第208話 後始末

 あの学術研究発表会で魔界の悪魔を倒した一件から、俺は三日ほど、自室に籠って食っちゃねを続けていた。それと言うのも、魔素を防ぐためのシールド魔法を展開していた事や、あの化け物の口からビームを撃ち返す為の魔法を使ったり、限界を超えた各種強化魔法を続けたせいで魔力を枯渇していた事や、同じく限界を超えたラッシュ攻撃を何回も使い続けた事で、身体全体、特に腕の筋繊維がボロボロになってほぼ手が動かせない状態になっていた。


 俺は更年期を迎えたおっちゃんが自治会の野球大会で気合を入れすぎて筋肉痛で動けなくなったように、ずっと痛みに悶えながら自室で療養する日々を過ごしていた。


 特に酷かったのは一日経ってからで、あの事件の後、爺さんの用事を済ませてから部屋に戻って朝起きると全く身体を動かせない状態になっていた。マリスティーヌや学園の治療魔法を使えるものに治療してもらう方法もあったのだが、魔素の浸食の治療を優先してもらったの事と、別に冒険中でもなく急いで直さなければならない事はなかったので、俺の経験上、魔法で回復してもらうより自然治癒をした方が後々身体能力が向上すると考えた為である。


 そんな訳で明けて一日目は全く身体を動かす事が出来ずに、仲間の連中に食事をとらせてもらう事になったのだが、俺はほぼ病人に近い状態なのに、マリスティーヌがかつ丼をもってきたり、カローラに顔の上にお粥をぶちまけられたり、同じく筋肉痛でほぼ身体が動かせなくなっていたシュリとトイレの順番を争ったりと、大変な目にあった。


 二日目になると少しは身体を動かせるようになったのだが、爺さん達からのお見舞いというか差し入れで、大量の骨付きあばら肉が運び込まれ、俺とシュリ抜きでは食べきれないという事で、ノルマを課せられて無理矢理、病み上がりの身体状態で骨付きあばら肉を食う事になった… 普通、こんな時は果物だろ…


 その後、俺はアルファー、シュリはマリスティーヌの介護を受けながら一緒に風呂に入れて貰ったのだが、俺もシュリもそのままだと湯船に沈んでいくので、それぞれアルファーとマリスティーヌに頭を掴んでいてもらわないといけない状況だった。


 ちなみに、アルファーもマリスティーヌも服を着ながらの介護で、シュリの大きくなった巨乳を生で見る事ができたのだが、やはり乳首は存在していなかった…くっそ…


 三日目になると漸く日常生活は出来る様になり、風呂も一人で入れるし、トイレもシュリと順番を争わなくてもよくなり、カローラに頭に粥をぶちまけられたり、喉の奥に剣を入れる奇術の様に、マリスティーヌに骨付きあばら肉を口の中に突っ込まれる事無く、自分で食えるようになった。まぁ…朝昼晩と骨付きあばら肉ってのはどうかと思うが…


 そんなこんなで四日目、痛みがかなり取れて、まともに歩けるようになってきたので、一度、爺さんの所に顔を出そうかと思っていたが、逆に朝から爺さんの方から顔を出してきた。


「イチローよ! おるか!」


 いつも通り、ノック無しで扉を開き、ズカズカと遠慮なしに入ってくる。


「おう、爺さん、どうした?」


 食後のコヒーをしていた俺は、カップを置いて、爺さんに向き直る。


「お主の様子を見に来たのじゃ、かなり元気そうになったのぅ」


 そう言って、案内なしに俺の正面の席にどっしりと腰を降ろす。


「あぁ、今日になって漸く歩き回れるようになったから、一度、爺さんの所に顔を出そうと思っていた所だよ」


 俺はそう答えるのだが、爺さんの後ろで爺さんの部下が、何やら骨付きあばら肉が山盛りの皿をカズオに手渡しているのが気になって仕方なかった。持ってきてくれるのは嬉しいが、いい加減別なものにして欲しい…


「そうじゃったんか、まぁ、元気になってなによりじゃ」


 そういってガハハと笑う。


「それよりも爺さんの方はどうだったんだ? 研究発表会や悪魔の事、それと救出されたリドリティス王女と…収納魔法を開発したディートの事とか、色々対処することがあっただろ? それを聞きに行こうと思ってたんだ」


 骨メイドのヤヨイが一応お客さんである爺さんにお茶を運んでくる。この三日間の看病でヤヨイの看病が一番マシだったのが何とも言い難い…


「研究発表会は後日続きを行うつもりじゃ、悪魔の方は今はもう解体作業が済んで、研究をしておるところじゃのう~ あっ、悪魔の死体は学園で買い取る形でよいか?」


「あぁ、そこは爺さんに任せるよ」


 爺さんに任せておけば安全だろう。


「でじゃ、リドリティス王女に関しては、お主の協力もあって、憑き物が落ちたかのように落ち着いておる。魔素の浸食についても最初は酷いありさまじゃったが、対処が早かったのと、生徒を総動員して治療したのが効いて、今は快方に向かっておる。後遺症は残らんよ」


 爺さんは当初の事を思い出したのか、少し眉間に皺を寄せながらコヒーを啜る。


 俺やシュリは魔素に対応するために、一応シールド魔法を掛けていたが、リドリティス王女はモロに曝露していたからな… 


 この世界に満たされている魔力の魔素と、魔界に溢れる魔素とは、同じ魔法を使う時の動力源として使用することが出来るが、アルコールに例えるとメチルアルコールとエチルアルコールぐらいに異なるものだ。魔界の魔素は人体に有害なのである。


 普通の人間が長期間、高濃度を曝露するとその有害さによって死に至るか、悪魔化する恐れがあるのだ。だから、爺さんも必死で治療したのが良く分かる。


「しかし、問題が残るのじゃが… わしの知る限り、リドリティス王女は独自に魔界の魔素を引き出す魔道具、『魔界炉』を作り出せるだけの知識や技術はない…」


 爺さんがコヒーカップを置いて、俺を直視する。


「ってことは、あの王女は誰かに渡されてか、盗んでその『魔界炉』を使ったのか?」


「本人の供述によると、見た事のない少女から使い方を記した巻物と共に渡されたそうじゃ、後で部屋を調べたら供述通りに巻物が出てきた… 一応、巻物の素材やインク、筆跡を調べさせたが、この学園の生徒や教師の物ではないようだ…」


 なるほど、それで忙しくて、三日も爺さんから連絡が無かったのか…


「それと、おかしなことじゃが、王女は謎の少女に渡された事は覚えておるが、どんな少女だったか詳細は憶えておらんそうだ…」


 俺はその爺さんの言葉に違和感と言うか引っかかるところがあった。似たような話を実際に聞いた事があるのだ。


「爺さん、俺も似たような話を聞いた事がある…」


「ほぅ、それはどの様な話じゃ?」


 爺さんは興味を惹かれたのか、肩眉を上げる。


「俺が今まで倒して仲間にしてきた魔族側のボス、カローラやプリンクリン、蟻族のエイミーは魔王と接触してその立場を得たはずなんだが… 誰一人として魔王の詳細な事を憶えていないんだよ…」


「なんと、今回の件に似ておるな…」


 俺の話で爺さんは目を丸くする。


 魔王の事を尋ねても、力を貰った事や立場を貰った事は憶えているが、その相手がどの様な存在であったかまでは誰一人として憶えていない。ただ、魔王と接触してから人類に対して敵意が湧いてきた事だけは憶えているそうだ。もう一つ不思議な事に俺に倒されてからはその敵意は消えるみたいであるが… そう言えば、あのダークエルフたちも似たような事を言っていたな… もしかするとマセレタのハバナも同じかもしれん…まぁ、アイツらは人類と敵対してもそれを実行するだけの頭が無かったから大したことにはならなかったが…


「だから、今回の一件も、魔王の部下か魔王そのものが現れて、王女を唆したのかもしれんな…確証はねぇけど…」


「なるほど…魔王が絡んでおるかもしれんのか…」


 その後、俺と爺さんの間で沈黙が流れる。事が重大過ぎるのと、情報が足りない為、迂闊に発言することが出来ないからだ。


 そんな中、話題を変えたいのか、爺さんがふぅと溜息をついて、少し項垂れていた顔をあげる。


「まぁ、現状ではこれ以上考察しようにも情報が少なすぎる… だから、最後の問題の事について話をしようか」


「最後の問題って…ディートの事か?」


 俺は爺さんの言葉に視線を爺さんに向ける。


「あぁ…そうじゃ」


 爺さんはそう答えて、俺から視線を外す。


「それでどうするんだ?」


 俺の言葉に爺さんは再び俺と視線を合わせる。


「…ディートは今回の一件で死亡した事にしようと思う…」


 爺さんの言葉がこの部屋に静かに響き渡った。



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