第187話 持つ者と持たざる者

 どうしよう…まだ胸の心臓がドキドキと大きく脈を打ち鼓動している。僕の事をこのカーバル学園都市の学園長にして、七賢者の代表であり、そして僕の保護者であり養父であるルイス学園長に声をかけられてしまった。


 しかも、僕の事を応援してもらった…でも…


 学園長は僕の想像するような、学問にその人生を捧げるような厳格な方ではなかったような気がする…もしかすると…僕は期待されていないのであろうか… だから、どうでもいい、好きにやれと言うような態度を…


 先程まで憧れの人に声をかけられて高鳴っていた心臓は、急に締め付ける様に苦しくなる。


 もし、僕が期待に答えられずに、最後の一年を好きなようにさせて、後は追放されるという事であるなら…僕は…僕は…どこへ行けば良いのだろうか… もしかしたら、僕は最後の居場所を失うのか…


 僕は悪い想像しか湧き上がって来ない頭をスッキリさせる為に、頭を振るう。だが、胸の奥に残る不安はしぶとい雑草の様に心の中に根を張り続けて、僕の心に残る。


 普通の感性を持ってあの状況を見れば、大らかな性格の学園長がただ僕を励ましているに過ぎない… 理性ではそう分かる…だが、僕の感情は、やはり期待されていないからだと警鐘を鳴らし続ける。


 それは、学園長が血が繋がった僕の本当の父でも祖父でもなく、僕が誰も血のつながりのない天蓋孤独の人間だからかも知れない… 僕は血の繋がった家族からの無償で無限の家族愛を渇望しているのか…そんなもの、僕が今更手に入れることなど不可能だというのに…


 人間というものは自身のアイデンティティという土台が不安定だと、その土台に積み上がる精神まで不安定になっていく…


 いっその事、学園長に僕の事をどう思っているのか聞きに行くか? それとも学園長と親し気に話をしていたアシヤ先生を通して尋ねる? いや…ダメだ… そんな事を聞きに来るような人間は僕なら拒む…きっと学園長だってそうだ…


 僕は…僕は…どうすればいいんだろう…やはり、発表会で一位を取るしか道はないのか…でも、一位を取れる様な研究内容が思い浮かばない…


 そんな時、僕の部屋の扉がけたたましく叩かれて乱暴に開け放たれる。


「野良犬! いるの!!」


 その声と言葉だけで不安定な僕を激しくイラつかせる。


「リドリティス王女… 悪いけど…今、僕は君の話を聞いてあげられるような気分ではないから、遠慮してくれないか」


 普段ならリドリティス王女という嵐が収まるまで、じっと家にこもって耐え忍んでいるような僕であるが、今日だけは僕のイラつきが黙って耐え忍ぶことを否定した。


「なっ!なによ!! 野良犬の癖に生意気よっ!」


 僕は彼女の言動に、隠す事もせずに大きな溜息をつく。


「君は本当に幸せな人生を送っているんだね…」


 僕の大きな溜息に眉間に青筋を立てていたリドリティス王女であるが、予想外の言葉に目を丸くする。


「どういう意味よ…」


「思った事を言いたい放題だし、現したい感情も出したい放題だ…君はそんな生き方が許される環境や立場で育ったんだね…」


「私を馬鹿にしているのっ!!」


 僕の言葉にリドリティス王女は激高する。


「いや、羨んでいるんだよ… 僕は言いたい事も、現したい感情も我慢してばかりだ… 僕にはそんな事を許される環境や立場ではないからね…」


 そして、僕は彼女を直視して見据える。


「そんな不自由な僕に、自由な君が何の不満があるんだい?」


 リドリティス王女は僕の言葉に、自分の中にある思いや感情が上手く言語化できずに、魚の様に口をパクパクとさせる。だが、それでも何とか言葉を捻り出そうと、スカートを握り締め、歯を食いしばる。


「わ、私は…」


 そう口から漏らす彼女の表情には、ただ僕に嫌がらせをやりに来ている訳ではなく、何か思い悩む問題を抱えている様に思える。それは一体なんだ?


「私は…私は…たかが野良犬如きの貴方が… 講師や…偉大なる学園長と…な、馴れ馴れしくしているのが許せないのよっ!!」


 リドリティス王女は漸く言語化できた言葉を搾り出す様に告げる。


「君はその様に言うが、僕自身は馴れ馴れしい態度でアシヤ先生や、ルイス学園長と接した記憶が無い、特に学園長と話すのは年に一回あるか無いかの程度だよ。それも、馴れ馴れしいどころか緊張しすぎて上手く喋られないぐらいだよ」


「嘘を言わないで!! 先程だって、学園長から親し気に話しかけられていたじゃないのっ!」


 感情から来る怒りの言葉は、脊髄反射でスラスラと言えるようだ。


「それは僕がお願いして、親し気に話してもらっている訳ではなく、学園長の人柄によるものだよ。だから、君も話しかければ、学園長も親し気に話してくれると思うよ」


 すると途端に彼女は怒りではない感情で顔を真っ赤に染める。


 彼女のその表情の変わりようで、何故、彼女が僕に当たって来るのか、彼女の中に何があるのかが分かったような気がした。


 彼女の中に潜むもの…それはコンプレックス…劣等感だ。彼女は僕に何かしらの劣等感を感じているのだ。


 確かに彼女は両親がいて、財力もあって、王女という立場もある。しかし、逆に言うとそれしかない。彼女のこの学園での成績は特に優れた者ではなく、言ってしまえば平凡だ。


 逆に僕の成績は自慢ではないが、常に上位10位以内に入っており、専門分野に限れば1位を取れる時だってある。だから、彼女は僕が地位や立場で、アシヤ先生や学園長に接しているのはなく、彼女の目には僕の能力で接している様に見えて、嫉妬しているのか…


 おかしな話だ… 彼女は僕が逆立ちしても手に入れる事の出来ない、家族や王女という立場を持ちながら、努力で手に入れられる成績というものに嫉妬しているのだ…


 そんなものが有っても、意味があるのはこの学園に在籍している間だけの話だ。人が普通に事故無く老衰するまで生き続ける事を想定した場合、家族の存在や揺るぎない立場にいる事の方がどれほど有益な事なのか、彼女は分かっていないのだ…


 僕が持つ成績と言う優越性は、僕より努力する者や才能ある者の出現によって容易に脅かされて、それによるアシヤ先生や学園長との関係性など、すぐに崩壊するというのに…


「リドリティス王女」


 僕は彼女に向き直る。


「な、なによ…」


「僕の様な何も持たない存在ではなく、君はより価値のあるものを多く持っている事に気が付くべきだと思う… それに気が付いた時、僕の様な野良犬と等しき存在なんて気にならないはずだ…」


 彼女は僕の言葉の真意を掴めずに片眉をあげる。


「だから、犬小屋の様なこの部屋ではなく、人間の住む自分の部屋へと戻った方が良いよ… 野良犬の臭いが付くからね…」


 僕は自嘲気味に告げる。すると、彼女は納得したのかしてないのか分からないが、取り巻きの令嬢一人を連れて、無言でこの部屋を後にした。


 そして、彼女が立ち去った後、僕は大きな溜息をついた。


「はぁ…発表会の課題は何にしよう…」


 一人の部屋で答えてくれる者は誰もいなかった。


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