第196話 PKSD
「あるじ様っ!」
爺さんの研究室がある塔に向かう途中で、大音量のシュリの声がかかる。
「なんだ?」
突然、大声で呼びかけられたので、俺は少し驚きながら声の方向に視線を向けると、銀色のドラゴンが遠くから俺を見つめていた。
「シュリ!? お前、寒くて大きくなりたくなかったんじゃないのか?」
俺も大声でシュリに問い返す。
「あぁ、その事か、確かにそうなのじゃが…詳しい事はこちらに来てから話すぞ」
シュリはそう言うと、小さくなって消えていく。恐らく人化していつものシュリの姿に戻ったのであろう。特に問題は無いと思うが、俺は早歩きでシュリのいる塔の場所へと向かう。
「あるじさまぁ~」
シュリは俺の姿を見つけると、笑顔で駆け出して抱きついてくる。
「お、おぅ、どうした?シュリ」
突然の超ご機嫌状態のシュリに俺は少し戸惑う。なんで、こんなに機嫌がいいんだ?
「どうじゃった? わらわのドラゴンの姿は! カッコ良かったであろうっ!」
「お、おぅ、そうだな…カッコ良かったぞ」
そう言いながら満面の笑みを浮かべるシュリの頭を撫でてやる。
「それより、今までドラゴンの姿になりたがらなかったのに、どうしていきなりドラゴンの姿になったりしたんだ? 寒さもあまり変わらんだろ?」
俺がそう尋ねると、シュリがクイクイと手招きして耳打ちをしたがるので、俺は膝をかがめてシュリの高さに合わせてやる。
「あるじ様、実はな…ドラゴンの姿に戻ると、性転換しておることがバレるので内緒にしておったのじゃ」
「あぁ、なるほど…オスの方が角が太くてゴツゴツしているし、顔つきも変わるからな…」
「そうじゃ…だからドラゴンの姿に戻りたくなかったのじゃ」
シュリは少し頬を染めてそう答える。こういう所は可愛いのだが、普段はオカンっぽいからな… とりあえず、赤面するシュリの頭を撫でてやる。
「イチローよ!!」
シュリの頭を撫でている俺に、今度は爺さんが手招きして俺を呼ぶ。
「なんだよ、爺さん」
俺が爺さんに近づくと、爺さんもシュリのように耳打ちをし始める。
「イチローよっ! なんだか今日のシュリちゃん、めっちゃ可愛くて輝いて見えるのだが…お主、何かしたのか!?」
「何もしてねぇよ…ってか、シュリはシルバードラゴンなんだから輝いて当然だろ?」
「いや、物理的に輝いておる事を言っておるのではなくて、なんかこう…人間の姿でも尊いというか神々しいというか…」
恐ろしいな…この爺さん… シュリが元の性別に戻った事に本能的に気が付いているのか… ある意味…俺以上の識別眼持ちか…ふっ俺もまだまだだな…
しかし、どうしたものか… シュリは今までオスだった事を話すべきか…でも、それはシュリが嫌がりそうだから止めておいてやるか…
「そうだな…今のシュリはちょっと思春期に入ったみたいだから、ちょっと複雑なお年頃になったんだよ…あまり詮索してやるな…」
こう話しておけば今後根掘り葉掘り聞く事は無いだろう。
「思春期!?お年頃!? という事はわしにもワンチャンあるかも!?」
「ねぇーよ、じゃあシュリ、帰るぞ」
俺は爺さんを無視してシュリに向き直る。
「あい! あるじさま!」
シュリは元気に答えると、とことこと駆け寄ってきて俺と手を繋ぐ。
ククク、これだけシュリと仲の良い姿を学園の皆に見せれば、もう気を遣わなくても良いと女生徒たちも思うはず… 俺の女生徒満漢全席生活が再び始まるっ!
俺はそんな事を考えながら、ルンルンのにっこにこ笑顔で学園内をシュリと手を繋いで練り歩く。
さぁ!女生徒達よ! シュリの機嫌は直ったぞ! これで心置きなく俺にアッピルしてこい!
「シュリちゃ~んっ! おめでとう!」
「よかったわねっ! シュリちゃん!」
「シュリちゃん、幸せにねぇ~♪」
どういうことだってばよ… 女生徒が俺に対してのアッピルではなく、シュリに対しての祝福の言葉ばかりじゃねぇか…
シュリもシュリで、少しはにかみながら、女生徒たちに手を振って答えている。
…まぁいいか…一日ぐらい、シュリに対してのサービスデーみたいなものが有っても…
「じゃあ、カローラを迎えに行くぞ、シュリ」
「わかったのじゃ! あるじさまっ!」
シュリは幸せそうな笑顔で答えた。
そして、カローラのいる研究室に辿り着く。ノックをすると変な事をしていた場合、証拠隠滅をされる恐れがあるので、俺はいつも通りノックをせずに扉を開く。
「カローラ~ 迎えに来たぞ~」
俺が研究室に入ると、カローラより前に、禿爺が真っ先に俺の元へと駆け出してくる。
「なっ! なんだよ爺さんっ!」
「尊いんじゃ!! 尊いんじゃよ!! 今日のカローラちゃんは眩く神々しいまでに尊いんじゃ!!」
うわぁ…この爺さんもかよ… ってか、ロリ爺さんも、この禿爺さんも尋常ならざる識別眼を持ってんな…
「えっと、あの… カローラはシャンプー替えたんだよ… 後、少し髪も整えたかなぁ~
下着も新しいのに替えたと言っていたし…」
カローラの事も、シュリの時の様に誤魔化す。カローラも性転換していた事は言わない方が良いだろう。カローラも俺の声が聞こえているのか、向こうのテーブルの所で、うんうんと頷いている。
「そうか…カローラちゃん程の逸材だと、シャンプーや散髪、下着を替えただけで、あれほど尊くなるのか… わしもまだまだ修行不足だな…」
いや、十分修行を積んでいると思うぞ…
と言う訳で、右手にシュリ、背中にカローラを背負って、今度はアルファー達の所へと向かうのだが、なんだか足が重いというか気が進まない。
性別が変わって、見た目が変わらなったシュリやカローラでも、あの反応である。それが見た目も完全に別物状態になっているカズオの所ではどんな事になっているのか想像もつかない…
ってか、離れたこの場所でも、カズオのいる場所から、まるで戦場かお化け屋敷の様な悲鳴が聞こえてくるんだが… これは幻聴ではないよな…
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ~!!!!」
「うそだぁ!! うそだと言ってくれよぉぉぉぉ!!!」
「消してくれ…消してくれよ… 誰か俺の記憶を消してくれぇぇぇぇ!!!!」
可愛い女の子の声を聞く事を『耳が幸せ』というが、この状況はその全く正反対の『耳に地獄が聞こえる』状態だな… 声だけで阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられているのが分かる。
俺は研究室の前に着き、こっそりとその扉を開いて中の様子を覗き見る。
「タケルさん!! あれほど愛を語り合った仲でしょ!! あっしはあの夜の事は忘れてないでやすよっ! 互いに見つめ合い… 互いに手を取って指を絡めあって… そして…」
「ひぃぎぃぃぃぃぃ!!! 許してくれぇぇぇぇ!!! 許してくれぇぇぇぇ!」
パタン
俺は速攻で扉を閉める。
「ダメだ…この先は俺達が踏み込んではいけない地獄だ… 見なかった…知らなかった事にして今日は帰ろう…」
俺は強張った顔で二人に伝える。
ガチャッ!
「どういう事だぁ!! イチロぉぉ!!!」
俺が閉めた扉が乱暴に開かれて、眼鏡爺さんが姿を現して怒声を響かせる。
「よ、よぉ~… じ、爺…さん…元気…そうだな…」
俺は眼鏡爺さんから目を逸らして、震える声で答える。
「元気とは言わん!!! 私は怒り狂っているんだ!! 一体どういう事なんだ!!!」
「ど、どいういう…事って…言われてもな…俺達は…今来たばかりだから…分からないんだ…」
恐らくと言うか絶対にカズオの事であるが、俺は知らないふりをして誤魔化す。
「しらを切ってもバレバレじゃぞ! 目が泳いでいるではないかっ! どうしてカズコちゃんがあんな姿になってしまったのか説明しろぉ!!!」
そう言って俺の胸倉を掴んでくる。
「いや~ 多分、思春期になったとかお年頃になったとかで感じが変わったんじゃねぇかなぁ~」
「あほかっ! 思春期になった程度で姿まで変わるかっ!! 他に理由があるだろ!!」
「じゃあ、シャンプー替えたとか髪切ったとか…下着を替えたとか…」
「まだ言うかっ! あんなバレバレなカツラを付けててシャンプーとか散髪とか関係ないだろ!! まぁ…確かに下着は違うようだが…」
って爺さん、カズコの下着覗いてたのかよ…
そこへ爺さんの後ろから声がかかる。
「おやめなさい! 見苦しい!」
爺さん越しの見てみると、七賢者の一人の婆さんだった。
「しかしだな…あんなに巨乳で麗しかったカズコちゃんが…あんなオカマのオークの姿に…」
「あら、今だって、熱い胸板の巨乳じゃないの、それに今のあの子には別の麗しさがあるじゃない…」
そう言って、婆さんはカズオがこの前の生徒達にキスを迫っている所をうっとりとした悦に浸る目で眺める。
そう言えば、この婆さんはそっちの趣味だったな…
「いやだぁぁぁぁああああ!!! やめてぇえええ!!!」
ハイオークのカズオに唇を近づけられて悲鳴を上げている生徒の姿は、進行の巨人ででてきたニケ隊長みたいに見えてくる… ってか目を背けたくなるな…
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
その悲鳴は学園中に響き渡ったという…
その後、この世界でPTSDの症状を現す言葉は『性的カズオ後ストレス障害(PKSD)』と呼ばれるようになった。
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