第184話 イチローのお悩み相談
俺は久々の御者台の上でスケルトンホースの手綱を握り、寒々しい鉛色の空の下、荒涼とした大地の上を山に向けて馬車を走らせている。まだ白くチラつく雪は降っていないが、時折山から吹き下ろす風が予想以上に俺の体温を奪っていく。
「想像した以上に冷え込むな… ここから帰る時には御者をする連中の防寒具を買い足してやらんといかんな… アイツは…カズコの物かそれともカズオの物かどっちになるだろうな…」
そんな独り言の言葉を履く度に、息が白くなって流れていく。
そこに「うっ」という声が聞こえると同時に、御者台の横の連絡扉が開く。チラリと視線を向けると、マグカップを持ったディートの姿があった。
「おっディート、どうした?」
暖かい馬車内から寒い外に出てきたディートは寒さに表情を強張らせながら、御者台に上がってくる。
「そろそろ、山も近づいてきたので、案内する為に僕も外に出てきました… あと、あの骨メイドのヤヨイさんが入れてくれた、ホットレモネードです」
そう言ってディートは湯気の立つマグカップを差し出す。
「あぁ、済まないな… 性転換の調査をしてもらった上に、わざわざ素材調達の案内まで付き合ってもらって」
俺は礼を言いながら、マグカップを受け取り、口に運ぶ。普段はコヒーばかり飲んでいる俺であるが、今の冷えた俺の体には、暖かくて甘酸っぱいホットレモネードが回復薬の様に身体にしみわたる。
「うまぁ~」
「僕自身、乗りかかった船ですからね、最後まで見届けないと…後、時間が無くて急いでいるのもありますね」
ディートの言葉に、俺はマグカップを口元から離して、視線をディートに向ける。
「あぁ、ディート、お前も学生とはいえ研修者の一人だからな、俺の問題のせいで手間を掛けさせてしまったな… 今回のお礼といっちゃなんだか、俺達に出来る事があれば手伝わせてもらうぞ」
俺はディートが尋ねてくるたびに食事を採らせているが、ディートが子供の様に見えるからといって、それを今回の問題解決に対する報償にするつもりはない。ちゃんと金銭なりアイテムなりの代償を払うつもりだ。ディートが困っているというのなら、手伝いをする事だって厭わない。
「いや、別にアシヤ先生の手を借りる必要はないです…僕、個人の問題ですから…」
ディートはそう言って、眉を曇らせて視線を落とす。その仕草に何かありそうだと思った俺は、再びマグカップを口元に寄せて、一度間を置いてから再び声を掛ける。
「その個人的な問題…ってのは… 俺が聞いてもよい問題か?」
俺は視線を馬車の前方に向けながら尋ねる。
「いいえ…そんなに気を使ってもらわなくても大丈夫ですよ… 今度行われる学術研究発表会の事ですから…」
「学術研究発表会? あぁ、学園内の掲示板に張ってあるあれか、なんでも一年の研究の成果をみんなの前で発表して成績を競い合うってやつだったな」
学園内の掲示板で始めて学術研究発表会のポスターを見た時は学園祭の様な物でも始めるのかと思ってみてみたが、どうやら学園祭のようなお祭り騒ぎではなく、本当にただ研究発表をする為の物で、あまり興味を惹かなかったのだ。
しかしながら、よく考えると、ここカーバル学園都市はこの大陸で最先端技術の場所、どんな新しい技術が開発されるかもしれないので、興味が惹かないと言わず、見ておく方が良さそうだな。
「そうです、その学術研究発表会です…」
考え事に空想していた俺は、ディートの言葉で現実に引き戻されて、ディートをチラ見する。するとディートは浮かない顔をしていた。
「なんだか浮かない顔をしているな? 研究が行き詰っているのか? それとも良い物が思い浮かばないとか… 研究資金が足りないなら、今回の礼の代わりに俺が出してやろうか?」
俺がそう告げると、ディートは膝を抱えて顔を埋めて答える。
「いえ、研究資金が足りない訳でも、研究が行き詰っている訳でもありません…ただ、発表するような良い研究成果が思いつかなくて…」
「良い研究成果が思いつかないって… 今回の性転換の事象はどうなんだ? 結構凄いことだと思うぞ?」
「そんなのじゃ、一位はとれないんですよっ!」
ディートは語気を強めて膝を抱える手の力を掻き毟る様に込めていく。
「一位って… なんでそんなに一位に拘るんだよ… まぁ、一位に取れたら嬉しいのはわかるけど」
俺は顔を前に向けながら、視線だけディートに向ける。ディートの方も視線を俺の方には向けずに、呆然と前に向けていた。
「僕は…捨て子で…学園長たち七賢者に拾ってもらったんです…」
ディートはポツリと呟く。俺は想定外の内容に、少し驚く。だが、俺の方を見ていないディートはそのまま言葉を続けていく。
「このカーバル学園都市には、大陸中の各国から留学生が訪れます… その中で、仲を違える国同士の子弟が許されざる恋に落ち、許されざる関係を持ってしまう事があります…」
現代日本でも家柄や勤め先、年収などで、結婚や交際を許されないという事は多々ある。この時代的に中世の感覚の強い異世界では尚更、簡単に交際なんて許されないだろう…
「そんな許されざる関係の結果、生まれたのが僕です… 僕はある日、学園の医務室前に置かれていたそうです…だから、誰が父親なのか誰か母親なのか全く分かりません…」
俺はディートの話を聞いていて、なんだか耳が痛くなってきて、ポリポリと鼻の頭を掻く。アソシエやミリーズ、ネイシュたちがあの時、ロアンに事情を話していなければ…あのダークエルフたちも俺の所に来なければ、俺はディートの様な子供を大量生産していたと思うと、今更ながら心苦しくなってくる。
「そんな僕を拾って、この学園で育てる様に宣言してくれたのが、カーバル学園都市の学長ルイスさんです… 僕はその拾って頂いた学園長の御恩に報いる為にも、学園町の顔に泥を塗るような結果は残せないんです…だから、一位を取らなければならないんですよ…」
呆然としていたディートの目に熱がこもる。
「そうか…ディートはあの爺さんたちの期待に応えたいのか…」
すぐさま、良い言葉が思い浮かばない俺は、そんなありきたりの言葉で返す。
俺は爺さんたちやディートの事を考える。好きな事をして人生を満喫しているだけに思える、あのおちゃらけた爺さんたちが、ディートの事に限って、学園のトップエリート然とした厳然な態度で当たるとは思えない。
だが、爺さんたちが好きに生きる事と、ディートが爺さんたちの恩に報いたいと思う事は別問題だ。ただ…
「なぁ、ディート…」
俺は顔を向けてディートに尋ねる。
「…なんですか? アシヤ先生…」
ディートの視線は前を向いたままだ。
「お前さぁ、あの爺さんたちと会話することってあるのか? 拾って育ててもらったって言っていたけど、昔はもっと一緒だったとか…」
「いいえ…あの御方たちは、僕にとっては天上人の様な物で、恐れ多い御方です。だから、おいそれと気軽に出会えて会話が出来るような存在ではありません…」
なるほど…あの爺さんたちはディートの中では、人格者や理想の賢者になっていて、その理想像の爺さんたちの期待に応えようとしているのか…
うーん、これは難しいな…俺がいくら言葉を尽くして爺さんたちの実像を伝えようとしても、ディートからすれば俺が爺さんたちを貶している様にしか思えないだろ…
「あっ、アシヤ先生、見えてきました、あの辺りがホースフラワーの群生地です」
そう言って、ディートは山の斜面に見える、薄っすらとした緑の繁みを指差す。
「あれがそうか…群生地っていっても、ちょびっとしかねぇな…」
俺は片目をみょんみょんと望遠魔法を使って、ディートが指差す群生地を観察する。
「まぁ、元々高山植物自体が希少なものですからね、あれでも群生している方ですよ」
「では、ちゃちゃっと採取して、帰るとするか~ ここは寒すぎるっ!」
こうして俺達は高山植物のホースフラワーの採取を始めたのであった。
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