけではなく、今まで他の家で飼っていた猫が、家が没落して野良猫になっている様な勘違い…いや実際そうなのだが…そんな感じに野生化していると思われていたな…


 これを口に出して言葉にすると、マジでクリスが泣き出しそうなので、黙っておいてやるか…


「…ん… まぁ… なんだ…」


 俺は笑いだしそうになるのを堪えながら、口を開いていく。


「とりあえずは…マグナブリル爺さんが言っていたようにだな… 風呂に入って… けも…いや、身体を綺麗にしてから、え…いや食事をとればいい…」


 所々で、獣臭いとか餌とか言い出しそうになるのを必死に堪える。そんな俺をクリスは涙目になって瞳でキッと睨む。


「わかった!! 風呂に入って獣臭さを落として、餌を食べて来ればいいんだろ!! うわぁぁぁぁぁぁ!!!」


 クリスはそう言うと雄叫びを上げながら城の中へと駆け出していく。


「一応、羞恥心が残っている内は、まだ人の心が残っているんだな…」


 俺は走り去るクリスの背中を眺めながらポツリと呟く。


「ってか、恥ずかしいなら、野生化するなよ…」


 俺もそう言い残して、ビアンが作業しているガラス工房へと歩き始めた。



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