第159話 聖女の伝説
「はぁ~ こんなに美味しい物をお腹いっぱいに食べたのは初めてです~ 人生の最後の時にしては悪くはないですね…」
「いや、だから食わないし、殺さねぇって…」
野生の欠食児童の修道女は… なんかすごいパワーワードだな… まるで妊婦の様にパンパンになった腹を擦りながら、かつ丼の余韻に浸っている。
あの後、一分もしないうちに俺の作ったかつ丼を平らげた修道女は、まだ物足りなさそうな顔をして空になった丼を眺めていたので、まだあった材料を使い、お代わりを作ってやる事になった。
そして、その結果、あの修道女は四杯のかつ丼を平らげた。あの小さくて華奢な身体のどこにそんなに入るんだよ。だが、あのやせ細った手足を見ると、かなりの間、食料に飢えていたようだ。俺の中にある僅かばかりの慈悲と慈愛の精神がくすぐられて、かつ丼を作る事を厭わなかった。
「しかし、主様は、年頃のおなごは性的に孕ませ、年端のいかぬおなごには食事で孕ませるのか…つくづく孕ませるのが好きじゃのうぅ~」
シュリがお茶を啜りながらそう述べる。くっそ! 正鵠を得ているだけあって、ぐうの音も言い返せねぇ…
俺は気を取り直して、寛いでいる修道女に目を向ける。
「で、腹が膨れたところで… お前は何者で、なんで森の中にいて、俺の山芋を盗んで逃げていたんだ?」
真剣な眼差しで尋ねる。修道女は俺の真剣な眼差しに気が付いたようで、たるみ切った体勢から、すぐに姿勢を正して神妙な赴きで向き直る。
「えっと、話せば長くなりますがよろしいですか? 別に延命したい為に長話をするつもりではありませんが…」
「いや、だから、山芋ぐらいで殺さねぇって、後、人間を食う程、食料にも困ってないから、分かり易く全部話せ」
俺は長話に備えるために、どっかりとソファーにもたれ掛かる。
「えっと、そうですか、ではどこから話しましょうかね…では、先ずは名前から、私は、マリスティーヌと申します」
「姓は?」
「ありません、私は捨て子ですから」
気まずさに俺は、んんと席ばらいをして誤魔化す。
「私は物心つく前に、森に捨てられ、そこで師匠に拾われて育てて頂きました」
「って、ことはもう一人、修道女がいるってことか?」
俺の質問に修道女は首を横に振る。
「いえ、師匠は一か月ほど前に亡くなりました…」
「そ、そうか…」
修道女の言葉に再び気まずい空気が流れる。
「私って、食料調達については師匠に頼りっきりだったので、師匠の死後はあまり食料を得る事が出来ず、ずっと飢えていたのです… それで森を歩いていたら山芋が木の枝にぶら下っていたので…思わずつい…」
「食料を得る事が出来なかったって、お前の師匠は狩人か猟師だったのか?」
「いえ、聖女でしたが…」
「聖女!?」
俺は修道女マリスティーヌの返答に、耳を疑い目を丸くする。
「おいおい! 聖女って、お前、現在の聖女はミリーズだぞ? どうして、お前の師匠が聖女なんだよ、しかもミリーズは2年前に教会によって選定された初代聖女で、聖女の存在はその時代に、一人しか存在しないって話だぞ! おかしいじゃないか!」
「えっ? そうなのですか? 私の師匠レヴェナント様は、確かに自分は聖女だったと仰ってましたし…嘘を仰る方ではありませんでしたが…?!」
俺は更に驚きで目を丸くして、テーブルに身を乗り出す。
「レヴェナントだって!? お前の師匠の名がレヴェナントっていうのは本当なのか!?」
「えぇ、そう仰っていました…」
身を乗り出す俺にマリスティーヌは身を引きつつ答える。
「主様、なんでこの小娘の師匠がレヴェナントという名で驚いているのじゃ?」
となりにいたシュリが不可解そうな顔をして尋ねてくる。
「いや、そりゃ、教会が聖女を公式に選定する切っ掛けになった人物だからだ」
「師匠は過去の事をあまり話してくれませんでしたので、師匠の過去に何があったのか教えてもらえませんか?」
今度は逆にマリスティーヌがテーブルに身を乗り出して聞いてくる。
「俺もミリーズから聞いただけだから、全部を知っている訳ではないが、話してやるか」
俺はシュリだけではなく、話を聞きたかっているマリスティーヌにも、教会が聖女を認定して保護する原因になったレヴェナントについて話し始める。
今は魔族領になっているフナイグには、小さな王国があった。そこでは、定期的に聖なる力を持った女性が現れ、聖女と言われて崇められていた。また、その聖女はゆくゆくは王族と婚姻を結び王族に取り込まれて、その聖女の力を使って、各国の重鎮の不治の病や四肢の欠損などを癒して、外交的な交渉材料として使われていたそうだ。
だが、レヴェナントの時はいつもとは違った。レヴェナントと婚約相手になっていた王子には別に好きな結婚したい女がいて、その女と結婚するためにある悪だくみを考えた。それは王子が自分の好きな女の方を本物の聖女と言い始め、レヴェナントを偽物扱いすることだった。
その王子の質が悪いのは、ただその女と結婚すればいいだけなのに、いかさまの聖女の再認定裁判を行った挙句、レヴェナントを王妃の立場をねらった大罪人として、レヴェナントから聖女の地位を剥奪し、両目を潰して国外追放した。
これで晴れて王子は好きな女と結婚したそうだが、当然、その女には聖女の力はなく、各国の要人の不治の病や四肢の欠損の治療を行えなくなり、各国は本物の聖女は、どうしたかと問い詰めた。その結果、王子の悪事は暴かれて、各国は追放された本物の聖女レヴェナントの行方を捜したそうだ。だが、誰もレヴェナントの行方を探し出す事は出来なかった。
そうして、人類は50年もの間、聖女が存在しない期間が続いた。その状態を憂いた教会が、自身の権力をつかって聖女の存在を確保し保護して、レヴェナントの様な事件が起こらないようにしたそうだ。
「これが俺が知っているレヴェナント事件のあらましだ」
自分で話しておいてなんだが、胸糞の悪い話で、場の空気が悪くなり、沈黙が流れていた。
「そんな過去があったのですね…」
沈黙を破って、マリスティーヌがぽつりと呟いた。そして、膝の上の手を握り締める。
「お師匠様は、私がどんな怪我をしてもすぐさま癒して下さいましたが、自身の潰された両目だけは癒そうとはしませんでした… きっとその時の事をずっと思っていらしたんですね…」
「ほんに酷い話じゃのぅ…そんな王子の様な輩がのうのうと過ごしておるのは納得出来んのぅ~」
「私の城にいたイアピースの王族たちも大概悪辣な輩だったから、今でも王族って、そんな物じゃないの?」
シュリも眉を顰め、カローラはそれが当たり前と言った顔をする。
「いや王族全部がそんな事はないと思うが… で、その王子なら、既に魔族によって国ごと滅ぼされているぞ。最初に言っただろ?今は魔族領にあるフナイグにあった国だって」
「そうか、胸がすっきりしたわい」
シュリは眉を開く。
「で、話は戻るが…マリスティーヌ」
「あっ、はい!」
落ち込んだ顔をしていたマリスティーヌは、俺の声に顔を上げる。
「お前はそのレヴェナントに拾われて、森で一緒に生活してたんだよな? よく両目を潰された状態で生きてられたな…」
「はい、師匠は魔法でまるで目が見えているかのように、生活なさってましたね… それも極力人目を避ける様に…ただ、二年前から調子が悪くなって、それから体調が悪くなって…一か月前に…」
ミリーズが聖女の力を二年前…そう言う事か… しかし、聖女の力には定年みたいなものがあるのか。
「しかし、お前はその師匠の元で過ごしてきたんだろ?」
「はい、一歳の時に捨てられて、今14歳なので、13年間ですね」
えっ? こいつ14歳なのか? どうみても12ぐらいにしか見えない…
「で、その13年の間に自分で食料を得る方法は、教えて貰えなかったのか?」
「いや、魔法を使って植物やら生き物を特定しているだけで、実際の目で見ているわけではないので、色とか形とか説明してもらえなかったんですよ… また、その魔法も教えてもらえなかったですし…」
「どうして魔法を…」
俺はどうして魔法を教えて貰えなかったか、尋ねようと口を開いたか、レヴェナントの意図が大体分かったので、口を噤む。
レヴェナントは特別な魔法を使える聖女の力で、不幸な人生を送る事となった。だから、マリスティーヌに魔法を教える事を躊躇ったのであろう…でも、基本の魔法ぐらいは教えろよ…
「それで、マリスティーヌ、お前はこれからどうするつもりなんだ?」
俺は別に人さらいではないので、強引に無理矢理マリスティーヌを連れていくつもりは無い。一応、本人確認を行う。本人が師匠が眠る場所から離れたくないと言うのなら、基本的な生きる術は教えてやるつもりだ。
俺はそんな心持でマリスティーヌを見る。
俺の言葉にマリスティーヌをきゅっと身を竦めて、拳を握り締める。
「…し、師匠は…」
マリスティーヌは唇を震わせながら口を開く。
「師匠は死に際にこう仰ってました… お前は人の世で生きろと… 本当はもっと早くに私を人の世に戻すつもりだったけど、自分の人恋しさにずっと手放せずにいた事をすまないと…私に謝られました…」
みんなに説明した時には話さなかったが、レヴェナントが追放される時の現場は、それはそれは酷かったと聞いている。国中の人間がレヴェナントに罵声を浴びせ、石を投げていたという… さぞかし人間不信になって人を呪ったであろう…だが、人である以上、人一人で生きていくのは辛かったのであろう…
そこで、捨て子のマリスティーヌを拾って育てた訳だ。可愛くないはずがない。自分の子供の様に思ったはずだ。だが、レヴェナントは自身の事を母親や祖母とは言わずに、最初に師匠と呼ばせていたのは、マリスティーヌの事を思って人の世に送り出してやるつもりだったのか…
自分が直接、出会った訳ではないが、レヴェナントの数奇な人生に感慨の思いをはせる。
「イチローさん…」
マリスティーヌは顔を上げ、真っ直ぐな瞳で俺を見る。
「なんだ?」
感慨に浸っていた俺も顔を上げる。
「出来れば…出来ればなんですが…私もイチローさんの旅に同行させてください!! 私は…私をこれまで育て愛しんでくれた師匠の為に、師匠の残した言葉に応えたいと思います!!」
そして、マリスティーヌはテーブルにぶつける勢いで頭を下げる。
「お願いです!! イチローさん!!! お願いしますっ!!」
マリスティーヌのあまりにも勢いに、俺はすぐに答える事が出来ず、息を飲む。
だが、俺はゆっくりと息を整え、落ち着いた口調で答える。俺の中では答えは決まっていたからだ。
「わかった、マリスティーヌ」
俺の言葉に、マリスティーヌは瞳を輝かせて眉を開く。
「これからは、俺がお前を養って色々と教えてやんよ」
「あっありがとうございますっ! イチローさんっ!!」
マリスティーヌはテーブルの上に前のめりになって、俺に顔を突き出す様に言ってくる。
「だが、その前に…」
俺はソファーから立ちあがり、突き出してきたマリスティーヌの頭をわしわしと撫でる。
「お前のお師匠さんの所へお別れを言いに行くぞ」
「えっ?」
マリスティーヌは目を丸くする。
「俺もついていくから安心しろ」
「分かりました、イチローさん…ありがとうございます」
そして、マリスティーヌは最後の別れに、俺はこれからマリスティーヌを預かる事を報告するために、レヴェナントの所へと向かったのであった。
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