第211話 人との距離感

「ふぅっ やっぱ、この時期の水はつめてぇなぁ~」


 俺は川から汲んできた水で、寝起きの顔を洗うが、カーバルからかなり南下した場所とはいえ、この時期の水はかなり冷たい。この冷たさでまだ寝ぼけていた頭が一気に覚める。だが、手拭いで顔を拭うといつも以上にさっぱりとした感じになる。


「おはようございます、イ、イチロー…兄さん…」


 すると、馬車から出てきたディートがまだ呼び慣れない感じで俺に朝の挨拶をしてくる。


「おぅ、ディートか、お前も顔を洗うか?」


 俺は川から汲んできた水桶にチラリと視線を促してディートに答える。


「はい、使わせてもらいます」


 ディートはそう答えて、桶の水に手を伸ばす。


「冷たい! ですね…」


 水の冷たさにディートは一度、手を引っ込めると、再び水桶に手を翳して魔法を使い始める。暫くするとキンキンに冷えていた水から湯気が上がり始めてお湯に変わり、そのお湯でディートが顔を洗い始める。


「現代っ子だな…」


 そんなディートの姿を見て、俺はポツリと呟く。


「なにか?」

 

 お湯で顔を洗い終わったディートは、手を振って手水を切りながら俺の呟きに反応する。


「いや、なんでもねぇよ、ほら、これで顔を拭け」


 そういってディートの手拭いを投げて渡してやると、ゴシゴシと顔を拭き始めて、さっぱりとした顔を上げる。


「それでどうだディート、もう慣れてきたか?」


 俺はその辺りの木の枝を折って皮を剥き、その枝で歯を磨きながらディートに尋ねる。


「えっ? あっ、はい、最初は馬車の揺れに苦労しましたがもう慣れましたし、食事もイチロー兄さんやカズオさんの料理が美味しいので満足しています」


 ディートは俺の言葉に答えながら、キョロキョロと辺りを見回して、木を探して枝を折り、俺と同じように皮を剥いてから俺の真似をして歯を磨きだす。


「いや、旅の事もそうなんだが、仲間の方はどうなんだ?」


 ディートが皆と混じって食事をしたり、話をしたりゲームをしている所は見ているが、それは表面上の事で、胸の内ではどの様に思っているのか聞きたくて、今、二人きりの時に尋ねてみたのだ。


「あぁ、皆さんの事ですか、皆さん、気さくに僕に接してくれているので僕からも話しかけやすいですね、ただ…」


 そこまで言うとディートはやや伏目勝ちになる。


「僕は今まで、仲間や家族というものは無かったので…その…人との距離感というものが分からないので…」


 やはり、俺の予想通りに、新しい環境、新しい周りの人間に対して困惑して戸惑っている様だ。18歳で異世界転生した俺でも、異世界転生をした嬉しさはあったが混乱もあった。ロアンに勇者パーティーに誘われた時も、最初は皆との接し方には苦労した。なので、学園の中で育ち、まだ12歳のディートが戸惑うのは仕方ないだろう。


 俺は頭を掻き毟りながらディートに向き直る。


「人との距離感なんて、そんなすぐにも分かるもんでもねぇし、永久的に定まるもんでもねぇよ、一生かけてずっと探っていくもんだよ」


「そうなんですかっ!?」


 俺の言葉にディートは驚いたような顔をして頭をあげる。


「あぁ、一緒に暮らせばどんな性格の人間かは分かって来るけど、その時その時の状況や感情で、対応の仕方なんて変わって来るし、そもそも人も変わっていくもんだから、正解の付き合い方とか距離感なんて、分からないし、正解ばかり出し続けられる訳でもねぇ、だから心配すんな」


 俺はディートに兄貴風を吹かせたくて、少しカッコつけて言ってみる。


「正解ばかり出し続ける事は出来ない…なるほど…」


 学問的には俺よりもよっぽど上のディートが俺の人生観に感銘を受けたように、瞳を輝かせる。


「それにな、ディート、女は特に難しいぞ…」


 俺はディートの耳元に顔を寄せて、内緒話の様に語り掛ける。


「えっ? そうなのですか? イチロー兄さんは沢山の女性と仲良くなさっているではないですか?」


 俺の言葉を意外に思ったのか、ディートが目を丸くする。


「そう見えるが結構大変なんだぞ?」


「ど、どの様に大変なのですか?」


 ディートはいたずらを持ちかけられた少年の様な顔をして俺を見る。


「先ずはな、女ってのはな、付き合う前は良く見られたくて、可愛くお上品な素振りをしているが、いざ彼女になると男を自分だけの物にしたくて独占欲を出して着たり、相手の器を試す為に我儘を言ってくるようになる…」


「ど、独占欲に我儘…ですか…」


 ディートも12歳のお年頃なので、少しは女に興味があるのかゴクリと唾を呑む。


「そして、一夜を致すと、今度は男を支配下に置くために尻に引くようになってくるんだ…」


「い、一夜!?」


 12歳でまた女の経験がないディートは、男女の愛の営みを想像して顔を真っ赤にする。


「あるじ様よ…幼気な少年に何を話しておるのじゃ…」


 突然、背中から凄味の効いたの声が聞こえたので、俺は肩をビクつかせながら振り返る。


「何だよ…シュリか…」


「何だよじゃなかろうて、あるじ様、その様な幼気なディートを悪の道に誘うのではないっ!」


 そう言ってシュリは目を尖らせる。


「いや、悪の道って…俺はディートに人との距離感をだな、女性を例にして説明しているだけだっ!」


「女性を例にって、一夜を致すと聞こえたぞ…」


「ひ、人との接し方のお、応用編だ…」


 タジタジになって答えると、シュリが呆れ果てた様に大きなため息をつく。


「ディートよ… おなごの事だけはあるじ様の話を真に受ける出ないぞ…」


「えっえっ!?」


 ディートは俺とシュリの間に板挟みになって、どの様に答えたらいいか分からず、オドオドとし始める。


「はぁ…今はあるじ様の前じゃから答えにくいであろうが、これから帰る城での日常を見れば、ディートもわらわのいう事が分かるであろう… それよりも、朝飯が出来たから早う中に入るがよい」


 シュリはそう言い残すと、気まずい空気の流れる俺とディートを残して馬車の中へと戻っていき、しばし沈黙が流れる。


 確かに、ここでカッコつけて兄貴風を吹かせても、城に帰ればアソシエ、ミリーズ、ネイシュの三人がいるからあまり偉そうな態度を取れずに、俺のカッコ悪い所を見られるんだよな…


 そんな感じで、どう言葉を続けるか考えていると、森の繁みの方から、ガサガサと繁みを擦りながらこちらに近づく物音が響き始める。


「なんだ? 獣か?」


 顔を洗いに外に出ただけなので帯剣していない俺は、いつも腰にぶら下げているナイフに手を宛てる。


 ガサッ!


 その物音と共に俺達の前に姿を現したのは、猿の様に飛び出してきたマリスティーヌの姿であった。


「イチローさんにディートさん、おはようございますっ! そろそろ、朝ごはんですか?」


 俺たちの姿を見て、何事もなかったの様に声を掛けてくる。


「あぁ、そうだが…マリスティーヌ、お前、森の中に何しに行ってたんだよ」


「いや、この森は私が以前住んでいた場所の近くなので、師匠のお墓参りに行っていたんですよ」


 何気ない顔でそう答えながら、パンパンと身体に着いた枝や葉を叩き落とす。


「それと、カズオさんに頼まれて、変な果実と奇妙な根菜を取りに行ってたんですよ」


 そう言ってマリスティーヌが俺の前に差し出してきた果実と根菜を俺は無言でつかみ取ると、そのまま森の奥の方へと投げ飛ばす。


「あぁ! せっかくとって来たのに…」


「マリスティーヌ! いくら頼まれたからといって、二度とあんな物を取ってくんな! また、カズオがカズコになったらめんどくさいだろうがっ!」


 俺は果実と根菜を掴んだ手を水桶で洗いながらマリスティーヌに声を上げる。


「あぁ…なるほど、その材料だった訳ですね、納得しました、カズオさんにはそう伝えておきます」


 マリスティーヌは事態を理解して、朝食を取る為に馬車の中へと入っていく。


 そんなマリスティーヌの姿を唖然とした顔で見るディートの姿があった。


「どうしたんだ? ディート」


「いえ、マリスティーヌさんって…なんていうか…とても野生…いや活発的だったんですね」


 ディートはマリスティーヌの猿のような動きに驚いて唖然としていたようだ。


「あれがマリスティーヌの本来の姿だ。手綱を掴んでないとすぐにあの有様だ…まぁ…兎に角、朝飯にするか…」


 こういう事も徐々に慣れていくだろう、暫く様子を見ながらディートを見守ってやるか…


 そんな事を考えながら、朝食を取る為に馬車の中へと戻っていったのであった。



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